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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第十章 墓の下より
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暁の気配

 先ほど自分の身に起きたことと、たった今耳に入ってきた声に、頭が真っ白のセシルはなんの反応もできないでいた。


「はなせ? せっかく自分から来てくれた人質なのに?」


 ローズは目を白黒させたセシルに銃を突きつけながら立たせると、盾のように追跡者たちの前に立たせた。そこでようやく、セシルは屋上に上がってきたのが父伯爵だけではないと知った。父の足元にはハーンの狼が付き従っており、その横には愕然とした顔の若き第三王子ライオネルと、肩で息をする二人の中年男性の姿があった。フィックマロー子爵とアルター子爵である。


「か、観念しなさい! ゼェ……あなたには、ヴィレイ侯爵への傷害容疑のほか、オリエット伯爵子息二人への、……ゼェ……殺害未遂の嫌疑も、かかっているのです」

「……この上、セシル殿の拉致監禁と、罪を重ねれば、罰は重くなるばかりですぞ」


 その言葉に驚いたのはセシルと、その背後に隠れたローズ両方だった。


「誰がそれを」


 呆然と呟くセシルの首に、一層強く銃口が押し当てられる。黙っていろと、背後のひりついた気配が言っていた。


「……姉上、あなたが伯爵家のご兄弟を殺そうとしたと書いた、匿名の書簡が明け方、王宮に届いたと、兄上から連絡があった。ロッドフォード兄弟の足取りをもとに調べてみれば、エデの町で盗賊が裕福な旅人を襲い、その後賊が行方不明になった事件があるとわかった。その時期、公爵家にも戻っていなかったそうじゃないか」

「誤解だ!」


 叫んだセシルの首に、だから黙れと言わんばかりの銃口がぐり、とめり込んでくる。


 ぐぅ、と唸るような一声を最後に黙ったセシルを確認すると、ローズは落ち着き払った声で応じた。


「それでわざわざ私を追いに、三人ものご当主とライオネルまで迎えにきてくれたというの? 書簡の差出人はどうしてそんなことを知り得たのかは、誰も気にしていないというわけね」

「……公爵夫人、すでに、アレックス殿とその従者、それからエリックと名乗る従者それぞれに事情を聞いております。エリックなる者はずいぶん歯切れの悪い返事をしてきました。お心当たりがあるのでは?」


 アルター子爵の言葉に、セシルは愕然とした。


(父さんたち、勘違いしてる!!)


 ローズがヴィレイ侯爵を襲ったことは事実である。しかし、脅迫者がしたことまでローズに被せられ、その協力者にして密告者がエリックということにされているというのは、明らかに敵の罠だ。


 脅迫者は、これで逃げきるつもりなのか。


「違う! だいたい、その夜はエリックだって、」


 突如、セシルは喉をぐっと圧迫されて文字通り言葉につまった。言葉どころか息も吐けない強さで、黒い銃口が喉元に押し付けられていた。


「あなた、いい加減にしなさい」

「……いい加減にするのは姉上、あなただ」


 ライオネルがはりつめた声で銃を構える。セシルの向こう、金の髪の姉姫にだ。ローズはセシルの背後に立つので、図らずもセシルは二つの銃口に狙われる形になっている。


「……そう。こういう筋書きというわけね」


 ローズの冷ややかな独り言を、正しく理解したのはおそらくセシルだけだった。しかし、セシルはいかに焦ろうとも、首を巡らせてローズを見ることも、目の前の四人に真実を話すこともできない。

 声を出せない喉から悔しげにぐぬ、と言葉にならない音が漏れた。


「……撃てやしないのでしょう、ライオネル。セシル殿に当てない自信がおあり?」

「……」


 ライオネルの目が内側の葛藤を示すようにオリエット伯爵アルバートの方に向けられる。


「……ライオネル殿下、銃をお納め下さい」


 そう静かに言った灰色の目には、息子を案じての動揺など微塵も感じられない。その様子に、むしろ王子の方が訝しげな顔をした。


 焦ったのは話せないセシルの方だ。

 セシルはなぜローズが誤解を深める物言いをするのか訳がわからなかったし、突然自分を人質のように扱い始めた展開にもついていけていなかった。

 ただ、父親が一言、「フィックマロー卿」と子爵に声をかけたとき、背筋に悪寒が走った。嫌な予感というものだ。


 離れて、そうローズに言うこともできないまま、火精を従える子爵は前につき出した左手を空に向けた。

 曲を終わらせる指揮者よろしく、空気をぐっと掴みとる仕草を合図に、カンテラの炎が消えた。


 妖精は火の気を嫌う。訪れた闇の中で、ローズが息を飲むのをセシルは感じた。


「危ないっ!」


 セシルは咄嗟に背後のローズを抱え込もうとしたが、間に合わなかった。銃の先端がごり、と首筋を抉る感覚をおして振り返ったとき、ローズの上半身は背中から女の長い両腕によって抱き込まれていた。下半身が蛇の形をとる女妖精にぐるりと巻き付かれ、ローズの手から銃が落ちる。

 途端、狼がローズを囲う。蛇女(ラミア)の下半身に突き飛ばされたセシルが、瞬時に走りよっていたライオネルに引きずられて距離をとらされれば、状況は一変した。


「さあ公爵夫人、王宮へ戻りましょう。……裁判の前に、お聞きすることがたくさんあります」


 ラミアに巻き付かれ四肢の自由を奪われた女の顔は、星明かりだけでは判然としなかった。


「……嬉しいわね。王領なんて名ばかりのこの城から、懐かしの我が家まで送ってくださるの」


 皮肉に、ライオネルの顔が苦痛に歪む。


「ち、違う」


 ライオネルに保護された――というよりは抑え込まれている体のセシルが否定しても、誰も取り合わなかった。


「ライオネル殿下、申し訳ございません。愚息は、どうにも私事で回りが見えなくなるところがありまして」

「……恐れ入りますよ。人質にされてなお、姉上を庇おうとはね」


 セシルはライオネルの腕からアルバートに引き渡され、逆にローズは子爵二人に脇を固められて、ライオネルのもとにやって来た。

 セシルはすれ違っていこうとするローズを見つめ、つい責めるような声を出した。


「ローズ様! なんで、」

「馴れ馴れしい呼び方をしないで。恥を知らぬ男ね」


 セシルの呼び掛けを切り捨てる女の冷たさに、子爵二人が顔を見合わせる。

 唖然とした第三王子と、呆れたような、苦々しいような顔の伯爵には構わず、セシルはその横顔を、表情もなく足元を見つめるままの紫色の瞳を、驚きと戸惑いで以て見つめた。


「……ローズ様、あなたは」

「お黙りなさい」


 セシルがなおもいい募ろうとしても、ローズは頑として視線を向けず、その言葉の先を許さなかった。


「脅せば逃亡に使えるかと思ったけど、存外役に立たないものね」


 捨て台詞を残し、女は弟王子と、子爵二人に見張られる形で屋上をあとにした。伯爵は、城の壁を這い上ってきたラミアに褒美を与えに逆方向へ歩いていく。


 セシルは、金の髪を揺らした背中に、なんと言葉をかければいいのか、わからなかった。


「嘘ばっかりぃ」


 人の気も知らずに野次を飛ばす妖精に、ただただ事実を思い知らされる。


 ローズは、セシルを庇ったのだ。王宮で発砲した夜に、ひとり、誰にも告げずにダンリール城に向かったセシルが、ローズと共犯関係にあると思われないために。

 きっと、セシルがふて寝をして、ローズがなにも言わずにその場に佇んでいたとき、城近くで探し回る一行の姿を見つけていたのだ。


 俯いて、緑の目に映る上着を内側から整える。濡れて、干されて、風を切ってと、もとの形がわからないほどくたびれていた。


「……父さん、ローズ様は犯人じゃない」


 襟をただすと、セシルは固い声で父伯爵の方に振り向いた。


「……何を言う」


 ラミアを見送り、銃を拾い上げた伯爵が、片眉をあげて振り返る。


「ローズ様は、確かにエリックを利用したし、アレックスを襲って僕を罠にはめようとしたけど、それは未遂に終わった。エデの町で僕たちにならず者をけしかけたのはあの人じゃない」


「……では、誰だと?」


 セシルは言葉に窮した。それはまだ、わかっていない。そんな内心を見透かすように、伯爵が淡々と続ける。


「ヴィレイ侯爵を襲ったことは、事実だろう。アルター子爵の水鏡に、ユニコーンの背に乗る夫人の姿が映し出された。侯爵が襲われた場所の蹄と、昨夜のおまえの証言から、夫人が庭のユニコーンを王宮内に引き入れたことは明白だ」


 否定できなくて、セシルは無言で父親の灰色の目を睨み付けるしかなかった。

 そんな息子を、伯爵は動じることなく見返す。


「……おまえ、竜に乗って移動したな。妖精たちがいやに怯えるから、飛ぶ竜の足取りは追いやすい」

「……それでダンリールに? 父さんたちこそ、ずいぶん早かったじゃないか。そんなに早く移動できる方法があるなら、僕とアレックスのときにも入れ知恵してくれれば良かったのに」


 セシルの嫌みを、ゆっくり近づいてくる伯爵は気にもとめなかった。


「点在する王領と王宮をつなぐ通路は非常時のために魔法の名残で作られ、隠されている。国王陛下の許しなしでは使えん。その存在さえも、本来なら話されるべきではないのだからな」

「……公爵夫人も、そこを通って連れ帰られるのか」

 

 伯爵は否定しない。

 セシルは最後に見た頑なな横顔を思い出した。


『できれば、秘密裏に』


 王妃の言葉は守れなかった。結果的に誰も傷つけないまま、ローズは帰還するが、こんな帰り方を望んでいた筈はない。


「セシル、隠し通路を使わせることはできないが、おまえにも十月裁判への出廷命令が下るだろう。なるべく早くリンデンに戻るように。ただし竜は使うな、危険すぎる。ディフレッドから馬を借りろ」


 十月裁判。ブランデンの一般の刑吏は知らない、魔法の名残に関する専門裁判である。十月に行われる魔法使いの大集会で裏切り者の処刑がされていたと伝わることから、魔法使いの子孫には俗称でこう呼ばれる。今や行われる時期は十月に限ったものではない。

 ディレイ侯爵やオリエット伯爵の息子が関わる事件であれば、通常の裁判ではままならないということだ。


「……父さん、ローズ様は、すべての罪を罰されるとしたら、どうなるんだ?」


 セシルの問いに、アルバートは渋面を隠さなかった。息子が恋に狂って罪人を庇うかもしれないと疑っている顔だった。


「いずれわかるだろ、教えてよ」

「……悪くて処刑、よくて幽閉だろう。言っておくが、裁判での虚偽の証言はありとあらゆる手段で見破られる。嘘をついた時点で証人にも罰が適用されるのだから、愚かなことは考えるなよ」


 真実がすべて明らかになれば、ローズの罪は少し軽くなる。セシルは光明を見出した気がした。


(実際にローズがしたことは、アレックスを殺しかけたことと、マンドレイクで小役人を殺しかけたこと、それからヴィレイ侯爵を襲ったことだから……)


 明るくなったセシルの顔は、すぐに沈痛なものとなった。

 多い。短期間でかなり重ねている。

 だが、すべて未遂に終わっている。死者を出したのは告発状に記された盗賊の件だが、死んだのは盗賊自身で、しかもそれはローズの関与したものではない。

 それに、彼女の行動は脅迫者に指示されたものだ。それが証明されれば、ローズの罪はずっと軽くなる。


(なのに、あの人脅迫者のことを裁判で話さないかもしれない)


 足を噛みちぎられても言わないと、彼女はセシルに念押しした。星の下、セシルと妖精の前でだけ、抱えた毒を取りこぼすように真相を語ってきかせたローズだが、それでも肝心なことは言わなかった。


「それよりセシル」


 エリックも召喚されるだろうが、彼はどうかと考える。彼もまた、セシルに協力者――おそらくエリックにとっても脅迫者のことを、決して教えなかった。 

 焦燥がひたひたと思考を満たす。満ち潮の波打ち際のように、音もなく寄ってくる。

 セシルは右手でぐ、と上着の胸元を押さえた。


 脅迫者の存在が証明されなければ、二人の共謀として、罪は裁かれてしまう。


(駄目だ、そんなことになったら――っ!)


 セシルは顔を上げた。

 二人の背後にいた人物を、引きずり出さねばならない。もはやセシルとアレックスの私怨では済まなくなっていた。

 そのためにやるべきことを考えながら、セシルは「父さん、裁判までどれくらい時間あるかな」と訊いた。


「……セシル、先に問うたのは、この私だが」


 ふとセシルは、目の前まで来ていた父親の顔に苛立ちが色濃く浮かんでいるのに気が付いて、ひゅっと息を呑んだ。深い眉間の皺に、なみなみならない怒りが読み取れた。


「おまえ、エデでのことを黙っていたばかりか、まだ何か隠しているだろう。……夜盗は夫人の仕業でないと言うなら、『未遂』で終わったのはいつだ? 一体いつおまえは夫人と会っていたのだ?」


 セシルは背筋を伝う冷たさを感じながら「……は?」と、父の言葉に疑問符を浮かべ、そして気が付いた。

 先ほどライオネル王子たちは、ローズを糾弾するのにヴィレイ侯爵のことと、セシル達兄弟の殺害未遂に言及した。


 書簡の内容は、エデの町――ダンリールの村から近い、セシルたちが夜盗に襲われた町での出来事にしか、触れていなかった。


 セシルは、真顔でたっぷり十秒沈黙を守ってから、へらりと笑った。


「あの方となら、夢の中で毎日のようにお会いしてたよ」


 妖精は、何も言わない。

 伯爵が「は?」と、目の下をぴくりと震わせたのを見たが、冷や汗をだらだら流したセシルは屋上から階段へと脱兎のごとく駆けていった。


(……なんで、ダンリールのことは告発しないんだろう)


 階上から響く伯爵の怒声を無視して、セシルは考えた。

 どう尋問されたのか、エリックはダンリールでの後ろめたさから完全に被害者であるはずの夜盗の件で疑われたらしい。聞かれてもいないのに早とちりして言いかけたセシル同様に。

 犯人は、ダンリールの一件を明るみにしたくないのか。セシルたちが話してしまう可能性には思い至らないのだろうか。

 だが、それを気にするよりもまず、セシルにはやることがあった。



 ***



「……取引内容は、あの女に会えるように尽力するってことだったはずだよな?」


 セシルは、扉の向こうからにじみ出る怒気にわずかに尻込みしたが、すぐにつんと言い返した。


「ずっとそこに閉じ込められてるのが嫌なら、僕の行程に付き合うって言え」

「ふざけるな!! こんなところに閉じ込めて、まだ約束の物だって渡されてないのに次の取引だと!? 見合うだけの代償を払え!!」


 北の塔は、入り口も、屋上の唯一の部屋の扉も、バラの鍵で施錠されている。

 塔の階段の中に置き去りにされていた竜の分霊が怒りもあらわに喚いている。中で火を噴いたのか、僅かばかりだが扉から熱気が伝わってきた。


「代償なんて、そこから出してほしくないっての? そもそもここには、今魔法使いの一族の当主が三人いる。グレノア家、リリーライン家、それから、長年おまえを閉じ込め続けたロッドフォード家。もう一回封じ込めてもらおうか?」

「うるさい、そんな手に乗るか!」


 セシルは眉を寄せた。すこし考えるように、視線を明後日の方向へ向ける。 


「……エスカティード家の人間もいるよ。黙っててほしいんじゃないの」 


 一か八かだった。ローズはエスカティード家に嫁いだだけで、当主ではない。

 しかし、バラの紋章の一族の名前は、バラの檻に閉じ込められていた竜に効果てきめんのようだった。


「……リンデンまで、行けばいいのか」


 唸るような声に、セシルははったりをかます後ろめたさを押し殺した。

 目的を達成するまでは、もはやどんな卑怯な手段も辞さないと決めた以上、セシルは引かなかった。


「僕の行程に付き合うと言え」




 ほどなくして、開かれた扉の奥から、小麦色の髪の少年が暗い顔で出てきた。


「……小僧、お前の考えていることなんて、お見通しだぞ……」


 これ、全然屋敷に戻らないパターンだろ、と憎しみをこめて睨み上げてくる金の瞳を、セシルは顎を上げて見下ろした。


「外の世界が見たかったんでしょ?」


 取引は成立した。


 憤慨する竜とともに回廊を歩きながら、セシルは懐を確認した。


 上着を整えたときに気がついたのは、見覚えのないガラスの小瓶がポケットに入れられていたことだった。中で透明の液体がセシルの歩みに合わせて揺れている。


 ローズがヴィレイ侯爵から奪った酒の残りにちがいない。

 おそらくセシルが寝転がっているときに忍ばせたのだろうが、追っ手に奪われないためだけに、セシルに託したとは思えなかった。


『何も話さないでいてくれた方がずっと良かったと、思うときがくるわよ』


 ――余人が知れば、後悔するような秘密。


 後頭部のこぶをさすって、セシルは以前までの頑固で憎らしいローズの言動と、今しがた目にした不安定なローズの姿を思い返す。


 ――そんなものを、ひとりで抱えきれるような女ではない。


 このまま、真実をローズごと閉じ込めるなど、脅迫者の思い通りにさせてなるものかと、セシルは懐に小瓶をしまった。





 今後について考えるセシルの手は、無意識に己の口もとに寄っていく。


 今セシルを突き動かすものは、同情でも、正義感でも、義務感でもない。

 墓下から引きずり出された自分の感情が、セシルの鼓動と足を急かしていた。


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