宵の口の逢瀬
「屋上に上りたい」
そう言って、女はさっさと歩きだして回廊から大広間へと戻っていった。腰が抜けたかのように座り込んでいたのが嘘のようだった。
セシルは慌てて隣の小部屋で見つけたランタンに火をつけ、後を追った。比較的新しいマッチが乾いていたのは幸いだった。
「……さっきの質問、答えてくれないんですか」
オレンジ色の光を揺らめかせ、セシルは暗く狭い石段を上りながら、すぐ目の前の小さな背中にもう一度問いかけた。
なぜ、アレックスは殺そうとするのに、セシルは生かそうとするのか、と。
「……なんでだと思う?」
地上から三階まで上ると、後は細い螺旋階段だった。セシルは前回の調査旅の前に見取り図を見ていたとはいえ、あまりダンリール城の構造の詳しいところまでは知らない。ローズを探すのには魔法書『箱庭』をめくっていたのでなおさらだ。対して、前回一人で侵入してきたからか、ローズの方がよほど慣れた足取りだった。
逆に問い返してきたローズの口ぶりに苦笑いを感じとった。セシルはとりあえず、反応を引き出すことを目的に、頭に浮かんだことを口に出してみた。
「愛してるから?」
ローズが階段を踏み外した。数段後ろを歩いていたセシルは慌てて駆け寄った。
「……な、なんの話かしら」
差し伸べたセシルの手を振り払っておきながら、ローズはなかなか立ち上がらなかった。後頭部と背中しか見えないが、石段についた手が震えている。動揺させたようだった。
「あ、愛情が憎悪に変わって、殺意につながることもあるって」
ああ、殺す方の理由ね、と、ローズは一人で納得したようにぼそぼそと呟いた。
「違うって言ってるでしょ……あの子との恋愛沙汰を否定するのは、これで二度目よ」
セシルは少し反省した。反応は欲しかったが、怪我をさせるつもりはなかった。
壁伝いに立ち上がったローズは、着ていた上着の懐に手を差し込むと、またすぐに歩き出した。
「……目的のために、何人でも殺せる人なら、僕を生かすことには理由があるでしょう。でも、あなたはヴィレイ侯爵を襲った後、自分で応急処置をしてますよね。なるべく殺したくないなら、殺したがる方に、大きな理由があるのかな、と」
「じゃあなんでわざわざ“殺さなかった理由は?”なんて聞いたのかしらっ、まぎらわしいこと!」
先を進む靴音が僅かに大きくなったのに気が付いて、セシルはげんなりした。怒らせたらしかった。
「……アレックスを殺す理由なんて、前に話したはず。同じ話を繰り返すうちは、いつまでたってもご令嬢を口説けないままよ」
後ろからでは、ローズの顔は見えない。どんな表情でそんなことを言うのか知らないが、セシルがかつてローズを好きだったことを踏まえての皮肉だとわかってしまった。どうせ顔が見えないのはお互い様だと、セシルも遠慮なく仏頂面になった。
大きなお世話だった。
ほどなくして、ローズの足が一度止まり、またすぐに動いた。屋上に出たのだ。
「王宮の塔よりも、星が近いような気がする。あなたもそんな端っこじゃなくて、こっちにいらしたら」
ランタンを掲げたセシルは渋い顔でローズの背を見つめた。女はすっかり冷静さを取り戻したようだった。
城の屋上は四方を凹凸型の胸壁で取り囲まれていた。管理人もここまでは手が回り切らないと見えて、床や壁の所々を蔦が覆っている。
その上は、ローズの言う通り満天の星空が広がっていた。もしこれが若い男女二人での逢瀬だったらどんなにかロマンチックな時間だったことか。――男の姿をした美女に、混乱気味の妖精たちが顔を見ようと群がっていたが。
「公爵夫人、話を誤魔化さないでください」
オレンジ色の光と共に、セシルはローズに近寄る。ガラスを通してゆらめく炎に、妖精たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
壁の低いところから遠くの空を見つめたまま、ローズは振り向かずに返事をした。
「また同じ話をすればいいのかしら。たまには、あなたが話をしてくださらない? 作り話でもいいから」
「……作り話って……推理をきかせろと?」
ローズはセシルの方に向き直って壁に寄りかかった。
「枕元に金貨を置いて行く妖精の話でもいいけど」
セシルは顔をしかめたが、それでも、貝のように黙り込まれるよりはましだと自分に言い聞かせる。
アレックスと話してから城でひとりローズを待ち構えるまでの間に考えていたことを、順を追って話すことにした。慎重にローズと周囲の妖精の反応を気に掛けながら。
「……あなたは、伯爵家を恨む何者かに脅されていた。脅迫者はエリックを使ってロッドフォード家の内情を探り、父さんの目の届かないところで僕とアレックスの両方を殺すよう指示してきたけど、あなたはとくに関わりのない僕を殺すほどの度胸が無い。だから、憎いアレックスを殺して僕に罪を擦り付けることで、僕を社会的に抹殺しようとした。その後に僕たちを襲ってきた殺し屋は、あなたの雇った人間じゃなく、脅迫者が用意したものだった。あなたから計画の失敗をきかされたか、もしくはあらかじめ保険を掛けられていたか」
最初、夜盗はローズが雇ったと思っていた。すべてを闇に葬ろうとしたのだと。
だが、アレックスが話した内容を踏まえて考えてみれば、ローズの行動と荒くれ者たちの動きは整合性がとれなかった。最初からその筋の者に依頼して兄弟を殺せばよかったのに、失敗の危険を冒して自ら動いたことも、セシルを殺せるチャンスがもっと早くにあったことも。それこそ、自分でとどめが刺せないなら、気絶したセシルを森に置き去りにするだけでよかったのだ。
ローズには、セシルを殺す意思が最初から最後までなかった。だから湖に落ちたセシルを見捨てなかったし、恐怖をおしてケルピーからセシルを助けようとした。
それもあって、セシルは今、ローズの嘘と逃亡を警戒しても、暴力的な抵抗の心配はほとんどしていなかった。急な逃避行で向こうに準備がないこともあるが、妖精しかいない場ではさすがにセシルと言えど、相手に不利をとるとも思っていなかった。
「脅迫の内容はわからないけれど、もしかしたら最初に脅したのはマグノリア様なんじゃありませんか。でも、あの方は異国に嫁いだとき、口にできないような内容は忘れさせられた。あなたはそのことに気が付いた。ヴィレイ侯爵を襲ったのは、マグノリア様の記憶を奪った酒を手に入れるため。中庭での騒ぎを忘れさせる酒が振舞われたのはあなたが靴を失ってからだから、きっとあなたは大広間でその酒を手に入れることができなかったでしょうし。……僕が目覚めた部屋で、子爵が一度、不自然にヴィレイ侯爵の名前を出しています。僕が王太子妃様と部屋を出たとき、誰かに見られてると思いましたが、あの部屋を見張って、おそらく聞き耳を立てていたのはあなたですね。そこからヴィレイ侯爵を呼び出して、ユニコーンに襲わせた……と言うところが僕の推測ですが、いかがでしょうか……って」
セシルのカンテラが、壁に寄りかかって目を閉じているローズの顔を照らす。
「……」
長々と想像を披露した自分が馬鹿らしく思えたそのとき、女の唇がかすかに弧を描いた。
「起きているわよ。いかが、といわれても困ってしまうような内容だけど、なかなか突飛で面白かった。褒美を取らせてもいいわ」
「~~っもう少し、現実に寄せてみましょうかっ! そう、例えば最初から最後まで全部アレックスとあなたのおふざけで、僕もみんなも不倫カップルにスパイスとして引きずり出されただけだったとかねっ!」
自棄になったセシルに、ローズは取り合わなかった。
「……なんで、ヴィレイ侯爵のお酒を欲しがったと思うの?」
セシルも、冷静さを取り戻すためにひとつ大きく息を吐いた。
「僕かアレックスか、その両方に飲ませるため。空中通路に来ていたということからして、先に僕に飲ませようとしたのでは? それであなたの真相を暴こうとする人間を、あなたの罪を覚えている人間を消そうとした」
「ふぅん、なるほど。……そうしても良かったわねぇ、考え付かなかったわ」
他人事のように相槌を打つ様子がやけに自然だった。細い指は口元に添えられ、視線は暗い石畳に向けられている。
この考えは本当に事実と違うということだろうか。
眉間に皺を寄せて、セシルは気になっていたことを口に出した。
「あの、公爵夫人、なぜさっきからこっちを見ないんですか」
妖精が遠巻きにするから、嘘をついているかどうかが分かりにくいのだ。できれば、セシルは相手の目の動きを見ていたかった。
人なれしていない箱入り育ちの動揺を観察したかった。
(……この瞳にまっすぐ見つめてもらえたら、至上の喜びに違いないって思ってた日もあった)
今は相手の防御を取り崩すとっかかりとして求めていた。不思議なものである。
「……さぁ、後ろ暗いところがあるからかも。それより、ダンリールへの入城方法を知った手段はわかったのかしら? 私からは絶対に教えないと言ったの、まだ撤回しないつもりよ?」
「話を逸らしましたね。……脅迫者が教えた?」
「はずれ」
「……魔法酒の使い方を知った方法と同じ?」
金色のまつげが震えたのを、セシルは見逃さなかった。
「それは、ヘンリック殿や公爵の血筋が関わっている?」
瞬きを境に、紫色の瞳がセシルに向けられた。笑みは全く無い。
「彼らは、魔法使いの子孫ですよね。六家の誰にも教えられていないけれど」
「なんで、そんな突拍子もないことを考え着くのか……ああ」
険しい顔で反論しかけたローズが、セシルの目を見つめて唐突に嘆息した。何かに気づいて、諦めたかのようだった。
「ヘンリック殿からばれるなんて……らしくないことね。そう、そうよ、公爵家がね、全部仕組んだの。でも残念ね、王家は絶対に公爵とその血を継ぐ家族を罰しないわ。最悪、たくさんいる王女一人を犠牲にしても、替えがきかないのは公爵家のほうだから」
「だからあなたが一人で動いた?」
「そう。まったく、とんでもない相手に疎まれたものね、あなたたちも」
やれやれと言わんばかりに明後日の方を見るローズはいやに饒舌だった。その変貌に、今度はセシルが苦笑した。
「嘘ですね」
「……」
「“公爵家が全部仕組んだ”って言ったところから、アイビーの妖精が目を剥いてあなたの顔を見つめていましたよ。なるほど、うちの秘密を知るのに、公爵やヘンリック殿が直接働きかけたわけでは無い、と」
「……オリエット伯爵はずるいわね、自分は浮気したくせに、他人の浮気は絶対に見破れるんだわ。確かに、公爵に至ってはろくに屋敷から出られないくらいだもの」
でも、とローズは言葉をつづけた。
「王女一人よりも重要な家だってことは本当よ。私一人切り捨ててどうにかなるなら、きっと誰も助けてくれない。冷たいとかじゃないわ、助けられないのよ」
セシルは眉根を寄せる。これは一般的な話ではない、と。
何か、とても具体的な事柄に則して話している、そう思ったのは直感だった。
「脅されていたのは、事実ですね。脅迫の内容が公爵家に関係があって、明るみになるくらいなら、あなたが泥をかぶる方がましだと」
この言い様だと、公爵家が何か不正をしているというのか。あのヘンリックが。
しかし、王女一人の命運よりも重い一族とは言いすぎではないのか。
「夫人、魔法使いの子孫と言えども、常にすべてが特別扱いなわけではありません。……いや、まぁ、手柄に対する褒美でへまを大目に見られることはありますが……。そう例えば、もうずっと昔ですが、グレノア家とリリーライン家の当主はかつてフィックマロー伯爵、アルター伯爵と呼ばれていたそうですが、両家の過度な対立が王家の逆鱗に触れ、罰されたこともあったはずです」
そのときに、彼らは伯爵位を没収され、子爵位だけを残されたのだ。歴史長い名家ともなれば、その経歴も完全に無傷とは言い切れない。
しかし、そんな昔話は女の心を慰めなかった。
「その調子だと、エスカティード家が何をつかさどる一族なのかまでは分かっていないのね」
「……まぁ、誰も教えてくれないので」
それはセシルも考えたが、なんの決定打もなく、推測すら出来ていなかった。もとより、精霊の動いた形跡は、ロッドフォード一族にはもうほとんど感知できない。
「本当に教わらないとわからないのね。私なんて教えてもらわなくてもすぐ、全部、分かってしまうのに」
どこかできいたような言葉だった。しかし、セシルはそれを思い出しきれない。夢の中で言われたのかもしれなかった。
「……脅迫者は、誰ですか」
「想像してみて。公爵家ではない、というヒントがもうあるのだから」
アレックスは何かに気が付いていた。しかしセシルの頭には誰の顔も浮かんでこない。
「……言えない相手ですね」
ローズが困ったような笑みを向けてきた。
「ずるい言い方だこと。あたり」
「……こ、国王陛下」
「あなた何言ってるの?」
違った。
呆れ返ったため息にめげず、セシルはローズの横に並び、自らも背中を壁に預けた。凹凸の石造りの壁は、大昔、有事にそこから敵へ射かけるための構造だ。
「……あと、あなたがそんなに気を遣う相手は王妃様や、ご兄弟ご姉妹ということになりそうなのですが……」
「母? ここにきて本当にばかなアイディアがでてきたわ」
それはそうだろうと、飽きもせず敷地を見下ろすローズを見つめる。
少しの間があった。セシルはぐるぐると考え続けていたのだが、なんの意味もない沈黙が、意図せずローズの口を開けさせた。
「……お母様は、ずっと苦労してきたの。先王妃様と比べられて、お姉様達の支援者からは揚げ足を取られて。レナードお兄様の体調は不安定だったし、その上トロイお兄様が消えかけて……」
「存じております。だからこそ、あなたのことがかわいくて仕方ないのでしょう。ご自身の大変なときに授かったお子さまですか、ら……」
何気ない言葉のつもりだった。
ローズの顔が、遥か遠い地面からセシルの方へと向くまでは。
なんの表情もなく、顔色もない。瞳に映る炎の影すら凍てつきそうな、光のない視線。
セシルの言葉もまた、凍りついた。
「そう思う?」
「こ、公爵夫人……?」
にこりと、美貌が笑みを形作った。
優しく見えるのに、どこかぞっとする冷たさがそこにあった。
「……そう、そうね。あなたの言う通りね。きっと」
明らかに、何か抱えているものが垣間見えた瞬間だった。
セシルは一歩、女に近づいた。
「フレイン公爵夫人、あなたの立場で、一体誰に遠慮するんですか。王妃様はとてもあなたを気にかけているし、国王陛下や王太子殿下だって、決定的な敵でないなら助ける立場になってくださるでしょう。何を隠しているんですか」
ローズは顔を背けた。張り付けたような笑みが剥がれ落ちると、その下の表情は暗く、話を拒絶するかのようだった。
「無理よ、誰も何もできない、今が一番ましな状態なの。お話はもうおしまいよ、これ以上余計なことを探らないで」
「公爵夫人、いかな大貴族相手といえど、王家も人です。親にとって、娘より大事だと言い切れるものとは思えません」
そこまで言ったとき、もしかして、とセシルは目を眇めた。
「公爵家だけの秘密ではなく、王家にも関わる秘密? だから誰も犠牲になる王女を助けられない?」
セシルは、夢中で言葉の引き金を引いてしまっていた。
「黙りなさい」
妖精が教えてくれなくても、その頑なさが肯定だとセシルに教えている。
セシルは詰め寄った。二人の距離はもう一歩分もなかった。あと少しで、知りたいことに手が届く、そう信じて。
「公爵夫人っ」
「……そう呼ばないで」
セシルはきょとんと瞬きした。話の転換に置いて行かれ、――追い付いたときに、息を飲んだ。
「王女殿下、も……そう、そんな風に、呼ばれたく、ない」
絞り出すような声で言ったきり、女はまた壁の向こう、城内の敷地を見下ろす作業に戻ってしまった。
実際には、そういう体制に戻っただけで、石の塀を握りしめ、唇を噛み締めて瞬きを耐えることに集中している横顔が、セシルの目の前にあった。
カンテラを掲げてその顔を見つめる以外、セシルは立ち尽くすことしか出来ない。
「……こう……ロ、ローズ様」
「…………」
「……いや、あの」
セシルは尋問など経験はない。キーラの悪戯を問いただすのとはわけが違った。
「……えと……」
二人が王宮を飛び出して、まだ二十四時間も経っていない。
追っ手がここにたどり着くにはまだ時間がある。それは隠れるローズにとっても、秘密裏に連れ帰りたいセシルにとっても都合がいい。
けれど、震えて泣き始めた女に一人で対処しなくてはいけないなら、誰か、誰でもいいから一緒にいてほしかった。




