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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第十章 墓の下より
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落日の廃墟

 

 夕日を浴びる石橋を前に、妖精の足は止まった。


「……行けないの?」


 灰色の鼻先を振って前進を嫌がる一角獣の背から降りる。森の入り口から先導してくれた小鹿も、同じところで止まった。


「ありがとう。嫌なことをさせてごめんね。……もう、王宮にきちゃ駄目よ」


 出発してから休憩をはさんでも、丸一日かからなかった。馬車よりも馬よりも早い旅路の立役者の額を、その角を避けるように撫でる。馬のような生き物は甘えるように鼻先を寄せてくるが、甘えられた側は僅かに身を固くした。今は銀の輝きを放つその鋭利な角に、真っ赤な幻覚を見てしまうのだ。自分がけしかけたという、罪の意識からか。

 無数の切り傷の上から布を巻いただけの足裏はまだ痛みを訴えているが、歩けないほどではない。少なくとも、かつてこの森から出ようとしたときに比べれば、ずっとましだった。


 跳ね橋に差し掛かるところで暗い森は終わり、行程も孤独なものとなった。前回と同じように、黒い鍵で開けた重々しい門の先には閑散とした廃墟が広がっていた。


「……」


 帽子を脱ぎ、周囲を見渡す。人はおろか、動物すらいないことを確かめる。

 確かめる、とはいってもその瞳は疲労に濁り、まともに他者を警戒するだけの気力が残っていないことは明らかだった。


 静寂の中で、ざり、ざり、と砂を踏みしめる靴音が際立つ。

 門からまっすぐ続く石畳の道を経て、無人の大広間を抜ける。あてはないことを示すような、おぼつかない足取りだった。

 それでも、茜色の太陽が完全に沈み切る直前には、腰を下ろす場所を決めた。扉が壊れたままの埃っぽい部屋のすみ、壁に作り付けられた棚を避けてしゃがみ込む。

 体に合わない上着の内側を探り、目当ての物を落としていないか確認すると、静かに嘆息した。安堵ではなく、沁み込んだ疲労を逃がすためのため息だった。


「……あーあ、どうしようかしら……」


 俯いて独り言ちる。別の内ポケットから金貨を取り出すが、興味なさげに床に転がした。店も商人も遠いこの地では、石と大して変わらないというように。


「……お腹すいた……」


 かさり、と、乾いた音がした。

 はっと顔を上げてあたりを見回すが、誰もいない。だが、明らかに先程とは景色が変わっていた。

 目の前に、古びた籠が置いてある。木の実が入っているのがちらと見えていたが、青ざめ、かたかたと震え始めた女はとても手を伸ばす気持ちになれなかった。

 ――部屋に、何か、いる。


 恐怖が足に最後の力を与えかけたときだった。


「た、たたた食べるなぁぁぁぁぁっ!!」

「んきゃぁぁぁぁぁっ!!」



 突如鳴り響いた制止の声と、狩りをする獣のように籠に飛びつく影に、ローズの力はのどで使い果たされたのだった。



 ***



「……言われなくても、こんな怪しい木の実食べないわよ」


 床に散乱したグミの実やヤマモモを拾い、籠に戻すセシルの背に力ない声が掛けられる。


「……いや、僕の勘違いだったから、むしろ食べても大丈夫です、ハイ……」

「そうなの?」

「はい……妖精の求婚かと思ったんですけど、金貨のお礼みたいです……」


 セシルは腹立たし気に足を踏みつけてくる赤毛のピクシーの手に光る金貨を見て、力ない笑いを浮かべた。

 女児の姿をした小妖精はキーラのように男に懐くことが多いが、美しければ女が標的になることもある。セシルが物置部屋の中をのぞいたとき、ローズに向かってご機嫌な妖精が木の実の籠を差し出していたので、早合点してしまったのだ。


 灰色の上着とズボンをシャツの上に纏ったローズは座り込んだまま立ち上がる気配がない。セシルが籠を差し出すと、おとなしく受け取った。


「……私より、早く着いていると思わなかった。黒馬の方がユニコーンより足が速いの?」


 赤い実の表面を指先で擦り、一粒口に含む女に、セシルは静かに返した。


「……ケルピーは昨夜から、僕の支配下にはいませんよ。銃弾による怪我が治り次第、そこの森の湖に戻るでしょう」

「えっ!」


 思わぬ返答だったのか、ローズは二粒目の木の実を取り落した。既に通り過ぎてきた森だというのに、自分が今そのまっただ中にいるかのようにあたりを見回す様子に、セシルは慌てて言葉を付け足した。


「で、でも鍵をちゃんと持って、イチイの妖精だけについていけばケルピーに引きずり込まれることはありませんからっ! あの鍵は、森の妖精除けを兼ねているんです」


 ついぺらぺらと話してから、しまったと思った。伯爵家の秘密である。

 とはいえ、これを知らないローズがまた不用意に森に彷徨い出たらことである。


「そ、そう……。だからあの時、あの馬男は鍵を捨てるように言ってきたのね」


 籠の中を見つめながら、壁に寄りかかって吐き出すように呟く女を、セシルは見つめた。こんなことを話している場合ではなかった。


「そんなことより、公爵夫人、帰りましょう」


 紫の瞳が、一瞬セシルの方を見て、またすぐ籠の中に戻る。


「なぜ、そんなことをあなたに言われなくてはいけないの」

「王妃様に、頼まれたのです。あなたを秘密裏に連れ帰るようにと」


 セシルは注意深く相手を観察していたから、相手の細い肩が小さく震えたのを見逃さなかった。

 動揺したのは確実だった。セシルはさらに言い募る。


「王妃様は、あなたの行動の意図が読めず、心配なさっています。国王陛下やご兄弟にも内緒にしておきたいようですが、彼らにも昨夜からの不在が伝わって、捜索が始まっていることでしょう」

「……逃亡先がここだっていうこと、残してこなかったの?」


 セシルは正直に頷いた。セシル自身、確証があったわけでは無い。


「あなたは、よく、私がダンリールに向かうって予想できたわね」

「夫人はこことギルベット修道院しか、外を知らないだろうと思って……身を隠すなら、こっちかな、と」

「……ああ、なるほど。苦労して鍵を手にいれることまで、お見通しだったというわけね」


 それきり、ローズはまた黙ってしまった。

 向かいにしゃがんでいたセシルは、ローズに逃げる気配がないと心の中で結論付けると、地面に尻をつけて座り込んだ。逃げる気配もないが、言葉に従って帰ろうとする気配もない。

 目の合わない相手を改めて見据えて問いかける。


「ヴィレイ侯爵の傷は、ユニコーンによるものですよね。妖精による事故だったなら、王妃様に相談しましょう?」


 それで無罪になるかどうか、セシルには判断が難しかった。アレックスや自分の時と違って、明らかな被害者がいるからだ。

 様子を伺ってみても、ローズからの反応はなかった。黙秘を決め込んだのかと思うと、セシルもどう言葉を続けるべきかと悩んだ。


「……空中通路で、王妃様と僕を見ていたのは、何か理由があったんですか。すぐに逃げないでいてくださったの、僕にとっては幸いでしたが」


 ローズは無言のまま、籠を床に置いた。セシルは他の反応を引き出したくても、一方的に言葉をつづけるしかなかった。


「あなたに、ほんとうは協力者なんていないのでは?」


 小馬鹿にしたように笑う気配があったが、セシルは間髪入れずにつづける。


「いたのは、脅迫者だけで」


 今度は空気すらも動かない沈黙が落ちた。


「……何も言わないのは卑怯ですよ」

「……嘘を吐いたら、あなたたちは分かるものね。話させる方が卑怯だわ」


 ようやく返ってきた言葉は意地の悪いものだった。卑怯という言葉が、散々振り回された側のセシルにはすこし、癪に障った。


「逃げたくせに」


 苛立ちを現すのは賢明ではなかったと、言ってからセシルは後悔した。これではまたローズを黙らせてしまうだけだ。

 そう、セシルは奥歯をかみしめたのだが。


「逃げおおせてくれた方がましだった、何も話さないでいてくれたほうがずっと良かったと、思うときが来るわよ」


 話し続けてくれたことも、その内容も、セシルには予想外だった。立膝に乗せていた顎が浮いた。


「ど、どういう意味ですか」

「嘘じゃないって分かるなら、言葉通りなんだと受け取りなさいな。知っていいことなんて、何一つないわ」


 部屋は完全に夜闇に沈んでいた。暗さに慣れた目に、紫色のガラス玉が映り込む。相手がようやく顔を上げたのだ。

 セシルは、立ち上がらないのならせめてと、相手に話を続けさせようとした。


「なんで、あなたはアレックスを殺そうとして」

「しつこいわね、それは」

「おきながら、僕を助けたんですか?」


 セシルは慌てていたから、質問は長くなった。

 疑問符を投げかけたとき、ローズの瞳は瞬きもせずにセシルを見つめていた。当惑したように。

 視線はまだそらされていない。


「……言わないわよ」


 む、とセシルは口を尖らせた。黙秘と変わらないが、一度口を開くと顎が軽くなる性質かと賭ける。


「あなたは、理由もなく人を襲わないけど、必要とあらば怪我はさせる。ヴィレイ侯爵にしたように」

「なんだ、分かってるんじゃない、事故なんかじゃないって」


 皮肉はセシルの言葉を肯定している。セシルの言ったことははったりだったが、ローズの答えに赤毛の小妖精は頓着しなかった。


「でも、僕のことは二度も助けた。放っておけば、今ここには誰もいなかったのに。逃げおおせることもできたし、話をしろと迫られることもなかったのに」


 暗い物置部屋にはランプも見当たらない。

 窓も小さいこの部屋では、徐々に相手の輪郭もおぼつかなくなることは明らかだった。


 冷え始めた空気が、音もなくゆっくりと動く。


「……外に出ましょう。月明かりは細くとも、星ぐらい出てるでしょ」


 しゃべらせるだけのつもりが、足まで動かさせてしまったのは、セシルの予想以上の成果だった。


 



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