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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第二章 めくるめくめまぐるしい夜
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開宴

 宮廷舞踏会の当日は、招待客たる貴族達から主催者たる国王への挨拶から始まる。


 セシル、アレックス、スカーレットは既に到着していたアルバートたちと合流した。馬車を降りる前によく言い含めたので、キーラは降車後一人でささっと庭園の方に走っていき、そして見えなくなった。この日の王宮広間はアルバートを含めた一部の貴族のまじないによって妖精避けがなされている。そのためか、キーラもこれ以上ついていきたくない様子だった。


「……セシル、招かれざる客が原因で何か問題が起きれば、王家に対しての責任は私がとる。だがそのときは、発端は自分の浅慮にあったということをゆめゆめ忘れるな」


 余人が聞けば何のことかわからないだろう言葉だった。キーラが馬車から降りる姿が見えていたのか、妖精を同伴してきた息子に、アルバートはそう言って背を向けた。

 セシルは招かれざる人外の侵入者を阻む魔法陣が門扉の金細工の中に紛れているのを何ともなしに眺める。このおかげで、どうせキーラは建物内に自力で入れない。セシルはほどほどのところで様子を見に自分も庭へ降りるつもりでいた。


 オリエット伯爵の到着が衛兵によって伝えられると、すでに広間に集まっていた招待客の多くが中央の通路に注目した。そこかしこで「あれが例の……」「本当に……」と囁きあう声がきこえる。

 セシルはいい気がしない。人々の視線が廃嫡疑惑のある長男より、愛人の子である次男の方に向かっているとしても、だ。


 アルバートとアンナを先頭に、一行は広間の奥で玉座に掛けた国王夫妻と、その横に控えていた王太子に挨拶をすませる。セシルは(あれ?)と、王太子妃がいないことに気が付いた。


「心よりお祝い申し上げます、レナード殿下。そして、王太子妃殿下がご出席かなわなかったこと、我々も心底残念なことと思っております」

「ありがとうオリエット伯爵。妃は少し体調がすぐれなくてね、貴殿らのあたらしいご家族に紹介もできなくて、こちらも心苦しいことだ」


 青い目の美丈夫と名高い王太子は二十八歳の誕生日を今日迎えたところだった。オールバックで撫でつけられた金髪に、セシルは我知らず元第四王女も長くて見事な金髪だったと思い出す。彼女も来るなら、せめて一曲くらいは誘いたい。


(……ああ、とうとうどうすることもできなかった)


 型どおりの挨拶で御前を辞した後、アレックスとアルバートが離脱して法務局のある方へ向かうのを、セシルは焦りを通り越してむなしさを覚えながら見ていた。


 何か手を打たなければとわかっていたのに、中途半端な羞恥心と現実逃避に阻まれて、実のない茶会と馴染みの友人との酒飲みだけにおわった一か月だった。生まれてこのかた、必死にならなくても最初から用意されていた安定を享受すれば良かったから、セシルは悪あがきの方法がわからなかった。


「スカーレット、次から君を誘うのは僕じゃなくてアレックスの方になるかも」


 きっとスカーレットも『噂』を聞いているだろうと思って、つい卑屈なことを言ってしまった。


「あらどうして? アレックスにはセシル従兄様と違ってガールフレンドがすぐにでも出来そうで、従妹を連れてくる必要なんてなさそうだけど」


 言われてセシルは、早足で立ち去るアレックスを目で追う令嬢たちの視線の熱さに気が付いた。

 それは確かに、とまた少し、変なところで傷ついた。


「じゃあ、次期伯爵、の『予備』になった僕でよければ今後もよろしくね。……それも君がこういう場で婚約者を見つけるまでのことだろうけど」

「まぁ! あなた私がお気楽なお嬢様や貴族の跡取りみたいに、婚約者探しのためにこういう場に連れてきてもらってると思ってるの?」


 スカーレットは長いまつげに縁どられた大きな琥珀のような目を細め、つんと澄まして続けた。


「私はもっと実利的な理由であなたに連れてきてもらってるの。実業家に大事なのは有力者へのコネと最新の情報。見えないもの(妖精)が見えたって、彼らはお客様にも出資者にもなってくれないもの。私や『予備』の次男坊なんかはね、働かなくても収入が入る領地もちの跡取り様とは違うのよ?」


 そう言ってわざとらしく扇で口元を隠してそっぽを向いた。そういえば彼女は兄弟がいないから、婿をとることになる、とセシルは思い当たった。「領地もち」の貴族の男が理由もなく爵位のない実業家に婿入りするわけがないから、彼女がここで婿候補にできるのは、家を継ぐ可能性の低い『予備』の次男や三男だった。


「……そんなこと言って、恋人探しに全然興味ないの? ほら、女性は皆アレックスの方を見てるし、彼は一応次男だよ」

「お父様のビジネスに出資してくれるなら二十四時間見つめ続けるわ。―――彼は夢見るお嬢様や暇を持て余した奥方様には大人気でしょうけど、伝統を重んじる貴族社会で、”例外”の塊みたいなあの人はしばらく針の筵じゃない。気の毒ね」


(……彼は気の毒なのだろうか)


 セシルは、いつもの傲岸不遜な態度を思い出す。自分に投げかけられた言葉を思い出す。


 針の筵でも「なに?」と言わんばかりの顔で寝そべる様が想像できた。


「……スカーレット、僕はあいつのこと全然気の毒だと思えないよ」

「そりゃ、あなたはそれどころではないものね。猫がネズミを食べるのを野蛮だと罵る人々の中で、ネズミは猫をかばわないでしょうから」 

「ネズ……! ちょっと!」


 冗談よ、そう言って片目をつぶった従妹がぺち、とセシルの頬に扇を当てる。スカーレットは二つも年下だったが、そうやっていつもセシルを揶揄って笑った。セシルもつられて笑う。いつものようにじゃれあっているうちに、セシルの肩から力が抜けた頃だった。


「フレイン公爵夫人のご到着ーっ!」


 抜けた肩の力が再び入る感覚に襲われた。セシルたちが入場してきたとき以上に、広間がざわついた。中央の赤い絨毯の通路に視線が集まる。


「あらぁ、珍しいお方がいらしたわ」


 セシルの横でスカーレットも、今度は常より目を丸くしていた。


「ご結婚の時以降ずっと領地にいらしたみたいで、陛下のお誕生日の式典にも贈り物しか出さなかったくらいなのに。体調はもう大丈夫なのかしら」

「……お元気そうに、見えるけど」


 セシルは胸の高鳴りを抑えて返事をするのに苦労した。

 一年ぶりに遠目から見たローズ・エスカティードは、結婚した時と何も変わっていないように見えた。広間にいるほとんどの女性が髪を結い上げているが、彼女の金色の髪は緩く編まれた以外は背中に下されたままで、それがかえってエメラルド色のドレスに映えて、十分な艶やかさと華々しさがあった。しかし紫の瞳は誰とも目を合わせまいとしているかのように伏せられていて、金のまつげが影を作る。そんなところも一年前とまったく同じだとセシルは思った。


(夢の中では、こっちを見てくれたんだけど)


 現実は、勿論そんなことは起きなかった。


 今年二十歳になる彼女のとなりに、老齢の夫の姿はない。鉄仮面のように表情を変えない侍女が後ろをついて歩くが、女性の招待客で男性の同伴者を連れていないのは、この場ではなおさら彼女の異質さを示しているようでもあった。


 王族でありながら、公の場に出るのは、これがまだ二回目だった。


「フレイン公爵クライス・エスカティードの妻、ローズでございます。この度はお招きいただきましてありがたき幸せに存じます、国王陛下、王妃陛下。王太子殿下、本日はおめでとうございます」

「おお、よく来た。余の誕生祝にすら来なかったから、もう生きて会うことはかなわないのかとおもったぞ」

「……体調が回復したようで、この母も安心しました」

「ローズ、そう畏まらなくてもいい。まさか公爵を置いてまで直接言いに来てくれるとは思わなかったから、兄はうれしく思うぞ」

「……長らくの非礼をお許しください。領地離れることのかなわなかった公爵閣下からも、お祝いの言葉を預かってきております」


 ローズは冗談で迎えた国王や兄ににこりとも笑わなかった。王妃も笑顔を控えめにしたので、この二人は似た者母子なのかもしれないとセシルはぼんやり考える。公爵夫人は玉座の前を辞すと、侍女を連れて足早に人の少ない壁際へ向かっていってしまった。


「変わった方ね。フレイン公爵領はオリエットのお隣さんでしょう? 夫人と話したことはある?」

「……ない」


 セシルがこの一年、領地にこもりがちだったのは、父に小うるさく言われるのを避けたかったほかに、オリエット伯爵領とフレイン公爵領が隣り合っているからでもあった。

 もちろん家と家が隣り合っているわけではないので、散歩していて夫人と偶然会う、なんてことは起きるわけがなかったのだが。


 それでも、公爵家が周囲の貴族を邸宅に招く様子が全くなかったので、セシルは何度もハロルドに相談して晩餐会を催そうかと思った。

 しかし、自分がホストとなって足の悪い公爵と親しみやすさとは無縁の夫人を歓待する自信がなく逡巡していると、そのうち公爵夫妻がどの家からの誘いも――王家からの招集でさえも、夫の足と妻の病弱を理由に断っていると聞いて、なおさら尻込みした。


 そもそも会って親しくなってどうするのか。

 相手は既婚者だ。アレックスのように上手い火遊びをするほど、セシルは器用でも恋愛達者でもない。アレックスが本当に恋愛達者なのかどうかはともかくとしてだ。


 それでも、セシルが未練たらしく彼女を目で追ってしまうのは、ひとえに愚かで自己中心的で、下劣な『もしも』のせいだ。


『もしも、老齢の公爵がそう遠くない未来に亡くなったら』


 誰にも聞かせられない、あさましい夢想だった。


 しかし既婚者の彼女に近づく勇気がないセシルは、いつか彼女が未亡人になったら、もしかしたら自分にもチャンスがあるんじゃないかと、寝付けない夜に、出せない招待状の文面案を見つめながら、つい考えてしまっていた。


 結婚が発表された当時、誰も彼女の顔も人柄もわからなかった。しかし人の口は勝手なもので、王女とはいえ四番目の姫、しかも露出がなさ過ぎて貴族とのつながりも国民の人気もないローズが、老いた公爵から遺産の分配を約束させて嫁ぐのではないか、もしくは、別居している跡継ぎの次期公爵を、その奥方を差し置いて、その若さでたぶらかすのか、と憶測が飛び交った。

 王都にいた当時、そんな噂を耳にしたセシルは「若さだけで誑かされる方に問題あるんじゃない」と他人事のように思っていたものだったが、あの日彼女を見てそんな考えはものの見事に吹き飛んだ。


 陽光のごとく輝く金髪が眩しかった。睫毛がかぶる物憂げなアメジストの瞳に惹き付けられた。誓いの言葉以外物言わぬ薄紅の唇に、浅ましくも恋い焦がれた。


 忘れることのできない美貌に降伏するしかない、その時から、セシルの心はあわれな下僕となった。


(――妖精の女王様なんだから、そりゃ並みの男の物にはなれないし、あの人の意のまま、満たされた日々を過ごしてほしいし)


 別に妖精の女王でも何でもないと理性ではわかっていたが、届かない恋は男を盲目にした。セシルは一言も話したことのない彼女について、「性格がいいに越したことはないが、仮に悪魔のようなわがまま女でも問題なく受け入れられる」と勝手に意気込んでいた。


(もしも、公爵が亡くなった後もぜいたくな暮らしがしたいなら)


 思い人が、どんな暮らしをしているのかも知らないが。


(何も人に後ろ指さされる、次期フレイン公爵なんかじゃなくて)


 実現する見込みのない夢想は、寄ってきた人間から逃げる蝶のようにするすると動いていくローズの後を、地に足付かない雲のようにふわふわと追いかける。


(僕が次期オリエット伯爵として、再婚相手に立候補するのに)


 きっと、世界で一番あなたを大事にする夫になれるのになぁ。


 ローズが最後に到着した招待客だったのか、国王が開宴の言葉を述べる。

 本来なら王太子とその妃が広間の中央に進み出て最初の曲を踊るが、妃不在の中でエスコートされたのは別の女性だった。精悍な王子に手を引かれて、令嬢が頬を染めている。曲が始まれば、舞踏会の開始だった。


 セシルもいつものようにスカーレットをエスコートしながら、ローズがいた壁際を盗み見た。瞬きの間に消えた白昼夢のようにもうそこにはいなくて、セシルは残念に思った後、頭の中に悲観的な、とりとめのないもやもやした思考が渦巻くのを感じた。――アレックスがもう戻ってきたのだろうか、彼女を誘ったのだろうか、今日自分が彼女にダンスを申し込んだら、一回くらいは受けてくれるだろうか。


「セシル従兄様、集中してないわね」

「……」


 考えを読まれたかと、セシルは焦って目の前の従妹に注意を向けた。


「気にしても仕方ないこともあるわ」


 踊りながら近づいた拍子に囁いてきたスカーレットの気遣いは、おそらく爵位継承に関する噂のことを指している。そう思えば、安心すると同時に自分の危機感の無さが気恥ずかしくなった。


(そうだ、あの人のことよりももっと差し迫った問題を抱えているじゃないか)


「うん。なるようにしかならないし、って思ってる」

「……それはそれで甘えてるわね。私が言いたいのは、伯父様とアレックスの動きは今気にしても仕方ないけどってこと。自分の身の振り方は、ちゃんと自分で考えなきゃダメよ。

 私なんて今この瞬間も無駄にしないで、将来この女経営者を支えてくれるすてきなビジネスパートナー探しに余念がないのに」


 スカーレットが、しっかりしろと言わんばかりにセシルの足を軽く蹴った。

 セシルは困ったように小さく笑って、スカーレットの手を握りなおした。昔から踊りの練習相手もお互いだったので、今の蹴りがわざとだとすぐにわかった。


「ねぇ、もしも僕が『予備』として自力で身を立てなきゃいけなくなったら、君に弟子入りしてもいい?」

「……そこは”君に婿入りしてもいい?”て口説くところ。気が利かないからやり直し」

「そ、そしたら君は、『絶対イヤ!』て言うくせに!」


 スカーレットは答えず、幼馴染でもある二人は同時に笑った。ベルベットの巻き毛がターンと共に翻る。

 そこでちょうど曲が終わった。

 たとえ落ちぶれても、この従妹はきっと変わらず自分を揶揄いながらそばにいてくれるだろう。その安心感が、セシルの気持ちを少し上向きにした。


(他人を気にしても仕方ない、自分で動かなきゃ時間の無駄。……で、僕今どうしたらいいと思う?)


 そんなことをつらつら思って、また無意識に金髪の『妖精の女王様』を目で探した。スカーレットが飲み物を取りに行こうと声をかけてきたのに生返事を返したとき、まったく偶然セシルの目がエメラルドのドレスと流れる金髪の女性が夜の庭へ続くテラスに向かうのをとらえた。


 セシルの緑の目はときめきに輝いた後、驚愕にカッと見開かれた。


「……っ! ごめんスカーレット、母さんと一緒にいて」

「え、ちょっと従兄様?」


 セシルは戸惑うスカーレットを置いて、人の波をかき分けてテラスへ急いだ。


 アレックスがそばにいたのなら、彼は覚悟ができていた。しかし彼女のそばには地味なドレスの侍女しかいなかった。だからそれはいい。

 問題は、ローズが進んだテラスの先のほの暗い庭で、およそ招待客ではありえない幼児サイズの白い服がさささっと動くのが見えたことだった。


『フレイン公爵夫人って誰なのアレックス!』


 馬車の中でセシルとアレックスに無視されていた彼女の声が、今やけにはっきりセシルの頭に再生されていた。



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