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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第九章 渦巻く思惑動き出す夜
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仲介者

 妖精のギフト(幸運のお守り)は、しばらく前に手放していた。


(……そのわりには、これってすごく運がいいのでは?)


 まさか。


「いつぞやは、オリエット伯爵に世話になりました。殿下のお供とはいえ」


 今さっきすれ違っただけの相手を、人混みから離すことに成功するとは。


「……いいえ。その、ご挨拶も出来ずにすみませんでした……」


 恐縮するセシルに、年上の公爵子息は謝ることではないと笑った。

 

 夕刻といえる時刻はとうに過ぎ、王宮庭園の上空には星が瞬いていた。広間にいた二人だったが、セシルが話したいことがあると緊張しながら言えば、ヘンリックの方から庭に出ようと言ってくれたのだ。

 さすがに王太子の側近となるだけあり、察しがよくて助かる。察していてもあえて人払いをしてくれない王太子よりも、いっそ助かる。


 セシルは相手の気配りに感謝しつつも、背筋を這いまわるような緊張感でいつもより耳が冴えていたためか、常であれば聞き流す妖精たちの囁きが木陰や彫像の足元から明瞭に聞き取れた。


「あれ、魔法使いだ」

「あんまり見かけない、珍しいやつが来てるね」

「王女様って呼ばれる女と仲良しなやつだよ、俺知ってる」


 以前ローズとこの庭で立ち話をしていたのを、『仲良し』と解釈されているのは引っ掛かったが、東屋に入っていくヘンリックの手前、何も聞こえていないふりをした。


「よければかけてどうぞ。……あの時は、仕事とはいえ不躾な質問もしてしまいましたから、伯爵夫人はさぞお怒りでしょう」


 六角形の屋根を持つ東屋は、かつて王太子レナードと鉢合わせした際のものとは別のものだった。それより一回りほど小さく、噴水も遠かったため、一層人の気配を感じられない場所にあった。

 それでも、庭園の小径を照らしている仄かな灯と星明りで、向かいに立って座席を指し示す話し相手の顔を確認するのにも不都合はなかった。


「滅相もありません。母からは、今日王宮であなたと会うことがあれば挨拶をするようにと言いつかっていたくらいですから」


 ひやりとした石のベンチに腰を落ち着けながら、セシルは癖になった笑い方でへら、と目を細めた。その意図はヘンリック、果てはその背後にいるレナードの中にあるセシルへの心証を少しでも良くしておけということだろうと分かっていたが、公爵子息を引き離したセシルの目的は別にある。


「……そういえば、マグノリア様と仲がよろしいんですね」

「え、マグノリア様?」


 なんてことはない、今日の主役に関する世間話だと、細めた目の形も吊り上げた口角もそのままに、何気なさを装って聞いたつもりだった。

 しかし、眼鏡の奥の目が見開かれ、返答に少しの間があったので、その偽装はあまり功を奏していなかったとセシルの背中は僅かに冷えた。


「……それほどでも。私は友人も少なく、暇を持て余し気味なので野暮用を言いつけるのに気が楽なのでしょうけれど」


 返答の声はどこか固かった。公爵子息は顔にこそ笑みを浮かべていたが、後ろ暗い所のあるセシルは相手から作られた壁に敏感だった。


(……警戒されたくないんだけどな)


 セシルは次の言葉に躊躇した。目の前の男に不信感を持たれると、それがマグノリアやローズに伝わる可能性があるからだ。魔法使いの事情も家柄も知らないであろう一貴族であるが、油断はできない。


「マ、マグノリア様が突然帰国されたので、どうしたんだろうと友人たちと話していたのです。えっと、僕はあまりほかの貴族の方とも交流を持たないので、殿下がどなたと親密なのかも知りませんでしたし!」

「……そうですか」


 セシルが必死になって言い繕った様子を何と捉えたのか、ヘンリックは笑みの形を保ったままだった。ただ、その目はセシルの本音を探ろうとするかのように険しい光を称えている。


「……そういえば、私自身もあまり公の場には出てきていなかったので、今日王女の隣に立っていて不思議に思われたことでしょうね」


 ゆっくりと足を組んでから、ヘンリックは眼鏡をはずすとそれをチーフで軽く拭いた。大広間からここに来るまでのわずかな時間でレンズが汚れたものかと訝しむセシルに、青と紫の混じったような瞳がじっと向けられる。思わず、セシルの背筋がぴ、と伸びた。


(まさか、マグノリア様もローズも、この人に魔法使いの実存を明かしてたりとか)


「ところでセシル殿、ローズ殿とは面識がおありで?」


 ちょうどローズのことを考えた途端に投げかけられた質問に、セシルは頭の中が一瞬真っ白になった。咄嗟に「いいえ」と答えたが、おかげで小石を積み上げて遊んでいた小妖精たちから「嘘つき」と声が上がったのを聞いてしまった。気まずい思いをぐっと飲み込む。


「お、王宮でお見かけしたことはありますけどね」


(お見かけどころか、うちの敷地に無断で入り込んで大暴れしてくれましたけどね!)


 ダンリールでの出来事を思い返す。

 セシルもまさか、国の極秘情報ともいえる魔法の名残とその一族の内情を、王女である彼女らがそうそう他人に打ち明けているとは思いたくない。ないが、彼の地で思いもかけないことをしてくれたおかげで、今こんな状況に置かれているのだ。


「そうですか、失礼しました。いえ、義母はそれこそ貴族と交流がなかった人です。領地も年も近いあなたが友達になってくれると、あの人も心強いかと考えたもので」

「は、はは、それは、なんとも光栄です……」


 セシルは引き攣った笑みでなんとか謙遜で返したが、本当にそんなたわいもない考えで投げかけてきた質問だろうかと気が気ではなかった。

 妖精たちがざわめいている。セシルは気が動転して散っていった集中力をかき集めて続く言葉を探した。


(マグノリア様との仲立ちを頼むつもりだったけど、人選間違えたなぁこれ……)


 たとえこの男がローズたちとセシルたちの対立を知らなかったにしても、不信感をもたれては王女に紹介などとてもしてもらえない。

 ただ、ここで引き下がって、ヘンリックから王女へセシルの不可解さを話されるのは避けたかった。既にセシルから自分への敵意を認識しているだろうローズと異なり、マグノリアはまだ自分が疑われていることに気が付いていない。このまま「お時間ありがとうございます、ではさようなら」とするわけにはいかないのだ。


(……それに、この人の僕への評価なんて、もう気にするのもおかしな話だ)


 そう思い至れば、落ち着きのなかったセシルの視線も自然と定まった。

 いちかばちか、セシルはそう思ってひっそり腹から息を吐くと、目の前の男の顔をもう一度見上げた。眼鏡をかけなおすこともなく、ヘンリックは静かにセシルの言葉を待っていたかのようだった。


「……僕としては、ローズ殿下よりもマグノリア殿下とお近づきになりたいもの、です」


 セシル自身、何言ってんだと思った、白々しい発言だった。


「うそだぁ」

「うるさいっ!」


 だから間髪入れずに響いた声に、咄嗟にヘンリックから顔を逸らして反応してしまった。

 声の出所に向かって。


「…………」

「…………ッ、ゴホ」


 痛々しい沈黙の中、誤魔化すような咳払いはヘンリックなりの気遣いのようだった。

 セシルは植木の根元で「なによぉ」と渋い顔をする小妖精から目を離せなかった。というより、同じ屋根の下でもそもそと眼鏡を拭き続けている男の方が見られなかった。


「…………最近、ちょっと疲れ気味でして」

「……ええ、分かります」


 相手は、何が分かるとは言わずに流してくれたが、じわじわとセシルの顔に朱が上ってくるのは止めようがなかった。怒ったように立ち去る妖精が砂利を蹴る音を憎々しく思っても、仕方ないことだった。


「その、アレックス殿のこともあるでしょうし、あなたは優しそうだから伯爵夫人との間で板挟みでしょう」

「はは……」

 

 なぜ大して親しくもない相手にこんなに理解を寄せたフォローをしてくれるのかと、恥ずかしさで俯きつつ、自分に怒りまで沸いてきたセシルは皮肉に思った。


「旅の疲れも出たのでしょう。マグノリア様の宴会は予定外でしたでしょうから」

「そう、ですね、まあ」

「我々の社会だと人の失態は嗤う風潮がありますが、幸い、私はそんな些末なことを言いふらすような友人も乏しいですから。出不精は父譲りなのですよ」

「はは、は」


「義母も一緒にいて疲れるところがあったでしょう。まして、旅先で、となると」


「は」



「何か思いつめていらっしゃるようですが、何も爵位から身を引くことまで考えなくてもいいのでは。そもそも、弟ぎみは伯爵の御子息かどうかも怪しいのに」


「……」


 セシルは顔を上げた。

 顔の赤みが引いたことに気がついてか、既に眼鏡をかけなおしたヘンリックはどこか安心したように穏やかな笑みを見せた。


「余計なことを話してしまい、すみません。ただ、あなたから呼び出されたからには、ご両親との会談のことを訊かれるのだろうと心の準備をしていたもので。口止めに刺されたらどうしようと怯えながらここまで来たのですよ、これでもね」


 たまった疲労のせいで何もない空間に叱責を飛ばした若者の羞恥心をジョークでほぐそうとしてくれた紳士に、セシルは礼を言う余裕を持てなかった。


「…………公爵夫人は、あなたに話したのですか。僕と一緒にいたことを」


 それどころか、相手の笑みをひた、と凍り付かせる一言を放った。


「ダンリールに、彼女が来ていたことを、あなたは知っていたんですか?」


 セシルは思い出した。

 彼女は、自分がダンリールにいることは協力者しか知らないと。

 ヘンリック・エスカティードの瞳が愕然と見開かれる。失言だった、そう言っているかのようだった。

 まさか、と、セシルの手のひらが汗にぬれる。


「あの人は、あなたに何を、どこまで話しているんですか」


(僕の家、この国の魔法使いのことも、ほんとに話してる……?)


 そして、一連の、ローズの真の協力者は、目の前の男なのか。


「……」


 公爵子息は己のしくじりを悔やむように、眼鏡をはずした目元を手のひらで覆い、天を仰ぐように顎を上げ、しばしそのままだった。

 それから顔を正面、つまりセシルの方に戻した。その顔にもう柔らかな笑みも年若い貴族への同情もなく、その目には忌々しささえ滲んでいた。


 数秒、無言のまま、視線が交錯した。セシルの頭にはめまぐるしく、ここ数日、数週間の出来事が駆け巡っていた。

 エリックを操り、ローズにダンリールへの入り方を教え、アレックスを襲い、すべてをクー・シーの餌として片付けようとした黒幕。


 男の眉間の皺が深くなる。


「ヘ、ヘンリック殿」

「セシル・ロッドフォード殿」


 セシルの声は静かに遮られた。


「……あの義母は、私にはろくに何も話していませんよ。()()()()()()()()()()()()()()。彼女は夏の早い時期にリンデンに戻っていましたが、私はついこの間領地から出てきたところです。調べてみるといい」


 否定の言葉に、セシルは困惑した。『ローズに、現況や王家で見知ったことを漏洩されることをセシルが気にしている』ことを知っていると白状する以上、ヘンリックの“何も聞いていない”と言う主張は成り立たないのに。

 混乱させて、誤魔化しているだけかもしれないと、セシルはさらに追求する。


「ローズ夫人からではないなら、エリックに聞いたんですか」

「エリック? 誰ですかそれは」


 胡乱げに聞き返す男の様子に、嘘があるとは思えなかった。


「……私と父の後妻は、あなたとアレックス殿よりもずっと距離感の遠い家族です。あの人の、ここ最近のことなんて、()()()()()()()知ったくらいです」


「……何を言っているんですか」


 そんな筈はないと、セシルの声が固くなる。

 しかし、ヘンリックは首を振った。


「それしか言えません。……ただ、今日まで知らなかったとはいえ、義母が多大な迷惑をあなたにかけたようだから、……こちらも、今後調査して、必要な対応を検討いたします。……謝罪の仕方も含めて」


 多大な迷惑だなんて言葉で済まされては困るのだが、セシルは疑問が次から次へと湧いて言葉が追い付かない。そして、それをどこで知ったのかは、答えてくれないとは。


「……あ、アレックスの出自のことは、殿下は僕に会ったとき、何も仰いませんでした。あなたはどこで、そのことを知ったんですか」

「どこで、て……」


 これにも答える気がないというのか、背もたれに体重を預けて、ヘンリックは一度目を閉じ、言葉を止めた。

 その様は、気疲れが表層に出てきたようでもあったが、再び目を開けた時には、なにか腹をくくったようにも見える強い眼差しを帯びていた。


「……世の中が知らなくても、レナード殿下はちゃんと知っています。伯爵家の、あなた方の……国への特別な貢献も、そして、本気になって不都合なことを誤魔化されたら王家側にとって打つ手がないことも」


 思わぬ言葉に身を固くしたセシルに構わず、眼鏡をかけ直しながら、男は噛んで含めるようにゆっくり話した。


「そういう家に調査に赴くのに、ただの人間を伴うとお思いですか」


 開けた口から、何も言葉は出なかった。驚愕に息が止まっていたからだ。


 魔法の名残の存在を知っていると匂わす目の前の人間が、一体どんな立場だというのか。

 生まれてこのかたずっと過ごしてきた国のことが、分からなくなった。 


「……で、殿下が、王家が教えているというのですか。僕たちのことを」

「……」

「あの、アレックスの出自のこと、殿下は知らないようでした。あなたは勘づいている、いや、まだ事実とは決まっていませんけれど、そのことを何故殿下に黙っているんですか。うちの両親しか知らないようなこと、どこで知ったんですか」

「セシル殿、落ち着いて」


 眼鏡をかけ直しながら、煩わしげな声でセシルの問いかけを制する。


「どこで知ったにせよ、レナード殿下にすら言わないことを、他の人間と共有したりしません。殿下に言っていないのは、ただ単にそれがまだ憶測にすぎないからです」


 口外しないと言われても、セシルはそれで引き下がるわけにはいかないのに、ヘンリックはセシルの求める答えを渡そうとはしなかった。それどころか、「セシル殿」と一層低い声と睨み付けるような眼差しでセシルに釘を指した。


「探られたくないことがあるのはお互い様だと思いますよ。……そろそろ、広間に戻りましょう」


 これ以上問うなと言われている。それはセシルにだってよく分かっていた。

 ただ、最後の質問は、どうしても聞いておきたかったから、立ち上がりかけた相手の袖をつかんで引き留めていた。


「っ、ちょっと」

「ヘンリック殿!」


 無作法であることなど、もはやこの場においてはどうでもいいことだった。


「……僕が、父の跡を継ぐ気がないこと、どうやって知ったんですか」



 セシルは誰にも言っていない。両親にも、誰にも。


 好きな人がいたことも、彼女のために地位と身分と名誉を求めたことも、――少なくとも、自主的には。


 そして、その思いと一緒にそれら全部を見限ってしまったことも、まだ誰にも話していないのに。


 セシルに右腕を取られた男が、疲れたと言うように再びため息を吐いた。

 よほど情報源を言いたくないのだと、セシルにも伝わった。


「……マグノリア殿下に、お会いしたいのでしたよね」


 根負けした結果、第一王女を差し出すくらいなのだから。

 





「……ローズね。あんな女のどこがいいんだか」


 腕を解放された男の憎々しげな呟きに、セシルは再び凍りついた。



 だから、誰にも自ら話してないのに、なんで勝手にばれていくのか。

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