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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第二章 めくるめくめまぐるしい夜

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馬車の中

 結局のところ、男が本気出すのは自分の立場が危うくなった時でも、身内が貶められた時でもなく。


 ***


「結局なんにもしていない……」


 アレックスとセシルがオリエット伯爵邸の階段ではち合わせてから、おおよそひと月が立とうとする頃、リンデンの貴族たちの間は華やいだ祝賀感に満ち溢れていた。王太子の誕生祝に、各々が最高の仕立ての服と最上級の値打ちの宝石で、自身を飾り立てる準備をしながら待ちわびた日だった。


「? 服も靴も届いていらっしゃいますが」


 不備があったかと問うエリックに、「うん、それはいいんだ」と返した。


(この際それはどうでもいいんだ……)


 現実的にはロッドフォード家をしのぐ高位貴族も参加する、王家主催の夜会に赴くのに、身だしなみがどうでもいいわけがない。流行に疎かろうと最低限抑えるべきところを抑えるのが礼儀なので、セシルも気乗りしないながら一応注文した分一式は自分の目で確認し、鉄の金具がついたクローゼットに入れた。見慣れない布の塊を興味深そうに見ていたキーラが、自力で開けられない場所にそれらがしまわれるのを残念そうに見ていた。


 おかげで金ボタンをむしり取られることも、ポケットにクッキーのかすを溜め込まれることもなかった新品の一張羅をエリックが引っ張り出す。従者である彼に着替えを手伝ってもらうために、相変わらずいやにエリックに厳しいキーラを毎度のようにクッキーで宥める。


 アレックスに求婚失敗したことを、もう妖精は引きずっていない。気に入った人間に拒絶された後、妖精が恨みがましくその人間を呪う例もあるからとセシルは心配していたが、杞憂だったようだ。それどころか今でも嬉々としてアレックスの後を追っている。妖精は、図太い。


「ねぇキーラ、今日一緒にくる?」


 エリックに上着を着せてもらいながら、セシルはついそんなことを言った。


 ソファにかけて鼻歌を歌っていたキーラは、お腹がすいていなかったのか、クッキーの端を前歯で少し齧っただけだった。


「いく!」


 わがままで欲望に素直な妖精は、普段セシルの外出に勝手についていくことはあっても、来いと言われて連れていかれることは滅多にない。それを訝しがることもなく、きゃっきゃとはしゃいでセシルの方に寄ってきた。


「……セシル様、今日の舞踏会に妖精殿を連れていかれるので?」


 靴ひもを結び終えたエリックが意外そうにきいてきた。


「うん。もちろん会場には入れさせられないから、なるべく庭に居させるよ」


 キーラは普段セシルの部屋の備品で遊ぶが、元来この手の妖精は土や草花の方が好きだ。

 人の手のあまり入っていない自然が一番だが、魔法使いの子孫を抱えるブランデン王室の王宮は、改築と増築を繰り返しても妖精や精霊のたまりやすい場所を一定の範囲で確保している。

 それでも、今までセシルはキーラを公の場へ連れて行ったことはなかった。


(今後は気まずくて王宮に足を運べないかもしれないし)


 ちょっとした記念でもあり、また、妖精や悪霊が宴会場に入らないよう気を配る役目の父に対する小さな意趣返しでもあった。


「セシル」

「うん?」

「大丈夫、いいことあるよ」


 セシルがアレックスとのことでネガティブになっているのを知ってか知らずか。そういうと、キーラは齧りかけのクッキーを小さな手で割って、そのひとかけらを握りこんでセシルに差し出した。


(! 妖精の贈り物(ギフト)だ)


 セシルがかがんで手を差し出すと、そこに小さな黄金のかけらがある。なにも描かれていない金貨のようだった。


 妖精は求愛とは別に、ごく稀に『ギフト』を人間に渡すといわれていた。万能の薬だったり敵を退ける剣だったりと、妖精によってギフトは様々だが、多くの場合は、妖精にとっても人間にとっても価値のある『金』だった。


 妖精は金を好んで、人間にばれないように溜め込む習性があるとセシルも知っていたが、幼女にしか見えないキーラも例外ではなかったかと驚いた。忘れがちだったが、キーラはおそらくセシルよりも、アルバートよりも長く生きているのだ。



「……キーラ、お前錬金術の妖精だったの?」


 恐ろしい事実を知ってしまったかと小声で訊ねた。キーラは珍しく少し困ったような顔をして口ごもった。たとえセシル相手でも、妖精のはしくれとして、金の隠し場所も交換方法も教えたくないのだろうか。


「キーラはクッキーも黄金も大好きだから。どっちもおんなじくらいに」

「……」


 まさかこの妖精は金塊もクッキーに変えてしまうのだろうか。彼女にとって、それらは等価値なのだろうか。


「キーラのクッキーも黄金も、いつもはだれにもあげないよ。けど、セシルはかわいそうだから」


(か、かわいそう……) 


 困り顔から一転、いいことしたとばかりに笑う妖精を微妙な気持ちで見つめた。どうやら憐れまれたようだった。


 あらためて凹凸のないクッキー産のコインを見つめる。元より伯爵の息子にとっては、緻密な細工もなくありがたみは大きくない大きさの金だが、彼自身、初めて『ギフト』を目撃した瞬間だった。もともと、滅多にお目にかかれない事象だ。


「ありがとね」


(憐れみでも、キーラの心遣いだ。大事にしよう)


 求愛の贈り物と違って、ギフトは幸運のお守りである。今日が人生最悪の日になるかもしれないセシルは、落とさないよう内ポケットにそれをしまった。

 頭を撫でられたキーラはにっこり笑って、自らの手にあった残りのクッキーをベルスリーブの袖にしまった。


「…………え、いつもそんなとこに入れてたの?」


 キーラの財産はあの袖の中に蓄えられているらしかった。


 ***


「やたらでかいと思ったら、四人用かこの馬車」


 正装に身を包み、例の書類が入った黒い筒を携えたアレックスが赤い天鵞絨張りの席に腰掛ける際、誰にともなく言った言葉に、セシルが答えた。


「王宮に行く前に、いつもスカーレットを迎えに行くから、大きいのを準備させてたんだよ」


 アルバートとアンナは後から出発してくることになっていた。


 腹違いの兄弟はお互い不本意ながら、父親の命令で同じ馬車に乗っていた。アレックスの横に陣取ったキーラが窓の外を興味深そうに見つめている。


「スカーレット……」


 アレックスがまだ会ったことのない女性の名前だったと、セシルが補足しようとしたとき。


「アランの一人娘の?」


 アレックスが先に思い出した。

 ひと月前後でつめこんだ家系図は、ちゃんと頭に入っているらしかった。

 キーラが振り返って「え、あいつ来るの」と嫌そうな顔をした。セシルは「こら」ときつく睨みつけてから、斜め向かいに腰掛ける異母弟に答えた。


「そう。アラン叔父さんは父さんの弟。スカーレットは招待されていないけど、いつも僕についてきてもらってる」


 爵位には遠いが、一代で事業を成功させた従妹家族とは仲が良い。時折こうして社交の場でのパートナーとして従兄妹同士で出席していた。もちろん、その血筋ゆえにアランとスカーレットは妖精が見えている。



「予想はしてたが、この家は先代も随分奔放なもんだよな」

「……スカーレットは頭のいい優しい子だよ。僕のことだけならともかく、従妹まで馬鹿にするようならさすがに怒るぞ」

「別に、何も言うつもりはないけど。子は親を選べないんだから、彼女やその父親の落ち度じゃない」


 意外なことに、嘲るでも憤るでもなく、何の感情もこもらない声で落とされた言葉に拍子抜けした。セシルもばつが悪くなって、それ以上なにも言わないことにした。


(……確かに、アラン叔父さんも庶子だけど)


 家系図を見てアランの母が愛人だと気が付いたのだろうが、アルバートとアランは今馬車に同乗している二人よりは遥かに協力的で良好な異母兄弟関係を結んでいた。それこそが、父が頭の固い祖母と疎遠になった理由だとセシルはきいている。


(そうか。僕と父さんはこんなところも大違いだ)


 父に比べて自分は人当たりが良いと思っていたが、そういえば冷たいと言われる父の方が温厚を自負している自分よりよほど上手に人間関係を構築していると気づかされた。


(僕は、本当は全然跡取りに向いていないのかもしれない)


 最近幾度となく浮かぶ考えが、また頭をよぎった。

 それでもセシルは、「スカーレットも妖精が見えているから馬車の中では気兼ねしなくていい」という気遣いの言葉は言わなかった。家系図上、彼が分かっていてもおかしくなかったし、わざわざ安心させるのが癪だったのもある。


 あの日、会員制クラブから酔っぱらって帰ってきても、セシルは友人たちから聞いた話をしっかり覚えていた。

 もちろん、かわいい弟などというガラでもない相手にローズとの関係を直接問いただすことは今日までできなかった。


 しかし、舞踏会の会場で仲睦まじい二人の姿をこれ見よがしに見せ付けられるのも、ものすごく嫌だ。 

 セシルは目を伏せたまま、思い切って聞いてみることにした。どうせ傷を負うのなら、自分が痛みを覚悟しているタイミングが良い。


「アレックス、フレイン公爵夫人とはどこで知り合ったんだ?」


 キーラに袖を引っ張られていたアレックスが、小さな手を袖から引き離しながらも、目を見開いてセシルの方を見た。


「友人が、フレイン公爵の屋敷で君と夫人を見たって言ってたんだ。暴れた馬を落ち着かせるのを手伝ってもらったって」

「………あんたの友人にも貸馬車を使うような奴がいたのか。全員紋章入りの派手な馬車に乗ってると思ってたよ」


(……随分人目に気を付けて会ってたのかな。当たり前、か)


 キーラがアレックスの腕をつかんで「フレイン? 誰? それ誰?」と怒ったように聞いていたが、無視した。


「どっちかが未婚の女の子なら問題だけど、若い男と貴族の夫人なんて、大っぴらにしてないだけでよくある話だよ。僕もこの件はわざわざ言いふらすつもりないし」


 セシルはなるべく気にしていなさそうに取り繕って言った。

 実際のところ、ローズにとっても醜聞になるので、必要もなく吹聴する気はなかったし、ひっそり始まった逢瀬なら、そのままひっそり終わってくれ、という気持ちもあった。


「……アレックスも暫く隠しといたほうがいいんじゃない。ただでさえ暫くは話題の的になるのに、最初っから遊び人のイメージ持たれるよ」


 抜け目なさそうな彼が、元王女に恋愛感情だけで近づいたとは限らない。むしろ自分から世間に話題を提供していく可能性もあると気づけば余計に不愉快な気持ちが湧いてきて、それとなく釘をさすことにした。


「あー……あの女は」

「っ! ひ、人の奥方を『あの女』呼ばわりはするな! 今後ぜったい!」


 自分は夢の中でしか話せない相手を、よりにもよって『あの女』よばわりされて、セシルは咄嗟に強い口調でアレックスの言葉を遮った。


 それがアレックスの気に障ったのだろうか。

 馬車の中でのアレックスは、今までに比べればかなり大人しくしていた方だったと、次に続けられた言葉でセシルは思い知る。


「……あんたさっきからあからさまにローズ・エスカティードと俺のことでピリピリしてるが、噂になりたくないのはどっちの方なんだろうな?」

「は!?」


 せせら笑って言われた言葉に、セシルは緑の目を思わず見開く。


「俺と公爵夫人のこと。夫人と親しい仲の俺と、それを蚊帳の外から見ながら嫉妬で気が気じゃないあんたっていうのは、言いふらされて恥ずかしいのはどっちなのかね?」


 セシルの唇が震えた。あの日の父親の執務室の中とは違う意味で、言葉が全く出てこなかった。

 どうやら、付き合いの長い友人より、会ってひと月の目の前の相手の方がよほど察しがいいらしい。


「とはいえ、あんたの言う通り、言いふらしても今のところ俺にうまみのないことだな。今のあんたの面白い顔ごと、酒の席での話のタネにとっとくよ」


 ちょうど馬車がとまった。窓の外にみえるのはセシルの叔父アラン・バーティミオンの屋敷だった。

 外の従者が馬車の扉を開ける直前。灰色の目が細められて、口の端がにんまり上がった。


「俺が伯爵位を継ぐ頃には、きっといい笑い話になってるさ」


 顔面蒼白となって何も言い返せないセシルは、黒い筒をこれ見よがしに揺らしたアレックスが先に降りていくのを見送ることしかできなかった。


「アレックスのばか! この女ったらしのクッソガキ!!」


 颯爽と降りようとしたアレックスが、後ろから妖精に思いっきり蹴っ飛ばされて馬車から転がり落ちそうになるのを止められなかったのも、本当にわざとじゃなかった。



 ***



「久しぶりね、セシル従兄様」

「ひ、久しぶりスカーレット。彼が僕の弟のアレックス。アレックス、彼女がさっき話した従妹のスカーレット」

「はじめまして、スカーレット」

「はじめましてアレックス。十六歳だとお聞きしてるわ。私と同い年ね」


 ベルベットの巻き髪を結い上げ、赤いドレスに身を包んだスカーレットを伴って、来たばかりの屋敷から再び馬車に戻る。


「従兄様は去年から領地にこもりきりで、あまり会えなくなったわね。あっちはハロルドが上手くやっていて、あなたの出る幕なんて無いでしょうに。……その頬、どうかしたの」

「……別に」


 広間でスカーレットを待つ間、キーラを止めなかったことをわざとだと疑われて、エリック達の目を盗んでつねられただけだ。


「兄弟喧嘩でちょっと手が出ただけだよ」


 周囲に聞かれないよう小声でぼやいた。セシルもやられっぱなしが悔しくてつかみかかろうとしたら、エリックともう一人の従者に何事かと止められた。箱入り息子の元一人っ子は「周囲の目を盗んで喧嘩する」なんてしたことないのだ。

 アレックスは、セシルとはじめて階段で対面した時のような丁寧さ――あの時は皮肉がこめられていただろうが、今はただの猫かぶりだろうとセシルは思っている――でスカーレットに接している。

 馬車の中でセシルは初対面の二人を隣同士にしていいものか迷ったが、アレックスに嫉妬をぶつけ、さらに同性嫌いを発動させたキーラを押さえつけて二人ともから遠ざけるために彼一人が向かいに座った。


「あら、いつもお留守番のピクシーちゃん、連れていくの。別にセシル従兄様のこと横取りなんてしないのに、あいかわらず私のことはお気に召さないみたいね」


 困ったように笑う従妹にキーラが飛び出してつかみかかろうとするから、セシルは妖精をぎゅっと抱え込む。王宮につく前にもう一つ顔に痣ができそうだと思った。



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