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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第八章 疑惑咲く
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氷菓

 一段上るごとにその足元をちょこちょこと動き回っていた妖精が、「あ」と階下を指差したので、セシルはその指先が示す人物に気がついた。


「みんな、ちょっと待って」


 その日、セシルはキーラを自室の中にとどまらせようとしたのだが、『キーラ、閉じ込められちゃうの?』と泣いて嫌がる哀れさに負け、それを実行することはかなわなかった。

 それでも、野放しにしてエリックを疲れさせるのも気が引けて、自分の目の届く範囲にいさせることにした。


「彼がアレックス。ちゃんと紹介するの初めてだったよね。アレックスー! こっち、昨日言ったウィリアムとハリス、それからグラッド。失礼のないように頼むよ!」


 友人たちを先導しながら伯爵邸の階段を上っていたセシルが、玄関広間を歩いていた弟を呼び止めて簡易な紹介をした。すると、友人たちはわずかな逡巡の後、口々に「あ、ああー、はじめましてー」「どうもー、お噂はかねがねー」「どうも」と歯切れの悪い挨拶をする。

 対して、階段途中という半端なタイミングで紹介された気の毒な客人たちを見上げていたアレックスは、ほんの一瞬顕れた呆れ顔を、きれいに口角を上げ、目を細めることで隠した。


「アレックスです。兄ともどもこれからお世話になります。ごゆっくりどうぞ」


 それだけ言ってすぐに元の進行方向に顔を戻してアレックスは去っていった。揺れながら廊下の奥に消えていく黒い髪を見送る友人たちをセシルが急かすと、ウィリアムが苦々しい顔で振り向いた。


「きみ、弟くんめちゃくちゃ愛想良いじゃないか」

「……へ?」


 突然の恨み言に面食らったセシルへ、ハリスも残念そうに続く。


「彼、まだあんまり装飾品とか揃えてないだろう? 秋に向けて、セシルが着られないシックな色のジュストコールも似合いそうだし、もしまだバーティミオンが唾つけてないなら改めて後で挨拶に行っていいかい?」

「…………どうぞ?」


 さらにグラッドが恨みがましい顔と声を向けてきた。


「セシル。今、完全に俺がいちばん無礼な男になっていたが、一応お前に肩入れしようとした結果だからな。あんな礼儀正しい男だなんて、聞いてなかったぞこっちは」

「………………」


 最後に、不思議そうな高い声がセシルの耳にだけ届く。


「セシル、階段の途中で自己紹介させるのなんて珍しいね。アンナが、『初めまして』の挨拶の時は握手ができる距離で、って何回も言ってたと思うけど、今日は良いんだ?」


「……………………なんか、変なタイミングで紹介しちゃってごめんよ、みんな」


 “全くだ”と言わんばかりに息を吐きだした友人たちを、風の通る涼しい部屋へ案内する。

 エリックが整えさせたテーブルに客人と招待主が着くと、グラスに果実水が注がれる。柑橘とミントのさわやかな香りが暑さの厳しくなってきた陽気によく合っていて、ハリスが「わあ、助かる」と嬉しそうな声を出した。


 冷えた果物と氷菓が出されてエリックが部屋から出ていくと、「で?」とウィリアムがセシルを促す。


「あんな雑な紹介が今日の会合のメインじゃないんだろう。クラブが貸し切りにできなかったからって、わざわざ呼び出しまでするなんて珍しい……どうした、なんか具合悪いか?」


 セシルの膝の上では、立ってテーブルの上に身を乗り出そうとするキーラとそれを阻止しようとするセシルの攻防が静かに繰り広げられていた。


「……ま、まさか、元気そのものだよ」


 クリーム色のローブを掴んだまま、セシルは努めて何でもない顔を装って果実水を一口含んでから、本題を切り出した。


「……前にさ、ハリスがフレイン公爵夫人に会いにいくって言ってたじゃない。あの時のこと、もう少し詳しく教えてほしくて」

「公爵夫人のこと?」


 名指しされたハリスは、氷菓に添えられていた華奢なスプーンを持ったまま記憶を辿るように眼鏡の奥の細い目で明後日の方向を見つめる。


「どうって言われてもね……。普段がどんな人かわからないからなんとも言い難いんだけど、親しみやすいご婦人ではなかったよ。所詮こっちは商人だし、気にしないけど」

「セシル、きみ、まだ王家とのつながりを気にしてたのか?」


 答えたハリスを尻目に、ウィリアムがスプーンの先をセシルに向ける。グラッドが眉を顰めたが、セシルは友人の無作法を気に留めなかった。


「いや、今度は……アレックスとこそこそ仲良くしてる女性が既婚者っていうのはちょっと、僕の立場としても看過できないかな、と思って」


 口ごもったセシルは咄嗟に夜の庭園でローズに投げかけられた言葉を言い訳に流用した。


「へぇ、兄による弟の身辺調査? セシルがそんなことするなんてちょっと意外だな」

「気持ちはわかるがやめとけ、口うるさい兄弟は嫌われるもとだぞ」


 目を見開いたハリスと顔をしかめたグラッドを前に、セシルはグラスをあおって誤魔化した。しかし「うっそだぁ」とむくれて抗議した妖精が、テーブルの上に置かれていたセシルの左手の甲にきち、と爪を立てた。


「いっ……!」

「え?」

「……なんでもない。で、夫人のことだけど、ほかに何か、そうだな、他に親しくしてる人の話とか、出なかった?」


 セシルは小さなひっかき傷を負った手を隠すように、さりげなくテーブルの下におろし、そのままキーラの服を強く引っ張って膝の上に座らせた。「アイス!」と不機嫌ぎみに要求する声が膝から上がったが、食べたいわけでは無く、この高級な菓子で遊ぶつもりだとセシルは知っていた。だから、ガラスの皿めがけて伸ばされる小さな手をテーブルの下で掴んで押さえつける。


「ご友人の話なんて皆無だったね。それどころか目すら合わなかったんだから。一度も、ね」


 セシルは扇の奥で冷たく自分を一瞥する紫色の目を思い出した。若い商会の跡取り相手には目すら合わせない、その傲慢さはありありと想像できる。ウィリアムやグラッドもそう思ったのか、友人二人の顔に渋いものが広がった。


「なんか嫌な女だな」

「まぁ夫のいる身でセシルの弟にちょっかい掛ける女だからな」


 妻のいる身でほかの女との間にアレックスを作った父の悔やむような顔が脳裏に蘇ったので、セシルはその感想には同調しなかった。

 するとハリスもあっけらかんとした様子で、氷菓にスプーンを差し込みながら続ける。


「私としては、テューダーソンを贔屓にしてくれるなら無理に親しみやすくしてくれなくてもいいけどね。ただでさえ、あの方の婚姻に関わる品の選定にはじいさんも噛めなかっただけに、これを機にうちを使ってくれたらと思うよ」

「え、そうなの?」


 ハリスの父と祖父が率いるテューダーソン商会は、ドレス用の布地や宝石の選定で王家御用達とされる商会のひとつである。その大商会が、王女ローズと由緒正しい公爵の婚姻に絡めなかったとは、セシルには少し意外な気がした。


「そうらしいよ。私も王家との取引はまだ詳しいことを教えてもらってないんだけど、ローズ殿下……公爵夫人が個人的にご贔屓にしている店も職人の話も聞いたことがなかったのに、内々で準備を進められちゃって、うち含め婚姻需要を期待していたところは肩透かし食らったってわけさ」


 それもあって余計に、先の王太子の誕生祝いのために声がかかるとは思っていなかったため、未熟な跡取りが奔走する羽目になった、とのことだった。


「ふーん。まぁ急に婚約が決まって、さっさと領地に引っ込んじゃったもんなぁ、あのご夫妻」

「ずっと療養で表舞台に出てきてなかったし、他の王女様方と違って交遊関係なんて広めようもないのかもな」


 ウィリアムが皿に盛られたオレンジに手を伸ばしながら、さして興味なさそうに相槌を打てば、グラッドも同意するように呟く。


 セシルは黄緑色のみずみずしい白ブドウをいくつか房から外し、こっそり膝の上のキーラに渡す。さわやかな芳香が気に入ったらしく、小さな両手に乗せてふんふんと匂いをかぎ始めたことにひそかに安堵した。


 そのとき、膝の上の攻防から一息ついたセシルの事情など知りもしない筈のハリスから「……あ、でも」と声が上がった。


「ご友人とかは全然わからないけど、私と会った後、何か予定がありそうな感じだった。途中から部屋に入ってきた侍女さんが耳打ちして、夫人が『すぐに行く』とかなんとか返してたから」


 セシルは目を見開いて、身を乗り出す。その拍子に、抱え込んでいた妖精が潰されて「ぷぎゅっ」と奇妙な悲鳴を上げたから、慌てて姿勢を正した。


「侍女さんはちらっと、コルメルサの、って言ってたような気がするんだけど、聞き間違いかもしれないからあんまりあてにしないでおくれね。で、そのときは、うちの商品を異国の競合商人の物と比較検討する気かって思って緊張したけど、結局そのまま、持ってきた指輪を引き取られてこっちはホッとしたんだよ。サイズ直しまでした指輪を購入キャンセルされたらたまんないから」

「……コルメルサの……?」


 セシルの心臓がどく、と大きく鳴った。南方の王国は、ダンリールで回収された妖草の主産地である。


(このとき、マンドレイクを調達したのか?)


 黙って考え始めたセシルの耳に、グラッドの「ああ、もしかして第一王女のマグノリア様の関係じゃないか?」という言葉が届いた。セシルは顔を上げて聞き返した。

 

「マグノリア様?」


 キーラもつられたように顔を上げ「また女の名前?」と口をはさんできたが、セシルはぎゅっと妖精の服の胴回りを掴むのみで無視した。


「ああ、公爵夫人の交友関係なんてそう広くないんなら、約束があったのはご兄弟姉妹(きょうだい)のうちのどなたかか、その遣いじゃないのか。ハリスの商談のタイミングだとまだマグノリア様本人は帰国していなかっただろうから、使者の方かね」

「……ああ、そうかも」


 ぱちぱちと目を瞬かせて、セシルは呟いた。


「でもグラッド、夫である公爵の交友関係はむしろ軍関係で広いだろ?」


 ハリスの言葉にグラッドは首を横に振った。


「公爵が軍にいたころ、主な任地は東の国境だったって話だ。南のコルメルサには縁がないと思うぜ。……少し前まで、東の山脈の向こうは不穏な動きが多かっただろ。貴族の子息にしては珍しく、諜報方面に長く従事してたって噂だ。過去の話とはいえ、軍の機密事項だ。言うなよ」

「……お前こそ、なーに国家の軍事機密を俺らにぺらっぺら話してんだよ」


 ウィリアムの呆れたような声に、痛いところをつかれたグラッドがむっつり黙った。セシルは苦笑いしたが、顧客情報をためらいなく話していたことを自覚したハリスも口元を押さえて俯いていた。


「まぁ、よかったじゃんセシル。ご夫人、アレックス君以外の男とは、今のところ深い仲じゃなさそうだぜ」

「というか、こうなってくるとアレックス君とはどこで出会ったんだろうね?」


 自ら水差しをグラスに傾けるウィリアムに続いて、ハリスが何気なく呟いた。思いのほか鋭い指摘に、セシルはすばやく別の話題を振った。


「ね、でも、マグノリア様がブランデンに戻ってきたのって、すごく急な話だよねっ? 突然どうしたんだろう」


 その言葉に応じたウィリアムは、はは、と複雑な顔で笑った。


「一応、名目はレナード殿下の誕生祝ってことらしいが、あからさまだよなぁ。誕生日、とっくにすぎてるってのに。王太子殿下もいい年だし、あの女性(ひと)だってもう三十歳を過ぎてるはずなんだが、いつまでも姉弟仲悪いよなぁ」

「そうだねぇ。あっ、それでマグノリア殿下主催で盛大な宴会が開かれるって話、ほんとかい? 衣装の新調がいるなら早めに予約してくれよ。お貴族様がた、自分はゆったり動く癖にこっちの仕事は急かすんだから」


 ハリスが逸れた話題に乗って同調した。グラッドはまだ先程の指摘を気にしているのか、今さらながら三人に口止めをし始めた。三人の若者は、酒もないのにやんややんやと騒ぎ始める。 


 なめらかな曲線を描く水差しの表面を、音もなく水滴が伝っていく。


 セシルはひとり、それを眺めていた。膝の上の重みが、ずるりと床に落ちるのも構わずに。

  

 *** 


 客人が帰った後の部屋では、妖精がテーブルに乗り上げて、皿の上で溶けた氷菓をつついている。


「こんな色つき氷、おいしいの?」


 キーラの疑問に答えず、セシルは頬杖をついて考えに耽っていた。


(……エリックは、ダンリールでローズに協力するよう言われたって話していた)


 それが誰なのか、どんなに訊いてもエリックは「言えない」の一点張りだった。


 セシルは、ローズの身辺を探れば、その人物が浮かび上がると思っていた。しかし、アレックスに確認しても、レナードに会っても、ハリスにきいても、それらしい貴族はでてきていない。

 

(……普通の人間は、口封じにマンドレイクの苗なんか使わない。僕たち以外の人間にとっては、おとぎ話の中のおまじないでしかないんだから)


 それでも、身内の裏切りの可能性を、セシルは最初から考えていなかった。父親には動機がなく、叔父には動機以前に不可能だ、と。

 叔父はダンリールの鍵の秘密を知らない。ローズがエリックに会う前から鍵の秘密を知っていたなら、“エリックに指示を出した人間”が教えたとしか思えなかった。

 その人間は、ロッドフォードの身内ではないが、この世に妖精がいることを知っていて、それで人を殺せることを知っている。さらに言うなら、エリックに対して強い圧力をかけている。セシルはそう整理した。 


(……スカーレットが言ってた。マンドレイクは、コルメルサが主産地だって)


 ローズの交友関係は狭い。国外でしか育たない希少な植物の、さらに妖精が棲み付いているものを、首尾よく用意するのは至難の業のはずだ。


 何せ、彼女の話し相手は、身内だけだったのだから。


 セシルは椅子から立ち上がった。


(レナード殿下はクリステ妃殿下の呪詛を疑った。外から王家に嫁いだ身でも、そこまでやりかねないほどの知識を教えられるなら、国王の第一子たる王女殿下は、もっと教えられていたかもしれない)


 たとえば、各当主だけが知っている秘密など。


「ねぇ、セシル、放っておいたら、多分べたべたするよ」


 果汁の糖分を含む、氷菓だったものに手のひらを浸した妖精の言葉をまたも無視して、セシルは扉に向かって一歩踏み出した。  


「エリック、そこにいる?」


 すぐに、コルメルサ王子妃、マグノリア殿下からの招待状を探してくれ――そう伝えるはずだった。


 はずだったのだが。


「……ちょっと、靴の裏を拭けるものを持ってきて」


 その場から動けなくなったセシルに、テーブルクロスに小さな染みを作っていたキーラがため息を吐く。


「だから、べたべたするよって言ったじゃん。ちゃんと確認してから動きなよ」


 セシルは分かっていた。そのはずだった。

 ピクシーは、キーラは果物を食べない。つまり、与えた白ブドウは玩具にしかなりえないと。


 そして、今両手が別の興味に伸ばされている以上、以前の玩具は飽きられてしまったのだと。


 ***


「……あの、アレックス様。最近セシル……様から、何かストレスとか、心配事とか、お聞きになってますでしょうか?」


 応接間に通されたハリス・テューダーソンは、自己紹介のあと、目の前の男にそう訊ねた。


「……暑くなってきたので、疲れているのかもしれませんね。何かありましたか」


 自他ともに認めるストレスの原因たる自分にそれを訊くかと、かすかな不快感を覚えながらも、アレックスは笑んだまま答えた。控えるラスターは、気まずげに身動ぎする。


「……先ほどの部屋を出るとき見たのですが、セシル様の椅子の周りに、いつの間にかブドウの粒がばら蒔かれていたので。……彼、その、大丈夫ですかね」


 眼鏡の奥の瞳には、友を心配する気色が見え隠れしている。

 友の、頭を。

 アレックスは口角をつり上げたまま、答えるまでに少しだけ間を空けてしまった。


「………………つ、疲れているのでしょうね」


(疑似育児に)

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