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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第七章 監督不行届―家族―

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「最初からそうすれば良かったのに」

「……かさねがさね、ありがとうスカーレット……」


 疲労困憊のセシルたちが警吏の詰め所からようやく解放されたのは、太陽も高く昇った頃だった。


 石畳に照り返される日差しが眩しい広場で、セシルを真ん中に、噴水のへりにぐったりと腰を下ろした三人は、エリック達の戻りを待っていた。

 肩を落とし、力の入らない目で行き交う住人を見つめるセシルのしみじみとした礼に、詰め所でも着替えだけは許されたスカーレットが覇気のない笑みで答えた。淡い黄色のドレスがセシルの目に鮮やかに映った。


「いいのよ……私っていうか、お父様(バーティミオン)の顔が効いただけだし……」


 アレックスは広場の人間たちに顔を見せたくないのか、いつも結っている髪を下ろし、額を手のひらで支えるように項垂れている。黒い髪がカーテンのように顔を隠した状態でピクリとも動かないので、もしかするとこれは睡魔に完全に負けたのではないかと、セシルは疑っていた。


「……オリエット伯爵の名前、最初から出して町に入ればもっと早く解放してもらえたかなぁ」

「……それはそれで、変な憶測が噂になって流れるわよ」


 足を組み、ブルネットの毛先を弄びながら、スカーレットが答える。細い首に巻かれた包帯の下は、軽傷だから気にするなとセシルは最初に釘を刺されていた。


「現場に血の跡は残っているのに、どこを探しても出てこない遺体。共犯者、目撃者の寝言としか思えない証言。そんな奇怪な事件に国内有力貴族の子息が関わってるなんて」


 夜のうちに起きた宿屋の襲撃と殺戮は、ケルピーに追い付けなかった警吏たちが遅れて到着してきたことで、隠しようがなくなった。寝巻き姿で助けを求めてきた少女の話からは想像しようもない惨憺(さんたん)たる現場を前に、その場にいたセシルたち五人は保護してもらうべき被害者ではなく、店主とともに殺人の容疑で拘束されてしまった。ケルピーだけはさっさと窓から外に出て、馬に戻っていた。


 しかし、結果的にセシルたちは三つの理由から、翌日の昼食の前には解放されていた。


 まずは事件の日、夕食後に初対面の強盗から手引きを唆された店主や、金を握らされて門を開けた見張りの白状によって、殺されたと思しき男たちが常習の殺人強盗グループだと結論付けられたから、というのが理由の一つ。正当防衛に該当するとみなされたのだ。


 二つ目は、肝心の遺体がどこにもないために、そもそも死んだのかどうかの確認が出来ないから、という理由であった。

 男たちの行方を尋問されたセシルたちも、「何が起きたのかさっぱり」と言うしかなかったが、事実として妖精が連れ去ったのか、食い殺して骨も残さなかったのかは断定できなかった。どちらにしろ、無事ではないだろうとだけ確信していた。

 若い警吏や店主は見たままに証言するしかなかったはずだが、それであってもセシルたちが手を下していない、ということは確認がとれたことだろう。


「クレアが捕まらなかったおかげで、商会の取引相手や教会にコンタクトとれたのは不幸中の幸いだったねぇ」

「まさかお父様の融資や寄付がこんなところで役に立つなんて」


 三つ目に、アラン・バーティミオンの影響力が物を言った。兄弟は伯爵家の人間だということを隠して町に入っていたが、門では突っ込まれなかった王都の商人の小間使いという表向きの身分が、取り調べではかなり怪しまれた。

 スカーレットの遣いで個室に入り込んできた見知らぬピクシーが、「バーティミオン商会の秘密の商談に同行した従業員だと、話を合わせろ」と言ってこなければ、セシルは父親の名前を出していたところだった。商談相手として町の有力者が話を合わせてくれたうえ、商会から多額の寄付を受けていた教会からも、身元を保証する旨の連絡があったおかげで、セシルたちが何日も足止めをくらうことは避けられた。


 ただ、とセシルは中空を見つめていた視線を下げる。


 いつからそこにいたのか、腰掛けていた噴水の影から小さな金の頭がそろりそろりと寄ってきていた。小さな足音はスカーレットを避けてセシルの膝回りに近寄ると、用心深くにおいを嗅ぎ、それからアレックスの微動だにしない膝頭に鼻先を寄せる。

 満足する結果が得られたのか、くるりとセシルに向き直った白い衣の小妖精は、やれやれと言わんばかりに息を吐いた。


「よかった、銀の銃のにおい、消えた。セシルもアレックスも、もうあれ撃つのやめてよね」

「……もっとはやくに消えてたはずだろ。なーんで全く様子見に来てくれないんだよお前は」


 スカーレットに全面頼らなければいけなかった気恥ずかしさもあって、セシルは口を尖らせた。


「キーラが来てくれれば、僕からクロースに指示を出すこともできたのに!」

「……警吏は、癖のある黒髪で背の高い男の行方を追うことにしたんだろ。あの馬に今人型で出てきてもらっちゃ困るだろうが」


 俯いた顔からくぐもった低い声がした。驚いたセシルは肩を震わせ「……起きたの」と言葉を返す。浅い眠りから目覚めたらしい男は、顔を洗う猫のように、額から目にかけてを覆っていた右手を上下に動かすしぐさをした。


「それより、なんで奴ら全員むざむざ死なせてんだよ。一人くらい生きていれば、俺たちを狙った“仕事内容”を聞き出せたってのに」


 あくび混じりの声でアレックスが言ったことは、クー・シーの襲撃の土壇場で、セシルがケルピーを男の上から退かしたことを指していた。


「……ごめん、つい」

「アレックス、私が言ったの。短絡的で悪かったわ。でも強盗の仕事なんて、より金のある客を狙うにつきるでしょ。殺す、奪う。それだけよ」


 声の小さくなったセシルを庇うように、スカーレットが身を乗り出して口をはさんだ。しかし、顔を上げようとして固まった首の痛みに顔をしかめたアレックスが「そうか?」と疑問を呈する。


「仕事内容は、なんて言い方からして、誰かに依頼されて俺たちを狙った可能性の方が高いんじゃないの。それに押し入りが金目当てなら、若い女、とくに、スカーレットには傷なんてなるべくつけたくないだろ。クレアだって殺すよりはまだ売った方が得な年じゃないのか……多分」

「……アレックス、言いたいことはわかるけど、ちょっと……」


 スカーレットが憮然として抗議しようとしたのを、セシルが制した。


「……そういえば、僕の部屋に入ってきたやつ、上流階級は大変だな、とかなんとか言ってた気がする……」

「セシルが上流階級だってことを知ってんなら、身代金を狙えばいいのにそれも考えてなかった。金は二の次、同行する女も含めてとにかく全員殺す。それが目的だったんだろう」


 唇を噛み締めたセシルはきょとんとしたキーラの金色の瞳を見つめ、その丸い頭に手を置いた。アレックスの言葉に、反論は思い付かなかった。


「で、俺らをまとめて殺したい人間は、というと」

「……ローズ・エスカティードだね」


 アレックスが深くため息をついて、スカーレット同様に足を組む。兄弟の言葉に、従妹が戸惑いを示した。


「……確かに、立場的に夫人はあなたたちをリンデンに来させたくないわよね。でも、なんで私まで、というか、私が同行していることを知っていたの? ダンリールで会ってないし、いるだろうと予測することも、夫人には出来ないわ」


「スカーレットとすれ違って、僕たちと合流するつもりだって勘づいたのかもしれないよ。あの人がダンリールから出たタイミングと、スカーレットが到着したタイミングを考えたら、一本しかない街道で鉢合わせになってたんじゃない?」


 セシルの問いかけに、スカーレットは頬に手を当てて考えながら答えた。


「……確かに、この町からダンリールの村までの間ですれ違った馬車はあったし、私はそのとき休憩で馬車から降りていたわ」


(…………そうか)


 あの強盗たちを差し向けたのはローズ・エスカティードだと、浮かび上がった結論にセシルはほんの束の間、目を閉じた。


 あの暗い水のなかでセシルに手を伸ばした女性は、その手であの男たちへ人殺しの報酬を渡したのだと。


「舞踏会でスカーレットの顔を覚えてたのかもしれない。それでぴんときたのかもね」


 ほんの少し長い瞬きの後で、セシルは努めて淡々と言葉を紡いだ。


(まったく関係のないスカーレットやエリックたちまで、容赦なく巻き込んで)


「あの女、話すときもほっとんど相手の顔なんて見ないタチだったのに、相変わらずへんなところで察しは良いんだよな。……俺のみにあきたらず、セシルやスカーレットもろとも、とはな」


 アレックスのぼやきが暑気の漂う空気のなかに溶けていく。


「……城で上手く俺だけ殺すってことができなかったから、口封じに全部片づけようとしたのかね」


 やっぱり肝心なところで大雑把な女、と言われても、セシルは「ふぅん」としか返せなかった。相変わらずだの、やっぱりだの言われても、セシルには全部初耳だからだ。


 彼女の過去は、何も知らなかった。

 

「……あのクー・シーはなんだったんだろう」


 セシルの呟きのような問いかけに、ややあって、スカーレットが間をつなぐように言葉を返す。自信がないからか、彼女らしくない、どこか歯切れの悪い言葉運びだった。


「クー・シーは粗暴だけど、主人に忠実な妖精よ。その主人って言うのは人間の場合もあるけど、妖精が手懐けている例もある。今回のは情報が少なすぎて、推測も立て難いけど……」

「でも、人間が主人なら、俺たちの身内ってことになる」


 膝に乗ろうとよじ登る妖精を手の甲で押しのけながら、アレックスが口を挟んだ。


「……お父様か伯父様が、こっそりと私たちを護衛させていたということかしら?」


 目当ての男に追い払われたキーラがむくれながらスカーレットに寄っていく。ドレスの裾の細かなレースに手を伸ばしたところで、しかめっ面のセシルが掬い上げた。


「その可能性もあるけど、それならもっと早くに尻尾を出しててもいいよね? ――――今のは犬に引っ掛けたわけじゃないよ、そんな微妙な顔で笑わないでスカーレット!」


 仮に父や叔父が親心でしたことだというなら、黙ってこっそり後をつけさせる必要を感じない。


(そもそも、あのクー・シーの動きは僕たちの身をまもるためのものだったのかなぁ)


 セシルはあたりを見回した。広場の人間が誰もセシルたちを気にしていないとわかると、さりげなくキーラを自分の膝に座らせて抱え込んだ。


 周囲には、こちらを伺うクー・シーの気配など微塵も感じられなかった。

 昨夜突然現れて、今朝には忽然と姿を消してしまった妖精が、自分たちを護衛しているとは思えなかった。


「……妖精との取引自体は、やり方さえあってれば魔法使いじゃなくてもできる。例えば、あの犯罪者たちを恨む誰かが、あいつらの遺留品をもとに呪詛っていう形で妖精に殺害を依頼したのかもしれない」


 キーラの丸い頭に顎を乗せてつらつらと考えていたセシルの脳裏に、ふと王宮舞踏会の夜の出来事が思い起こされたが故に出た言葉だった。どこかであの男たちの被害に遭った者が、悪党への天罰を願っておまじないのようにクー・シーと取引をしてしまったのでは、と。


「……ああ、だから行き当たりばったりで加わった共犯の店主を狙わずに、強盗団にだけとびかかった、ていうのは考えられるわね」


 スカーレットも同意するような声を出したが、アレックスは眉を寄せたままだった。その表情はローズが男たちを差し向けたという話の時から変わっていなかったので、今の話のどの部分が引っかかっているのかは、セシルには読み取れなった。

 もしかするとまだ眠いのかもしれない、そうとりとめもなく思った。


 そうして話していると、広場に従者たちが馬車を伴って到着した。黒い馬は何も知らない無垢な獣そのものの(まなこ)で、隈がいっそう濃くなってしまったエリックに手綱を引かれている。昨夜の惨劇に朝食も飲み込めなかったというラスターの青い顔も、憔悴しきったクレアの様子も、セシルの目には痛ましく映った。


「……一泊して、それから出発しよっか」

「あら、急がないの?」


 セシルはスカーレットに手を差しのべながら、立ち上がるのも億劫そうなアレックスの顔を見た。


「……一応、ダンリールでのローズの被害者であるアレックスが良いというなら」

「最初から異常に急いでたのはあんただけだよ」


 そう言いつつ、アレックスは広場のすみから自身を遠巻きに見つめてひそひそと話す少女たちの方には、絶対に顔を向けなかった。


 一行はよろめく足を急がせて、馬車に乗り込んだ。

 町の端の、高い宿の主人に「たとえ国王が来ても取り次ぐな」と多目のチップを渡したせいで、無駄に怪しまれ、通報されてしまったのだが。



 ***



『なぜ、助けたの』


 夏の日差しも届かない森のなか、金の髪を濡らしたまま、女はセシルにそう問いかけた。


(ローズ様は、)


 あれは、いずれ必ず殺す男から助けられたことに対する皮肉だったのだろうかと、カーテンの引かれた客室でセシルはぼんやり思考する。


(後悔、したのかな。したんだろうな。あのとき、溺れる僕を見殺しにしなかったこと)


 上質なカーテンが、日差しを遮る。まるであのときの森のように。


(……こんなことになるのなら、僕の方こそ、助けたりしなければよかったのかな)


 何のためにケルピーに向かっていったのか。何のために竜に啖呵を切ったのか。何のためにアレックスに張り合ったのか。何のために、ここまで来たのか。セシルの脳裏に同じ答えが重なっていく。


 涙は出なかった。


 ただ、虚しさという真っ暗で静かな穴にさらさらと、心の一部が落ちていくような感覚がしていた。



「……キーラ、ポプリの袋は破かないで、においだけ嗅いでね」


 部屋の隅へ向けた静かな釘刺しは、間に合わなかった。ばりっという音と共に、部屋の一角にくすんだ花弁が舞い落ちる。悪気のなかった妖精の、唖然とした顔が滑稽だった。



 芳しい匂袋も、外装を破けば、床に落ちるのは無惨に枯れたバラの花の残骸である。



 ***



「そういえばスカーレット、この町にツテがあったなら、なんで宿探しの時に言ってくれないんだよ」


 ここ数日ろくに眠れていないエリックを早めに休ませたあと、明日の出発時刻を伝えるために従妹の部屋を訪ねた。ついでに、八つ当たりのようで狭量だと知りながら、ついふてくされたようになじってしまった。

 その言葉に、スカーレットが珍しく目を泳がせ、口ごもった。セシルが悪気無く見つめていると、スカーレットの背後で険しく目を光らせていた侍女が苦々しく答えた。


「お嬢様はこの旅を旦那様に反対されてしまうだろうと、家出同然でここまで来たのですよ。だから旦那様のツテには頼りたくなかったのでしょう。このクレア、『旅の許可はとった』と言う嘘を途中までまんまと信じて付いてきてしまって、一生の不覚でございます」

「ちょっと、なんで言うのよ!」


 セシルはやかましくなったスカーレットの部屋の扉をそっと閉めた。眠る前にしたためる叔父への謝罪の手紙の内容を考えながら、重い足取りでアレックスの部屋に向かう。出発時刻を早める相談をするために。


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