表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第七章 監督不行届―家族―
48/109

狩る獣

 オリエット伯爵の妖精避けは、床に落ちてなお、悲しいくらいよく効いた。

 しかし、二階の窓から一瞬だけ乱入してすぐに取って返した美丈夫という奇妙なインパクトは、押し入ってきた大男の動きを止めるに十分だった。


「っ、な、なにするの!?」


 窓際の寝台の陰で、いまだ外の虚空から目を離せないスカーレットの背と膝裏に、セシルは両腕を回す。


「君は警吏を呼んできて!」


 セシルは息を短く吸った。枠しか残されていない窓に向かって、抱えた少女を全力で放り投げる。


「今度こそっ頼んだからなクロース!!」


 夜の闇に薄桃の夏ガウンが広がった。同時に目を丸くしたスカーレットが大きく口を開く。外から届いた馬の嘶きが「了解っ!」と人語に変わった。

 セシルは下方へ遠ざかっていく従妹の悲鳴を聞き終える前に、入り口の侵入者へ向き直る。

 大男は銃を幅広の短剣に持ちかえ、向かってきた。躊躇いのない相手の動きに慌てたセシルは、足元の上着の脇に落ちていた銀色の銃を拾い、引き金をひく。発砲音が鼓膜を震わせた。


「……チッ、ガキめ」


 咄嗟に足を狙った弾は近づいてくる男の足を掠っただけだった。固いものを弾くような音がしたが、セシルは自分が何に当ててしまったのか、確認する余裕はない。怒りの形相の男が、寝台を踏み越えて距離を縮めてきた。

 伸ばされた腕を避けようと、咄嗟に壁と寝台の間を奥へ逃げてしまったセシルに、男が嗤う。


「どうした、お前は窓から落ちないのか」

「ううううるさい!」


 地上にはもう、落ちてきた人間を受け止められるような力自慢の妖精はいない。

 追い込まれたセシルは一刻も早く警吏が到着してくれることを願いながら、寝台の下に潜り込んだ。「あっ!?」と大男の声がした方から離れようと這いつくばって動く。上背はなくても薄い身頃で良かったと思ったのも束の間、目の前に男の短剣がぐっさりと刺さった。薄い寝具と板とはいえ、切れ味は相当な代物だった。


「どこだっ、チビめっ!」


 言葉選びに既視感があるが、セシルはキーラに向けてあそこまでドスの効いた声は出していない。苛立ったようにズタズタと短剣が突き刺さる底板の下から急いで這い出て顔を上げれば、セシルと破壊された扉の間に遮るものはなにもなかった。男は背後だと思えば、セシルは無我夢中で床を蹴った。

 はずみで取り落とした銃を踏み出した足で蹴ってしまい、それは一足先に出口に向かって滑っていった。


 廊下の喧騒のなかに、エリックとラスターの声が混ざっている。向かいの部屋の扉は閉められたままで、セシルの心に一瞬安堵が滲んだ。


(……あれ、アレックスは?)


 そう思ったとき、セシルは後ろ首をガッと捕まれた。強く引っ張られ、体が右回りに反転したかと思うと、その視界が暗い影に遮られる。大きな手が緑の目を覆うようにこめかみを掴んだのだとセシルにわかると同時に、男はその太い腕に見合うだけの力を込めて、赤毛の後頭部を強く壁に叩きつけたのだった。


 壁に音と衝撃が走り、揺れる。


「いっ……!!」


 味わったことのない衝撃と共に、ぐわんぐわんと頭のなかが揺れる感覚で前後も左右も覚束無い。そこに、強く締め上げられたこめかみの痛みも重なって、セシルは呻くしかなかった。


「悪く思うな坊ちゃん、こっちは仕事なんだよ」


 不機嫌な男の声に、逃げなくてはと思っても、掴まれた頭と定まらない意識がそうさせない。


「しかし、こういうこともあるんだから、上流階級様も難儀なもんだなァ」


 痛みに歯を食い縛るセシルは、指の隙間から月の光に短剣が閃いたのを垣間見た。焦燥と恐怖が身の内をせりあがってきても、どうすることもできなかった。

 抵抗は、自分を押さえつける大男の手を掴み返すことしかできなかった。廊下の喧騒が遠い。この部屋に妖精は来ない。遮られているはずなのに、男の髭面が目の前に浮かび上がるような気がした。


 しかし、振り上げられた短剣はセシルにそれ以上向かっては来なかった。


「どいてろッ!」


 突如降ってわいた怒声と共に銃声が鳴り響く。え、と思っているうちにセシルの視界が自由を取り戻した。

 叩き付けられ、締め上げられたせいか、いまだ視界は二重三重にぶれているが、その揺らめく部屋の中、目の前にいたのは髭面の大男ではなかった。端正な眉を不快げに歪め、通った鼻筋に皺を寄せた灰色の目の男だった。


「……生きてんの」

「……お、……お陰さまで」

「そ。残念だよ」

 

 ふらつくセシルに肩を貸し、いつかのようなやり取りを簡潔に終えたアレックスの手には、銀色の銃が光っていた。

 セシルは肩を借りながら引き摺られる体でなんとか進んだ。一瞬背後を振り返れば、男は壁にもたれ、短剣を握りしめていた右の腕からは血を流し、左手で右の脇腹を押さえている。そしてセシルたちを屈辱と怒りで染まった目で睨み付けていた。


「不意打ちかよ、くっそガキがぁ……」


 急いで廊下に出ると、視界に映った客室の扉が複数閉まった。野次馬は助けに入ってくれないとわかると、セシルはここには正義感も道徳精神もないのかと筋違いに腹立たしく思った。


「く、クレア!」


 セシルは向かいの部屋の扉を叩いてスカーレットの侍女の名を呼んだ。


「な、何が起きているのですか!? さっきから扉が開かないんです!」


 中から悲鳴のような女の声が返ってくる。まさかと思って上から下まで木の扉に目を凝らしたが、扉と壁の隙間に蠢く緑の糸状のものがちらりと見えた。蔦だ。

 セシルが扉に向かってそれ以上何かを言うことはできなかった。階段に向かうぞと、アレックスがセシルを引き摺ったからだ。

 すると、轟音と同時に、目の前にマントを纏った男が二人、廊下に仰向けに倒れこんできて、二人の行く手を阻んだ。


「ぎゃっ!」


 セシルが叫び、アレックスが息をのんだが、男たちはエリックの部屋から出てきた、もとい投げ飛ばされたのだとすぐに分かった。後に続くように飛び出してきたラスターとエリックが男たちに馬乗りになって押さえつけ、銃口を押し当てる。


「ご、ご無事ですかっ、お二方とも!」

「な、なんとか!」


 侵入者と二対二で揉み合ったことを示すように、額から血を流し、頬にアザを作りながら問いただしてきたエリックの方が明らかに無事ではなかったが、セシルはあふれでる安堵そのままに答えた。


「あっ待て!」


 もう一人の男の腕を捻りあげたままのラスターがセシルたちの背後に向かって声をかける。兄弟を追って廊下に出ていた髭面の男が、仲間の窮地を見てか、今出てきたセシルたちの客室に引き返そうとしていた。


「野郎、窓から逃げる気か!」


 エリックが叫ぶが、従者二人はその場から動けず、セシルはまだ視界が回っており、アレックスはセシルを手放すのが一瞬遅れ、侍女は部屋から出てこなかった。

 強盗を一人、取り逃がしてしまうと、セシルが口惜しく思ったそのとき、部屋に入っていった大男が再び廊下に飛び出してきた。


 仰向けに倒れこんだその腹に、ガッと乗馬ブーツを履いた大きな足がのせられる。


「ご主人、これでいかがでしょう!」


 セシルは自分の誤発砲が撃ち抜いたものがなんだったのか、楽しげにわらう凶悪な妖精の顔から気がつくことができた。


「……も、戻りが早いね……」


 オリエット伯爵の妖精避けも、銃弾が当たれば術紋の形が歪む。窓から妖精が入り込むのに、もう恐れるものはなかったのだ。


「……ちょっ! 食べるなクロース!」


 もがく男を押さえつけ、太い首にかがみこんだ人食い馬にそう命じると、セシルはようやく床にへたりこむことができた。


 良かった、みんな無事だ、セシルはそう思った。


「アレックス、助けてくれてありが……」


 見上げた先の弟に礼を言おうとしたが、当のアレックスは背後でのされた二人と、妖精に組み敷かれた男を交互にみている。その顔の険しさを怪訝に思ったとき、アレックスの唇から小さな呟きが漏れた。


「……三人しかいない」


 どういう意味かとセシルが問おうとしたとき、奥の部屋から女の叫ぶような声が響いた。


「お、お嬢様は、そこにいらっしゃるんですか!?」


 セシルはクロースを見た。


「え? 警吏を乗せて一緒に戻りましたけど、軒先で下ろしてそれっきりですよ? 私は階段を二本足で上るより、窓に跳び移る方が速いので」


 アレックスが顔色を変えた。ラスターの下敷きにされていた男の襟を掴み、力任せに持ち上げる。


「おい、あんたら四人で来てただろう! もう一人はどこにいった!?」

「よ……っ!」


 セシルと従者たちも血相を変えた時だった。


「こっちだよ、ボウズども」


 下卑た笑いを含んだ声が階段から響いた。


「す、スカーレット!」


 四人が顔を向けると、ほか三人同様のマント姿の男がスカーレットを後ろ手に捕らえ、短剣を喉に押し当てて上ってきたところだった。背後には不機嫌そうな顔の店主が青ざめた若い警吏を同様に捕まえて引きずっていた。


「仲間の手を離しな。お嬢さんのきれーな首がズタズタになっていいのか?」


 スカーレットが憎々しげに背後の男に視線を送ったが、その目の険しさが、彼女に打つ手がないことを示していた。セシルの焦燥と恐怖がぶりかえす。


「おのれ、貴様ら……っ」

「な、なに、どうしたんです!? お嬢様!?」


 ラスターのうめくような悪態ととともに聞こえた奥の部屋からの声に、新たに加わった男が不快げに口許を歪める。


「おい、女がいた場合も全員片付けろって仕事内容だろうが。なんで奥の部屋をぶち破らねえ?」


 エリックに押さえつけられた男が腫れ上がった顔で不可解そうに答える。


「そ、それが、蹴っても撃っても扉が開かねぇんだ」


 それを聞いたセシルには思い当たるものがあった。緑の蔦だ。


(……侵入者対策の妖精が内側にいるんだ)


 舌を巻いた。アイビーの妖精が内側で扉を丸々蔦で守っているのだ。勿論侍女にはなにも見えていない。

 スカーレットのやり方はスマートだ。人間の敵は妖精だけではないと、アレックスが旅のはじめでいっていた通りだったと、セシルは歯がゆく思う。

 しかし、今さら悔やんでも現状は打破できない。男が歩いた拍子にスカーレットの首へ当てられた刃先が揺れたのか、ぷつ、と小さな血の玉が白い首に浮かび上がった。


 セシルは丸腰だ。クロースを動かせば背後の男が襲ってくる。アレックスの持つ銃は、その都度弾を込めなければいけない。


 万事休す、誰もがそう思ったときだった。


 階段の下から、音もなく大きな影が飛び出してきたのである。


「うわっ! な、なんだ!?」


 スカーレットを押さえていた男に、四つ足で上がってきた黒い大きな獣が飛びかかったのだ。木の床に対して音一つたてなかった脚から伸びた爪が、男の体に深々とめり込む。

 突如襲いかかってきた野獣に、男は大声をあげ、スカーレットから手を離して獣を引き離そうとしたが、牙をむいた顎をつかんでも、噛みついた肩から離れようとはしなかった。

 アレックスが突然の事態に呆然と呟く。


「……さっきの野良犬?」


 セシルの目にも、それは巨大な犬のように見えた。狼とは顔つきが異なるが、大きさはむしろそれを上回っている。黒に見えた毛並みは、青白い光に当たって緑がかった艶を反射した。

 しかし、目を見開いたエリックとラスターは、アレックスとはまったく異なる反応を見せた。


「……なんだ、急にもがき出した?」

「ど、どうなってるんだ? こいつ、何をしてるんだ!?」


 二人に押さえつけられた男たちが驚愕と恐怖に染まった悲鳴を上げたのに対し、店主と警吏もエリック達同様に目を白黒させてその場にとどまっている。解放されたスカーレットはすぐさま男から距離をとった。


「……違う、アレックス、クー・シーだ!」


 ギラギラと光る金色の目を見つめ、従者たちの反応をみれば、これが犬の姿をした妖精であるとセシルは判断した。暗緑色の毛並みの犬をかたちどる、凶暴な妖精だ。


「クー・シー……なんでこんなところに」


 アレックスの言葉に誰かが何かを返す前に、階段から次々と黒い犬が駆け上がってきた。犬たちは混乱するエリックたちに向かって猛然と突進していく。


「二人とも、賊を離してどいて!」


 スカーレットが叫ぶのと、兄弟が従者たちの腕をつかんで力任せに引き寄せるのはほぼ同時だった。


「う、うわああぁぁぁぁぁっ!!」

「な、なんだこの犬、っぎゃああぁぁぁぁぁっ!!」


 賊が起き上がる暇を与えず、犬たちが飛び掛かる。鋭い歯と爪で腕や足、頭を一斉に挟まれれば、巨体の男たちもなすすべがなかった。


「ひ、ひいっ!! なんだ、なんだあの犬はぁっ!!」


 クロースに押さえつけられていた男の、恐怖にかられた声が響き渡る。


「……ご主人、私はどうすれば」


 ケルピーにとって、群れをなす犬の妖精は斧を構えたドワーフほどには恐ろしくないのか、クロースはひとり異常に冷静だった。


「っ、セシル! ケルピーに離させて! クー・シーの餌食になるわよ!」


 そう近くで叫ばれて、目の前の展開に頭が真っ白になっていたセシルは咄嗟にスカーレットの言う通りにした。


「く、クロース、そこどいて!」


 それに反応したのはアレックスである。


「バカっ待て、離させんな!」


 しかし、セシルはその命令を撤回しなかった。つまらなそうに口角を下げた妖精男が言われた通りに大男から退くや否や、無数の黒犬が飛びかかってしまったのである。


「ひっ、ぎゃあぁぁぁぁぁぁっ!」


 男の肩に、腕に、腹に犬の顎が飛び付き、爪がめり込む。

 階段のそばにいた三人の男たちは、そのまま黒犬の群れによって階段を引き摺り降ろされて行き、セシルを襲った男はやはり黒犬たちによって窓の割れた部屋に引き摺られていった。最後には抵抗も小さくなっていた。


 後に残ったのは、壊れた扉の部屋が二つと、引き摺られて階段や部屋まで――まず間違いなく外まで続いている線となった黒い血の跡である。尋常ならざる犬の毛は一本も落ちてはいない。


 誰も、何も発しなかった。

 青ざめて震える店主の手は、すでに警吏の腕を掴んではいなかったが、涙を浮かべる警吏もまた動くことができなかった。エリックは紙のような顔色で階段を呆然と見つめ、ラスターは口許を片手で押さえて俯いている。


「……あの犬の狙いは、強盗たちだけ……」


 ラスターの二の腕から手を離したアレックスの呟きに、セシルもスカーレットも沈黙で同意した。ロッドフォードと関係のないならず者に妖精が見えたのは、彼らが襲撃対象だったからだ。

 勿論、突然起きた凄惨な逆転劇に、セシルは舌の根も足の裏も貼り付いたように動かなくなっていたため、異論も賛同も示せなかった、ということも事実だった。


「なんです!? 何が起きたのです!? 誰か、セシル様、教えてください!!」


 奥の部屋、蔦に守られた扉の向こうから声がする。


 そんなこと、こちらが聞きたいくらいだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ