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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第六章 監督不行届
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「ようせい」との約束ごと

「荷造りがおっそいのは、今までエリック任せだったからだとしても、せめて髪くらい鏡見て直せば?」

「…………そうだね」


 セシルは自室で寝台に腰掛け、途方に暮れていた。

 目の前には、どう畳んでも、丸めた、としか形容のできない衣類と、どう整理しても自己主張の激しさを控えられない小物類、それらを収容するイメージが描けない大きさのトランクが口を開けたまま沈黙している。見知らぬピクシーがごく小さな金ボタンのついたポーチを引きずっていこうとするのを、苛立ちと共にたしなめたところで、荷造りを終えてから仮眠していたアレックスが様子を見に来た。


 セシルの髪が乱れているのは、今でこそ何食わぬ顔でエリックを見張っているラスターが、ついさっき早とちりしてとびかかってきたせいだ。誤解されるようなものを持っていたセシルにも非があるとして、全部ひっくるめてアレックスにも伯爵にも黙っておくつもりだった。


「……キーラ、まだ戻ってないのか」


 部屋を見回したアレックスがそう呟く。玄関わきにはもう馬車が用意されているとディフレッドから聞いていたため、セシルも少し気がかりに思っていた。手櫛を止め、窓を見ながら答える。


「ああ、なんか厩舎の馬が一頭足りないみたいだから、多分まだ馬に乗って遊んでるんだと思うけど」

「馬? 足りないって、ラスターがそう言ったのか」

「うん。…………うん?」


 畳みなおそうとシャツを掴んだ手が宙で止まる。セシルの額からどっと汗が噴き出た。


「ふーん。人が飯食ってた間に、こそこそこそこそ、なにしてたんだか」

「いえ、あの、その」


 どう誤魔化したらいいものか、手の中でノリがきいていたシャツをくしゃくしゃと弄ぶ。


「しかし、厩舎の馬がいないって言う割に、屋敷の厩番は全然焦ってないみたいだけど」


 焦るセシルの前を通って、アレックスが窓際による。眼下に厩舎が見えるからだった。


「……いなくなってても気がつかれない馬に乗ってんのかもな? 見慣れないやつとか」


 セシルは訝しげに眉を寄せて、庭を見下ろすアレックスの背に視線を送った。


「何言って……」


 かがむように窓の外を見つめるアレックスの背には、いつも通り後頭部でくくった髪束が落ちかかっていた。

 馬の尻尾のような、黒い髪束が。


「…………いや、そんな、まさか!」


 セシルはアレックスを突き飛ばさんばかりの勢いで窓辺に飛びつくと、ガタッと音を立てて窓を開けた。「てめっ……」という小さな呟きと舌打ちに、構っている余裕はなかった。


「クロース!」

「は?」

「名前だよ、あのケルピーの! クロース、出てこい!」


 セシルの呼びかけは玄関わきにいた白と栗毛の馬のいななきをむなしく誘っただけで、黒い妖精獣の応えは返ってこなかった。厩舎からも反応はない。

 庭にはいない。あんなに苦労して従わせた人食い馬は、眼下に広がる敷地のどこにもいなかった。


「なんで名前付けてんの?」

「うるさいな! あの手綱が取れたりしたら一大事だよ、置いていけるわけないだろ!」


 飼う気かよ、とげんなりしたアレックスにかまわず、セシルは探しに行かなくてはと部屋を飛び出した。

 

(キーラのやつ、なんっでよりによって妖精馬に乗ってんだ!?)


 飛び出した、が。


「ぎゃっ!」


 廊下に出た途端、目の前に革紐を首に巻き付けた、精悍な顔の男が立ちはだかったものだから、セシルは飛び上がって驚いた。


「おっと、あ、ご主人。先ほど呼んでましたけど、何でしょうか?」


 見上げるセシルの様子とは裏腹に、けろっとした顔で問いかける美男子の、さらに上方から高い声が降りかかる。


「セシル、もう出発の時間だよ。今から遊びに行っちゃだめだよ」


 がっしりした男の肩に跨がって、首からのびた革紐を握っているのは、今さっき話題に上がった小妖精である。アレックスが暗い声で「……おかえりー……」と声をかけた。


「……クロース、僕が呼んだら来いって言ったけど、今度から追加で返事もして……」

「ええ……そんな、ご主人ごときに、この私が犬みたいに」

「ご主人だからね! たっく、キーラ、お前もいったいどこで遊んでたの!?」


 セシルがクロースとキーラを部屋に引き込もうと腕を引っ張っていたとき、眉間に皺を寄せたスカーレットが階段を上ってきた。


「ちょっと、二人ともなんで下りてこないの? 私、来たばっかりなのにもう帰るっていうからずっと下で待ってるのに……やだ、なにこの部屋汚い! まさか強盗!?」

「ごっ!? ……………………もう、スカーレットは、ゆっくりしてから帰ればいいじゃん…………」


 従妹の指摘に完全にやる気をなくしたセシルは、詰め込み切れない荷物を後日送ってもらうことに決めた。最悪、路銀と着替えがあればどうにかなるはずなのだ、と。


 ***


 ダンリールは相変わらずの晴天に恵まれていた。清々しさが厳しさに変わる直前の、午前の光が、緑の下に影を色濃く描いている。


 ディフレッド以下、十人にも満たない使用人たちが玄関でセシルたちの見送りに出た。

 今回、スカーレットは貸馬車でここまで来たということだったが、御者の礼儀がなっていないからもう使いたくないとは神経質な侍女の弁だった。仕方なく、兄弟が同じ馬車に乗り、スカーレットと侍女に一つ貸すということにした。

 キーラが喜ぶ傍らで、アレックスがしきりに「エリック、まだ本調子じゃないんだろ。俺が馬で行こうか?」と提案していたが、アルバートの息子を従者のように扱うことはディフレッドが許さなかった。


「では、道中お気を付けください。不束な倅のことも、どうか、どうか宜しくお願い致します」


 ディフレッドの言葉にセシルはどうにか笑みを形作ると、その視線から逃げるように馬車に乗りこんだ。本当に、これは別れの意味だけが込められているのだろうかと、自分自身のお人好しな罪悪感をさらにえぐりながら。

 背後には、来たときと同じ馬にまたがるラスターと、見慣れない黒い馬にまたがるエリックがいて、エリック自身が乗ってきた馬とセシルが途中から乗った馬は屋敷に置いていくことになっていた。

 エリックは、着替えはしたようだが、ろくに寝ていないからか、目の下のクマがぐっと外見の年齢を押し上げていた。


 裏切りが判明したエリックには、クロースに乗ってついてくるよう言ってあった。如何に巧みな手綱さばきでも、今のクロースはセシルの意に反した動きができないため、逃走の可能性が低いからだ。

 

「……エリックも、ディフレッドとお話しておいたら? なかなか会えないでしょ?」


 表情を作ることに全神経を使っていたセシルと、気遣いを見せる気配のないアレックスを見かねたスカーレットが、窓から身を乗り出して馬上の男に声をかける。エリックは一瞬表情をこわばらせたが、曖昧に笑って流した。


 これから、エリックの処遇はリンデンで決まる。セシルに仕えているとは言っても、跡を継ぐまでは、使用人の給与は父であるアルバートが出している。ここで解雇を言い渡すことはできなかった。


『そうやって、嫌なこと後回しにしても、そっくりそのままあとから直面するだけじゃないの』


 エリックにクロースを貸し与えた時に掛けられた、冷めたアレックスの声が頭によみがえる。振り切るように、セシルは御者に出発を言い渡した。


 窓から顔を出し、ゆっくりと離れていく屋敷の方を、エリックの部屋を見上げる。窓辺に小さな亜麻色の頭が見えた気がした。


(本当に、エリックを切るしかないのか)


 次の人とはうまくやれる。スカーレットの励ましが一層心を重くした。

 鼻の奥にツンとしたものを感じたセシルの目に、ふと、見慣れないものが映りこんだ。

 焦点を少し下げる。二階の窓ではなく、小さくなっていく門に。

 黒い門扉が、風に揺られたかのようにゆっくりと開いた。否、風だと思ったのは通りすがりの無関係な村人だけだ。 


 緑の目は驚愕に見開かれた。

 開かれた扉の奥からのっそりと出てきたのは、茶色い髭を長く伸ばし、肩に斧を担いだドワーフだった。どんどん離れていくはずなのに、その目の輝きがセシルの緑の目に確かに届いた。

 腫れぼったい瞼の下の小さな金色の目は、初夏の日差しの中で冷たくセシル一行を睨みつけていた。


 セシルはぞっとした。


「止まって!」


 単身とはいえ、ただならぬドワーフの様子に、セシルは思わず叫んだ。キーラに髪の房を編まれて表情を暗くしていたアレックスが顔をあげる。

 ラスターと御者の戸惑いの声が上がったが、エリックは表情を変えないままだった。程なくして馬車が止まる。村を出ようかという瀬戸際だった。


「……な、なんで」

「おい、セシルどうした」


 戸惑うアレックスを置いて外に出ると、今来た道を戻っていくセシルの様子に、御者達は戸惑い、眉を寄せた。

 突然、馬のいななきがセシルの耳に届く。振り向けば、落ち着きがなかったのはクロースだった。手綱をとるエリックがぐん、と引いて太い首を撫でる。


「……すみません、セシル様」


 まだ慣れなくて、と取って付けたような謝罪と共に、当惑して見つめるセシルと目が合ったエリックが笑う。丸一日ぶりの、どこか困ったような、穏やかな笑顔だった。

 わけもわからず馬が暴れだしたことへの戸惑いは見えなかった。


「セシル従兄様、いったいどうし……え?」


 少し後ろをついてきていた馬車の窓から顔を出したスカーレットも、セシルの尋常ならざる様子に戸惑い、振り返ってゆっくり向かってくるドワーフに目を剥いた。

 担いだ斧の刃が、日差しを鈍く反射していた。

 光の心もとない地下室より、ずっと強く、だ。


「なんで、とな。ふん、ロッドフォードの小倅よ、お前さんに用なんてないわい」


 いつのまにか、セシルの近くまで歩み寄ってきていたドワーフが鼻を鳴らし、青ざめるセシルに声をかけた。しかし、その目には有無を言わせぬ冷たさが宿っていた。


「ただ、我らは契約通りに動くだけよ」


(契約?)


 セシルは、早鐘を打つ鼓動に急かされるように記憶をたどった。

 ドワーフの役割は、鍵を守ること。

 正しい方法で鍵を手に入れられなかった人間に、地下室で制裁を加えること。

 鍵を持ったきり、この地から逃げようとしたものは悲惨な末路をたどるという、管理人たちに伝わってきた注意事項。


(鍵を、持ったきり。……返さなかった人間……)


 事情を聴こうとドワーフのもとへ向かっていた足が止まる。

 暑さとは異なる汗が、冷たくなった背を伝う。

 セシルとアレックスが持ってきた鍵は、セシルが東の塔に忘れた後、上着と共にアレックスが回収していた。それがないと彼自身、森を抜けられなかったからだ。

 セシルと共に戻ったローズが持っていた鍵は、教会でエリックに託されて、昨夜のうちにセシルたちが返した。

 考えている間にもドワーフの歩みは、セシルの方へと一層近づいてくる。

 焦燥感にかられるセシルの頭に、『ローズが持っていた鍵』について引っ掛かるものがあった。


(…………「ひとつは、神様の足元に」)


 ひとつは。

 記憶を辿った。鼓動よりずっとはやく、はやく、追い立てられるように。

 跳ね橋の向こうに向かって叫ぶセシル、それを振り切るようにケルピーに手を伸ばしたローズ。

 セシルは、疾走するオオカミの上で、小鹿を抱えていた。


 現実では馬車のわきで、黒い馬の手綱を持ったエリックが、静かな笑みを浮かべて、セシルを見ていた。

 ドワーフの歩みは、セシルの横をすり抜けて、止まらない。


「返さずに村を出るつもりなら、仕方ない」


 馬車に、従者達に、斧を構えたドワーフが近づいていく。しゃがれた声に、セシルはようやく気が付いた。

 あの時のローズが、二つの鍵を持っていたことを。


(「ひとつは、神様の足元に」、教会に)


「……じゃあ、もうひとつは?」


 エリックが、ドワーフから得た鍵を返さずに村を出ようとしていることを。


「――――私個人のことは、心配ないのです、セシル様」


 落ち着きのなくなったクロースから降りるエリックを、止めなくてはと思う余裕はセシルには残っていなかった。


『最後に一回くらい、小さなお嬢様の尻尾を掴みたかったのに』


「少し、先に進みます。道の先の様子を、見てきますね」


 なんてことなさそうにセシルにそう言ったエリックの顔は、自分に向かってくるドワーフの姿など見えていないが故の、緊張感のない笑みに見えた。


 見ないようにしている、とも取れた。


 村と街道の境目となる関所の跡地はすぐそこである。

 とても、逃走しようとする距離ではない。ドワーフから離れたがるクロースは、乗り手が降りるや否やブルルといなないて地面を踏みしめ後退りした。

 

 すでに、ドワーフと従者の間を遮るものは、何もない。 

 村の外へ向かうエリックが歩きながら振り返る。


 静かなその目は、今度こそ明らかに主人でも同僚でもなく、自分に向かってくる恐るべき小人を捕らえていた。


 妖精が人間に姿を見せるのは、恩返しのときと、襲撃のときだ。

 

「待って!!」


 悲鳴のようなセシルの声が、振り上げられた斧に跳ね返って、離散した。

 もうひとつは、――――まだ、





「暗い森の、跳ね橋の、たもとに」

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