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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第六章 監督不行届

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あくまを呼び出す方法は

「わ、わざと見逃したわけでは無いんです。ただ、この屋敷は人手が少ないでしょう。手首に縄をかけていましたし、椅子に掛けたままでしたが眠ったように見えたので、アレックス様の朝食の準備はいつも通り俺がやろうと。そう思って、ほんの少し離れたら……」


 エリックのことは、彼にあてがわれた部屋とは異なる客間で拘束していた。

 早歩きで屋敷の廊下を進むセシルは、こまめに周囲を確認しながらラスターから事情を聞いた。

 ラスターがひそめた声でつづける。仮眠中の主人を起こすのも忍びなく思い、蓋をしたままの朝食を部屋に置いて戻ると、そこにエリックはおらず、拘束に使った縄が切られて落ちていた、とのことだった。


「アレックスには……言えないよねぇ」


 雑用から子息付きに変わったばかりの新人従者は暗い表情で俯いた。仕事が速いわりに楽天的な男で、セシルが見ている分には、アレックスの頑なな態度も言うほど気に病んでいないようだった。

 とはいえ、険しい顔の主人に「俺にもこいつにも、何も訊くな」という短い言葉とともに、ただならぬ様子の同僚を交代で見張るよう命じられた手前、おめおめと逃がしたということを打ち明けにくいという彼の心中は、察するに余りあった。

 何せ相手はアレックスだ。兄であるセシルだって身がすくむ。

 

(そろそろ、ここの二人も打ち解けてもらいたいと思うけど……いや、このくらいの距離感と緊張感がちょうどいいのかなぁ)


 エリックを拘束していた客間を確認すると、セシルは階段を下りながら、ラスターに母屋の外の物置小屋や厩舎を見に行くよう伝えた。


「僕が屋敷の中を探すよ。おまえがこのあたりをうろうろしてたら、アレックスに見つかるかもしれないだろ」


 そう言われたラスターは、眉尻を下げて謝罪と礼を口にすると裏口へ足早に向かった。

 それを見送ったセシルもまた目的地へとつま先を向けた。


(……まず、クッキーをもらおう)


 客間には誰もいないと、ラスターの言った通りだった。

 しかし、床に落ちた縄のそばには、果物ナイフを手にした亜麻色の髪のピクシーが、機嫌よさげに佇んでいたのだ。


 ***


(エリックの縄を切った、あの妖精に事情を話してもらわなきゃ!)


 皮肉にも、エリックは昨夜大層冷たい言葉でこき下ろした妖精のいたずらで脱出したのだと考えていた。


「あらセシルぼっちゃま……失礼しました、セシル様、何か足りないものでも?」


 厨房では使用人たちが食事中だった。突然の若君の闖入に驚く彼らの邪魔をすることを申し訳なく思いつつ、立ち上がって懐かしそうに近寄ってきた大柄の女性に、クッキーと温かいミルクをもらいたい旨を伝える。


「あら、それは勿論構いませんが、エリックとはすれ違っちゃいましたか?」

「……は?」


 朗らかに笑って言われた思いもかけない言葉に、セシルはぽかんと口を開けた。


「さっき、ディフレッドさんが朝ごはんをお運びしたすぐ後にエリックが来て、『セシル様の朝食にはクッキーとミルクが必要なんだ』って言って持っていきましたよ」


「……え?」


「もっと必要ならすぐご用意しますが、そんなにお菓子を食べて、パンをお残しになってちゃ、また奥方様に怒られますよ」


 古くから勤める中年の女料理人は、若い使用人が狼狽えるのも構わずにそう茶化したが、セシルはそれに笑って返すことも、むくれて反論することもできなかった。


「……とりあえず、準備して。すぐ持っていくから」


 セシルのまとう空気の豹変に気が付かず、料理人は「あらあら」と幼子を見るように目を細めてから厨房の奥に入ると、鍋にミルク瓶を傾けた。


(自由になってから、クッキーとミルクを調達してる。縄切りのお代? いや、声が聞けないのに、そこまでわからないよな? いや、でも妖精の笑い声が物音に混じって聞こえるって……)


 ぐるぐると渦を巻き始めた思考は、暖められたミルクとクッキー皿がトレーに乗せられた音で現実に戻ってきた。トレーを運ぼうとするメイドを遮って、自ら持つと厨房を飛び出した。


「……成長期が来たのかしらねぇ。あ、ところで果物ナイフ、まだ見つからないかい?」


 女料理人は、自分とさして目線の変わらなかった若君の後姿を見て、しみじみ呟いた後、後輩に失せ物の行方を尋ねた。


  ***


 出窓に引かれたままのカーテンの隙間から、朝日がまばゆく差し込んでいた。雇い主の息子の部屋と並びが同じというだけあって、日当たりがいいのだ。

 筋張った手がそのひだの端をゆるくつまみ、片側に寄せた。

 日光を部屋に入れるためでも、二階の窓から外を眺めるためでもない。


 出窓に置いた皿に、カーテンの端がかかってしまっているのを几帳面に直しただけだった。

 そのまま、隣に置かれたカップの中身も覗きこむ。湯気は立っていなかったが、カップの上部を持って中身を見た後、ゆっくりと傾けないように元の場所に戻した様子からは、まだ中身が入っていることを表していた。


「朝方は、持って行かないんですね」


 扉が開く音にも振り返らなかったということは、廊下を走る足音で気が付かれていたのかもしれないと、今さらセシルは自分のうかつさに気が付いた。


「……一晩中遊んだピクシー達が、もうじき帰ってくる。そしたら、その皿の中もカップの中も、すぐ空になるよ」


 扉のそばに佇むセシルは、息を整えてから、独り言のような感想に答えた。昨日の夜と変わらない出で立ちで窓辺に立つエリックは、いつも通り背筋をまっすぐ伸ばしていたが、その声にいつもの張りはなかった。そこも、昨日の夜と変わらない。わずかに振り返った顔は、逆光で色濃い影に覆われていた。


「ラスターは、私が厨房に行っている間にこの部屋を確認したんでしょうね。扉が開いていました。……なんですか、そのナイフ」

「…………い、いや、ちょっとここ来る途中で回収しただけ」


 なんとなく、果物ナイフを背後に隠してから、セシルは静かに本題を切り出した。


「で、一昨日の夜も、そうやってクッキーとミルクを置いておいたの」


 セシルは厨房でクッキーとミルクを受け取って、そのままもとの客間へ急いだ。

 そこにいた見慣れないピクシーの鼻先にミルクとクッキーをちらつかせて、果物ナイフで虜囚の戒めを解いたことをききだした。そこまではセシルの予想通りだった。

 問題は、その男がどこに向かったのかを訊こうとした時だった。 


『クッキーは縄を切ってから貰ったんだから、ついさっきだよね? そのあと、そいつどっち向かった?』

『えー、全然さっきじゃないわよ? そもそもあたいたち、こっちの声が聞こえてないヤツの後払いなんて期待しないもん。あののっぽは一昨日の夜に、窓んとこにクッキーとミルク置いといてくれたから、お礼に縄を切ってあげただけよ。あたい、あのショートカットのよそ者と違って、義理堅い方なの』

『……おとといの、夜?』

『そうよぉ。いつもは掃除するだけの部屋に、めずらしくベッドにシーツもかけてあったから、いたずらのしがいがあるなって思ってたの。なのにあいつ、夜はクッキーとミルクだけおいて、ぜんぜん部屋に戻ってこなかったわ。……ねぇ、そのクッキーもう一枚ちょうだい?』


 気に入ったのか、朝日を反射させて遊んでいたナイフをクッキーと引き換えに取り上げると、セシルは結局自分の部屋へと戻ってくるはめになったのだった。従者にあてがわれた部屋は、主人の隣だった。


「一昨日の夜に置いたクッキーとミルクは、皿だけ残してなくなっていました。部屋の鍵は閉めませんでしたから、だれかが摘み食いしたんでしょうね」


 静かにセシルの方を見返したまま、淡々と紡がれる言葉に、反論しようか迷った。エリック自身、その言葉を心底信じているわけがないと、セシルにも分かるからだ。


「……なんで?」

 

 悪魔だと言ったのはほんの数時間前だ。

 妖精にクッキーを与えるセシルの行動を怪物だと、理解不能だと言い切った翌朝に、戒めが解かれて最初にしたことは、妖精にクッキーとミルクを用意することだった。

 それどころか、一昨日の夜にも、同じように窓辺に用意していたのだ。

 セシルを裏切った夜にも、だ。


 窓辺にクッキーとミルクを置いておけば、幸運を運ぶ妖精がやって来る。親が子供に聞かせる、迷信に混ぜられた真実。


 応えまでに、わずかな間があった。窓と主人との間に立つ従者の姿は、逆光で影が濃かったが、夜の教会で燭台に照らされた顔よりずっと、セシルにはよく見えた。

 口角も上がっておらず、瞳も細められているわけでは無い。にこやかさとも、優しさとも遠い表情だった。


「別に、ただの興味です」


 ぞんざいともいえる態度だった。


「ただ、コソコソしている奴らのあさましい痕跡を、間近で見てみたかっただけです」


 それでも、静かな、聞きなれた声音が、セシルの緊張をゆるやかに解いた。

 

「……自分の主人の敵が相手なのに、あの髪の長い妖精は、こんな質素な菓子でつられてしまうんですね」


 窓から差し込む光がまぶしくて、セシルは少し目を抑えた。

 妖精が人間に姿を見せるのは、襲撃のときと、恩返しのときだ。


「一応言わせてもらうと、縄を切ったその子は、キーラとは別の妖精だよ」


 そう、残念だな。そう呟くと、エリックはまた皿の上に視線を戻した。


 そんなに見つめていたら、妖精は欲しくても手を伸ばせないよ。

 そう言おうか迷ったセシルの耳に、近づいてくる足音が響いてきた。


「最後に一回くらい、小さなお嬢様の尻尾を掴みたかったのに」


 じき、足音の主がこの部屋に到着する。エリックは、すぐそばで指をくわえて立っている小さな住人の気配に、気が付いていなかった。

 

 ピクシーに尻尾はないよ、と言うには、時間が足りなかった。



「せ、セシル様、落ち着いて!! そんな、ここでエリックに制裁を加えるなんて!!」


 背後に隠した果物ナイフに、なにかを勘違いしたラスターが飛びかかってきてしまったから。


 

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