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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第六章 監督不行届

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贈り物

「セシル様、お加減はいかがです。……え、エリック? はて、お近くにいるとばかり思っていたもので……」


 ディフレッドの戸惑うような言葉を受けて、顔を見合わせた二人はすぐに外出の準備を始めた。

 心配そうなディフレッドに着替えを手伝ってもらいながら、セシルは竜をどうしようと考え、小麦色の髪の妖精を探した。すると、あいかわらず足元の妖精たちを見ないようにするアレックスの影に、しゅるりとトカゲのような、蛇のような赤い尾が吸い込まれていったのを見たものだから、緑の目を瞬かせた。


「……ちょっと僕の陰に入ってごらん」


 もしかして、と思ったセシルの言葉に、ディフレッドの靴紐をほどいていたキーラが「何言ってんの?」と言いたげに眉を寄せた。

 代わりに、セシルの靴紐を結びながら不思議そうな顔を一瞬で隠したディフレッドが無言でセシルの陰の中に移動したので、セシルはちょっと気まずい思いをした。


 ***


「エリック・ジョナ? 茶色い髪の、背の高い男? さあ、知らんな。日がな一日森を眺めてれば給金が入るご身分と違って、こっちは忙しいんだ」


 夕暮れ時の役場のロビーで、小太りで口髭を蓄えたジョン・ログスターはそう言うと不機嫌そうに鼻をならした。身分を隠して自己紹介した二人のことを、どうやらディフレッドの使用人だと思ったらしい。

 エリックとローズの居場所の手がかりを求め、手始めにと村役場へやって来た二人だったが、従者への疑いを認めたくないセシルは瞬く間に気分を急降下させた。


「……この小さな村に、余所者が来たら目立つって言ってたのはあなたじゃありませんか」

「知らん。何度も言うが忙しいのだ、とっとと帰りたまえ」


 これ以上同じことをきいても時間の無駄だと先に判断したのはアレックスだった。


「では、リンデンからの視察官はどちらに? 我々はその人にも用があるのですが」


 カウンター越しに対応する村役場の長は、さっきから持っているだけで何もしていない書類をめくる手を止めて、今度はニヤニヤと嗤った。


「ほほーう。それは残念だったな。視察官殿は一昨日いらっしゃって、昨日の夕方にはもう帰路に着いてしまったさ。今朝がた、ワシに餞別の品とやらを送ってな。お前たち、なんの用があったか知らんが、向こうはそちらに用はなかったようだな?」

「……くそじじいが」

「あっ!? なんだと貴様!? ……うわ! くそっ、誰だこんなところにインク瓶を置きっぱなしにしたのは!!」


 小妖精がカウンターのインク瓶を小太り男の肘そばに置いていたことを、兄弟は見て見ぬふりをした。ガシャッという音と共に黒く染まってゆく袖に、キーラが手を叩いてはしゃぐのも。


「……彼女は、昨日からこの村に姿を表してないんだ。さっき森を出てそのままダンリールを出たのかな。怪我はどうしたんだろう」


 てんやわんやとなったカウンターの向こうに背を向け、セシルはアレックスに耳打ちした。


「さぁな。怪我の具合がわからないし、俺にはなんともね。ただ、ここに長く留まりたくはないだろうけどな」


 アレックスが一瞬視線を送った方向を確認すると、カウンターの向こうにいる職員たちがチラチラとセシルたちの様子を窺っていた。

 見渡せば、屋内にいる少ない来訪者も皆一様に見慣れない兄弟の動向を気にしている。身を隠したいローズには居づらい村だと思われた。

 勿論、エリックにも。

 

(……どこに行ったんだろう)


 逃げたのだろうか、セシルもアレックスも城から帰ってきたものだから、彼は焦ったのではないだろうか。ローズはアレックスだけを殺すつもりだと言ったが、エリックもそれを知っていたのだろうか。――アレックスに連れられ、意識のないセシルを見たとき、彼はどう思ったのだろうか。

 黙って考えていると、セシルは、ずし、と胸に重しを載せられたような塞ぎこんだ気持ちになった。なぜ、いつから、という疑問と、まだ確証はないという弱々しい否定が交互に脳裏をよぎる。


「……そうですか。ありがとうございます」

「いえ、あの、お役にたてたのなら、その、何よりよ」


 はっと意識を取り戻したとき、カウンターから響いていた不機嫌な小男の声はなく、かわりに若い女性がアレックスと話す声が聞こえた。セシルが思考の小道をさ迷っている間に、アレックスは友好的な村人に話を聞いていたらしい。


「アレックス!! その小娘なんなの~~!!」


 ほほを赤く染めた村娘に突進しようとする妖精を必死に足で押し止めながら。


 セシルはさりげなく表通りで買ったクッキーの袋をちらつかせて、アレックスからキーラの注意を引こうとした。


「セシル、どうもエリックのやつ、ついさっきここに来たみたいだな。で、そこの掲示板を確かめたあと、すぐに立ち去ったんだと」

「掲示板?」


 セシルが不思議そうに繰り返すと、アレックスの方をチラチラ見たままの村娘が「あれよ」とロビーの隅に立て掛けられたコルクボードを指差した。


「役場からのお知らせの他に、失せ物捜索のお願いとか、求人募集とか、ほんとは役場の許可がいるんだけど、みんな勝手に使ってるわ」


 娘はたまたま、背の高い見慣れぬ男がその掲示板を眺めているのを目撃していたと言った。


「で、掲示物を一枚取っていったわよ」

「えっ、剥がしていったの?」

「よくあるのよ、個人宛のメッセージを書き置きみたいに貼り出しておくの。ここじゃみんな幼馴染みとか親戚みたいなもんだから、名指しでメッセージを書いとくこともあるし、ログスターさんも最初は怒ってたけど、みんなやめないから、もう注意するの諦めちゃって」

「……どんな内容か、見た人とかは……」

「うーん、私はさすがにそこまでは。でも、ログスターさんは見てると思うわよ。勝手に捨てると揉めるけど、一応犯罪に繋がるものが無いかとか気にしてるみたい」


 ジョン・ログスターについて、性格は問題ありだが、職務には忠実な男なのかもしれないとセシルは思った。


(ローズ様が接触してきた時の様子とか、エリックが見ていた貼り紙の内容とか、教えてほしいんだけど……)


 どうも、役人ですら入れない森の監督権を一任されているディフレッドへの対抗心が剥き出しにされているようだった。


「……ログスター殿、視察官は本当に土産なんて置いていったんですか? かの……彼はそんなことをするタイプの人間じゃないんですが」


 アレックスが不機嫌顔でカウンターの向こうを横切ったログスターに声をかけた。小男はリンデンからの使者に礼をされたという優越感を刺激されたのか、眉間の皺を消してにんまりと笑った。


「疑っても無駄だ。やはり王都で働く者は年が若くても礼儀を知っているというものだ、田舎者とは根本的に違う」


 王都から来た兄弟は不快な相手の表情を見なくて済むよう、後方一メートル前後に焦点を合わせて「「へぇ、それはそれは」」と調子を合わせた。


「しかしお前たち、王家から森を任されてるとか言っていたが本当かね? 視察官はジョナの家に行きたがっただけで他には目もくれなかった。どう考えてもお前らを怪しんでいるとしか思えんなぁ」


 セシルは聞き流そうとしたその言葉に目を丸くした。アレックスもわずかに片眉を上げ、いぶかしむような顔つきをしていた。


(ローズ様は、自分で会いたがって案内させたのに、ディフレッドの前では一言も話さなかった?)


 二人の様子を都合よく解釈したのか、ますます気をよくしたログスターは「羨ましいなら見せてやろうか? ん?」と、思いがけない提案をして来た。


「え、いやっ……、っ!」

「願ってもないことです。是非」


 セシルは男への嫌悪感から反射的に断りそうになったが、アレックスに足を踏まれ、すんでのところで言葉をのみこんだ。そのすきに美しい笑顔とともに相手の懐に入り込んだアレックスと、クッキーの袋をじっと見つめるキーラと共に、人のほとんどいない役場の閉所時刻を待った。仕事を早退しない主義の小男に、ローズの置き土産のもとへ案内させるために。



 ***



「視察官殿はワシが花が好きだと言ったことを覚えていたらしくてな、今朝家を出る前に手紙と共に植木鉢が届いたのだ! きっとリンデンへの帰途で良い苗を見つけて、ワシのことを思い出してくださったのだろうなぁ」


 村の中央から程近い、庭付き屋敷の小さな門をくぐると、そのまま庭へと通された。

 ひと際自慢げにログスターが指し示す家庭菜園の横には、緑生い茂る植木鉢がちょこんと置かれていた。木ではなく苗と言えるそれは濃い緑の大きな葉を何枚も持っているが、花は咲いていない。

 こっそりとキーラにクッキーを一枚渡しながら、心なしか、セシルにはその植木鉢が、溢れんばかりに育った苗にたいして小さすぎるような気がした。


「……これは?」


 じろじろ見たアレックスの問いかけにログスターはよくぞ聞いてくれたと胸を張って語り始めた。しかし、セシルよりなお小さい背を反らして顎を上げて話すものだから、はたから見るとアレックスを見上げるような図になっていた。


「置き手紙によると、これはブランデンではほとんど見られない珍しい花だそうだ。温かい海に近い国でしか育たないらしくてな。秋に美しい花を咲かすらしいが、その前にこの苗をもっと大きな鉢に移してくれとのことだ。このダンリールでは夏でも寒すぎる。外では育てられないから、丁度いい鉢を用意しておくよう妻に言い置いていたところだ」

「へぇ。こんな寒い土地で咲くとは思えませんけど、随分丁寧な説明付きの贈り物ですね」

「あっ!? なんだと貴様!? ……お、ちょうど鉢が用意できたようだな」


 振り返ると、門から夫同様に背が低くふくよかな女が、両手に抱えるような植木鉢を持って入ってきた。

 

(この苗がローズ様から? なんの苗だろう……いや、そもそも今朝、もうあの人は城の中にいたんだから、誰かが代わりに贈る手続きをしたということ? ……エリックが?)


 背後で何事か話し始めた夫婦を尻目に、セシルもまじまじと緑の葉を見つめた。


「……セシル、これ」


 アレックスが低い声で指摘したのに従い、その指先を見た。色濃い緑の葉陰、植木鉢の中の土の上に、セシルの拳ほどの大きさの妖精がいた。紺に近い、青い髪で、幼子の姿をして、しきりに両腕をさすっている。


「……こんにちは。寒いの?」


 セシルは背後の夫婦の様子を気にしてから、ごく小さな声で妖精に声をかけた。しかし、苗の陰に隠れようとする妖精は、話しかけてきたセシルに驚いたような顔を見せたが、小さな口をつぐんだまま、一言も発さない。

 妖精が潜む草や花は珍しくないが、口数少ないというのは珍しい。彼らは大抵ひそやかなお喋りが大好きだからだ。


「何の苗だ?」

「わ、わかんない」


 二人がひそひそと囁きあっている間に、ログスターは真新しい鉢を抱えて戻ってきた。


「まったく、ここ最近よそ者が多いようだ。役場が閉まってから守衛にワシを尋ねに来た女がいたらしい」


 その言葉にセシルは飛び上がった。ローズではないかと思ったからだが、「居合わせた妻が明日出直せと言ってくれたようだがな」と言うのを聞いてさらにやきもきした。


「お、奥さん、その人は金髪で目が紫色の、美しい人だったのでは!?」

「はぁ? 全然違ったわよ。ていうかお前さん、ほんとに今移し替えるのかい? もう日も暮れるのに」

「うるさい。こんな狭い鉢では苗がかわいそうだし、せっかく頂いたのだからな」


 夫婦は時間外にやってきた客人のことはもう興味がないのか、見慣れない植物のことにかかりきりになってしまった。


「……奥方、この鉢についていた手紙を見せていただけませんか」


 アレックスの言葉にめんどくさそうに顔を上げたログスター夫人は、相手の顔を見るや小さな目をまん丸く見開き、赤く染まった頬を抑えて「ちょ、ちょっと待っておくんなさいね」と、そそくさと家の中に入っていった。

 夫人の対応の差にセシルが唖然としていると、ジョン・ログスターは腕まくりをしはじめた。本格的に、セシルたちを放置して土いじりをするつもりのようだった。


「……あの、今日、掲示板にはどのような貼り紙があったんですか? 見慣れない内容とか、ありませんでしたか」

「うーん? さて、どうだったか。そうそう、貼り紙と言えば、視察官殿も最初にワシに会いに来た時、掲示板の使い方を気にしておったな。まったく、図々しい使い方をする村人ばかりで恥ずかしいものだ」


 上機嫌でスコップを選び始めた男が何気なく話した内容に、セシルはローズとエリックが掲示板でやり取りをしたことを確証した。それにしてもこの役人、本当に役場の中では意図的に情報を出し惜しみしていたようで、苦々しい思いが広がった。


「はぁ、そうですか……で、具体的には」

「セシル、アレックス、耳ふさいで」


 気を取り直して質問を重ねようとしたセシルだったが、それを遮るように、小さな妖精の手がその袖を引いた。

 アレックスにもかけられたその声に、兄弟がきょとんと金色の瞳を見返す。

 キーラはクッキーがまだ口の中に入っているのか、もごもごと唇を動かした後、掘り出されようとする緑の苗を見てもう一度言った。


「はやく耳ふさいで。でないと」


 後を引き継ぐように、闇に溶けたアレックスの影から楽しそうな少年の声が響く。


「死んじゃうよ。妖精の泣き声に、人間は正気を保てない」


 息をのみ、セシルは植木鉢の妖精を探した。妖精は苗の根元にまだ佇んでいる。

 鼻歌交じりに、ログスターが小さな植木鉢の土にスコップを差し込む。黄ばんだ土がほぐれ、粘土色の根が僅かに顔を出す。

 青い髪の妖精が目を見開き、両腕を強くさすった。泣き出す直前のように、金色の大きな目に涙が盛り上がる。

 屋敷から手紙を持って夫人が帰ってくる。焦った顔のアレックスが口を開く。

 小さな花の妖精の口が、大きく開く。

 竜の少年の言葉が頭にぶり返す。


「死んじゃうよ」


 セシルは左肩の痛みも忘れて男にとびかかった。

 


 ***



「――マンドレイク。コルメルサやヴェノッサといった、温かい海に面した国で育つ花。根は毒にも薬にも、媚薬にもなるけど、土から引き抜く際に赤ちゃんみたいに大きな泣き声をあげて、それを聞いた人間を狂い死にさせてしまう、魔法使いの秘密の庭を彩る草。だからこの根を手に入れるときは、罪人を使うか犬の首輪に紐で繋げて引っ張らせるのが常套手段」


 うずくまるログスターの耳を両手でふさいだ真っ青なセシルの視線の先には、植木鉢から苗を引き抜こうとする太ましい男の手と、その手首から肘にかけて置かれた赤い革の旅行鞄、その取っ手を持つ、セシルの背後からのびてきていた華奢な手があった。男の腕は載せられた重みに負けて、苗のほとんどを土に残したままで、妖精は大きく開いた口をゆっくりと閉じていった。


「……なんて言い伝えもあるんだから、気をつけなきゃだめじゃない、お従兄(にい)さま」


 白い手から肘、レースの袖に覆われた二の腕とその先の肩、そこからつながる、ブルネットが縁どる苦笑した顔へと、セシルの視線は動いていく。背後を振り返った若草の目に、驚愕の次には安堵が広がっていった。


「背後からごめんなさいね、こんにちは……重ねて失礼、こんばんはログスター殿。こちらの苗はわがバーティミオン商会から盗まれた貴重な商品、一旦返していただきますわね?」


 鞄越しにマンドレイクの苗を持つ両手を押さえつけたまま、猫のように琥珀の瞳を細めて、スカーレットは優雅に笑った。


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