竜との取引・2
「で、あの、アレックス、あのさ」
気まずさをどうにか飲み下し、セシルは三度アレックスに問いただそうとした。
「そういやあんた、閉じ込められてたって話だったけど、どうやってだよ。疑いやしないけど、普通物置に外から閉じ込めるタイプの鍵はつけないだろ」
「……」
「チョコと氷の閂がかけられてたの!」
セシルが三度目の邪魔をされてもキーラが元気よく答えたので、アレックスは「……ふーん、じゃ、キーラはその閂に触れないな」と勝手に会話を進めていた。
「アレックス」
「そういや、まだ中を見てない本があるんだが、あんた古い文体でも正確に読めるか?」
「『箱庭』はあとでいい。腕の怪我のことだけど、竜、の分霊と取引したよね?」
四度目の話題転換を阻止したセシルは、書籍に手を伸ばそうとしたアレックスの沈黙を肯定と受け取った。仕方がない、金の瞳がみている場所で、セシルの前で嘘はつけないのだ。
「……助かってよかった。正直、きみ背負って森を抜けられるか分からなかったし」
これはこれでセシルの本心だった。
「でも、そのために代償を求められたはずだ。妖精は無償で人間に協力したりしないから、魔法を人間のために使うなら取引か、恩返しだ。……だったら取引だろ? そして、その内容は、僕には言えないんだろう。多分、父さんにも」
机から手を離したアレックスはまだ何も言わない。しかしセシルにはアレックスの心にじわじわと苦しみが広がっていっているように思えた。
セシルの脳裏に、血を流しながら銃口を向けてきたアレックスの顔が蘇る。違う、今は責めたいわけでは無いのだと自然に早口になる。
「信用できないんだね。僕はアレックスが抱えてきた思いが、その、正確にはわからないよ。……ごめん。だから信用されてないんだろうし、そういう僕の能天気な気性が疎ましがられても仕方ない。だから、つまり、竜と取引したときのきみが僕を憎んでても仕方ないと思ってる。竜の目の効果があろうとなかろうと。ただ……」
セシルは自分の伝えたいことが頭の中でまとまらなくて、つい腕の中のキーラのつむじを手慰みにぐるぐるとなぞった。それが不快だったのか、キーラは身をよじって下りる意思表示をしたのでセシルは彼女の望むとおりにした。腹の前に抱えていた重みと温かみがなくなって、セシルは正真正銘一対一でアレックスと向き合う羽目になった。
「ただ、何回もいうけど僕はきみに害を与えたいと思ったことはないんだよ。……キーラと一緒に妖精界に行ったらと思ったことはあるけど、いや、でもそれだってやっぱり間違った考え方だと思ったし!」
アレックスが顔をセシルの方に向けた。この話題で誤解されたくなくてセシルは後半に一層早口になったが、アレックスが小さく「知ってる」と言ったので肩の力が抜けた。妖精の求愛に関する注意はセシルが最初に彼に教えたことだ。
「できれば、ちゃんと今の状況を話してほしい。これは僕にとっても、他人事じゃないんだろ」
最後にセシルは力を込めてアレックスの目を見つめた。見つめられた灰色の目は苦しげに歪められていたが、す、と床に視線を落とされて、見えなくなった。
「――確かに、あんたにとって他人事じゃないけど、でも言えない。言いたくない」
ここまで言ってもダメなのかともの悲しい気持ちになり、セシルはぽろりと思ったままのことを言ってしまった。
「ローズ様……ローズ、には言わないよ」
「…………え?」
灰色の目がまた緑の目と視線を合わせた。
無意識にこぼした言葉に焦ったセシルだったが、それまでと異なるアレックスの反応に、やはりこれが正解かと勢い込んだ。自分の想像は間違っていなかったのかもしれないと緊張しながら。
「ろ、ローズには言わない。彼女、僕たちと竜の分霊とのやり取りの詳細は知らない筈だ、巻き込む必要はない。それに、僕だって妖精界にローズを奪われる気はないし……。あ、いや、深い意味はないけど! ……まあ、率直に言えば、君がしようとしたことは、許せないけど、もうすっごく許せないんだけど、僕は今ここできみを責めないよ。だって君からしたら仕方ないもんな、うん、まあ、ちょっとは、なんでよりによってローズなんだとは思うけど!!!」
だんだんと熱がこもるセシルの話ぶりに、アレックスが混乱した様子で待ったをかける。
「待った、待った待った待ってくれ、あんた一体何を言ってるんだ?」
セシルの勢いは、止まらなかった。
「だから、いくら取引したからと言って、僕はローズ……ていうか、無関係なご婦人を竜に渡したりしないし、その責任を君一人に追わせたりしないってこと!!」
アレックスの見開かれた目と一言も返されない声に、セシルは自分の予想が当たってしまっていたのだと確信した。
「わかるよ、そりゃ。いい目の付け所だよね。僕にとっては大ダメージで、しかも彼女が突然消えてもだれも、父さんだって、この城にいるアレックスが関わっているとはきっと考えない。
極めつけに、彼女ほどの美人でしかも王族なら男の妖精はみんな文句なしだ、どんな取引だって飲む。女の妖精だって欲しがるかもしれない。あいつら美形と、高貴な血筋が大好きだから」
セシルは視線を落として奥歯をかみしめた。言えば言うほど、あの悪魔のような女性の魅力を思い出してしまう。終わらせたはずなのに、諦めたはずなのに、嫌な女だとわかっているはずなのに、心底悔しかった。
アレックスの頑なな心をほぐすはずが、セシルの言葉と思考は完全に単独で遠くを走っていた。セシルには、そのときのアレックスの戸惑いの真意はわからず、ただただ事実を言い当てられて呆然としているものとばかり思っていた。
「起きたもんは仕方ない、でもこういうこと、ひとりで抱え込むなよっ! ローズのためにも、君自信のためにも!」
アレックスが呆れと後ろめたさと安堵で何も返せないのを見計らったかのように、「セシルーセシルー、金髪女、ここに描いてあるよ!」と幼い声が割って入った。
見ると、彼女は机の上に上り、先ほどアレックスが手に取ろうとしていた『箱庭』を開いていた。
「キーラ、またそんな勝手に触って……これ、この城の見取り図?」
二人がのぞき込んだ見開きには南の城門周辺の見取り図が色つきで描いてあった。『箱庭』とは、ジオラマのように上から城の様子を表していることを意味していたらしい。図の中のいたるところに書き損じなのか、汚れがついているのが気になった。
キーラがバチバチと紙の上を叩くので、セシルは「こら」とその小さな手を掴んだが、アレックスは紙の上をじっと見つめてぼそりと呟いた。
「……本当だ。ローズだ」
「え?」
アレックスはキーラが叩いて皺だらけにした部分を指さした。南門が描かれたページのすみの余白を、じっとセシルも目を凝らすと、そこに小さく人型が描かれていた。金の長い髪が波打ち、男物の服装だが点のように描かれた目は間違いなく紫のそれである。
近くの汚れはよくみれば狩人ハーンであった。その他の点がピクシーや花木の妖精を描いているとわかり、この見取り図はただの資料ではなく、城内や周辺にいる人間と妖精を現状に即して知らせる魔法書であったかとセシルは驚愕した。
だが、失われた秘術よりもセシルには気がかりなことがあった。ローズの人型は、城門の前の橋の真ん中にいた。少しずつ、森に向かって動いているようにも見えた。
「……あの人、橋を渡ってる。この城への入り方を知っているのに、鍵なしじゃイチイの妖精を呼べないってことはわからないのかな」
「……そういえば、ローズはこの城と鍵のこと、どこまで知ってんだろうな。例えば、金貨を複数渡せば鍵もその分手に入ることとか」
キーラから『箱庭』を取り上げ、アレックスはパラパラとページをめくり始めた。何かを探しているのか、その目は鋭く左右を行ったり来たりしている。
セシルの方は、アレックスから指摘された可能性に、ひゅっと息をのんだ。
「……!! で、で、でもローズは銀の銃を撃ったから、妖精に嫌われてるって知ってるはずだよ!! ……半刻経てば、それも帳消しになるだろうけど」
「それ、ローズに言ったか?」
「聞かれたけど、言ってない!」
「でも、試すだけなら減るもんじゃないし、時間をあけてからもう一度やってみようと思うかもな。向こうは進退窮まってるわけだし」
「た、大変だ! 逃げられる!」
焦るセシルは「だから目ぇ離すなっつったのに……」とぼやくアレックスがもつ魔法書に横から手をだしページを遡った。すると、さらに心を追い立てる光景が目に入った。
ローズが橋を渡った先、イチイの木の近くに黒い馬の絵がある。
ただの馬の可能性もあるが、普通森に野生の馬は棲みつかない。セシルはここに来る前に見かけた獰猛な人食い馬の影を思い出した。厄介なことに、普段は隠れている妖精でも獲物を狩るときは意図的に人間の目に映ってくるのだ。リャナンシー然り、人食い馬たるケルピー然り。
もし彼女の手にドワーフの鍵があっても、誘惑する妖精はその鍵を捨てるように誘導するかもしれない。それを振り切れずに馬の背に乗ったら、竜に攫われる前に死んでしまうだろう。
セシルは棺を避けて扉に飛びついた。ガチャ、と錠前が冷たい音を立てたので、急いで懐に手を入れようとして、入れるべき懐がないことに気が付いた。
「あ、上着の中だ!! あああアレックス、鍵、鍵貸して!!」
「待てって、ちょっと」
「はやく!!」
セシルは今度はアレックスに駆け寄ってその上着の内側に勢いよく手を突っ込んだ。本で両手がふさがっていたアレックスは咄嗟にどうすることもできず、なすがままだった。
「ぎゃっ!!」
「先行くね!!」
セシルがこれを申し訳ないと思ったのは一瞬だった。だって彼も似たようなことをセシルにしたと思い出したからだ。
「……っ!! おいセシル、待て!!」
「待たないよ!!」
「待てって、開けんな、駄目だ!」
セシルの右手は鍵を穴に差し込み、その勢いのままに回した。ガチャリと音がして、部屋の中が持ち込んだ燭台の明かりひとつになるのとほぼ同時に、セシルは体当たりをするように扉を押し開けた。暗い廊下へ、遮るものは何もなかった。
「竜がこの部屋の前にいる!!」
アレックスの叫びと、セシルの緑の目が、暗闇で光る金の瞳が黒く丸い瞳孔をたたえて階段下から見上げてきているのを認めたのもほぼ同時だった。にた、と少年が歯を見せて笑ったのがうっすら見えた。
「待ってたよ」
竜の分霊は鍵の開いていた北の塔の入り口から上がってきて、階段でずっと二人が出てくるのを待っていたのだ。
セシルは思った。これはいけない。
セシルは部屋から出た勢いそのままに階段を駆け下りた。妖精が目前に迫る。笑みを浮かべていた妖精は、ひるまないセシルに、わずかに眉を潜めた。
「ちょっと、おまえ」
「ダンリールの竜!! おまえ、僕の好きな人と弟に手出ししたら許さないからな!! どうせ、取引は『アレックスの怪我が治ったらすぐ』なんて一言も約束してないんだろう!! それならあとだあと!! 僕の用が終わってからだよわかったか!!」
セシルはろくに足元も見えない階段でダンリールの竜の分霊に走り寄り、その肩をガッと掴んで一方的にまくしたてると、すぐにその脇を転がり落ちるように階下へと駆け下りていった。数秒後にズダダダダ、と大きな音をさせて、足を踏み外したことを周囲に教えながら。
階下に竜が見えたとき思った。これはいけない。こんなところで道草を食ってはいけない、と。
(今は、あいつにかまってローズをケルピーのえさにするわけにいかないんだ!!)
転げ落ちた塔の入り口で、尻を抑えながら立ち上がったセシルは、奥歯をかみしめて南門へと走った。
***
竜は呆れた目を階下に向けていた。
「あとで、て。あの男そればっかりだな」
「嫌なことはあと回しにする奴なんだよ」
竜が声の方へ目を向けると、燭台を片手にした黒髪の男もまた、廊下に出てきていた。足元で落ち着かなさげにしている妖精に燭台を持たせようとしたが拒否されて、仕方なさそうに床に置いて部屋の鍵を閉めた。
その灰色の目は常に階下の妖精へむけられており、できうる限りの警戒でもって相対していることは明白であった。
「ふぅん。まぁいい。何言ってるのかもよくわからなかったが、あの男との取引は終わってる。あとはお前だけなんだ。ちゃんと、約束は、覚えてるだろうな?」
竜は、目を細めて下りてくるアレックスにさらに笑いかけた。舌なめずりでもしそうな機嫌のよさだった。
「勿論忘れてないさ」
「そうか、ならいいが」
竜はそこで言葉を切った。自分の額に冷たいものが突き付けられたからだ。
黒い銃だった。
「お、おまえ、なぜ……」
「バラが唯一の弱点なんだって? もしかして、この銃もお嫌いかな。きれいな細工だぜ。金はお前ら妖精のお好みじゃないのかよ」
竜が怒りを目にたたえてアレックスを睨みつけた。するり、と少年の姿の背後に長い何かが波打った。尾だ。
「分かっていないのか? 俺を封じこめても、取引が成就されてないなら呪いは残る。おまえ、遅かれ早かれろくな死に方しないぞ」
「へぇ、やっぱりお前にはこれも効くのか。確かめられてよかった」
アレックスのそばで、キーラも動揺を隠せない顔をしていた。キーラは自分よりはるかに強い妖精の分霊も、燭台の上の炎も、銃も嫌いなのだ。
「別に、ここで撃ったりしない。それは最終手段だ」
アレックスの言葉に竜が眉を寄せた。
「ただ、さっきセシルが言った通り、取引の成就はあとだ。それこそ、おまえも俺も期限なんて提示してなかっただろ。今あいつに不審死されたら、助かった俺の命も刑死でおじゃんだ」
「そんなの知るか。法律なんか人間の都合だろっ……」
ゴリ、と銃口が少年の額をえぐるように動いた。だまれと言わんばかりに。
「殴られないだけ俺の理性に感謝しろよな。取引の前提をわざと歪めて伝えやがって、俺をそう簡単に玩具にできると思うなよ蛇野郎」
最初から履行できない取引。
この竜は、わざとアレックスの孤独感を煽るようにセシルのことを伝えたのだ。あとから真実を知ったアレックスが苦悩するのを見越して。
冗談じゃない。
アレックスはキーラを伴って階段をゆっくりと下りていった。用心にと、銃はずっとむき出しのままだった。
「キーラ、あいつ、どこに上着置いてった?」
扉の外には相変わらず我関せずな見慣れないピクシー達が歩き回っていた。キーラは銃を気にしながら「竜の間」とだけ答えた。
アレックスは竜の分霊を閉じ込めるつもりで北の塔の鍵に手をかけたが、察したのか扉に体当たりするような衝撃とともに少年が夏の光の中に出てきたので、小さく舌打ちした。肩で息をする少年妖精の腰の辺りから生えていた尻尾はもう跡形もない。
「……っ約束は、絶対守ってもらうからな」
苦々しく吐き出された竜の言葉に、アレックスは侮蔑を隠さない顔で答えた。
「さて、どうかな。うちの兄さん、なかなか簡単には諦めてくれないと思うぜ」




