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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第五章 眠る秘密
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竜との取引・1

「アレックス!? 中にいるんだろ、開けろ!! ていうか生きてる!? 怪我してない!? 左腕はどう!?」

「アレックス、ひとりにしてごめんね! お詫びに結婚しよ!」


 暗い北の塔の最上階、鍵の開けられた錠前をぶら下げておきながらちっとも外から開かない扉をセシルとキーラはそろって力いっぱい叩いていた。

 最初の一叩きで中の人間を死ぬほど驚かせていたとは知らずに。


~~~~~~~~~~~~~~~~


 少し時間は遡る。


 脱いだ上着を小脇に抱え、自身が監禁されていた物置の前から移動したセシルは、再び東の塔の『竜の間』に来ていた。タペストリー一枚なくなっても相変わらず雑然とした部屋の中、妖精の気配はそこらじゅうから感じたが、慎重に見て回っても見つけられたのはピクシーや花木の精などの無害な妖精ばかりであった。


「つっかれた……けど、ここもはずれかぁ」


 木に登る猫のように絶妙なバランス感覚で積み上げられた椅子の塔を上るキーラを尻目に、セシルは深くため息をついて途方に暮れた。流れる汗は、もう気にしていられなかった。


 セシルにも、アレックスが竜に関する何らかの事情を抱えてひとりここに残ろうとしたことは容易に想像できた。詳しいことはわからないが、セシルがローズの後を追っていた間に怪我から全快していたこと、タペストリーの変化を知っていたことからして、アレックスが竜、もしくは竜の一味と取引してしまった可能性は高い。


(その取引がアレックス側にとってかなり不利な条件だった可能性はある。それを、僕にも父さんにも言わず一人で解決しようとしている……なんでだ?)


 伯爵位を争う者として妖精と不用意な取引をしたことを知られたくないから、だとか、捨て置かれていたという恨みすら抱くセシル父子に頼りたくないから、という考えはしっくり来なかった。アレックスの態度の変化は、セシルが東の塔を出てからタペストリーの封印を解くまでの成り行きを白状した時に起きた気がしていたからだ。

 同時に、部外者であるローズがその場に捕まっていたことや嘘を嫌うキーラが異論を唱えなかったことから、アレックスのセシルに向けた誤解が解けた瞬間でもある。


(多分、アレックスが取引したときは、まだ僕を襲撃者として誤解していた。誤解が解けると、アレックスは謝って、僕に何の説明も相談もしないで城の奥に向かった……)


 思い出される先の状況と、アレックスが治療の取引をした可能性が高いことを関連付ければ、彼が妖精に取引として提示したものは、『セシルから殺意を向けられている前提でないと引き渡せないもの』ではないだろうかという考えにたどり着いた。


 部屋の奥まで宛てもなく歩き進んでいたセシルは、その考えにぞっとした。

 これはつまり、『セシルは失ったら困るもの、且つセシルに殺されかけた恨みを持つアレックスはどうなっても構わないと思えるもの』だ。そのうえで大事なのは、これが竜、もしくはその一味が『銃で撃たれた傷を治すという複雑な魔法と引き換えに欲しくなるもの』だということだ。

 セシルと竜にとって価値があり、アレックスはそう思わないもの。しかも、誤解が解ければ、いかに嫌みなアレックスでも何か手を打とうとするくらい、影響の大きいもの。何より、あの場でセシルに相談できないもの。

 それはおのずと限られてくるのではないか。そう思ったからだ。


(……まさか)


「ぴゃぁぁぁ!!」


 セシルの思考は、涙まじりの甲高い悲鳴で四散した。


「っ、キーラ!?」


 すわ襲撃かとセシルはガラクタの山を迂回して幼い声のした方へ走ったが、すぐにその焦りが杞憂だったと思い知らされた。

 セシルがキーラの姿を確認したとき、その妖精は高く積み上げられたいくつもの箱やトランクで出来た塔の上で蹲っていた。ガラクタの塔はゆらゆらと揺れていて、今にも倒れそうであるが、一体どうやって上ったのかとセシルは頭がくらくらした。野次馬で寄ってきた妖精の中に小麦色の頭は見えない。


「…………キーラ、何してんの」

「上ったら下りらんなくなっちゃった!」

「馬っ鹿じゃないのもぉぉ! 落ちたって怪我しないだろお前は!」

「怪我しないからって落ちるのが怖くないわけじゃないもん、痛いものは痛いもん!!」


 こんなときまで木の上の猫さながらに怯えた様子を見せるキーラに、セシルは呆れたため息を我慢できなかったが、助けを求める妹分を見捨てることもできなかった。

 妖精のいる場所はセシルの身長の優に倍はあろうかという高さで、直接は下ろしてやれない。上着を近くの椅子に掛けると、不安定な塔をどうにか崩さないように、と細心の注意を払ってセシルは自分の肩あたりの高さの箱に手を伸ばした。高い塔を二つに分解すれば、キーラが自分で下りてこられるだろうという考えからだった。

 しかし、積み上げられた箱はセシルの予想より、ずっと重かった。

 両腕でしっかり抱え込んだ布張りの箱は、セシルが力を込めても貼り付いたように動かず、しかしながら両腕から伝わった力はギリギリの均衡でそびえたつ塔に確かな一石を投じてしまった。


「ぅあっ!!」

「ふぎゃっ!!」


 やばい、と思ったセシルには、崩れ落ちてくる箱やその中の紙片、宝石、布の塊をどうすることもできなかった。それでもほこりにまみれた箱を手放し、驚愕の表情で真っ逆さまに落ちてくる金の瞳の妖精のために手を広げたのは完全に反射だった。 

 盛大な倒壊音と共に埃が舞い上がる。退屈を持て余した妖精たちがそこかしこで「わぁ」「いいぞいいぞ」と無責任に囁きあう。


「おーい人間、死んだのか?」


 崩れたガラクタの山の近くで妖精の一人がそう声をかけたとき、がこ、と下から木箱を押しのける白い腕があった。ついで巣穴から顔を出すウサギのごとく、小さな金髪頭が隙間からひょこっと覗いた。

 次の瞬間にはがばりと上体を起こしたセシルが、乱れた赤毛にも構わず、自らの腹の上に鎮座する妖精に声を荒げた。


「なんであんなとこにいたの!! なんで大人しくできないのキーラ!!」

「手がかり探してただけだもん!! なによセシルの非力!!」

「なんだとこのチビ!! だいたいあんな上の方に、今日来たばかりのアレックスの手がかりがあるわけないじゃん!!!」

「っ、うぇぇぇぇんセシルがひどい~~~ただ働きさせておいてこの言い草、ひどい~~~~」


 庇ってやったのにお礼も無しかとセシルは憤りながらキーラを腹から退かした。そのとき、塔の崩壊のはずみで入っていた箱から零れ落ちたのか、こまごまとしたガラクタの一つが手に当たった。

 押しのけようとして、それが手のひらほどの小さなキャンバスだと気が付いた。セシルは何げなく裏返しになっていたそれをひっくり返し、そして思わず「ひぇっ」と奇声を上げた。ぴぃぴぃ騒ぎながらガラクタの小山から先に脱出していたキーラも、セシルの様子を訝しむようにして舞い戻ると、セシルの右手の小さなキャンパスをのぞき込んで驚きの声を上げた。


「わぁ、アレックス! ……じゃない」


 キーラの喜色をにじませた声は、すぐに落胆の色に取って代わった。セシルも、サイドに流された長い黒髪が印象的だったので、睫毛の奥からのぞく目が青くなければ、別人だと気が付くのにもう少し時間がかかったかもしれない。胸の辺りから上しか描かれていないが、女性の絵である。

 セシルは端々に目を凝らしてからもう一度裏を見て、画家の名前はないが、描いたと思われる日付けが残されているのを確認した。モデルの名前もわからなかったが、正直なところそれはなくても見当がついた。日付けが十七年前だったからだ。



「……アレックスの、おかあさん、かな?」

 

 つまり、父の愛人でもある。よくよく見れば今のアレックスよりは少し年嵩であった。


「おやまぁ、そうだったの。どうりで見たことある顔だったわけだねぇ」


 今なお床に座り込んだままだったセシルの肩が、しゃがれた声に大きく跳ねた。振り返ると、見慣れない老女妖精バンシーがセシルの手元のキャンパスをのぞき込んできていた。


「きみ、アレックス……この絵の女性に似た男を見たの?」

「ええ、見た見た。つれない子だったけどねぇ、北の塔に入っていったのを見たさ。あの塔の扉が開くところ、あたしゃ初めて見たよ」


 よぼよぼとした妖精が話し終えるより早く、セシルはキーラを抱えて走っていった。


~~~~~~~~~~~~~~~~


 こうしてセシルとキーラは再び東の塔を下り、木片と水、少しのチョコレートが散らかる居住館を通り抜け、北の塔の階段を駆け上がっていったのだった。


「アレックス、どうし――っぅぐ!!」

「うるせーーーっつの、居場所を城中に知らせたいのかって話だよ」


 セシルが渾身の力をこめた拳を振り上げて呼びかけたとき、ちょうど扉が細く開いた。扉に密着していたセシルは外開きの戸に顔をしたたかに打ち付けたが、キーラはうまくタイミングをずらしたのか喜び勇んで部屋の中に滑り込んでいった。小さな足音と「なんにもなーい、くらーい」という無邪気な騒々しさに、アレックスがわずかに部屋のなかを気にする仕草をした。

 鼻を抑えて痛みに悶絶していたセシルだったが、己の背後に妖精の一人もいないのを確かめると、ようやく明かりも灯されていない部屋の中に入ることができた。


「アレックス、きみこんな暗いところで何して……っうわ、何……っぎゃーーーー何これ!?」


 アレックスが鍵を閉めた瞬間、部屋の中がぱっと明るくなった。そして突如現れたガラスの棺とその中身に度肝を抜かれたセシルは、一度落とした声量をまた最大音量で出力してしまい、アレックスに「いい加減にしろ」と叩かれた。


 ***


 棺が現れるや否や、驚きで硬直してしまっていた哀れなキーラはセシルの腕の中にいた。天真爛漫なピクシーであっても、棺に横たわるものが自分よりはるかに禍々しく強力な妖精だと瞬時に気が付けるらしい。セシルの見る限りではただの人間とそう変わらないというのに、意外と敏感なのだなとセシルはつやつやの金髪を撫でてやりながら思った。


「これがあの妖精の本体……妖精に分霊ができるなんて、初めて聞いた」


 落ち着きを取り戻したセシルは、アレックスから『眠る月』に書かれていた内容を聞くと改めて棺に視線をそそいだ。動く気配は感じられなかった。


「にしても、よくこんなものが横たわる部屋でもくもくと資料読んでられたね」

「……慣れた」


 セシルは『眠る月』を開いて、自宅の書庫でしか見かけない古文調の長々しい説明に、嫌な懐古感にとらわれた。子どもがあらぬところを注視してひとりきりでのごっこ遊びをしてしまうオリエット伯爵家では、口の堅さで家庭教師を選ぶから、その教え方のわかりやすさは二の次だったのだ。

 


「……ところで、さ、アレックス。きみ、その腕の怪我だけどさ、」

「ローズを放置してきたのか。城の中のどこに竜がいるかわからないのに、意外と薄情なことするなあんた」


 質問を遮られたセシルは虚を突かれた。ここでアレックスの方から彼女の名前が出されるとは予想外だったのだ。不規則に大きくゆれた心臓の音を気取られていないかと思いながら、一拍置いて答えた。


「いや、不用心だけど、門の外で待たせてる。父さんが言っていたとおり、鍵はしっかり閉めてきた。内鍵だけど、きっと竜はあのバラの紋章入りの鍵がかかっている限り、この城を出られないんだろうし、彼女だって、門の前から動けないはずだから」


 アレックスが黒い鍵に彫られた花の紋様を、それを持つ右手の親指でなぞりながら言う。


「“茨の檻”……伯爵が門の鍵を閉めるよう念を押してたのはこのことを指して言っていたんだな」

 

 鍵が森で妖精除けの役割を担いつつ、キーラがセシルたちを避けないことや、この塔の中に妖精が一人もいなかったことから、鍵の持ち主に心許された妖精以外にとっては共通で触れない代物なのかもしれない、セシルはそう思いながら、ちろりとアレックスの方を伺った。


「それより、あのさ」

「あんたは東の塔にわざわざ行って何も収穫はないのか」


 意を決して妖精との取引についてセシルが聞こうとしたところで、アレックスはまた別の質問をぶつけてきた。それにセシルが何か言うより早く、腕の中で棺をじっと凝視していたキーラがくるっとアレックスの方に向き直った。


「古い箱の中にアレックスママの絵があったよ」


 繊細なことをよくも平然と言ってくれる。人の心がないのだから仕方ない。


「へぇ。本人がいたわけじゃなくて良かった」


 アレックスもとんでもないことを言ってくれる。流れる冷や汗もぬぐえないセシルは視線を彷徨わせた。



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