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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第五章 眠る秘密

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北の塔のそば

 スタートが遅れたせいか、三歳ほどの人間と変わらない重みを抱えていたせいか。

 結果から言えば、セシルはまたしてもアレックスを見失っていた。


「あ、あいつ足速いな……、おぇっ」


 膝に手をついて呼吸を整えながら、思わずえづいた。ローズを門の外に連れ出した後、大広間まで走り戻ったがそこに誰の気配も感じられなくて、セシルは北の塔そばの居館まで戻ってきていた。そこはあのときの妖精と遭遇した物置があるからだ。

 

「足の長さが違うと、走る速さも変わってくるんじゃない?」

「キーラ……たとえそうだとしても、二度とそんなこと言わないで」


 けして小さくない敷地を南から北へ、全速力で縦断したセシルが上着を脱ぎ棄て袖をまくる横で、腕から床へ降ろされた妖精が喜べない慰めをくれた。事情は分かっているはずなのに、目の前の人間の危機感とは比べ物にならない幼女の呑気な表情に、知らずセシルの語気も荒くなった。


「だいたいねぇ、キーラが勝手に部屋に入ってくから話が複雑になったんだぞ! お前が良い子にしててくれれば、僕とアレックスが分断されてこんなこじれることにならなかったのに」

「あぅ……でも、クッキー、ほしかったんだもん」


 額の汗をぬぐい、セシルは閉じ込められた物置のあった方向へ足早に向かい始めた。後ろからついてくる妖精も面と向かって責められてさすがに思うところがあったのか、歯切れの悪い返事を寄越してきた。

 返ってきた沈んだ声音に、倫理観の異なる妖精を責めても仕方ないと冷静になる気持ちも沸いてきた。それでも、離れている間にアレックスが負った怪我の大きさを思えばそうそう優しい顔を見せる気にもなれなかったので、セシルは足を止めなかった。――結果として物理的な大事には至らなかったとしても、嫌みな表情に覆い隠されていた『傷』を垣間見てしまい、直視したくない罪悪感を他者に擦り付けたい思いもあった。八つ当たりだと指摘できるものは、ここにいない。


「クッキーって、何言ってんの? 我が儘も場所を考えて言ってよ」

「……っ、だってだって、今日一個もセシルからもらってない!」


 焦りからくる冷たい言葉に反感を覚えたのか、ぎゅっと白い眉間に皺を寄せて、妖精が自分は悪くないとばかりに強く言い切った。

 奇妙な脈絡の話の真意を問いただすより早く、目的地が見えてきてセシルの注意はそちらに傾いた。セシルは何も言わず駆け足となり、キーラも追いすがるようにそれに続いた。

 閉じ込められていた小部屋の場所はすぐにわかった。例の怪しい妖精が、脱出の際に扉を爆破したからだ。


(思えば、小規模とはいえ火を扱う妖精なんて限られてる。あいつが、ただの小妖精であるわけなかったんだ)


 慌てていたとはいえ、自分の察しの悪さにはつくづく嫌気がさした。うっかりの末にダンリールの周辺一帯を竜に破壊されただなんてことになったら、セシルは一体どうやって償ったらいいのだろう。


「キーラ、もうその話はあとにしよう。ないもんはないの、分かるよね」


 回廊側から見渡した小さな物置の中もまた、アレックスの姿も、目当ての妖精の姿もなく、ならばこの部屋に用はないと結論が出そうだった。


 焦りを押しのけてどうにか冷静になろうとするセシルの足元で、キーラが「べつにもういいもん」などとぐちぐちと言い訳を続ける。別に怒っていない、と言いながらセシルは踵を返しかけた。びちゃり、と足が浅い水たまりを蹴ったのはその時だった。

 セシルが驚いて床を見回したときと、キーラが「ぎゃっなんでこんな所にチョコが!」と嫌そうな声を出して飛び退ったときはほぼ同時だった。


 困惑する緑の目に、床に転がる扉の木片や錆びた取っ手に混ざって、真新しい二つの金具と、水――溶けかけた氷、そして同様に溶けかけたチョコレートが、爆破で同心円状に散らばっていた。季節外れの氷は敷地内の氷室から取り出されたものだろう。

 真新しい金属は手のひら大のU字をかたどっていた。うち一つには木製の扉などに差し込める太いピンが二本ついている。もう一つには鋭いピンはついていないが漆喰がこびりついていて、振り返れば物置部屋の扉と近接していた壁に同様の漆喰の欠片が残っていた。部屋の扉が閉まったとき、扉側と壁側二つのU字の金具の間を渡すように閂の役目を果たす棒状のものがあれば、この部屋は内側からは開けることができなくなる。ちょうど、セシルが閉じ込められたように。しかし、ざっと見渡しても閂役の金具は見当たらない。あるのは砕け、溶けかけた氷とチョコレートだけだった。


(氷の閂で閉じ込められてた? でも、これじゃあ……)


 これでは、この気候の中でいずれ溶けて閂は意味をなさなくなる。

 奇妙な仕掛けの痕跡に突然立ち止まったセシルの足元では、妖精がうろつきながら「でもね」と話を続けていた。


「この部屋の中にクッキーあったんだよ。しかも、わざわざ『セシルの友人へ』って書いた羊皮紙と一緒に置いてあって、ほかの奴が手を出さないようにしてくれてたの。今日は、セシル何もくれないんだなって思ったから、貰っちゃおって……セシル、怖い顔で『何拾ったの』って聞いてきたから、没収されるのかと思って逃げちゃったの」


 床を見渡しながら適当に流そうとしていた妖精の言い訳が思いもよらない情報を与えてきたので、セシルは驚いて少女妖精の顔を見た。


「こんなところで、キーラを名指しして、クッキーが?」


 そうだよ、と妖精が頷いた。その不自然なもてなしが誰によるものかは考えずとも分かるが、それと同時に、ようやく自分を閉じ込めた人間――ローズの意図が分かった気がした。


「……僕は、待ってれば部屋から出られたんだ」


 その推測はセシルの脳裏を屈辱と悲しみで覆った。なぜならそれはセシルへの温情ではなく、かなり入念にセシルを陥れるための仕掛けだとわかったからだ。


 キーラは偶然でも何でもなく、この部屋に用意されたクッキーにつられて部屋に入った。セシルもそれを追って入り、厚い氷の閂をかけられて閉じ込められた。錠前ならともかく、閂は本来物置に不要であるから、この計画のためにわざわざ作り付けられた物だろうと推測できる。

 この足止めは氷が溶けるまでの一時的なものだ。扉はいずれ勝手に開くようになる。

 ローズにとっては、そのほうが都合がよかったのだ。


 アレックスが何度も言っていたではないか。この旅でセシルが死ねば、アレックスが疑われる。セシルは言った、逆も然りだと。


(きっと、公爵夫人もそう思ってたんだ)


 しかし計画通りにローズがこの城から逃げおおせていても、事が明るみになったとき、いくら動機があるとはいえ、セシルが物置に閉じ込められたままでは真犯人が別にいることを裏付けてしまう。二人ともを襲わなかったのも、同じ理由だろう。セシルに罪を着せるには、ある程度時間がたった後は部屋から解放しなければいけない。だからいずれ溶けてなくなる閂でセシルを閉じ込めたのだ。

 この計画が成功してしまっていたら、セシルは世間はおろか母にすら身の潔白を証明するのは難しかったかもしれない。父には、妖精の目撃証言が取れれば、あるいは信じてもらえたろうが。


 結果的にローズの目論見は失敗した。それというのも彼女の計画より早くセシルが解放されてしまった上に、アレックスが謎の回復を遂げてしまったせいだが、そのどちらにも関わっている妖精によって、さらなる厄介な事態を引き起こしてしまったことを苦々しく思った。


(……ローズ様は、なんで僕に罪を擦り付けてまでアレックスを殺したかったんだ?)


 殺そうとした、と考えると、改めて悪寒が走った。氷が溶けるのを待っていたら、もしかしたら本当に手遅れだったかもしれないのだから。

 黙って考え込むセシルのそばでは、キーラがいまだぶつぶつと愚痴をこぼしていた。


「なんでこんなとこにチョコがあるんだろー? やだぁ」


 その呟きに、セシルも暫し床に転がるチョコの欠片に視線を落とした


「……なんでだろうね」


 一瞬頭によぎった考えを、セシルはまさかとすぐに否定した。

 それより今はアレックスと謎の妖精だ。ここで手遅れになったら元も子もないと、セシルはすぐに頭を切り替えて、今度は壁掛けのあった東の塔に向かった。


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