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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第一章 スキャンダルは貴族の嗜み
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父子会談

 セシルは生まれたときから次期オリエット伯爵――セシル出生当時はまだセシルの祖父が存命だった――アルバート・ロッドフォードとその妻アンナの息子である。当然のこととして、それ以外の立場に生まれた場合の生活について詳細なところまで想像することはできなかった。

 が、それでも彼は一応、自分がほかの多くの同世代の人間より、かなり恵まれた環境で育ったことを自覚していた。


 ***


 生まれてこのかた十八年、赤毛に緑の目は母によく似た顔立ちだと言われてきたが、良くも悪くもない顔だと本人が自覚している。

 彼は容姿について贅沢を言うつもりはなかったが、もう少し身長があってもよかったとは常々思っていた。とはいえ、大病を患いもしなければ大けがもろくにせず、この年まで健康に育ってきたのは貴族であっても幸運だった。

 そして厳しい父がいつか亡くなることがあれば、順当にセシルがオリエット伯爵を継ぐ。

 なぜかと問う必要はない。彼がアルバートの長男で、唯一の子どもだったからだ。


 セシル・ロッドフォードはそういう人生を送るのだと疑いようもなく過ごしてきた。つい四日前の朝食時までは。


 今、宮殿から帰宅した現オリエット伯アルバートの執務室には、黒髪の半分以上が白くなった部屋の主の他に二人の『息子』が立っている。その空間は家族水入らずの和気あいあいとした雰囲気には、程遠かった。


「……久しぶり、父さん」


 まずセシルが口火を切った。横に立つ見慣れぬ男のことをいきなり問いただすのは憚られて、当たり障りのない挨拶しかできなかった。


「ああ、急に呼び立ててすまなかったな。だが、もうじきレナード殿下の誕生祝いの舞踏会がある。少し早い到着になったが問題なかったろう」

「あ、うん」


 父、アルバートから返された言葉にセシルは内心しまったと思った。


(そういえば舞踏会用の服を仕立てていなかった……時間もあるしまぁなんとかなるか)


 焦ったのは一瞬で、すぐに楽観的な考えに取ってかわられた。このセシルの段取りの悪さは今に始まったことではない。おっとり構えていても、いざとなれば使用人が総出で協力してくれるのが常だからだ。それを咎められると、「妖精たちが騒ぐから気が散る」というのがセシルのいつもの言い訳だった。もちろん、これはセシル同様妖精が見える父には通じない。


「その時がアレックスを公的に紹介する場にもなるだろう。アレックス、あとで仕立屋を呼んでおく」

「あ、父さん僕にも」


 アルバートの鋭い灰色の目がぎろ、と咄嗟に便乗してきた赤毛の息子に向けられるが、何も言わなかった。アレックスもちらりとセシルを視線だけで見たのをセシルは感じ取ったが、アルバートに向かって「どうもありがとうございます、伯爵」と言っただけだった。


(……やっぱりもう少し身長は欲しかったな)


 並んで立つと、一層身長差が際立つと感じざるを得なかった。自業自得とはいえ、セシルは自分の要領の悪さごと、新しい「弟」に見下されている気分になった。視線をそらしてわざと何でもないような顔をする。


(さぞかし母親が美しくて細長いんだろうよ)


 妻帯者を籠絡したんだからそりゃ魅力的な女性だろうと、心の中で八つ当たりする。


「アレックスは宮廷礼儀と各家の系図についても引き続き学んでおけ。我が家の一員として公の場に出る以上、『新入りだから知らん』なんて態度は許さんぞ」


 これを横で聞いていたセシルは、先ほどまでの嫉妬もどこかに飛んで横の男に同情した。父はこの『新入り』にブランデンの貴族をすべて覚えて一カ月後の舞踏会にのぞめと言っている。系図ということは、もちろん爵位もちの本人だけでなくその妻や子どもも含めてだ。さすがにそこまで時間的猶予は多くない。


(現場で少しサポートしてあげた方がいいかな)


 そう考えたセシルの横で、男――アレックスが小さく笑う気配がした。


「……なにか面白いことでも聞いたかね」


 アルバートの一層低い声にセシルは身が縮む思いがした。一言「笑うな」といえばいいのに、なんで父といい母といい、こういう回りくどい咎め方をするのか。セシルは父のこういうところは跡を継ぐまいと思っている。


「いや、光栄だと思ったのです。ついこの間まで俺のことなんて認識していなくて、そこらの野良犬と同等にしか思っていなかった筈なのに、『我が家の一員』だなんて、ありがたいことですよ」


 セシルよりよっぽど緊張していない美青年―――実年齢よりずっと大人びて見えて、少年なんてガラではなかった―――の皮肉にアルバートの表情は変わらなかった。だが父ほど海千山千越えてきた経験のないセシルはその言葉の棘に背筋がすぅっと冷えた。そして『ついこの間まで――』という言葉に、やはり父がこの男を認識したのがつい最近だったことを確信した。


「安心しろ。迎え入れると決めて家の中に招いた以上、お前が無能そのものの駄犬だったとしても、私の存命中は責任もって面倒を見るつもりだ」

「……そうですか」


 当て擦りの『野良犬』に対して真正面から『駄犬』と返すとは、穏やかではない。

 実の親子とも思えない冷たい応酬にセシルは俯いたまま耐えた。隣で聞いているだけでいたたまれない気持ちになって、兄が弟に教えてやるべき最初の言葉は「父に面と向かって口答えするな」だと心に決めた。


「そこのぼんやりした兄を見ていればわかるだろう」


 しかも流れ弾が飛んできた。

 言われた内容にはかちんときたが、これ以上場を荒げたくなくて、セシルはうっすら笑って誤魔化した。


「まあ、自分の息子の数も把握していない親を見ればこの息子ありかな、とは思いますよ、ええ」

「ちょっと!?」


 いつも通りの父に対して初対面の弟からのあからさまな全方位対象攻撃はさすがに予想していなかったので、セシルはつい声を荒げた。

 そもそも最初の挨拶から慇懃無礼さを感じ取ってはいたが、先の発言と言い、さすがのセシルもアレックスからロッドフォード家全体へ向けられた敵意を認めずにはいられなかった。


 アレックスが「なに?」と言わんばかりに視線をよこす。完全に自分より下のものを見る視線だった。精神的にも物理的にも。

 父親以外の不躾な視線に晒されることの少なかったセシルは若干尻込みしたが、自分まで喧嘩を買うまいと心を落ち着かせてから、年長者らしい落ち着いた声で続けた。


「……父さんはこういう物言いの人なんだ。君も気分を害したんだろうけど、揉め事をすすんで起こすような真似はよしてくれ」

「……なるほど、父親にここまで言われてなにも言い返さないとは、あんたも随分プライドがないのか、それとも自覚してるのかな」

「あ、あんた呼ばわり!?」


 嘲笑と共に言われてさすがにセシルも頭に血が上った。先ほどの落ち着きもかなぐり捨てて言い返そうとしたセシルを、向かいに座るアルバートが制止した。


「セシル、もういい。それ以上言うな」

「っでも!」

「セシル」


 重ねられた伯爵の制止で、不満げにしながらも言葉をのみこんだセシルだったが、残念なことにその協調性は相手には響かなかったようだった。


「心中お察ししますよ。ご長男は我慢強いようでいて案外すぐ食って掛かるし、目上の者に従順かと思えば相手の真意を測れない。そしてどう見ても自主性がない」


 淡々と言い募られる悪口にセシルは屈辱とショックで目を白黒させた。不思議なことに、セシルのことはすぐに止めたアルバートは、アレックスには言わせるがままだった。


「これは案外、署名してくださった時の伯爵は酔ってなかったんですかね?」


 父と男を交互に見ていたセシルが、その言葉になんのことだと視線をアレックスに固定する。

 セシルはその表情をさっき階段でも見かけていた、と思い出す。場の空気を凍らせる、攻撃を含む悪意の笑顔だ。

 セシルはアルバートに視線を移した。無礼な態度を一言も嗜めず、眉間にしわを寄せ、口を真一文字に引き結んでいる。


「……父さんなんのこと」


「えっと確か……爵位の継承は現に爵位を持つ者と、婚姻を結んだ者との間の一子のみに認められる。爵位にともなう領地、財産すべて爵位継承者のもの。

 継承権は最も年嵩の直系男子による継承が最優先。

 男子で継承可能な者がいない時は現に爵位にある者の直系女子と、その息子たちへ。現爵位を持つ者の子ども、孫等が継承できない場合は、現爵位を持つ者にもっとも近い兄弟の家系に爵位を継がせる。

 ……だったか。ややこしいですね、お偉い家系って」


 アレックスが突然言い出したのはオリエット伯爵位の授爵状の内容だった。正確にはその一部でしかないが、ようはアルバートの男子、女子、それら皆が死んだり逮捕されたりしたらアルバートの兄弟姉妹の家系に爵位が移る、という爵位の転がりを規定した内容だ。魔法使いという特殊な家系を含むブランデン貴族は、そうそう家が断絶しないように爵位があっちこっち飛ぶことがあるのだ。


 アレックスが面白がるような声で続ける。


「これだと爵位継承図の中に、『婚姻を結んだ者との間』に生まれてない庶子は含まれませんね」


 わざとらしく繰り返した文言から、セシルはなんとなくこのあたらしい弟が言わんとすることに見当がついた。


「もしかして、今日父さんは、宮廷でアレックスを母さんとの養子として届け出たの?」


 爵位保持者が愛人との間にしか子供をもてず、ほかに爵位が移る先もない場合がある。そういうときは現爵位保持者からの養子縁組の申請によって、その子どもは正妻との間の子としてみなされ、爵位継承権も発生する。国内すべての貴族に適用される規定だった。

 セシルは予想した。父アルバートは今日、婚外子であるアレックスを婚外子としての次男でなく『正妻との次男』として宮廷で養子申請してきたのだ。ということは、アレックスは現状セシルの次にオリエット伯爵位に近い存在になったということだ。

 これで万一セシルに何かあっても、爵位はアルバートの子どもであるアレックスが継げる。父からしたら、悪い決定ではない。


「……うん、いいんじゃない? 間違いなく父さんの子なら……母さんさえ、納得しているんなら」

「で、面白いことに授爵規定にはこうもあるんですよね?『継承順位は年嵩の男子から1位とする。ただし、現に爵位を持つものが国王に願い出て、国王が許可した場合、この継承順位は継承権を持つものの中で変更ができる』」


 セシルはのどが詰まった心地がした。


 爵位は正妻との間の長子優先。婚外子は、たとえ長子でも男でも継承順の枠の外。

 そんな中、横にいるアレックスは今日、養子として継承権保持者の枠の中に入った。

 それでもあくまでその『順番』は、通常であればセシルの『次』のはずだった。


 しかし、『それでも例外はある』。

 それこそが、アレックスが言葉を続けた規定だった。


 これは、オリエット伯爵家ほかいくつか、つまり元魔法使いの家に多く見られる独特な規定だった。


 世間には古い貴族のみが持つ、由来不明の規定と思われているが、要はこれらの家では、次男や女子に継がせたいと現当主が思い、それが王家の利にかなうなら、長男を差し置いて彼らが爵位を継ぐことができる、ということだ。

 古い時代では、魔法使いは一族内でも実力優先で頭領を決めていたということが伺える規定だった。


 つい四日前まで、現伯爵の唯一の子である、と思われていたセシルには他人事でしかなかった規定でもある。

 セシルの頭に、ハロルドが読み上げた手紙の内容がまざまざと思い出された。緑の目が大きく見開いて父の皺の目立ち始めた顔を映す。


「……父さん、署名って、まさか」

「無条件にセシルを廃嫡するわけではない。あくまで王家が許した場合だ。大国としての歴史も古いこのブランデンで、貴族社会の基礎も知らないような男を、大した理由もなく国の貴族録にその名を載せることを王家が易々許すと思うな」


 嬉しそうなアレックスをにらんで言った父から出た廃嫡という言葉は、むしろセシルの頭には大槌で殴られるに等しい衝撃を与えた。

 つまり、父が署名した書類は、ロッドフォード家側から継承順の変更を願い出る内容の書類であるということだ。アレックスを継承順位1位に、と。

 セシルは頭が真っ白になった。


「そ、そんなん、田舎の家から急いでここに来たって、外されるときは外されるじゃん……」


 あまりの展開に震えながらセシルが声を絞り出す。息がうまくできなくて、頭がくらくらしてきていた。


「……せいぜい王家と懇意になっておけ。少なくとも田舎に引きこもって妖精に菓子をあげているだけでは、王家の心証なんて良くも悪くもならんが、事がおきたときに何の対応もできんぞ。書類の提出時期は次の舞踏会の頃だ」


 そう言い放った後、アルバートは先にセシルから目をそらした。

 今だかつてないその様子に、セシルは父が自分に対して後ろめたく思っていることを感じ取ってしまった。それが一層セシルの立場の危うさを如実に示していた。


 酔ってサインしたというのか、父さんともあろう人がなんでそんな状況に、母さんは知っているのか。セシルには言いたいことが沢山あったが、すべてのどに張り付いたように何も出てこなかった。


 今一番言うべきことは何だと、セシルは落ち着きたくて周囲を見渡した。すると隣でアレックスが笑顔で約十センチ上からセシルを見ていたことに気が付いた。

 本当に楽しそうで、おそらくセシルが初めて見た本当の笑顔だった。通った鼻梁と長い睫毛で、妖精好きのする顔だと、回らなくなった頭でそう思ったからか。


「……と、父さん、キーラもつれて来てるから、母さんの部屋に妖精除けをしてあげて」


 視線を長男に戻したアルバートは、やはり見たこともないような疲れたような目で頷いた。



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