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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第四章 災いの潜む城

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妖精の目

「いまだかつて竜は見たことがない」


 そう発言したアランも、オリエット伯爵アルバートも、そしてもちろん、セシルも。

 魔法のタペストリーに描かれた姿以外には。


***


「……今のって……」


 セシルは、自分のものとは思えないかすれ声をこぼした。

 見つめる先には開かない扉しかなかったが、彼は今、確かに銃声を聞いた。音はセシルが閉じ込められた部屋からそう遠くはないだろうが、扉を隔てたすぐそばとも思えない距離感があった。

 アレックスが撃ったのか。

 しかし、何を撃ったのか。セシルを閉じ込めた『小さい足』か。

 では、なぜ撃ったのか。

 そもそも、引き金を引いたのは、アレックスなのか。

 もし、違うとしたら。


(お、襲われている…?)

「アレックス!!」


 誰が発砲したとしても、城の中にアレックスがいる限り、彼の身の安全は保障されていない。

 セシルは再び扉に舞い戻り、その取っ手を掴んだ。あいかわらず、ほんの少し動くだけで、そこから出られる気配はなかった。


「くっそ……どうしてこんなことに……!」

(村に変なところはなかった、ディフレッドも嘘をついていなかった。そして、竜の封印も解けていなかった……なのに、ここにきてなんで)


 やけくそのように、手当たり次第に周囲の木箱や麻袋を投げつけてみたが、無駄だった。

 木箱の方は腐食していてぼろぼろだったのに、扉の方はびくともしない。ここは使われなくなって以降、部屋の中の備品は誰も注意していなくても、部屋の設備そのものは、もともと貴族の城の一部である。上質で頑丈な造りとなっていた。セシルひとりで体当たりで壊すことも難しそうだった。


(~~っ思えば、今日は朝からついてなかったんだ。変に起こされるし、水かぶるし、キーラは言うこと聞かないしぃぃっ)


 キーラに関しては、挙句の果てに消えてしまった。ならばせめて、彼女がアレックスの元にいてくれればとも思うが、この状況のセシルを助けない気まぐれな妖精である。アレックスをこちらの都合よく助けるかどうかはわからない上に、そもそも銃声を嫌がって近寄っていない可能性が高かった。


 散々暴れた後、扉からは出られないと悟ると、セシルは振り返って埃の舞い上がる部屋の奥に目を向けた。明かり取りの、ごく小さな窓のみの、出入口に面する壁以外は棚が作りつけられているだけの部屋である。常人であれば絶望する、閉じ込められた本人以外、誰もいない部屋。


 しかし、緑の目には棚の陰でうごめく妖精たちがはっきりと映っていた。

 険しい顔で荒い息を吐いていたセシルは、焦燥感を和らげようと深呼吸をした。まずは、挨拶だ。


「……こんにちは」


 尖り耳の妖精たちは、荒れ狂うセシルに恐れをなしているのか、声をかけても近寄ってこなかった。


「し、仕方ない……」 


 セシルは自分の懐を探った。ここは金でつって、彼らと取引をするしかないと思ったのだ。この城に長く住みついている妖精ならば、この部屋から出る何らかの方法を知っているかもしれないし、極端に言えば彼らに部屋の外に出てもらい、扉の開閉の障害を取り除いてもらえたら充分だ。


(うう、うまくいくかな……)


 舞踏会の夜は大成功だった。今思えば、あの時うまく事が運んだのは確かにキーラのギフトによる幸運の力が大きかったのかもしれないと、今になってセシルは思う。


(そうすると、キーラがそっぽ向いてる今回はどうなることか……ん?)


 セシルは懐から手を出し、次いで上着の別のポケットに差し入れた。瞬間、目を見開いて、今度は空の両手で腰回りをぱたぱた叩いた。ここに来てから肌身離さず持っていた鞄の中も開いて探った。

 その顔はみるみる青ざめていった。


「な、ない!?」


 探していたのは王都を出立するときに持ってきたはずの金のボタンやカフスだった。


「なんで……ま、まさか」


 朝、頭から水をかぶって着替えたとき、新しい服に移しそびれたのか。

 思いがけない自分の失態に、めまいを感じずにいられなかった。


(こ、こういう時のために持ってきたのに! 何か、何か他に妖精の気を引けるものは……)


 どれだけ探っても、鞄にもポケットにもカフスもボタンもない。夜会でもないので、着ている服にもそんなものはついていない。


「……あ」


 代わりに、ボタンでもカフスでもないものが鞄から転がり落ちた。

 キーラからのギフト、なんの図柄もない金貨だった。


(た、助かった!! ちょっともったいないけど、背に腹は代えられない!)


 さすがはキーラと、心の中で勢いよく手のひらを返して金の妖精を称えた。

 しかし、そのとき耳に入ってきた言葉はセシルを再び凍り付かせた。


「あれは金じゃない。クッキーだ」


 妖精の一人がそう言った。緑のフードを深くかぶり、幼い少年の姿をした妖精だった。


「あれ、クッキーだ。金だと思って取引したら、ずるされちゃう」 

「そうなの?」

「そうだよ。ほら」

「へえ」


 ひそひそと囁きあう妖精たちが、最初に声をあげた妖精の元にわらわらと集っていく。彼らは部屋のすみの一ヶ所で団子状に固まって、セシルに背を向ける形で何かを覗きこんでいた。


「な、なに?」


 セシルには全く話が読めないが、この状況はどうにも取引どころではないことはわかった。

 急ぎ妖精の集まる所に走り寄って、妖精たちの上から覗きこんだ。


「……な、なにこれ」


 薄汚れた床の上に、重石をされた一枚の羊皮紙があり、インクで文字が書かれていた。


『赤毛の魔法使いの子孫が持つ“妖精の金貨”は土から生まれた黄金ではなく、小麦から作られたクッキーである』


(……それは、確かに、そうだけど)


 驚愕に緑の目はゆれて、ごくりと喉がなった。


 これは明らかに妖精との取引を不利にする告発状だった。

 王太子夫妻の寝室で、傘を持った妖精が大量のクッキーを掴まされて恨みがましい目をしたことからも、妖精にとってクッキーと金は、当然、等価とは言えない。キーラがクッキーと金を、『おんなじくらい』好きだと言っても。

 

(なぜ、こんなものが)


「……みんなは、これを、信じるの?」


 先手を打たれたからと言って、望みはゼロではないはずだ。

 そう思って妖精達に話しかける。

 銀色の長い髪を床まで伸ばした妖精が、疑わしそうに眉を寄せてセシルを見上げた。金色の視線がセシルの赤毛に向けられ、次いでその手にある金貨へ向けられた。


「これ、間違ってるの?」

「……」


 間違っている、と言ってしまったら嘘になってしまう。


「い、嫌なの?」

「嫌だよ」


 妖精は容赦なく切り捨てた。金は金でも、産出もとにこだわるらしいのが、今のセシルには憎たらしくて仕方なかった。


「後で、ちゃんとしたのを持ってくるから……」


 ダメでもともと、と食い下がった。


「「「信用できない」」」


 複数の妖精の声が重なった。

 断られることを覚悟していても、刺さるものは刺さる。

 目の前が真っ暗になる感覚を味わった。


 そのとき、さらにセシルを追いたてるかのように再び破裂音がした。


 時間がなかった。

 緊張するセシルの手が、懐にそっと差し込まれた。迷いながらも確かに、手よりもなお冷たい銀の塊に手をかけた。


 取引は苦手だ。

 でも、脅して言うことを聞かせるなんて、本当はもっとできる気がしない。


(ああ、だけど)


「ねえ、ここから出たいんだろう?」


 銃を出そうとしたセシルの手が止まった。

 声は、羊皮紙に集まるセシル達がいる方とは逆側のすみに残っていた妖精からのものだった。十歳前後と見られる子供の姿で、肩で揺れる小麦色の髪の間から尖った耳が覗き、金の瞳が静かな光をたたえていた。少女のような可愛らしい顔立ちだが、着ているチュニックは男物だった。


「き、君は、僕をここから出してくれるの?」


 セシルが勢い込んで詰め寄った。

 すると、妖精は困ったように笑った。


「ただじゃ嫌だな」


 セシルは焦っていた。


「何がほしいの!? 純金なら、この城を出てから調達して、また戻ってくるよ!」


 掴みかからんばかりのセシルの剣幕にも、相手は恐れることはなかった。薄暗い部屋の中、金の瞳の中心で、黒く丸い瞳孔が輝いた。


「それもすっごく魅力的なお代だけど、俺はそれより城の中にあるバラの花の駆除をお願いしたい」

「……ばら? バラの花って、あの、庭にバラの木があるってこと?」


 予想外の要求は、さほど難関には感じなかったので、セシルは歓喜した。バラ嫌いの妖精なんていたかと思ったのは一瞬だった。

 小麦色の髪が揺れる。首をかしげた妖精は言った。


「木じゃなくて、花。そもそも、この庭にバラの花は咲いてないだろ? 庭じゃなくって、城の中」

「城の中?」


 セシルは、焦っていた。

 とても。


「いいよ!」


 取引は成立した。


***


「ねえ! 出してやったじゃん! バラの花を駆除してよ!」

「するよ! するする!」


 妖精の魔法で、木の扉は吹き飛ばされた。

 火の魔法を使った妖精は、アレックスを探して回廊を走るセシルの後ろを追いかけながら、抗議の声をあげた。セシルは僅かに振り返って叫ぶように言い返した。


「でも、『部屋を出てすぐ』とは、言わなかったよね!?」


 妖精が金の目を見開く。驚愕に、縦長の瞳孔も収縮したように見えた。


「……っ、取引は、守ってもらうからな!!」


 セシルは焦っていた。

 卑怯ともなんとも思わない程度には。










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