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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第四章 災いの潜む城

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ダンリールの鍵

 はるか昔、王を名乗る各地の領主たちが、己の勢力圏を広げるために、互いに相争っていた時代。

 魔法使い達もまた、それぞれに仕える主君のために力をふるっていた。

 ひとりの魔法使いは、あるときは自然を操り、ある時は人心を読み、あるときは妖精――後の時代には魔物と呼ばれた凶悪なものも含めて、駆除し、時に契約して味方とした。

 森と山を支配した竜を封じた魔法使いも、そんな魔法使いの一人だった。


 やがて平和な時代が訪れると、王家のもと、魔法使いの力は制限されて子孫たちに受け継がれるようになった。

 ロッドフォードを名乗る魔法使いが、妖精との語らいにしか力を使えなくなったように。



 ***



「鍵の受け取りは書斎の奥でございます」


 部屋の鍵を開けて先導するディフレッドに従い、セシルとアレックスはディフレッドの仕事場に入った。続いて小さな妖精も、とたたたっと滑り込んだ。

 伯爵家に比べれば規模は小さかったが、デスクを中心に文書や書籍が整理整頓された書斎だった。続き部屋とつながる扉が作られた壁には、大きな書棚も置かれていた。

 兄弟が書斎に入ると、ディフレッドは廊下を確認し、また内側から部屋の鍵を閉めた。さらに窓のカーテンも閉め切ると、部屋は薄暗くなった。部外者に見られないための用心だった。


「この書棚の後ろです」


 そう言うとディフレッドは戸惑う兄弟をよそに書棚のうちの一つに近づき、『紋章録』と書かれた背表紙の本を奥に押し込んだように見えた。ずん、とわずかな振動が絨毯敷きの床から伝わってきたとき、セシルが驚きの声を上げた。


「棚が、壁が動いた!」

「これは仕掛け棚でして、特定の本を一度奥に向かって押すと後ろの壁ごと扉のように開くのですよ」


 片側に蝶番が付いているかのように、片開きの隠し扉が手前に開かれると、その奥には人ひとりがやっと通れるような広さの石段が地下まで続いているようだった。

 口を開けて呆けた顔をしたセシルに続いてアレックスも暗い階段をのぞき込んだ。


「通路幅、狭いとはいえさすがに壁の厚さ越えてるだろ。隣の部屋はどうなってんだこれ?」

「決して誰も開けないクローゼットが作りつけられています」

「へぇ。書斎が一階にあったのはこのためだったのか」


 セシルの言葉に頷いたディフレッドがランタンに火をつけて階段を下りていく。二人と妖精もそれに続いた。


「くらぁい」


 たいして怖がる様子もないキーラの声が狭い階段に響いた。


「……今、風の音がしましたね。上の部屋から風が通るはずもないのに」


 不審げに振り返ったディフレッドにセシルが気のせいだと言って先に進ませた。妖精の声は声としては彼に届いていないが、空気を震わせた違和感だけは拾われたのだろう。

 暫く降りたところで、ディフレッドの足が止まった。

 三人は四方を石の壁に囲まれた小部屋にいた。ディフレッドがランタンの火を壁の燭台に移すことで光源が増えると、セシルは部屋の様子を視認できるようになった。石室には引き出しのついたデスクと椅子が部屋の中央に置かれ、そして大きさの異なる木箱がいくつも床に置かれていた。机の上には古いランタンも置いてあった。そして、先客が十人前後いたことにも、そのとき気が付いたのだった。


「アルバート様からお聞きになっているでしょうか。机にも、箱の大きさにも、意味はありません」

「いや、鍵はディフレッドから受け取れ、とだけ聞いている」


 箱の上を伝い歩くキーラを気にしながらセシルはそう答えたが、部屋に入ったときから、どうやって鍵を得ればいいのかは見当がついていた。おそらく、アレックスの方もそうだろうとわかった。

 盗み見た横顔の、灰色の視線の先には鉱夫の姿をした小人のような妖精、ドワーフたちが斧や鍬を携えたまま、退屈そうに座り込んでカードのような遊びをしていたからだ。妖精の多い田舎とはいえ、セシルもそうそう見かけることのない古代からの妖精の一種であり、この地下室で無関係とは思えなかった。

 

 ただ、ディフレッドには見えていないであろうその妖精に、彼がどうやって接触するのか気になった。

 ディフレッドは木箱の一つを開けると、中に金貨を一枚入れ、ふたを閉めた。

 すると、ドワーフのひとりがのっそりと立ち上がり、ディフレッドが床に戻した木箱に向かって歩き出した。


「セシル様、アレックス様、申し訳ありませんが、この箱から暫く目を逸らしていただけますか。ああ、それと言うのが遅くなってしまいましたが、けして机の引き出しにお手を触れぬようお願いいたします」


 言われた通りにあらぬ方向に目をそらすと、微かに箱が開け閉めされる気配があった。兄弟には誰が箱に触ったのか確かめるまでもなかった。金貨を入れていた箱の置いてある方から、甲高い声の「辛気臭い顔!」という言葉としわがれた声の「黙っとれ。さっさと上に戻れ悪戯妖精風情が」という言葉の応酬が聞こえてきたので、セシルは無駄にやきもきしたが。


「お二方、ご覧ください。これがダンリールへ至る鍵でございます」


 ディフレッドの声でようやく振り返ることができた。彼が箱のふたを開けると、金貨はなくなり、かわりに黒い、古い形の鍵が入っていた。


「金貨との交換か」


 アレックスが確かめるようにつぶやいた。


「不思議な仕組みです。どの箱に入れても、少し目を話せば金貨の枚数だけ鍵が手に入ると伝えられています。ただし、鍵を持ったきりこの地から逃げようとしたものは悲惨な末路をたどる、という言い伝えとともに、ですが」

「……へぇ」

「箱に入れた金貨は鍵を守る妖精への報酬ってわけか。大昔にうちのご先祖様がそうやってここのドワーフたちと契約したんだね」


 ディフレッドの言葉にセシルは感心したが、素っ気ない相槌を打ったアレックスは別のことに引っかかっていたようだった。


「金貨の枚数だけ? 合鍵がいくつもあるのか?」

「わたくしめには、合鍵の数まで伝えられていませんが、“金貨の枚数分の鍵が引き換えられる”とだけ」

「……おい、じゃあ侵入者が鍵を持ちだしても気が付かないということか」


 アレックスの言葉に対し、ディフレッドは予想しうる質問だったのか、自信ありげに答えた。


「ええ、わたくしめが常に持ち歩く唯一の鍵で書斎に入り、間違えることなく書棚の仕掛けを暴き、この部屋で机の引き出しを確認することなく木箱に金貨を入れ、そこから目を逸らす、ということができれば。とくに机の引き出しは罠です。一度でも開ければ、見えない番人によってここで殺される、と言われております」


 鍵を預かるドワーフたちが大きな武器を携えている理由が判明した。それを聞けば、石室の中央の机は呪いの机と言えなくもなかった。


「じゃあ今のところ、外部の誰にも鍵は渡っていないのか?」


 アレックスが念を押すように問いかけた。


「わたくしめの知る限りでは」


 セシルは二人の会話を聞きながら、問題の机の上に立つキーラを抱えてそこから遠ざけた。


「ふぅん」


 アレックスの相槌が思ったよりも近くから聞こえてセシルはおや?と振り返った。

 セシルのすぐ後ろまで来ていたアレックスは部屋を見渡しながら、ディフレッドに聞こえないように囁いた。


「追い出してくれ」


 目を合わせないまま、アレックスは物珍しそうに石室を眺めながら離れていった。


「……ディフレッド、ありがとう。ちょっと……先に戻っていてくれないかな」


 うまい言い訳も思いつかないので、セシルはストレートに要望だけ伝えた。


「おや。しかし、そうしてしまいますとお二方が戻るときの明かりが……」

「そこのランタンを借りるよ。引き出しに触らなければ大丈夫でしょ?」


 ディフレッドは一瞬戸惑いの表情を見せたがすぐに従った。二人それぞれに礼をしたが、セシルに向けた視線はどこか心配しているようであった。おそらく、アレックスと二人きりにすることへの不安だろうが、セシルはディフレッドの心配が誤解に基づいていると知っていたので、安心させるように笑ってみせた。

 ランタンを片手に石段を上っていく背中を見送ると、セシルはアレックスの方に振り返った。相変わらずキーラを抱えてはいるが、朝からクッキーをあげていないせいかいつにもましてむずがっていた。


「何する気?」


 アレックスはセシルの問いに答えず、自分の懐から何かを取り出した。財布だった。


「……ちょっと」

「確認だよ」


 アレックスは一言だけ答えると、ドワーフの一人に向かってしゃがみこみ、そのドワーフに向けて右手を差し出した。

 金貨が握られているのを確認したセシルは眉をひそめた。


「鍵」


 アレックスからの一言だけの要求に対し、ドワーフは、その金貨をじっと見はしたが、手を伸ばしてはこなかった。

 途端、狭い室内で大きな斧が振り下ろされるのが、鈍い反射の光でわかった。セシルは思わず叫んだ。


「やめろ!!」


 アレックスが飛び退いた。彼がもといた石の地面に固い刃がたたきつけられる重い音が響き渡った。

 すんでのところで飛び退いたアレックスが相手から距離を取り、再び手を己の懐に差し入れた。その動きが示す次の行動が分かったセシルは、自分の心臓がすくみあがった拍子にきつく抱えていたキーラを咄嗟に放り出した。


「ば、ばか撃つな!!」


 駆け寄ろうとしたセシルの前を大きな両刃斧がふさいだ。邪魔をするなということか、すでにほかのドワーフたちも肩や壁にもたれかけさせていた武器をアレックスに向けていた。

アレックスが懐から出した右手にひらめいたのは、黒い銃だった。銃身を飾る金色の花に、ろうそくの微かな光がきらめいた。バラの花の紋様だった。


 石室に銃声は響かなかった。

 アレックスとドワーフたちはそれぞれに武器を構えながらも、どちらも動かなかった。


「悪かったよ。鍵を得る方法が本当に限られているのか、確かめようと思っただけだ。なるほど、報酬さえもらえれば過程は問わない、とはいかないんだな。安心した」


 沈黙を破ったアレックスの言葉はセシルに向けられたものでもあり、同時に先程金貨を渡そうとしたドワーフに向けたものでもあった。臨戦態勢のドワーフに囲まれたまま、セシルは何も言えずにいた。


「当たり前だろうて。わしらを財宝に目がないがめつい妖精だと勘違いする愚か者もいるが、我々一族は誇りをもって、ダンリールの鍵を作り、その番人となることを契約したのだ」


 アレックスの言葉に、ドワーフがしゃがれた声で答える。長く伸びたひげで声がくぐもっていたが、その低い声は二人の耳にはっきり届いた。


「わしらに銃はわからないとでも思ったか? おまえが撃鉄を起こす前に、わしの自慢の斧を味わうことになるぞ、その頭でな。それが困るなら、先にお前が戦意のないことを示してみろ」


 他のドワーフがそう言うと、アレックスは気まずそうに銃を握った手をおろした。すると、取り囲んでいたドワーフたちも、重い武器を黒髪の人間から逸らした。それを見て、ようやくセシルも知らず止めていた息を吐くことができた。


「よ、よかった……」


 膝から力が抜けていったセシルは長い溜息と共にそう吐き出した。


「ロッドフォードの小倅よ、その無礼、二度目はないぞ」

「肝に銘じておくとも」


 しれっとアレックスが答えると、それきりドワーフたちは二人に興味を失ったようにまたおもいおもいの床や木箱に腰掛けてひそやかな雑談を始めた。


「セシル、おつかれ?」


 床に膝をついたままだったセシルの前に、珍しく心配げな顔でキーラが寄ってきた。放り出されて不機嫌になってはいなかったようで、そこにもセシルは安心した。

 しかし、セシルは今は、かわいらしく小首をかしげている妹分にかまっている場合ではなかった。


「な、なにを考えてんだよ!!」


 ランタンの埃をシャツの袖で丹念にぬぐいながら、壁の燭台に近づく弟にセシルは語気も荒くなじった。


「セシル、立てる?」


 空気を読まないキーラに問いかけられて、笑う膝を叱咤してセシルは立ち上がった。

 いつもの後頭部にまとめられた黒髪がゆれて、わずかにアレックスが後ろを気にしたことが伺えたが、結局目を合わせないままランタンに燭台の火が移された。


「言ったとおりだよ。決められた方法を知っているものだけが鍵を手に入れられるのか、確認したんだ」

「やり方がおかしいだろ!」

「さすがにここまで極端な反応されるとは思わなかった」


 アレックスと共にランタンの火が階段に動いていく。セシルもキーラを抱え上げて後を追った。燭台の火を来たときのように消しておくのも忘れない。

 アレックスの後ろを歩きながら、言いたいことは胸中に燻っていたが、視覚的に足元もおぼつかないところでキーラを抱えていては考えもまとまらなかった。思ったことがそのまま口をついて出るのを、セシルは止めなかった。


「あ、アレックス、確かに妖精は黄金に目がないって言われているけど、言い方とやり方はあるから、あんな横柄な言い方は駄目だ。まず妖精は誇り高くて我が強いやつらばっかりだから、既存の明確な上下関係がない限り、対等に接するようにっ、て、いてててキーラやめて! 髪の毛抜ける!」


「はいはい」気のない返事にも、キーラの右手から己の赤毛を救出したセシルの口は止まらない。


「あと、時と場合に寄るけど、安易に銃を出すな! ……キーラやめて! 妖精は長寿で戦闘含めてなんでも経験豊富なんだ。さっきので分かっただろうけど、ぐぇっ苦しっ……こっちに本気で戦うつもりがあると見たら、すぐ四肢切断されるところだったんだぞ!っごほっ」


「……そうですね、気を付けます」慇懃無礼な言葉にも、セシルは暗い石段を歩きながらしゃべることと、キーラの手をシャツの首のボタンから外すことに気を取られていた。


「で、それでだな、やむにやまれずさっきみたいな状況に陥っても、無条件に銃をおろしちゃ駄目だ。絶対、こっちに攻撃しないって明言させてからじゃないと。妖精は嘘をつかないけど、真意をあえて口に出さないで物事を進めるのは全然悪いと思ってないんだから。……あ、切れた」


「……へぇ」妖精と友好的な関係を築くようさんざん言われたところでこの言葉は意外だったのか、アレックスがはじめて感心したような相槌をうったが、やはりセシルは気が付かなかった。とうとうシャツのボタンの糸がキーラに引きちぎられてしまったからだ。


「それと、キーラがクッキー好きでチョコ嫌いなのと同じように、それぞれの好き嫌いがある場合もあるから、不用意に金を報酬に出さないこと。交渉次第でいくらでも出すと思われてどんどんふんだくられる可能性もあるし」

「経験談か?」

「うるさいアレックス真面目に聞け! キーラもう自分で歩いて! はぐれて閉じ込められても知らないから!」

「なぁ、妖精は何をもって嘘を見破るんだ」


 アレックスから質問がくることは予期していなかったので、今度はセシルが少しばかり驚いた。妖精は石段におろされそうになると、小さな手でセシルの白いシャツを掴んだので、重みでシャツはずれていった。


「……そこはわかっていない。ただ、妖精自身が真実を知っているから、というよりは、人間が嘘を吐く様子を見分けられるんだって言われている。代々の伯爵の研究では、妖精には脈拍の音が常に聞こえている説とか、妖精は人間の心を読めるって説で、人が話す内容と思う内容がずれていることに不快感を覚えるとか、いろいろ言われているけど、どれも確たる証拠はない、かな」

「……そうか。そもそも、客観的な事実との齟齬に反応するんじゃなくて、あくまで話す人間が『故意に嘘をついている』ときに反応するってことか」


 小さな災難に見舞われ続けたセシルは、石段を上りながら話し続けたこともあり、息が上がり始めていた。


「……何が言いたいの」

「つまり、勘違いしている奴や騙されている奴の言うことが結果的に『嘘』でも、妖精は反応しない」

「アレックス?」

「もうすぐ抜けるぞ。その妖精、しっかり捕まえておいてくれよ」

「……キーラ、こういうときこそアレックスの方に行っていいんだぞ」


 キーラがランタンの灯を見て首を振ったので、セシルはまた深いため息を吐いた。

 地上の書斎で待っているディフレッドは、ぼさぼさの髪にシャツはボタンが飛んで皺だらけといういでたちのセシルを見て、アレックスへの不信感をさらに募らせてしまうかもしれないが、もうそんなの絶対フォローしてやらないのだと思いながら。



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