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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第一章 スキャンダルは貴族の嗜み
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王都での出会い

 セシルが覚えている彼女の最初の姿は、一年前の春の夜の舞踏会での姿。

 波打つ黄金の髪、憂いを帯びた紫の瞳、陶器のような白い肌、バラ色の頬。


(昔おとぎ話できいた、妖精の女王がいるのなら、きっとこんな人だ)


 体が弱いと噂され、セシルより二つ年上でありながら、ずっと表舞台に出てこなかった第四王女ローズ。

 彼女と地位も名誉も財産もある男との結婚祝いの舞踏会で、セシルは彼女に恋をした。


 ***


 驚愕の手紙から二日後、セシルは王国の首都リンデンのロッドフォード邸の前に到着していた。門から屋敷の入り口につながるポーチで、エリックが荷物を運び出す足元でキーラがブーツの紐を引っ張ろうとする。 

 田舎の領地や事情を知っている者しかいない邸内とは違って、敷地内とはいえ王都では人目がある。セシルは黙ってポケットからクッキーを取り出した。キーラは目ざとくクッキーにつられてセシルの後を追った。

 扉の前で使用人の歓待を受けると、そのまま屋敷の中へ入る。


「母さん!」

「よく来ましたセシル。まぁまぁ随分早い到着だこと。いつもそれくらい機敏に動けばいいのに」


 手紙の内容が内容だけに、母も知らない筈はあるまい、さぞかし憔悴しているだろうと慮った息子に対し、その母アンナは表情だけはおっとり柔らかく笑いながらも、セシルの予想以上の冷ややかさで出迎えた。


「えっと……父さんは?」


 感動の母子対面とはいかず、気まずげにセシルが話題をそらす。こちらの方が重要な話題だった。

 キーラがアンナのドレスのすそ周りにしゃがみ込んだ。セシルが慌ててキーラを抱き上げて自分の後ろに移動させた。「この人にはだめだ。本当にだめだ」鬼気迫るセシルの勢いに押されたのか、エリックに輪をかけて女性に厳しい少女妖精はぷくっと頬を膨らませたきり大人しくなった。


「あぁ、いやだわ。相変わらず幽霊もどきを連れているのね」

「幽霊もどきじゃないよ」

「姿が見えなくてカーテンを破ったり花瓶をひっくり返したり、幽霊騒ぎと何も変わりませんよ」


 妖精の姿を認識できるのはロッドフォード家の始祖、初代オリエット伯爵の血を継ぐ人間だけだった。外から嫁いできたアンナは昔から息子が目に見えない友人と手をつないで踊ったり内緒話をしているのを、眉尻を下げて不安そうに見て、憚ることなく嫌がった。そんな様子だから、ただでさえ人間の女になつく気配がないキーラは、かなり頻繁にアンナの身の回りに悪戯を仕掛けていた。

 幽霊もどきといいながら、見えない敵に全く怯える様子のない肝の据わった夫人は、扇を片手にくるりと踵を返す。セシルもキーラが付いてきているのを確認しながら後を追った。


「アルバートは今王宮に行っています。じきに戻るでしょう」

「えっ!?」


 まさかもう跡取りは「弟」にかわったのか、とひやりとする。嫡子変更の申し出は王宮へ現当主がいく必要がある。


「言っておきますが、アルバートは今あなたを後継者から外す届け出に行っているわけではありませんよ」

「あ、そう……」

「ロッドフォード家次男の届け出に行っています」


 ガツッと槌で頭を殴られた気がした。


「……あの、母さん。確認したいんだけど、その、弟の年齢って……」


 セシルには聞きにくい。しかし直接父から聞く前に、できれば心の準備がしたい。

 だが、アンナにこれを聞くのは酷なことではないか、そんな葛藤を見透かしたかのように伯爵夫人はおっとりと、しかしはっきりと言い切る。


「十六歳。ええ、勿論私が生んだ子ではありません」


 セシルは広間の天井を見上げる。


(やっぱりそうだよね……)

(いやでももしかしたらと思ったんだ)


 そんな思いがセシルの胸に去来する。


 セシルが生まれてから一年後、アンナはもう一人赤ん坊を出産した。貴族の家で安泰とされる、二人目の男児だった。

 しかし、その子どもは兄であるセシルと対面する間もなく夭逝した。セシルは周囲からそう聞いている。以来、この家でも田舎の邸宅でも、長子以外の赤ん坊の声がしたことはなかった。


 もしかしたら、当時の弟が実は世間から隠されて立派に成長していたとか、そういうことではと思ったのだ。


(弟って、愛人の子かぁ……)


 セシルの父と母は政略結婚だった、世の中には愛人を何人も抱えている貴族なんて少なくない。そう思っても、今まで厳しく自分を育てて、母を尊重してきた父の裏切りが判明したことにショックを受けていた。しかも十八歳の自分とだいぶ年が近い。なんならアンナの次男が亡くなってすぐか、アンナの妊娠中に関係を持ったということになる。アンナが氷のように冷たい理由も察するにあまりある。

 しかし、正式にロッドフォード家の一員として届け出るということは、父が自分の子として認知するだけの確信があったということか。それならどうして自分や「弟」がもっと幼い時にそうしなかったのか。


「……父さん、その弟のこと、最近知ったの?」


 だとしたら、今更でてきたその男は本当に父の子だろうかと、お人好しのセシルの頭にも疑念がわく。アンナは「さぁね」とそっけなかった。

 ロッドフォード家に代々伝わる財産は莫大だ。長子がいる以上爵位と財産の全ては望むべくもないが、うまく父を信じ込ませて存命中にいくらか騙し取る――そんな見ず知らずの他人の悪意が浮かんだが、お人好しとはとても言えないリアリストな父相手に限ってそれは難しいような気がする、とセシルは首を振った。


 そこでセシルは手紙の内容を思い返し、胸に広がる苦い思いをこらえて考えた。

 『お前の爵位と財産の相続権が、お前の弟のものになると心得よ』という言葉の意味とは、と。


 ブランデンの貴族は爵位と領地、財産は長子がすべて継承する。弟や庶子は当主が許せば部屋住みになるが、たいていは軍に入ったり僧籍に入ったりと家を離れる。長子の継承権がはく奪されるのは、死亡か、犯罪に手を染めるといったようなよほどの素行不良が認められた時だった。

 セシルは健康で、犯罪にも縁遠い。人妻に恋をしているが、思うだけなら裁かれない。

 すでに男子がいるブランデンの貴族の家で、庶子が突然出てこようと、爵位もそれに付随する財産も、いずれ長男のものになるのは揺るがない筈だった。それが、弟のものになる、とは、()()なら考えられない。


(それでも、何事にも、例外はある)


 妖精を見る一族。

 王家と、一部の古くから続く貴族だけが知っているロッドフォード家の特殊性。自分と血縁のあるもの以外、もしキーラの気配を感じる者がいても、その姿を認識し見ることはできない。


 これは遠い昔に生きた魔法使いから受け継ぐ『名残』だった。


 この国にははるか昔、魔法使いがいた。建国の内乱の時代には相争う諸侯と共に大っぴらに活躍した存在だが、教会の台頭で今となってはおとぎ話の中にしかいないと思われている。

 しかし、当時魔法使いとして戦った者の一部が、王家から爵位と領地を授かり、現在に至るまでその血筋は脈々と続いていた。初代オリエット伯爵もまた、そんな魔法使いの一人であったのだと、セシルは家庭教師ではなく父から直接そう教わった。

 かつての魔法使いは、自然の力と言える精霊を使役し、妖精と対話し、人の心を暴いたとされている。ただの人間では及ばない、その力は現王家が建国の際に敵を殲滅するのに一役も二役も買っていたという。

 だが、平和な時代において、尋常ならざる力をもつ魔法使い一族は脅威となりうるとされた。王家に忠実な魔法使い達は自らの力を封印し、その殆どを子孫に受け継がせないことにした。ただ、外敵から王家を守ることはできるよう、各々の子孫に魔法の『名残』ともいえる微かな力だけを残して。

 オリエット伯爵位を継ぐロッドフォード家が妖精と対話することができるのは、その『名残』である。


 そんなおとぎ話のような歴史は、教会の台頭でいつしか表舞台からは隠されるようになる。魔女狩りも遠い昔となった今、元魔法使いの貴族たちの話は、古い家のちょっとしたジョークぐらいにしか思われない。


 そんな、特殊な家柄だからこそ、跡継ぎの規定にも『例外』がある。


(弟がいるってだけでも意味わかんないのに、万が一にだって、『例外適用』だなんて冗談じゃないよ)


  

 馬車の中でも堂々巡りでうずまく思考に出口はない。ただ、セシルは義務感とは異なる危機感でもってここへ来たのだ。

 すべて弟のものになるだなんて、冗談じゃない、と。


(そんなことになったら、()()()()()()()()


 玄関ホールからのびる大きな階段を上った先に、見慣れない人影があった。上の空で歩いていたセシルの目にもその影は映りこんできた。


(……もしも、父さんが庶子を名乗る男を認知する気になったなら)


 背の高い男だった。一六五センチほどのセシルより十センチ以上高く、後頭部でくくった長い黒髪が余計に背の高さを際立たせていた。


(何か、明らかにロッドフォード家の人間だとわかる要素があったんだ)


 アンナの足が止まる。階段の上から見下ろしてくる男の切れ長の瞳は灰色だった。

 男はアンナに温度のない一瞥をくれたあと、見上げるセシルの顔をみて、笑った。

 若く、美しい男だった。


「ご無沙汰しています。アレックス・グレイと――」


 そこで言葉を切った男は、「失礼」と言い直した。


「アレックス・ロッドフォードと言います。どうぞよろしく」


 セシルは母の周囲の空気が明らかに冷えたのを感じ取った。


「……君が」


 母の様子から意識を反らしたセシルが言葉を続けるより早く、キーラがセシルとアンナを追い越して男、アレックスに近づいていく。妖精はクッキーとミルク、そして美形の異性が大好きだ。

 あっ、とセシルが思わずキーラを制止しようとしたとき。


「で、君は誰? この家には妹もいたのかな?」



 ――もしも、父が突然現れた男を自分の子と認めたなら、多分その男は周囲の誰も見ることができない妖精を見て、話しかけることができたのだろう。


 ちょうど彼がしゃがんでキーラのとんがり耳を不思議そうに引っ張ったように。



(何事にも例外はある。例えば、魔法使いの家で跡継ぎが変更されるなら、それは明らかに『その方が有益』だと思われたからだ)


 ――有益な人間とは、何か。例えば、聡明なもの。誇り高いもの。美しいもの。勇敢なもの。他者との関係を巧く構築できるもの。


「……はじめまして、アレックス。君の兄のセシル・ロッドフォードだ」


 人ならざるものとも良好な関係を築ける、というのは、この王国で唯一この家でのみ必要とされ、この家では絶対不可欠な素養であった。



 母の凍り付いた背中の向こうで、頬を染めてデレデレ甘える妖精を小突く男は紛れもなくこの家の血筋だった。

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