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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第三章 過去への旅路

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兄弟旅行(寄り道)

 対立するということは、傷つくことを覚悟することである。

 相手が自分を傷つけることを。

 自分が相手を傷つけることを。



「やっぱり、ギルベット修道院に寄りたい」


 セシルの宿泊する部屋に戻ってきたエリックは、窓の外を見つめる主人の発言に驚いたように眉を上げた。


「か、かしこまりました。すぐにラスターに伝えてまいります」

「……待ってエリック」


 誰しも秘密がある。それを自分の利益のため、興味のために暴くことは、恥ずべきことであると、セシルは一般的な教養として教えられてきた。

 セシルはゆっくりと瞬きをして、息を吐いた。自分は完璧ではないけれど、胸を張って言えることは、自己中心的に他人を傷つける人間ではないことだった。そうだったはずだが。


(思い出せ、なんでこんなところにいるのかを)


 結婚式では自分に気が付きもしていなかっただろう紫の瞳。その双眸が、自分を蔑んで見つめてきた夜。

 彼女の隣にいたのは誰だったか。



 最初に喧嘩を売ってきたのは、誰だったか。



 セシルの緑の目はエリックの方を見ないままだった。キーラを抱えて二階の部屋の窓から外を見下ろす。歪んだガラスごしに、黒い長髪の男が馬車に乗り込む様子が見えた。


「修道院には僕だけで行く」


 抗議するように口を開けた妖精のそこに、クッキーを押し込んで黙らせた。



 これから傷つく誰かの痛みを無視するには、既に受けた自分の痛みを思い出すのがよく効いた。



 ***



「ラスター、セシル様の小さなご友人が部屋の鍵を壊してしまった。これ以上遅れるのを気にされているようで、アレックス様には先に出発していてほしいとのことだ」


 宿屋の前で、エリックはそう仕事仲間に伝えた。

 ラスターは己の勤め先特有のトラブルに特に疑問を持たず、アレックスにその旨を伝えると、御者に合図を送って自分も馬にまたがった。


 暫く進みながらラスターは考える。この調子なら昼過ぎにはダンリールに入れるだろう。しかしセシルたちはどれほど遅れてしまうのだろうか。

 あまり単独行動をさせないように、とは自分もエリックもアルバートから言いつけられている。従者たちは伯爵ではなくそれぞれ仕える息子に忠誠を誓っているが、この兄弟の心理的な距離感が今以上に開くのは家にとっても本人達にとっても良くないだろうとは思っている。ラスターは馬上から振り返って確認した。

 遥か後方で、ちょうど、セシルの馬車が出発し始めたのが見えた。横にはラスター同様馬に乗ったエリックであろう人影も付き従っている。


 安堵して、ラスターは視線を前方に戻した。

 視界に入った前を走る馬車の中で、自分の主人は相変わらず、閉じられたカーテンの奥から顔を出さないままだった。



 ***



 セシルは先に出発した馬車が完全に見えなくなり、もう一台の馬車も指先の爪ほどの小ささになるまで離れたのを確認すると、宿屋で買った馬の背に跨った。キーラの方が先に馬に乗っていたので、自然と彼女を腕で囲むようにして、自分はその後ろに座ることになる。

 後に続いた馬車が無人であることをアレックスに気が付かれないよう、彼らが目的地に到着する頃には自分もダンリールに着いていないといけない。そう思えば久しぶりの乗馬ながら少々荒く馬を蹴った。ポケットにはキーラに確認してもらった、件の酔い止めの葉が入っていた。


 馬車とは別の方向に進む馬に、不機嫌な妖精はぷくぷくと頬を膨らませていた。



 ***



 馬の足で急ぐと、その古い修道院へは1時間もかからなかった。


 煤けた灰色の石で出来たギルベット修道院の周囲には村も町もない。閑散とした佇まいは、都市部の教会とは異なり飾り気もない。しかし、古く、国境近くの建造物であるからか、堅牢という言葉がしっくりくる規模であった。さながら砦である。


 造りは年季が入っているが、壁面や門扉の鉄板などにひび割れや錆などの劣化も目立たないことから、国王直轄領の修道院として、修繕に困らないだけの潤沢な寄付があるのかもしれない。セシルは入り口につながる石段を登りながらそう考えていた。


「……なんか、見覚えある?」


 来たことあるっけ、と、そうキーラに聞いたつもりだったが、キーラは馬の上から降りてこなかったのだと、沈黙の応えで思い出す。

 キーラは連れてこない方がいいとはわかっていたが、エリックのためを思えばキーラひとり馬車には乗せられなかった。結果、門扉に近づくのも嫌がる幼子の姿にため息をこぼし、舞踏会の夜と同様にクッキーの袋をちらつかせ、「馬の上から絶対に動くな」と言い置いてくることとなった。


 道のわきに座りこんでいる老妖精を横目に呼び鈴の紐を引けば、ほどなくして若い修道士が外に進み出てくる。男はセシルの出自と用件を知ると、驚いたような顔をして奥に通した。


「お待たせいたしました、ロッドフォード様。修道院長のロナルド・レイバンと申します」


 セシルは予め金ボタンを一つ換金してきていた。型どおりの挨拶を済ませて寄付を渡す頃には、出された紅茶も飲み頃にぬるくなっていた。


「お恥ずかしい話ですが、此度は王都の喧騒から逃れて静かなところに行きたかったのです。僕の来訪はどうか他言無用ということで」


 供も連れない来訪は奇特な姿だと思われるかもしれないと思って言い繕ったが、幸か不幸か、今のセシルにはその言い訳はなんの違和感もなかった。

 王都を席巻したスキャンダルがはたしてここまで伝わっているかは疑問だったが、後から口の軽い修道士がセシルの来訪を漏らしても、情報通の旅人には例の伯爵家の噂から長男が逃げただけだと思われるだろうとの思惑もあった。

 皺の目立つ老修道士レイバンは心得ているとばかりに頷いた。


「ところで、ここはとても規模が大きいですね。中庭の畑もとても立派だし、その、孤児院もあるとききました」


 世間話の体で話を進めながら、どう切り出したものだろうと考えあぐねていた。


「ええ、もともと戦災孤児の多い土地でもありましたから、その名残で今でも寄る辺のない子どもたちが独り立ちできるようになるまで共同生活を送っています」

「とても素晴らしいことです」


(……アレックスがここにいたってことは、彼の母親はどうしたんだろう)


 世の中は婚外子に厳しい。父親のいない子どもをここに置いていったのか、まさか彼は幼くして母と死に別れでもしたのだろうか。アルバートに聞かなかったのは、聞かれたくないだろうなと慮ってだったが、思えばそこは突っ込んで聞くべきことだった。自分が思っていたより悲惨な母子の話を掘り出してしまうかもしれない。


「今ここにいる子どもたちも、みな両親と死に別れてしまったのですか」


 ここ最近は大きな戦争も起きていませんが、と言い添えたが、セシルは我知らず息をのんでレイバンを見た。修道院長は年若い貴族の青年の悲壮な顔をみて、穏やかな声で返事をした。


「貧困の中で病に倒れてしまった親の子どももいますが、出稼ぎで子どもを預けていかれる場合や、ほかの理由で預けていかれる場合もありますよ」

「ほかの理由?」


 肩の力が抜けて、セシルは何げなく聞き返した。レイバンは一瞬間を置いた後、箱入り息子に言葉をかけた。


「親がいても、そばで育てることのできない子どもなども、ここで育っていきます」

「……そうですか」


 捨て子、セシルの頭にそんな言葉が浮かぶ。

 セシルは俯いて相手に気づかれないように深呼吸をした。


「ここでは育った子どもたちはみな町や村で仕事につくのですか」

「ええ、その場合が多いですね」

「へえ……」


 このとき、セシルは宿屋で会った娘たちのことを話そうかと迷った。しかしその話をすれば直接『アル』の話をすることになる。セシルが自ら『アル』のことを調べていたと修道院側にわかれば、『ロッドフォードの次男』の噂がここにたどり着いたとき、アルとアレックスはすぐに結びつけられるだろう。

 そうなれば、人の口に戸は立てられない。この修道院を起点に、アレックスが孤児であったという話が広まるかもしれない。それは当事者や家にとって不愉快な注目を集めることになるのではないか。セシルは子ども達が自立する過程の話を喜ばしい顔でききながら、いかにアルのことを聞き出そうかと頭を巡らせた。


 ふと、視線をずらせば、部屋の隅に手のひらにも乗るような大きさの女性の妖精がいるのが認められた。さりげなく見渡せば、部屋のいたるところに妖精たちがいる。多くは花や木の妖精である。


(古い建物だから、妖精が入り込みやすいのか)


 今の主要宗教が広まる前に建てられているような古い建物なのかもしれないと思い、セシルはレイバンに聞いてみた。


「ええ、この建物はもともと建国前に建てられた要塞のひとつでした。ダンリールの城をご存知ですか。あの城と同等の歴史があるのですよ。ただ、古い悪魔がはびこる土地だったため、修道院となってからは今日こんにちにいたるまで悪魔祓いがさかんに行われてきたのです」

「……そうなんですか」


 その割に妖精が沢山いるが。セシルはそう口には出さずに、レイバンの目尻に刻まれた皺に合わせて自分もにっこりと笑った。

 妖精の多さは、ダンリールに近いことも関係しているのかもしれない。


「悪魔祓いとは、具体的にどのような?」


 セシルは壁に沿って歩く妖精たちを目の端にとらえながらそう訊ねた。

 彼らがキーラのように悪戯をしないのは、古い建物に妖精専用の通り道が魔法的に設計されているからだろう。妖精を外敵として弾くのではなく、互いに干渉しないで済むようにあらかじめ準備がなされている建物なのだ。よくみれば、古い壁と床の紋様の中に、見覚えのある魔法陣が混ざっている。


「え? ……そう、そうですね、聖別した水での沐浴をしたり、悪魔が離れるまで個室で聖書を唱えたり、悪魔につかれた子どもの様子によって様々ですよ」

「え? 子どもに取りつくことが?」


 セシルはてっきり建物に対する悪魔祓いが儀式的に行われているのだと思って何気なく訊いたのだった。悪魔と呼ばれる存在が、人間に取りついて、それが修道士たちの目にも明るみになることがあるのかと心底疑問だった。なぜなら、悪魔が妖精のことだとして、妖精が子どもにまとわりついても、ちょっとしたいい偶然や悪い偶然が起きるだけのことが多いからだ。


「……昔の話でございます。それでも、かつてそこかしこで行われた魔女狩りにおける拷問のような、人の体を痛めつけることは行っておりませんよ」


 レイバンは、セシルが修道院は非人道的な行いをしていると糾弾してくると思ったのか、困ったようにそう説明した。

 昔なら、魔法使いの数も今より多かった。修道院に関わる人間の中に、妖精の姿を見る者がいてもおかしくない。


「そうですか、それはまた」


 興味深い、そうたわいもない話として流そうとしたとき、セシルは妖精たちが足を止め、こちらをじっと見つめているのに気が付いた。


「嘘つき」


 どこかで誰かが囁いた。セシルにしか聞こえない声で。

 何対もの目が、こちらを、レイバンを見ていた。


「悪魔憑き、と、言われた子どもが、最近もいたのですか」


 セシルは思い出した。『今日にいたるまで悪魔祓いがさかんに行われてきた』という先程のレイバンの言葉を。

 レイバンは表情を変えなかった。


「いいえ? 昔の話ですよ」


 四方の妖精が口々に言い始めた。「嘘つき」「嘘つき」


「いましたよね? だって、今日までさかんにおこなわれてきたって」

「……言葉のあやでございます。誤解させてしまいましたこと、心よりお詫びいたします」


 動揺はおくびにも出さないその態度に、セシルはそれ以上はなにもきけなくなった。

 妖精の様子を見れば、その場で嘘が出てきたことはわかるが、誰が言ったのか、どんな嘘なのかは自分で探るしかないし、何より妖精も真実そのものを知っているわけではない。人間が嘘を吐いたことがわかる、それだけなのだ。


「その、たとえば悪魔憑きの子がいたとして」

「いませんよ。神の御威光のもと、この国から悪魔は追い払われました」


 先程までの友好的な様子とは打って変わって、穏やかながらも有無を言わせない口ぶりとなってしまった。

 もうこれ以上この話はつづけられない、セシルにもそのことが分かったので、一旦話を変えることにした。


「失礼しました。それにしてもやはり立派な修道院ですね。修繕も行き届いているし、こんな田舎でも、王家からの寄付などが豊富にあるのでしょうか」


 急いで口をついて出た言葉は「田舎」だのあからさまな金の話だの、不躾な話になってしまった。そのせいか、レイバンはその発言には無言だった。しまったと思ったが、一度出た言葉は回収しようがない。


(……この旅が終わったら、もっと色んな立場の人と話をしよう。少し、アレックスを見習うのもいいかもしれない)


 固い表情で口をつぐんだ修道院長の前で、セシルは自分の話下手をしみじみと反省した。



 ***



 時間を遡ってその日の朝、出発前。


 カーテンの引かれた馬車の中で、天鵞絨の座席に腰掛けたアレックスは、膝の上で組んだ手に己の額を近づけるかのように項垂れていた。

 身を隠そうとしているかのようにも、じっと耐え忍んでいるかのようにも、また、誰かに祈りをささげているかのようにもみえる姿だった。

 およそ、普段の堂々とした姿からは想像もできない。


 外で、誰かが話す声がアレックスの長く垂れた髪の隙間から耳に入ってきた。


「アレックス様、セシル様は“小さなご友人”の粗相の片づけで少し遅れるそうです。すぐに追いかけるので、先に出発しているように、とのことです」


 ほどなくして、最近自身にあてがわれた従者がアレックスに声をかけてきた。

 微かに顔を上げた。その顔には怯えも、苦しみも悲しみもなかった。


「……わかった」


 アレックスが応答した後、ラスターが馬にまたがる気配があった。遠ざかる足音はおそらくエリックだろうと予想がついた。馬車が揺れて、前進し始める。

 暫く進むと、蹄の地面を蹴る固い音と車輪のきしむ音が後方からも聞こえるようになった。


(同行したのが伯爵だったら、こんな些細なこと、無視してくれたんだろうがなぁ)


 親しみなど微塵も感じなかった旧知との再会の朝に、タイミングよく起きた妖精の悪戯がどんなものなのか、アレックスにはどうでもよかった。その真偽も含めて。


「ま。先に吹っ掛けたのはこっちだもんな。好きに探ってくれ」


 最近学んだ妖精の意図的な追い払い方は、アレックスがずっと求めていた知識だったから、この馬車の中ではこの呟きをきくものは妖精を含めて誰もいない。この年になってようやく、彼は本当に『一人になる』方法を知った。

 セシルが後方の馬車にいるとは思っていなかった。異母兄が向かう先にも予想はついていたが、止める気はない。どうせ継承権争いには役に立たない事実しか出てこないと、アレックスは知っていたからだった。




 ただ、自分の惨めな気持ちがぶり返すだけだ、と。



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