より高い目標
売れたら駄目になるアーティストだとか芸人だとかは、結構たくさんいる。そもそも、売れる事を目標にしているのだから、目標が達成された後は、ずるずる下がっていくだけと簡単に言いきってもいいのだが、別の観点から考えてみる。
芸人などを見ていても、一つの事をして客に受けると、人はその事をその人に求める。芸人の方でも求められて、至る所で同じ事をする。テレビでも営業先でも同じ事をする。すると、もう人は飽きて、その芸人に興味を抱かなくなる。
成長する、変化する、というのは、それまでではないものになる事を意味する。そこでは過去の形式は破られるから、過去の形式に愛着を感じている人は、裏切られたような印象を持ってしまう。
世の中の動きを自分なりに見ていると、人は、それそのものがどういう価値があるのか、自分で考えてみるより、それに愛着を持つ方を好む。逆に言えば「生理的に嫌い」というのも、大した根拠があるわけではなく、その人物の「好き」はたやすく「嫌い」に変化する可能性を持つ。そもそも、「好き」は、はっきりした見定めがなく、なんとなくのぼんやりした印象やその時の思いでとらわれているために、変化しやすい。
ある形式とか、ギャグとか、作風とか(東郷青児や奈良美智)、そういうものは一度打ち出されると、人に安心を生む。ある作風、あるキャラクターはその人そのものを表しているように感じ、それが好きであるという、愛着を生みやすい。いずれにしろ、番組なんかでも使いやすい存在だろう。
成長する、変化するという事は、これらとは違うものを含む。つまり、ファンだとか信者とか(同時にアンチをも)裏切る事になる。裏切ってでも前進する為の原理はどこにあるのだろうか。それは、自分を信じる、という簡単な事にあるように思う。が、今の世の中でこんな事を言えば、既に自己は他者・社会に汚染されている為に、自己と信じたものが自己ではない、という事が繰り返し起こる事になる。
売れる事が目的ならば、その目標で成長は止まる。一発屋芸人が、一発芸を足がかかりにして芸を太くしていく為には、自分の一発芸を否定する所を持たなければならないが、一度売れたら、人がそれを求めるし、ちやほやしてくれるだろうから、そこから自分を否定して成長するのはまず無理なのだろう。作家なども大した違いがあるわけではない。最初から、目標が低い所にある人は、それ以上には行かない。
では、高い目標とは何か。成長するのに必要な高い目標は何か。わかりやすい所で言えば、自分自身の死を思う事だろう。自分が十年後には死ぬ事を想定して、その十年の間にできる事をやっておく。とすると、遊んでいる暇はない。何かをしなければいけない。この世の様々なものは自身の死を解決してはくれない。死までの時間に何をすべきか、というのが、本来的にその人の目標であるように思う。自分の死と競い合うという目標の方が、ノーベル賞を取るとか、グーグルを越えるとかいった目標より、より「高い」目標であると思う。
(有名なSF作家が作品を一つ書いて出版社に送るたび、「これでまた死神に一歩リードした」と思ったらしい。自分の言わんとする事はそういう感触だ)




