四つ目の角 魔塔の壁
四つ目の角 魔塔の壁
湿地帯を抜けたらしく、程良く硬い感触を返す土と同じ光沢の地面が続く。
陽は見えないが光線の角度から昼を過ぎたくらいだろう。
先頭を行くサミヤが樹木を抜けた先の大きく横に伸びた影に入ると気合いを入れ直すように息を吐き、横に追いついたディアナが石を組み合わせた二つの塔と突き出た膨らみを持つ壁を見上げ、ジレルが計算するように何度か野太刀の鯉口を切り、帽子の上のミアシャムはまるで周りから責められたような不快な表情で首を傾げた。
「賑やかですね」
「いやぁ……ちょっと」
貴賓室ではなさそうだが、魔塔の壁の門の中にある広く小綺麗な部屋。
二人の兵士に案内され、勧められるままディアナとジレルとマジュスがテーブルの席に着く。ディアナが窓の外からの微かな音に視線を向けると、少し中年がかったケルベナの兵士が妙に照れた笑みを見せる。
部屋でも帽子を被ったままのマジュスの帽子のつばの上でミアシャムが不審そうに見回す。視線は合わなかったが自分が見られたと思ったもう一人の顔の肉が厚そうな兵士が、きちんと開いていなかった窓の戸を大きく開き直し、溜まっていた埃が舞うと慌てて手で外へ扇ぐ。
国境である魔塔の壁を守護する門とはいえ、国交復活の話しが出るまでは何十年も表だった話題のなかった場所だ。そういった公の部屋の存在は忘れられ、とりあえずなるべく使われていない綺麗な部屋を選んだのだろう。
そしてなにより、魔塔の壁の門は、門と言うよりその用途は要塞。
二つの高い塔を包む砦は、威圧するように丸く大きくせり出しており、弱点となりそうな前後の門も分厚い両開きの扉と釣り上げ式の扉で二重に備えられている。
砦内も、壁の厚さに付け加えるように堅固な建物が巡らされ、何部隊も整列できそうな広場、そして敵が侵入した場合のスムーズな移動を妨げるための微妙にズレた配置で三重の円を描き各施設が並んでいる。
戦時ともなれば一万超えの兵も余裕で駐屯し戦えるだろう。
これらを安易に観察できる部屋も、今はまだ他国の者には使わせられない。
ただ流石に、今は開き兵の三百も居る様子も無く、戦備えの武具の固い音が響やいきりたつ兵の声も響かず、三階の窓まで届く響きは軽快に弾んだ足音や屈託もない笑い声だけだ。
『うっしゃー。何かこう、ちょっと叫びてぇぇぇ』
『はぁー、人生幸せの基本ってこうだよなー。久しぶりにっ力出まくりっ』
『せっかくだから、俺はちょっと走ってくるぜっ』
『おぅっ、やるなっ』
『あははお前らなぁ……よし。俺も走るっ』
「活気に溢れた場所ですね」
「……はい、その、昨日今日と色々ありまして、とくにまだ慣れない新兵達がちょっと」
窓の外から幾つも大きな叫び声が響き、中年がかった兵士がまたも困ったように口を開く。そして兵士の粗雑さを嘆くというより、自分もここから逃げてその笑い声の中へ混じりたそうな顔で口を閉じ、何かしまったというように今度はハッと口元を引き締める。
ディアナのことは姫と言うと騒ぎになり、下手をすれば足止めされたうえに丁重にレウパへ追い返されることにもなりかねない。魔塔の壁の砦門の兵達への説明では、レウパ王国からの内密にして急な使者ということにしてある。
あまり使者のような身なりではないのだが、ディアナは一目見ればただの村娘ではないと分かるし、ジレルも貴族の横にいれば騎士であろうと想像してしまうだけの品ががさつな中にもあり、マジュスに至ってはミアシャムの姿が珍しかったのか出迎えた魔術に学のある兵士達の間からはもしやレウパの宮廷魔術師ではとの囁きすら響いていた。これに、ここをケルベナからレウパへの大使が通った時に見たサミヤが加わると、納得しないわけにもいかない。
一介の兵士としては、下級侍女から王族に連なる貴族、内密の使者とはどの辺りと踏まえて対応をすべきか分からないのだろう。
とはいえ、砦という雰囲気に似つかわしくない賑やかさと、それに対比したそわそわとした固すぎる兵士の緊張感は少しおかしい。
ちなみに、ケルベナへの案内をかって出たサミヤは、出迎えた兵士達に手早い説明を終えると、今後の手はずを整えると言って守備大隊長の元へ一人で行ってしまった為、サミヤが戻るまではディアナ達からもこれといって何か言うことはない。
それでも、何かケルベナについて質問するなら……。
文箱を抱きしめちょっとドキドキした顔になっているディアナに顔を向けたジレルが、吹き込んできた風に、下の騒ぎの理由に気付いたように少し鼻を上に向けて動きを止める。
そのジレルの心を読んだように、二人の兵士が今すべき対応を思い出したように解放された笑顔をパッと浮かべた。
「はいはいはいはいはい、そっこ押さなぁ~い。食べたら、次と入れ替わんな~」
「まだまだあるから焦んなくていいよ~。そこアンタ、喰いっぷりいいからデザートもう一品おまけだ。じゃんじゃん作ってあげるから、遠慮なんかするんじゃないよ~」
食べる音と笑い声と満ちる第三番食堂の中を、景気良く高らかに響かせながら両手にお盆をもったヘンルータとアネットが忙しく駆け回る。
料理にガッつく百人程の兵士達全員がナイフを持ち上げるように『おう』と応え、更に五十人程入口で詰まりながら入ってきてイスを取り合う兵士達も料理を要求するように『おう』と口々に唱える。
「かぁ~、良い胃袋したヤツだ」
「あたしらも料理の作り甲斐があっるてもんよ」
料理を次から次に運んでいるだけにどう見ても作ってるのはこの二人ではないのだが、ヘンルータとアネットがやたら元気に勝ち誇る。
「いゃ~、済まねぇな」
その人波より濃く、料理の匂が詰まった食堂の奥。厨房の片隅の椅子に座った兵士の頭より低い位置にある小さめの頭がひょこひょこと駆け回り、それを眺める逆茶髪の男が半分弱った半笑いで言う。
「謝る必要はありません。むしろ感謝です。ジブコット城では見習い扱いで、欠員が出ていたデザートしか作らせてもらえませんでしたから」
フィラがそう言って15ある釜戸の鍋とフライパンを順番に操り、3つのオーブンの様子を見ては新たに倉庫から運ばれた材料で下ごしらえをはじめる。その向こうでは、今月の調理場担当兵達が出来上がった料理の盛りつけをするだけで、早さに汗を流して追われる。
最初は、半分冗談のちょっとした嫌がらせのつもりだった。
フィラやヘンルータやアネットやクマを疑っていない訳ではなかったが、自分達を騙そうとしているにしてはあまりにもおかしい。それに、こんなところへレウパ王国のジブコット城の者が来るとすればこの魔塔の壁の砦門に用があるのであろう。
そこで連行という形で案内し、自分達を疑った罰として少しばかり料理を作らせて、うまければそれでよし、不味ければ馬鹿に仕返せてそれでよし、との心づもりだった。だが、普段の砦とは違う匂いのせいかすぐに何人かの兵士が嗅ぎつけ、内緒だぞ、と口止めして味見させたのにあっさりと砦中に伝わり、どこでどう尾鰭が付いたのか、レウパとケルベナの国交復活前祝いに、特別な昼食が食べられる日として広まってしまったらしい。
気付けば既に一度フィラの作る料理を平らげたはずの兵士が何人か食堂に入り込み、大口を開けて頬張っている。いや、記憶違いでなければ三食目の兵士も居るようだ。
使っている材料は普段の砦の食事と同じなのだが、いつもの料理人ではない当番兵が作った不味くは無いがうまくもない、見た目も代わり映えない料理とこれだけ違うと、別腹がいくつも出来るのかもしれない。
「こりゃ、後でもういっぺん喰いにこないともったいねぇや」
「俺はもう走って来たぜ」
「叫んだのお前かっ、ここまで聞こえてたぞ」
「クマのあんちゃん、レウパじゃいつもこういうモン食べられるのかい」
「街のことは知らないくま~」
「はっはっはっ、謙虚だな。いつもとは言えないってか。俺国交が回復したらレウパにグルメツアーに行ってみるぜ」
「ほんとほんと雅な国の料理は一味違うねぇ」
「いやいや雅でいて家庭的な味もするところがいいんだよ」
「おかわり追加~」
「えーっ、直接おかわりオッケェェェ」
食堂の隅で体を小さくして椅子に座り同じ料理を食べているクマすら気にせず言葉を交え、楽しげな笑いが幾つも起こる。
逆茶髪の男がクマと周りの兵士を問う視線で見るが、お祭り気分なのかこれも何か間違って伝わったのか、細かいことには誰も気にしないようだ。
いや、テーブルを占める大きさだけは気に掛かったのか、後から来た兵士が食べ終わったら除けよとクマを相手にあっさり壁に立たせ、クマはそのまま恐縮したようにビタッと壁に張り付き、それでも邪魔なのかずりずりと押しやられ、ピタと一度止まると、諦めたのか自分からもずりずりと歩き出す。
「客人用の料理は出来ましたか?」
「ちょっと待て、今料理が途絶えると暴動が起こる」
「八人分でしたね。こちらに用意しました」
厨房に口をモゴモゴと膨らませた大柄な兵士と中年かがった兵士が顔を突っ込み、逆茶髪が応え、すぐ横でフィラが言ってテーブルの横を手で示す。
気付けば、こちらはフィラ自身が盛りつけたのか同じ料理でも心持ち他の料理より細やかに見える料理が、カートに盆ごと乗せられた状態で八つ並んでいる。
「人数が多いようですが、お客様はガロワ城からの方々ですか?」
「ん……いや、そういう訳じゃないんだが、俺もよくわからん」
フィラの最初の料理が出来た頃に何か騒ぎが起こっていたことには気づいていたが、こちらはこちらで騒ぎにしてしまった以上、見ているだけしか出来なくても離れるわけにもいかない。一応手近にいた兵士にも尋ねてみたが、何やら内密のことらしく、判断の出来る自分より上の者に聞いて欲しいとのことだった。顔つきからすると全然困ったことではなさそうだが、少なくとも国か軍に関わる相手なのだろう。そうなると自分の立場的に、迂闊なことは他国の者に話せない。
「どういった方かわかると少しは味の調整が出来るのですが」
フィラは少し不思議がるような響きを残しつつ、フライパン乗った釜戸へ走って行った。
見慣れたつもりだが、ふと気を抜くとそのまま吸い込まれて落ちてしまいそうな地表を眺めつつ、二つある高い塔の一方の頂上で一人の兵士がポツリと呟く。
「腹減ったぁ~」
砦の外と内を見張る、横にいた二人の兵が同時に苦笑いを浮かべる。
警備時間の割り振り的に他の兵達より遅く朝食はとったため、普段ならそう思うことはあってもまだまだ口にするような時間ではない。
だが砦内を元気良く走り回る何十人もの兵士、風により鼻先を撫でるいつもと違う食べ物の匂い。塔に昇る前に耳にした会話が本当なら、レウパ王国から料理人が来て御馳走を振る舞ってくれているらしい。
「カージスとドルグの奴は、向こうでもそんな風にもてなされているのかなぁ」
「おいおい、今じゃ二人とも騎士になって俺達どころか、部隊長より各上なんだぜ。様つけてやれよ」
「アフリクドもさぁ、ありゃそのうちクビと言ってたら魔術士長様だし。西南のラヤンとの戦場に行ったヤツは、出世が早いねぇ。あ……アフリクド様、な」
ぐだる兵に一人が突っ込み、反対隣りの兵がちゃかして笑い、ふとマジメな顔になる。
「でも、部隊長も情けないよな。カージス、様、と、ドルグ、様、が砦を通る前は二人のこと大したこと無いと笑っていたのに、馬に乗って鎧つけた姿見たらころっと『カッコイイ。俺も西南の戦場に行っていれば』とかなんとか言い出して、媚び媚びで話しかけたり」
「いーじゃん、いーじゃん、持ち上げとけば。もうすぐ国中平和になるんだし、そしたらアイツお払い箱。いや、樹海の化け物倒せば俺達だって騎士になって威張り返せるかもしんねーぞ」
「アホ。樹海の化け物を一匹倒しただけでそんな出世出来るか。だいたいコルジュ大隊長は、西南の国境に行く前から大隊長で、この中隊構成数の兵も居ない砦に来た時も大隊長で、全然出世してないんだぞ」
ガンガンガン……
魔塔の壁の砦門の薄暗い地下牢へと入れられたサミヤが、石作りの狭い部屋で、唯一通路と繋がる鉄の柵を靴底で蹴る。
「どういうことだこれはっ。説明しろッ。重要な任務があると言っただろ。オリシス様に急ぎ連絡を取らなければならないんだっ」
守備大隊長に合わせると言いつつ地下に連れられた時点で怪しんではいたが、迂闊だった。
ガゴンガゴンガゴン……
更に落ち着きもなく、一人残らず立ち去った通路へ向けサミヤが鉄柵を蹴り呼びかける。
「説明くらいしろ。ケルベナ王国の人間はそこまで人道に劣るのか」
鉄柵は細いが呪印が掘られているため強度は通常より固く、魔術も全く使えないことはなさそうだが、自分の力では破壊できる程の威力は出せそうもない。
まさかアフリクドがあの状態から回復し、ヒシクも倒して自分達より早くここに着き都合の良い出任せを伝えたのだろうか。だがそれならその場で捕らわれるか、下手をすればディアナ達は横暴な理由を着せられその場で打ち首になっていただろう。
しかしその様子はなく、砦は実に静かだ。
急ぎでありながら無理に強行せずあえて一晩野宿した理由は、何かあった時に暴れて逃げるだけの力を蓄えておくため。もしディアナに何かあれば、ジレルもマジュスも、自分のように槍で囲まれただけでは従わず、砦を揺るがすほどの大暴れをしているだろう。
一応、カージスやドルグの告げ口の線も考えるが所詮は一介の騎士の言葉、証拠が無ければ先ずは監視する程度でいきなり捕らえるわけもなく、その二人に指示する者の仕業だとすれば対応が早すぎる。
すると残るは、この砦門を統べる者こそがディアナ姫暗殺を企てる一味という可能性だが。
「………………」
本来最初に考慮すべきことに今になって気付き、血が逆流したような顔でサミヤが慌てふためく。
そういえば、カージスとドルグが最初にディアナ姫達を見付けたようだが、あれはおそらくこの砦との連絡系路上にディアナ姫達が居たからだ。
「命じたのは誰だ。あの方は無事か。レオン第一王子様はどうされている。国王様の様態は。誰か何か言えっ。まさかオマエらっ……」
「そう騒ぐな。外に響かなくても中では耳と頭に響くのだ」
と、ここよりも暗く闇に消える奥の通路から大男を小さく圧縮したような、変にガッシリとした筋肉を持つ四十代ほどの潰れ顔の男が現れる。
確かこの砦を通った時に、アフリクドに魔塔の門の守備大隊長と挨拶した、コルジュという男だ。
コルジュは冷静と緊張が混ざった、アゴを上げるような視線を檻の中のサミヤに向けると、少しだけ不安定な響きで声を発する。
「実はお前の言うオリシス様が、レオン第一王子の暗殺を行ったのだ」
「お……っ、オリシス様がっ。レオン第一王子様が亡くなられたっ?」
コルジュの警戒こそ強いが敵意とは違う雰囲気に、取り越し苦労と安堵しかけたサミヤが、予想を越える衝撃に自分がどこに居るかも忘れた様子で叫ぶ。
コルジュの頬の筋肉が歯ぎしりするように盛り上がり、影が悩むように深くなる。
辺りが暗いせいでなければ、数日前より確実に顔色も悪い。
「遺体が見つかっていないため、本当かはわからん。だが、それによりオリシス様に関係する全ての者を捕らえよと命令が出ている。わしとて悩んだが、お前はオリシス様へ早馬を出す用意をしてくれと言ったそうではないか。それゆえ、とりあえず捕らわせてもらった」
コルジュ自身情報を信じ切れていないようだが、怒りをどこへ向ければいいか悩むように、肩の筋肉がピクピクっと震える。
「第一王子付き魔術師ともあろうお方が……お主、何か知らないか?」
「知るかっ」
上擦った声で感情的に叫ぶ。
自分でも驚くほど落ち着きのない声だ。何か嘘をつき、隠そうとしていると疑われたのではと、怖くすらなる。だが、コルジュの視線は既にサミヤには無く、ただただ乱れた溜息を吐き、踵を返すと、僅かな明かりの筋が見える地下牢の外へ向かって歩き出す。
「おい、待て。あの方はどうするつもりだ? あの使者はレウパだけでなくケルベナにとっても重要な方だぞ」
輪郭すら定かではない通路の先が四角に明るくなり、力強く真摯な声が響く。
「アフリクドの奴と連絡がとれ次第、使者殿達は我々で城まで護送してやるから安心しろ」
「……!」
明確な証拠がない時点では、地位が上の者の意見が通るだろう。軍となればなおさら。
だから、一介の騎士にも劣るような魔従士という自分の地位では喋らず、アフリクドの言葉に対抗できる、第一王子付き魔術師のオリシスと連絡を取ろうとしていたのだが……。
全てを話そうかと一瞬考えるが、暗殺騒ぎの一員と疑われているだけに、下手な発言は何が命取りになるかわからない。
「お前も、数日我慢すれば出してやれるだろう」
コルジュの声が再び響き、力余ったように強い音で扉が閉まり外の光が消える。
数日……。ヘタをすれば一日で、回復したアフリクドが好き勝手なことを言って証拠隠滅に走るかもしれない。ディアナ暗殺を企てる者達も情報をつかみ何らかの行動に出るだろう。
ヒシクがレウパにうまく引き渡していれば自体は好転してくれるかもしれないが、今思うと段々とヤツには無理だという感覚が、心の奥で重く心臓を絞めるように吊り下がってくる。
視線を落としかけたサミヤは、まだ響く声はないかと耳を澄ますように天井を睨み上げた。
大きな影が壁を伝うように駆け、五つある食堂のうち唯一にしてやたら良い匂いを漂わせている扉の前に来ると立ち止まりかけ、思い直したようにサッと足を早め通り過ぎる。
二つの影がそれを追い、ちょうど食堂から出てきた兵士はその後ろ姿を見ると、ふと自分のお腹に手を当て、大丈夫と笑うとこちらも思い直したように食堂の中へと戻った。
「フィラさん、追加100ね」
「ほぼ三巡してるから、多分テーブルある材料全部作ったら終わりだよ」
ヘンルータとアネットが明るく言いながら、盛りつけ終わった料理をさっきまでよりは少し遅いペースで兵士が鈴なりで待っているテーブルへ運んでいく。
息は弾んでいるが疲れた様子はない。
どうやら兵士達の入れ替わりと食べ終わる速度そのものがゆるやかになって来たようだ。
「いいんですか?」
フィラが大鍋を確かめ出来上がりを確認。こちらも落ち着き汗も引いてきた調理担当兵達に盛りつけをお願いすると、後ろで立っている逆茶髪の男に言う。
「ん~……?」
「国境の砦なのに兵士の皆さんがお腹一杯になるまで食べさせてしまって。いざという時に、お腹が重くて動けなかったり、今後の備蓄とか」
考えるように顔を歪めた逆茶髪男が、何のことかわかり破顔する。
「ああ大丈夫。樹海の化け物退治やレウパとの国交なんたらの準備で、食料ならここんとこ連日どんどん運ばれてきている。むしろ大食い大会でもやってさばかないと、腐っちまうんじゃないかと心配になるぐらいにだ。ちょうどいい機会だから、好きなようにやってくれ」
「わかりました」
そう言いつつ、兵士達の平らげるペースに合わせた残りの料理数を計算するような顔になり、逆茶髪男が苦笑いを浮かべる。
「嬢ちゃんは将来いい奥さんになるわ」
「そうだな嬢ちゃんなら立派な美人になるに違いねぇ」
「10年後にどれだけ綺麗になってるか楽しみだ」
騒音の割りに声が届いたのか、厨房のすぐ前のテーブルに陣取っていた兵士達から同意する賞賛の声が響く。
「っーわけで、おかわりー」
「おれ、デサートだけ三皿くんねぇ」
「おれもおれも」
「こっちもー」
「もうちょぃお願い~。甘い物は久しぶりなんだよぉぉぉ~」
逆茶髪男が、おいおいとまた苦笑う。
「ま、砦の雰囲気が明るくなったのは良かった」
「食事がお気に召されて良かったです」
「……だな。そろそろ別の2部隊、残り3部隊も来るから、その前に俺も食べさせてもらうか」
どこか違うところを見るような表情で一人頷いた途端、少しハッキリした声で言い、自分で料理を盆に乗せ、厨房を出て空いたテーブルの一つへ歩いていく。
おそらく逆茶髪男がずっと厨房でフィラの後ろについて居たのは、監視。
相手が余所者である以上、万が一食事に何か混ぜられた場合を考えてずっと警戒していたのだろう。だが、ここまで料理を食べてしまえば今更気にしても仕方がない。
「なんだい、自分で作らせておいて食べるのは最後かい」
「て、喰わずに出てくっ。フィラさんもあんな男に背中ジロジロ見されて嫌だったろ」
厨房に戻ってきたヘンルータとアネットがすれ違い、席に着こうとした逆茶髪男が入口からの手招きにそのまま料理を置いて食堂を出ると、ちょっと根に持ち返したように毒づく。
と、実際に嫌だったのか逆茶髪男が居なくなった途端フィラが突然溜息を付くように視線を落とし、ヘンルータとアネットがビックリ顔になって慌てて近寄る。
「あらら……流石にこれだけ作ると疲れちゃったかい?」
「もうちょっとがんばろ。後でマッサージしてあげるから」
「いえ、ただ、実は誰もおいしいとは思っていないんじゃないかと……」
「は……。喜んでるだろ、あんな食べて」
「それに耳を済ませば……ほら、また聞こえる」
「これ詰めて持ち帰りオッケ~?」
「次の大食い大会はいつやるんだぁ~」
「四食しか喰ってないヤツが勝ち誇るな、俺は五食だっ」
「ほらほら」
「大盛況」
「でも誰一人一言もおいしいとは言ってません」
「こっちの枝みたいな甘辛いヤツまだある~?」
「コゲててもいいからあるだけ全部もってこーい」
「沢山食べているのは、昼食時を過ぎてしまってお腹が減っていたのと、見慣れない料理で物珍しかったからだけで……。やっぱりわたしはまだ見習いレベルなのでしょうか」
「何っ、そういう料理もあったのか。俺にもコイツと同じのもう一皿~」
「俺は同じで良いからもう二皿~」
「じゃ、俺は十枚~」
「皿が無くなるだろ、俺は鍋ごとな~」
「料理大会でも二位までしかなったことないし、おいしいって言われる料理は遠いですね」
食堂から絶えず響く賑やかな談笑を背中に、ヘンルータもアネットも、ただただ突っ込みも忘れて絶句した。
「おいしい」
「うまいっ」
マジュスとジレルがテーブルに並べられた料理を口に頬張っては、笑顔と共に『おいしい』『うまいっ』を連呼する。
ディアナも言葉は発しないものの、一つ口にしただけで顔が輝く。
気付けば帽子の上のミアシャムまでも、ちょっと匂いを嗅ぐようにしては不思議がるような笑みになり、マジュスがスープをすくったスプーンをつばの縁に上げると、食事は取る必要が無いと言っておきながらズズズズズッとちょっとどうやったらな大きな音を立てて一気に飲み干す。
「ケルベナの軍て砦ですらこんないいものが食えるのか。そりゃ戦も頑張るよ」
「いや~、なんか今日は特別ですよ」
「騒ぎはこれだったんですね」
「はい。なんかよく分からないけど色々来てたりで、これは国交復活の前祝いとかなんとか。皆さんもいらしたのが今日で良かったですよ~」
「これが平和の味ってヤツですかね~、」
忌憚無いジレルの賞賛とディアナの言葉に、大柄な兵士と中年がかった兵士が体をクネらせつつ自慢げな顔になり、口元を料理を運ぶ前より少しだけ光らせる。
そして、ディアナの前には一人前だが、ジレルの前には三人前、マジュスの前には二人前の料理皿。残りの二人前は毒味としてこの二人が食べての計八人前だったようだ。
「色々、と言いますと。国交復活以外にも何か目出度いことがあるのですか?」
ディアナがマジュスの前に置かれた皿のサブレービスケットがなくなっていることに気付くと、自分の分を一枚だけ取って残りをマジュスの皿に移しながら尋ねる。
兵士二人が、ギクリと青ざめ露骨にオタオタするが、それでいてしばらくすると奇妙なほど喋りたくて仕方ない顔になる。
そして互いに目線をかわすと、声はそのまま手と表情だけ内緒話しをするように構える。
「どーせアレ、ご覧になってますよね。目出度いとは逆で樹海の化け物ですよ」
「婚礼の時はリィンハルト王子はこの砦門を解放して樹海を通ります。その時に何かあっては困りますから、色々討伐の準備として先に食料が送られてきているんです」
「それもかなり大がかりみたいで。滅茶苦茶大量」
「昔大陸中で魔物騒ぎが起こった時にも揺らがなかったと天下に自慢するケルベナ軍だけに、樹海の化け物にそこまで手こずってるなんて恥ずかしくて秘密なんですけどね」
二杯目のスープを飲んだミアシャムが、ギクリと固まる。ちなみに、体積的にはお腹が丸く出ていないとおかしい量だが、どうやら魔術士などが外魔力を吸収するのと同じ理屈なのか、ミアシャムの体の大きさにも形にもなんの変化もない。
「で……でも、あんな馬車壊す程度のショボイどこともしれない怪物に討伐隊なんて~」
「ショボイ! 馬車! トンデモナイ」
「見ましたでしょ、砕けた壁。樹海の化け物の仕業ですよ。音からしてどっちもたった一撃。都の連中は信じず笑い話にしているみたいですけど、そんなスゴイ化け物一体どこから流れてきたのか。そのうえ誰も姿すら確認できていない」
中年がかった兵士が声を上げ、大柄な兵士が怯えるように何となく辺りを見回し、ジレルが三人前を完食してマジュスの皿からサブレーを掠めとってマジメな顔で頬を膨らます。
砦の左右に高くそびえる塔。その少し左右にある破壊の跡。
遠目にはただそこがへこんでいるだけのようだったが、近くで見るとそうではない。
城ほどもある竜が激突してもビクともしなそうな分厚い魔塔の壁が、圧倒的な力で破壊されていたのだ。おそらく中腹と程度の高さを貫通し、そのまま上部が崩れたのだろう。今は無理矢理崩れた石を積み上げ補強して壁のよう見せているが、旅の商人なら回れ右しても、戦争になれば心許ない。それに、壁に作られていた他の塔への連絡通路も分断されているのも痛い。
ただ……門の前に着いた時のサミヤによれば、これだけの破壊にも関わらず魔術が使われた跡が全く存在せず、どうやら物理的な関与のみ。砦門や見張り塔はともかく、壁の部分は元々あった魔物除けの壁を急ごしらえで強化しただけなので、実は手抜き工事と老朽化が重なって小鳥が止まっても崩れる状態だったのでは、と、とても胡散臭そうな顔で解説していた。
ミアシャムが、あれ~と少し残念そうなホッとした顔でちょっと首を傾げる。
ディアナが、マジュスの皿からサブレーがなくなった理由はジレルが盗ったからと気付いたらしくジレルを見つめる。ジレルそれからスッと顔を逸らすと話題も逸らそうと言葉を続ける。
「すぐに兵が出ても見付けられなかったのか?」
「二度とも夜のせいか、塔の見張りも何も見えなかったらしい。兵も出たんだが、この砦門は乗っ取り対策に鍵を開けるのに時間がかかるようになってて前もって準備してないといけないから、出た時には既に兎が草をはんでるくらい静かでなんにも居なかった」
「そういえば何か妙に手際よく早かったのになんか……」
ジレルが思い出したようにポツリと言う。
自分達が到着した時の様子から、扉の開閉はこそは素早く行えるようになっているようだが、閂に関してはそれらを動かせるような部分が無く、どうやら離れた場所で操作を行わなければならないようだった。たまたま鍵が開いていたからよかったが、そうでなければ開くまで少々待たされることになっただろう。
二人の兵士が、ちょっと相槌に困ったような顔で頷く。
「それは大変ですしたね。でも、誰か怪我をしたというわけもなく、壁はもうすぐ壊すことになるのですから、わざわざ討伐はしなくても……。それにどからか突然来た樹海の化け物なら、もうどこかへ立ち去っているかもしれませんよ」
ディアナがミアシャムを見たあと、視線をジレルに戻して言う。
「樹海の道が開けたのに、もしそんな化け物が残っていては体面上不味いだろ」
「そうです。それに我らがここに居て悪しき魔物の存在など許したとあっては恥」
「その通り。あなた方も無事ここまでこられて良かったですよ」
ジレルが視線は向けないものの力強く言い、兵士二人が即座に同意する。
ディアナが否定され、ちょっと子供がむくれたように顔を逸らす。
そもそも樹海内はケルベナではなくレウパ領なので、魔物討伐と言っても勝手に動かれては困るのだが、そういう文句はとりあえずないらしい。
「あの……ところで、婚約の件はフルト国王が病床から取り仕切っていると聞きますが、現場となる討伐の指示はレオン第一王子がされるのですか?」
と、それをきっかけに気を取り直そうとするようなディアナのおずおずした質問に、二人の兵士はやたら大げさに訝り顔を見合わせ首を傾げた。
「おい、クランド。こんな時にわしへ直接報告もせず食事かっ」
「なんですかコルジュ大隊ちょ様……ぁぁ」
遅い昼食を前に呼び出された逆茶髪男が、第一食堂がある建物を出た途端響くコルジュ守備大隊長の声に応え振り向き、半笑い気味に言いよどむ。
たまたま続くように食堂を出て来た兵士達が、「わっ」「ぎっ」「ごふっ」と悲鳴をもらして90度方向を変えて走り去る。
コルジュの顔、それとやや後退した広い額に、一瞬クマドリを描いたかと思うほどキモ黒く血管が浮いているのだ。
一瞬、毒を盛られたか危ない病かと疑ってしまうが、これはただのストレス緩和方。
顔の筋肉に力を入れ、続いて弛緩することで心の緊張までも解きほぐすというものらしい。ただ、コルジュの場合よほど顔面に力を入れすぎるのか血管が皮膚表面に近いのか、とにかくやたらと浮き出てしまうのだ。
事実、コルジュが「ふぅぅぅ……」と響くように息を吐くと、それに合わせて血管は消え、ついでとばかりにコーティングしたように鋭かった目もしょぼくれる。
逆茶髪男が、ちらちらと砦門左右に高く伸びる塔に視線を向ける。
コルジュの筋肉弛緩法は以前からなのだが、それでも魔塔の壁が破壊されるまでは、不意に直視したからといって、兵士が動揺しまうほど露骨に浮き出ることは無かった。
元々、見た目に反した細かい神経質な性格。噂では、以前は南西の国境争いを担当していたが、その性格が災いして最も争いの少ないこの北の砦に飛ばされたとか。
それなのに、他国との戦闘こそないものの70年ほど昔には樹海の魔物を全て討ち滅ぼした(他国では別の噂も流れているがケルベナでは認めていない)とケルベナでは名が通った壁が破壊され、未だ化け物の正体すらつかめていないと言うのは、そうとう堪えているらしい。
手柄に飢えていた部隊長の中にはこれぞチャンスといきり立つ者も居るが、レウパとの国交回復の話題で注目も集まっている時期であることも、追い打ちにしかなっていない。
逆茶髪男が少し気構えるように近づくと、コルジュは場所を変えるように歩き出す。隊列を組むように干された洗濯物の裏へと回るが、歯抜けしたように洗濯物が干されていない隙間を見付けると、ハッと筋肉を膨らませるように身構え落ち着かないように口元をモゴモゴさせる。今度は北壁側に抜ける路地のような建物の隙間に入っていく。
逆茶髪男クランドが追って路地入ると、コルジュがパッと制止するように片手を上げる。
「スマン、トイレだ」
「……」
コルジュが建物の隙間に入った三倍の速度で視界から消える。
もう一つのストレス解消法。視界の開けた塔の屋上での筋トレの回数が倍になったらしいが、トイレの回数も倍になったかもしれない。
しばししてコルジュ戻る。消える前と変わらない、本当はもう一度トイレに行きたいのではと思うようなソワソワした様子たが、壁に陰干ししてあった毛皮にドッかと背中を預け、また血管が浮くほどの形相でクランドを見上げ重い声で喋り出す。
「あのレウパの三人だが」
「報告はさせましたよ。あ、料理を……」
「捕らえた方がいいと思わないか?」
また化け物討伐の話し、それとも壁の破壊に並ぶ悪い知らせでもあったか、と警戒していたクランドが、気抜けして半分呆けたように顔になりながらも意味が分からないと固まる。
厨房にいる三人は不審な点は残るが、別段警戒するような存在とは思えない。
そもそもコルジュの様子が、あの三人の話題をするには異様なほど深刻過ぎる。
「理由は何ですか。捕らえるって?」
「ああ、部隊長には全員報せたつもりだったが、お前は見回りに出ていて聞いてなかったか。ガロワ城から突然レオン王子が消えたとの報、あれはオリシス様による暗殺だった……らしい」
「暗殺ですか?」
「ということだ」
力強く曖昧な言葉を返すコルジュの頭の後ろの木箱を考えるようにクランドが見上げ、そのまま顔を傾け空に瞳を向ける。
昨日砦門には、突然のレオン王子失踪の報が届いていた。
王子失踪だけに、今回と同じく部隊長以上の者にしかその情報は伝えられなかったのだが、どこからともなく噂が広がり、砦内が奇妙な空気になっていた。今日、レウパから来た者達の昼食を無制限に振る舞ったのも、樹海の化け物騒ぎに続くその噂による不安を紛れさせる狙いでもあったのだが……。
昼飯ではなく夕飯にするべきだったな~。
そう頷くように顔を戻し、ある意味この現場とは関係ない事情だったせいか、少し違和感に思えるほど薄い笑いを浮かべる。
「まぁ、レオン第一王子よりリィンハルト第二王子の方が国政には向いてるって話しだし……」
「おい」
「いや、失礼。でもオリシス殿は徳の人って言うし、そう思いこんだんじゃ。国王が病に倒れ東への進軍も中止になってレウパと国交復活、ってのも今後を憂いたオリシス殿の仕業だったり。でもそうなるとレウパの姫との婚約は……おっ、第三王子も居ましたね」
「貴様ッ………………」
コルジュがカッと歯をむき出し、肩や腕の筋肉が顔の血管など比較にならないほど膨れ上がる。その態度と言葉なら、不敬罪で殴り殺してもなんの問題もあるまい。
だが、コルジュは響くように息を吐き、顔を振ると筋肉に溜めた力も抜き表情も戻す。
「それでだ、お前が連れてきたアフリクドの弟子とレウパの三人はどうも怪しいと思うのだ」
「弟子ぃ?」
「魔従士の女だ。大使が通った時、可愛いとちょっと話しになってた若い女のあれだ。それでわしもあの女を牢に閉じこめ最初は可哀想なことをしている気にもなっただが、考えてみるとアフリクドを置いて一人で使者を連れてくるなど怪しい。そもそもアフリクドの弟子になる前はどこの者か。先ほども『ケルベナ王国の人間は』等とまるで他国の者のような物言いをし、あの娘自身がケルベナの者かすら怪しい。もしかするとどこかの国の工作員で、レオン王子を暗殺した者の仲間。今度はリィンハルト王子の命を狙い暗殺者をガロワ城内に手引きしようとしているのかもしれない。だが、泳がせて様子を見るにも、騒ぎを密かに済ませようと焦って捕らえてしまった。それがあの三人が使者ではなく暗殺者で、あの娘が捕らわれたとわかれば一体何をやらかすか。だが捕らえて本当にレウパの使者だったら……いや、この門を通るほどの急ぎにして大使が直接来ないなどありえん。レオン王子が暗殺されたいま全て捕らえるべきだ。ケルベナにあだなす者に容赦は必要い。暗殺者は殺せ。しかし、殺して間違いだったら。だが、何かあってからでは遅い、今すぐ皆殺し……いや、とにかく捕らえ……どっちだっ? クランド、砦に案内したお前なら分かるだろ。だろっ! 俺はお前のことをかってるんだぞ」
身もだえするように首を振り振り言っているうち怒りと不安が相乗して膨れ上がったのか、一度は取り戻したと見えた自制心はどこへやら。全身の筋肉を服を破らんばかりに盛り上げ、それでいて顔は不似合いなほど気弱な過呼吸気味の早口になる。
うっかり合わせてしまった目が、自分の望む意見に同意しろと涙ぐみつつも狂気に光る。
もしサミヤと地下牢で話した時間が後3分ほど長かったら、今と変わらない状態のコルジュを見て、その場であらん限りの脱獄を試みていただろう。
「連れて案内って……、……ぁぁ」
マイナスな気迫に押され、逃げるように後ろへ仰け反ったクランドがふと閃く。
自分も少し勘違いしていたが、どうやら僅かな時差で砦に入ったせいか、コルジュは二つの報告を一つの報告が重複したと思ってしまったらしい。三人をコキ使って料理を作らせるため「レウパから三人来てます」程度の報告しかしなかったせいもあるかもしれないが、第一王子暗殺という情報はコルジュの細い精神をよっぽどかき回していたのだろう。料理を作っていることは砦内ではかなり噂になっているはずだが、先程のクマドリ状態のせいでコルジュにわざわざ教える兵士は居なかったようだ。
同時に、もう一つの疑問も解決する。
ジブコット城の侍女達がこんな砦に来たのはその三人の使者と関係あるのだろう。ならば、あの三人に聞けばそのことも分かるかも知れない。
「待っててくださいよ厨房の三人に」
「ちょっ、部屋から出して厨房で食事させてるのかっ、ならばそのまま急いで捕まえよう!」
「捕まえるくまか?」
と、クランドが大げさなくらい痛くなった頭を振るように厨房へ戻ろうとした瞬間、待たずに決定するコルジュの言葉に被すように、どこからかくぐもった声が響く。
コルジュが背伸びして不可解そうに見回し、後頭部が触れた毛皮に妙な暖かさがあることに気付く。ゆっくりと自分の背のくまの毛皮を見上げる。
首の上に、まるで顔を隠すように木箱が乗せられている。
毛皮が壁に張り付くようにジリリッと足の指ほど移動する。
クランドが口笛でも吹きそうな表情で余所を向くなか、コルジュが顔を寄せギョロリと木箱の下の隙間を覗く。見返す生き物独特の視線と合うと、無機的な声が響く。
「だれだ?」
「客のくまです」
実は、コルジュがトイレに行っている間に何故かおろおろとやって来たクマが隠れるように木箱を被ったのだ。コルジュが戻ってきたことで理由をクマに聞きそびれ、コルジュにも言いそびれてしまっていた。
「言葉を喋ったぞ?」
「喋るんだからくまは喋るんじゃ」
クランドが数時間前の自分を思いだして和やかに言う。
コルジュは「ああ」と頷くように口を開け……。
「ぁ…ぁああ…ぁぁああぁ…ぁぅぁうぁ…ぉああぁぁぁぁぁ……あ、そんなわけあるかっ!」
これまでにないほど大きく喚き、狭い反対の壁に素早く下がって剣を抜くと、ブンと遠くに投げるように落とす。
「……」「……」「……」
気持ち的に、三秒ほど沈黙。
クマが剣の方へ顔を捻り、元々サイズの合わなかった木箱が落ちる。取ろうとクマが前足ではさみ、古く乾いた軽い音を立てて木箱が砕ける。
クマの顔を見上げるコルジュの顔がすう~っと静かに白くなる。
が、完全に真っ白になるかと思った寸前、ボン、と全体にクマドリが広がったようにが顔が赤くなり、身に纏う兵服から破けた悲鳴が幾つか聞こえるほどが太く筋肉が盛り上がる。
クマの顔を真正面に捕らえた瞳に、魔塔の門の守備隊長としての使命感が熱く燃える。
「こぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……。しゃてはっ、お前が壁を壊した樹海の化け物だなっ」
「違うくまっ!」
気迫が空回りした野太い言葉が建物の壁を伝うように響き、コルジュ以上に半泣きになったクマの叫びが応える。
クランド、目が細くなった分だけ口を開いて溜息を吐く。
「大隊ちょーっ、唐突に言ってんですか、くまにあの石壁は壊せません」
「うるしゃいっ、くまじゃ無いと自分で言っているではないかっ」
「違う意味くまっ」
「木箱を軽々破壊。剣を触らず落す。この力はどう説明する」
「石にくらべりゃボロ木の箱なんてクズだし、剣は滑っただけっしょ~」
「だいたい何故化け物の進入をあっさ……まて、客人の連れと言ったな。つまりコイツはあの三人の手引きっ。こんな喋るくままで用意して盗み聞きさせるとは、まさか樹海の化け物騒ぎそのものからレウパの仕業。内密の使者に目立つ月神連れが居るという報告から奇妙だったが、それは化け物を操るため。国交復活の話しから怪しいとは思っていたが、第一王子暗殺も全てレウパが最初から……あああああああっ、何て事だ、何故そんなことにも今まで気付かず」
筋肉を震わせ両目を涙に潤ませ、湿気の多い鼻息荒く言う。
「大隊長、今こそ筋肉弛緩、力抜いて。ちゃんと一から話しますから」
「ちゃんと話すから聞くくま」
「ちゃんと話しておるわっ、話しておるから、喋ってるから問題なのだっ、分からんかっ」
「分かってないくま」
「俺は分かってます」
「るしゃいっ。そんなに話したいなら牢で話せ、我が拳でブチのめしてどちらにも分からせてやるわいっ!」
細い神経が耐えられなくなったように太い筋肉に全てを託すと、コルジュが腕を振り回してクマに殴りかかる。
クランドがただ面倒そうにハァッと視線を逸らす。
精神的な八方塞がりから心に壁を作り、状況を理解するための情報を得ることを拒んでしまっているようだ。だが、それでも守備隊長という責任による自制と思考が最後の一線を切らすことなく残っていることは、曲がりなりにも会話が成り立っていることから分かっている
ならば殴り倒してから話しをしても問題ない。相手はクマで自分達が槍で囲んでもたじろがなかったことを考えると、逆にコルジュを殴り倒しそうだが、それはそれで少なくともこんな馬鹿馬鹿しいやり取りは終了だ。
ぽふんっ
だが、クランドの予想とは裏腹に、何故かクマはコルジュの拳に対して異様に恐怖して立ちすくみ、気の抜けた音がすると当たってもいないのにそのままずるずる壁に背を滑らせヘタリ込む。
当たっても居ないのに音?
クランドが不思議に視線を戻すと、クマの前には子供ほどの塊が浮いており、黒いマントでコルジュの拳を包むように受け止めている。
驚きに素の表情に戻ったようなコルジュが、解説を求めるようにクランドへ顔を向ける。
「あれ……、拳ってこんなに遅くて軽かったかな?」
ドボフッ!
と、やたら高い声が響いた瞬間。光り輝く鋭い飛来物がクランドに激しくぶつかり、その体を跳ね上げ壁に貼り付ける。光と見えたそれが水飛沫となって弾け、クランドが力無く落ちて転がる。
魔術を知る者なら、見間違えようがないほど典型的な水系魔術による攻撃。
コルジュがギギギと軋むよう顔を地面のクランドから戻す。
表情が消えた視線の先。マジュスの帽子のつばの上では、少女姿の水霊がコルジュの顔に気持ち悪そうに顔をしかめる。
どちらが何か言うより先に、離れた建物の角からその解説でもするように大きく声が響く。
「クランド小隊長がやられたぞー」
「レウパの工作員のガキと化け物くまの仕業だー」
「はぁーやれやれ……」
ジレルが少し前に起こったことを思いだすように窓を見ながら立ち上がる。
──。
「勝手に出歩くと大変なことになりますよー」
「ちょっ、ちょっとぉー戻って来てくださいぃぃー」
食事を終えた途端窓へ行きそのまま窓枠を乗り越え消えたマジュスに、大柄な兵士と中年がかった兵士が上半身を宙へ乗り出し慌てた声を上げる。
隣りの一段高い屋根までは足幅より狭い出っ張りが幾つかあるだけだが、そこには既にマジュスの姿は無く、地面にも誰か落ちたような跡は無い。
テーブルから立ち上がったディアナが、何かを思い出すようほのぼのとした笑みを浮かべる。
「危ないからやめるように言ったのに、高くて細い場所を歩くクセは相変わらずだったんですね。そういえば背も変わらな……、ちょっと小さくなってるような気も」
「いややや、和んでないであの子を止めてください」
「ここ砦なんですよ。本気で危ないですから」
──。
ジレルが、消える前のマジュスの帽子のつばでミアシャムが『くま?』と口を動かしたような気がするなと今更思いつつ短い回想を打ち切り、慌てた様子で振り返る二人の気を逸らすように声をかける。
「砦たって危険物はそこらへんに置いてないだろ」
「いやいや、うちのコルジュ大隊長、見た目と反対にすぐヘコむナイーブで、重箱の隅ばかりつつく病で。いや、いやもう、壁が破壊されるまではそこまでではなかったんだけど」
「今じゃ顔を合わせるのも怖くて、何が気が合うんだか十四番隊のクランド部隊長くらいしかまともに話せないほど、スゴイ怖い顔なんです」
「危ないって、顔?」
「そう」
「その通りっ」
切迫した形相で二人同時に断言する。
「とにかく今は機嫌が悪くて」
「責任者なのに使者に挨拶に来ないのもきっとそれで。出歩いてるの見られたら」
「挨拶なら訪問者であるわたしから向かいましょう。そろそろガロワ城へも出発したいですし」
テーブルの上が綺麗に片づいていることを確認したディアナが、自分で椅子を持ち上げ押し込む。
「あ、う、そういうことてじゃなくー」
「明日になれば馬車の用意もしますから。何かこの部屋から出すな……じゃなく、こちらにも都合が色々ーっ」
「じゃあ二人で連れ戻してきたらどうだ。私達はこの部屋から出ると不味いんだろ」
混乱と悲鳴、目の焦点と思考も体を置き去りに出て行ったような足踏みをする二人に言いながら、ジレルも野太刀を背負い座っていた椅子をテーブル下に足で押し込む。
「おーそうですっ」
「済みません、しばしお待ちくださいっ」
二人の兵士がハッと言い、扉を荒々しく開けると先に駆け出していた精神を肉体が追い掛けるように通路へ飛び出す。
ジレルが何の躊躇もなく、その扉へ歩く。
「そうですね今の内に出発してしまいましょう」
ディアナも待ちかねたように小さく駆けジレルを追い抜き、ゆっくりと閉まろうとしている扉の向こうへ出る。
そして、扉を外からゆっくり閉めようとしていた通路の見張り兵士と、その左右に少し離れ立っている見張りの兵士の合わせて5人と一人ずつ視線を合わせると、労う笑みで迷わずそのまま足を早めた。
「うおおおおおおおーっ、待ちやがれぇぇぇっ!」
「なるほどー、そうなんですかー」
「そうなんくまー」
「ぐおおぉぉぉぉっ、お前ら早いじゃねーかっ!」
「食事おいかったんですねー」
「すごかったくまー」
「ぐねぐね曲がんな、直線で勝負しろやーっ!」
「私も食べみたいで……あれ、何かお腹いっぱいです」
「おいしいものは別腹くまー」
「気合い足りねーぞ、気合いで追いつけ追いこせこんちくしょー!」
上から見れば不合理に分岐する溝を組み合わせたような、道という隙間を作る建物と防壁の間を、怒声と一緒に固くなった土さえ跳ね上げ十数人の兵士が走る。
その僅かに手が届かぬ数歩先には、不自然な姿勢で器用にも後ろ足だけで立ち上がって走るクマと、その前足を引いて黒外套をはためかすように走るマジュス。
「でも、それがどうしてこうなっているんですかぁー」
「それはくまー……」
「ほぉーりゃああああ……ほあっ」
追いつくように跳び上がった兵士を、手と前足を合わせて踊るようにヒラヒラ回転して壁に駆け上がってかわし、花が舞うように更に飛んで先頭へ返り咲いたクマが、長閑な調子で思い出すように首を捻る。
あれは確か食堂で食事を終えた後、席が邪魔だと壁に立たされた少し後だった……。
何人と繰り返し出入りする食堂へと入ってきた兵士のうち二人が、妙にじぃーっと食堂内と調理場の様子を伺うと、待てばすぐに席は空きそうなのにそのまま何も食べず出ていったのだ。
持ち場の都合で一旦帰ったともとれるが、どことなく奇妙で見覚えがある。
そこで外へ向かう兵士に押されるまま食堂を出たついでに、こっそり後をつけることにした。
堂々とした様子ながらも、人気の少ない建物裏へ回る二人。なんとなく怪しさが深まる。
だが、砦内で尾行するにはクマの姿は目立ち過ぎたのか、すぐに見つかり、しかも、二人は迷うことなく剣を抜いて襲いかかってきたのだ。
威嚇や確認など微塵もない鋭い殺気。
恐怖に竦むというほどでは無かったが、自分がリグリーウナの樹海に来る前の森でアクマと呼び討伐しようとしたハンター達と同種の視線。
話しは通じない。話せば話すほど不味くなる。そんな心の隅に染みついた感覚が、反射的に体に回れ右をさせる。
だが、自分は二人へは言葉を発していない。追い掛けられて気を悪くしたかもしれないが、いきなり斬りかかるのは無茶が過ぎる。
いや……、それともまさか、最初から自分を討伐するための罠だった?
食堂に戻ろうと扉の前まで来たが、食堂の兵士達も突然様子が変わって自分に剣を向けたらどうなるか。あのレウパの三人まで巻き添えになるかもしれない。
逃げ足が駆け足になり、だんだん胸と頭が重くなって自分がどこに居るかもわからなくなる。
背中について来る殺気は、消えない。
そんな時、路地の奥に自分をここに案内した逆茶髪が見つけ、慌てて走り寄る。
敵意無い抜けた表情。だが、話して味方をしてくれるのか。
言った途端、あの二人の兵士のようにこの男も変わるのでは。
そもそもこの男の指示の可能性もある。
迷う間もなく誰かが路地に入ってくる気配に焦り、木箱を被って隠れる。
幸い入ってきた男は自分を襲ってきた兵士とは別のようだが、どうしようと本格的に迷っているうちに、何やらあの三人を捕らえるというとんでもない話しになる。
ついつい聞き入り、突っ込みまでしてしまった。
そしてやはり敵だったのか、隈取り顔オヤジに殴られそうになった瞬間、森で合った黒髪の子供が目の前に飛び出すように現れ、何かが飛んでくると逆茶髪男がビショ濡れになって壁に吹っ飛んだのだ。
ほぼ同時に響く「クランド小隊長がやられたぞー」「レウパの工作員のガキと化け物くまの仕業だー」と路地の入口で叫ぶ声。
なんとなーく、その二つの声には聞き覚えがあったが、隈取りオヤジが怒り狂って叫びだし、後は押し寄せる兵士の一団から逃れるように黒髪の子供を抱えて走って自分とは思えないほど出てしまった速度に驚いて転び、手を引いて起こされたらこうなっていた。
「……よくわからないくまー」
「よくわかりませんかー」
マジュスがスイッとくまの前足を引いて後ろから伸びた手を避けさせ、兵士の一人が地面の小さな水溜まりにズズッと滑って追い抜きコケ、後ろから来た別の兵士に踏まれるのを見ると自分が何の会話をしていたのか忘れたような表情で相槌を打つ。
「はぁぁぁ……。そんな会話してる場合じゃないでしょ!」
と、マジュスがクマと走り出してから一歩毎に苛立ちを固くするような表情で、帽子のつばからマント、マントから帽子へ、直立したまま滑るように移動しては近づく兵士を睨み付けていたミアシャムが、帽子のつばの定位置に腰を下ろすと熱塊を吐き出すように口を開く。
そして、イライラと噛みしめ、帽子のつばををドンドンと踏みしめたそうにスカートをバタバタと揺らし、またマジュスがクマの手を引いて迫る兵士から避けさせると、自分でもその強過ぎる苛立ちに戸惑うように顔を振る。
「あー、もうっ、何かさっきからアンタ達見てると……えーっと、何、だっけっ! とにかくあの女のトコに戻っ……」
ミアシャムがキレそうな感情を抑えるために強く言い、ふと通り過ぎた建物の隙間向こうに唐突に見えた姿にビクッと震える。
声にマントの内から条件反射的にワインを取りだしていたマジュスが、慌てたように戻すと瞳を上げる。
「女のトコとは? この声はどなたでしょう?」
「何で……どうしてここに居るの」
「帽子のつばの上ですか? どうしてそんなところにいるか分からないのですか?」
「でも、あれっ……」
呆然とした後にだんだんと悔しげな顔になってきていたミアシャムが、マジュスの今までに何度も聞いた反応に気付き、不意に拍子抜けしたように瞳をいつもより大きくする。
「もしかして今度はそれも忘れてる……。だったら馬鹿正直に一緒に居る必要もないんじゃ」
「一緒とは誰と誰を指すのでしょう? 済みませんが、状況の説明は出来ますでしょうか?」
ミアシャムの硬質めいた肌の光沢にも柔らかさが戻り、急にほっとした笑みと微妙な怒りが混ざった顔を繰り返すと、心の中が一つにまとまったようにウキウキと口角を上げる。
「そっかー、アナタ今困ってるのよね。でも大丈夫、今度はあたしが助けてあげるから。あっ、……その前に、ちゃんとあたしの名前を言えたらね」
「おい、七番隊の洗濯物しらないか。新しい兵服だけ5着見つからないんだが」
「お前のトコもか。うちも干してたのが3着無いってさっき……」
「一番隊のヤツも6着ないとウロウロしてたが、もしかしてアイツら突っ込んで飛ばしたか」
扉横で早口ながらも、ノンビリとした様子で三人の兵士が互いに見やる。
食堂の扉が開かれる度に響く妙な喧噪に、こっそりした表情の割りに堂々とした態度で外に出たヘンルータとアネットが耳をそば立て、そんなことかとガッカリした後、改めて探るように見回す。
集中するように目を閉じると、微かながらも足音と喚き声がハッキリ聞こえる。
おそらく、武具を持つ男達が数十人単位で走っているだろう。
「敵襲……だったら全員慌ててるか」
「暴動……とは違うようね」
食堂前は兵士の出入りを意識してか大通りとして作られたように視界は広いのだが、騒ぎの元は遠くを移動しているらしく、ここからでは見えない。
「ディアナ姫様到着されてたみたいです」
と、予定の料理を作り終え後は砦門の調理担当兵に任せてきたらしく、雑談する兵士とは逆側にいつの間にか佇んでいたフィラが、三角巾と割烹着、丈上げに使っていた帯を折り畳みながら言う。そして、通りの向こうにある建物同士の隙間を見ると、いつもより瞳を大きくしたまま安心したように微笑み、続いて二つの高い塔を確認するよう視線を上げる。
遅れてフィラの見た建物の隙間をヘンルータとアネットが体をフの字に曲げて覗くと、その向こうを西から東へ駆ける何十人もの兵士の姿が見える。
雑談していた兵士三人もそれを見たのか、追うように走りだし建物の陰に消える。
「なんだろね、まさか姫様が砦に忍び込んでそれを追い掛けてる……」
「あの姫様じゃ見つかってたら、もう捕まってるだろ……」
「姫様が何か壊して修復とか?」
「怪我人が出て大わらわ?」
「……」
「……」
「来たよ、外交問題っ」
「遅かったよ、出番終了っ」
周りからケルベナ兵の姿が消えたせいか、本音か冗談か意気揚々声を張り上げる。
「分かりませんが、案内を引き受けてくれた黒帽子黒外套の方が見えました。緊急とは限りませんが、ヘンルータさんとアネットさん東の塔側から姫様を探してください。わたしは西側を探します。後は、見付けた場合見つからなかった場合関係なく砦の南門へ向かってください」
ガシッ
言うフィラの左右の肩に、ヘンルータとアネットが同時に手を置く。
「何を言って居るんだい、あたしらトリオは一蓮托生」
「本当に姫様がトラブってるならそれこそ三人で行かなくちゃ」
「こういう時は分担して分かれないと人数居る意味がないと思います」
フィラは少し動揺するように二人を見上げたが、二人の瞳はゆらぎもしなかった。
砦のやや北西の壁際の建物の二階から、向かいの建物の二階へと続く連絡橋の一つ。
兵士にしては小柄な人影が二つ焦ることなく足早に進み、何かに気づき立ち止まる。
「本当に楽しそうな砦ですね~。マジュスちゃんもくまさんも足早いなぁ~」
眼下の通りを流れる川のごとく駆け抜ける兵士達の音に顔を出したディアナが、水中に何か綺麗な小魚でも見付けたような表情を浮かべる。
建物が軍事的に大きめに作られているのか、階数的には二階だが意外なほどの高さがあり、見下ろした兵士達の姿が微妙に小さい。
「あのガキんとこ行くのか?」
「いいえマジュスちゃんは追わずに、南門へ行きます」
面倒な事態に見えるだけに、ここの会話で面倒にならないよう嫌々先に口にしたジレルが、ディアナのハッキリした言葉に一瞬キョトと表情を止める。
獲物を追うように走る兵士の集団の前には、見間違えようもなくマジュスが居た。
ディアナの言動からも、気付いていることは確実。
ならば、これまでのディアナの行動と発言を考えると、マジュスを追いかけようとか、助けようとか、合流しようとか、応援しようとか……。
とにかく、そういう単語の組み合わせを言い出すと思っていたのだが。
ジレルが、何となくもう一度確認するような視線をディアナに送る。
「追っ手が到着してしまいましたから」
「気付いてたのか」
合点しつつ、ジレルが感心した表情になる。
自分にとってもかなり微弱。マジュスが窓から外へ出るようなことがなければ、正直言ってまだ気付いていたか自信がないほど小さく抑えられた殺気。
それが、二人の兵士に続いて部屋を出ようとするジレルを問わないどころか先を行くようについて来たのは、単に王子様に早く逢いたいだけでなく、ディアナ自身がこの気配に気付いていたからだったとは……。
「この分だとサミヤさんも何かあったと考えた方がいいな」
「フィラさんなら、それはないと思います」
「……フィラさん?」
内心の考えをまとめるように呟いた言葉に、ディアナが自信に満ちた顔を光らせ、ジレルの表情が奇妙に弛む。
「わたしの城脱出を手伝ってくださった方です。先ほどのサブレは、間違いなくフィラさ……さんが作られたものです。わたしが街を出た後は城に戻るよう頼んであったのですが、今度はわたしの捜索を手伝わなければならなくなったのでしょう。そうなるとレウパの兵達も一緒に到着しているはずです。もしかしたら今頃歓迎会の準備になっているかもしれません。でも、そのままレウパへの送迎会になっても嫌ですから」
「ぁぁ……」
ジレルの口の端が、ピクリとだけ苦笑う。
どうやら、思っていた事とはある意味真逆の理由だったらしい。
そういえば『追っ手が到着してしまいましたから』の言葉には切迫した印象はなく、むしろ楽しそうな表情しかなかった。
「魔法使い様なら兵士に捕まらないでしょうし、後はフィラさんが誤魔化してくれます。今の内に早く南の扉を抜けて王子様のところへ向かいましょう」
ディアナが言って連絡橋先の建物の入口へ小走りになり、ジレルも気が晴れたような笑みで追いつこうと走り出す。
と、急にディアナがピタリと止まり、クルリと振り返りやたら力強い瞳でジレルを見上げる。
何というか、先程ジレルがこう言い出しそうだと予想した時のディアナの表情その物。
「言っておきますけどミリーさん。もしフィラさんがガロワ城までのおやつ用にサブレを包んでくれていても、今度はマジュスちゃんの分は食べたらメッですからね」
「……居ねぇ」
「あの小娘がぁぁ」
ほんの数十秒前までディアナとジレルが居た仮の来客室の扉を斬り飛ばし、ドルグとカージスがカラッポの部屋を睨み付けて唸る。
後ろには、扉前の通路の床に張り付くように倒れる五人の見張りの兵士。
カージスとドルグの仕業ではない。五人とも二人が来た時には、全身丸ごと吹き飛ばされたように倒れ気を失っていた。
おそらく、樹海で部下12人を打ち倒したものと同じ技。ジレルの手によるものだ。
しかも、場所柄的に手加減があったのかもしれないが、自分達の部下が一撃で倒されたのに、通路の床や壁や天井や見張り兵の服や髪の乱れ方から推測して、全員二撃以上の攻撃を受けて居る。
そういう意図はないと分かっているのだが、まるでお前らの部下は騎士のクセにこんな砦で見張りをやらされている下っ端兵より弱い、とこっそり笑われているような気さえしてくる。
「クソッ、クソッ、クソッ……」
カージスが歯の間から唾を飛ばしつつ、散らばった扉の破片を踏みつけ、トドメとばかりに気絶する見張り兵の顔を踏もうと歩み寄る。
と、盗んだせいでサイズの合わない兵服の袖を伸ばし直していたドルグが、愛用の剣の具合まで確かめるようにカージスの前に差し出す。
「足形で他に誰か居るとバレるだろ。剣で殺れ。馬鹿共がいつまでガキとくまに気をとられているかわかもわからん」
せかす言葉に促されれたように、睨み返すカージスの耳にも、二方の階段から上がってくる焦りつつも潜めたような複数の靴音が聞こえてきた。
「ジョセフィーヌ……。ヘンルータ……。アネット……」
「外れ、外れ、外れ、次っ!」
「ミリーさん……」
「違うっ!」
ヘロヘロと困惑に倒れそうな顔で思いついた名前を言い続けて走るマジュスの帽子の上で、ミアシャムがうねる髪をたなびかせつつ仁王立ちで怒鳴る。
マジュスが助言を求めるように、変な角度で上げたままだった顔を左に向ける。
左を併走するクマが、視線が合った瞬間に自分の無力を嘆くように顔を逸らす。
マジュスが顔を上げたまま今度は右に向ける。
右から後ろへずらりと併走していた兵士達が、全員関わり合いになりたくなさそうな満面の苦笑いになる。
ミアシャムのキツク結ばれた口元が、何かしくじったようにピクと震える。
マジュスが、ふと唐突に思いついたように口を開く。
「あの~、ところであなた方はどうしてくまさんを追い掛けているんですか?」
巻き込まれたっ、と言わんばかりにギクと体が跳ねた兵士達が、予想していたものとは違う質問だと気づき、続いてそれぞれ首を傾げる。
「さぁ、俺は食後の腹ごなしに走っていたら追い抜かれたんで抜き返そうと」
「捕まえろと騒いでるから来てみただけで、何を捕まえるんだか」
「挑まれた勝負、俺はいつでも受けるぜ」
「いつになく飯がうまくて、走って腹減らしてもう一度喰おうと」
「俺は二度」
「俺は三度喰うぜ」
「走ってる前にお前らが飛び出して来たというか」
「樹海の化け物とか騒いでたから来たけど居ないよなー」
「そうそうお前ら走って洗濯物飛ばさなかったか。文句言おうと思ったのに忘れてた」
「工作員とかも聞こえたけど、工作員て? 料理作って懐柔くらいいいじゃん」
「化け物じゃなくて怪獣の聞き間違いか?」
「いや、それはない」
「やっぱり誰も本当の理由を知らないんですね?」
「誰かコルジュ大隊長に聞いて来いよ」
兵士達が口々に言い顔を見合わせ、建物と洗濯物の間で叫び疲れゼィゼィと喘いでいるコルジュ大隊長の前を通るとジィーッとその顔を見つめ、今は筋肉弛緩方の血管など浮いていないのに、何となくそのまま通り過ぎる。
「そういうことなんですか?」
「えっ、まぁ、本当に困ってたらクランドさんが通訳してくれるだろ」
「その十四番の部隊長殺されたとか誰か叫ばなかったか?」
「だったらこんなノンキに走ってないだろ。アホっ」
「昨日ここを朝晩通ったオリシス様が一昨日王都でレオン王子を殺すくらいありえねー」
「つまんねーデマ飛ばしてる暇人居るんかゴラァ」
「最初先頭走ったヤツ誰だっ。説明しろ、まさかヘバって脱落か」
「左右の塔に扉の開閉のレバーがあるんですか?」
「開閉というか鍵な。すっげー面倒だけど全部あの場所だよ。よく知ってんな」
「んなことよりそろそろ誰が一番か決着つけないか」
「後3周してからだろ」
「いやいや5周してからが本番だ。食い過ぎと思ったがめちゃ調子良いぜ」
「俺も喰ってから調子いーなー。膝痛めてたはずなんだが」
「鼻炎が治ってるような。薬膳だったのフィラさんの料理って……」
「言うなっ! あたしの名前はどうなったのっ?」
何かを探すようにキョロキョロしていたマジュスの顔が、フィラという名前を言った兵士の方へ向きかけ、ミアシャムが膨らんだかと思うほど全身で怒鳴る。
「コルジュ、クランド、オリシス、レオン、……」
「おいおいおいおいっ」
マジュスが考え事をするように見回しながら会話に出たばかりの名前を即応で言い、兵士の間からそれはないだろと突っ込む笑いが起こる。
ミアシャムが両の拳を握ると、クイと肩を上げる。
場違いと言えるほど陰のある表情で、ゆっくりと兵士達を睨め付ける。
「あんた達、兵士?」
「です……けど?」
兵士達が気圧され戸惑い、少し後ろのミアシャムがよく見えない兵士がポツリと愛想笑う。
ピク、と、ミアシャムの片方の頬が吊り上がる。
人間のことはあまり詳しくはないが、コイツらは兵士だ。
兵士なら、上官の命令に従う。指揮系統のある戦闘集団においてこれは共通。
捕らえよと上官の命令を受けた兵士は、自分達を捕らえようと全力を尽くす。
これは揺らぐこと無く安定した、手頃な危機!
……だったはず!
マジュスを連れ回す女達に新鮮な水を提供して遠回しに御機嫌を取り入るより、受けた恩を一気に売り返し、自分と契約した力のありがたみを見せつけ、マジュスを円滑な契約活動下に取り込む絶好のチャンス!
……だったのに、気付けば談笑しながらのランニングっ!
売り込み前の上乗せで焦らせるつもりが、何がおもしろいのかマジュスが名前を外すたびに兵士達が笑いだし、充満していた危険な空気が和むように消えてしまったのだ。
「兵士なら上官の命令聞いて樹海の化け物を捕まえるんじゃないの」
「化け物いないしー」
「そもそもなー」
「なー」
「何よっ?」
兵士達が落ち着きつつもしっくりしないような顔で見回し合い、ミアシャムが癇癪玉ように言葉を爆ぜさせる。
周りの兵士が一斉に2メートルほど離れ、徐々に元の位置に集まってくる。
「おいおいっ、ちっちゃいグラマーねーちゃん、ちょっと荒れ過ぎじゃね」
「マラソン終わったら食堂に来な」
「そうそう小さな娘さんが作った料理喰ったら笑顔しか出なくなるぞー」
今度はミアシャムが何も言わぬまま、兵士達が一斉に1メートルほど下がる。
いや、そもそも……。
ミアシャムが、クマを睨み上げる。クマはただ、「追われたら逃げるくま……」と面目無さそうに顔を背ける。
いや、問題はそこでも無い。
問題は……、そう。
本当の問題は……、何故、マジュスはクマの手を引いて走るのか?
だ。
一見場違いであまりにもどうでもいいことのようなので、自分もついさっきまでは、それを見てイライラしても特に理由は考えなかった。
樹海での様子を思えば、マジュスがクマと一緒に走るのは当然のことでもある。
だが、手を引いて走るのは……。それどころか、滅茶苦茶なようでいてまるでどこへ向かうべきか知っているような不思議なほど迷いのないコース取りは、レウパの王都カドリアで手を引いて突然走って目的地に辿り着かせてしまったうえ、あっさり名前まで言い当ててしまった侍女見習いらしき少女を思い出させる。
よくよく考えれば昨夜ディアナの手を引いて走った時もそうだったが、あれはちゃんと目的地は分かってのこと。
「南門を開ければケルベナの王都オリビエまで二日と少しですね」
マジュスがまるで地図の確認するように唐突に呟き、ミアシャムの瞳がギリッと釣り上がる。
先程は名前を出さないよう『あの女』と言ったせいで反応がなかったが、見覚えある人影が二つある陸橋をくぐってからの心ここにあらずに見回すこの態度。またまたディアナのことは忘れていなかったらしい。
マジュスは魔術行使の反動で記憶を忘れる。
だから、名前を、契約した自分を思い出せないことを気にしても仕方ない。
だからマジュスが必要とすれば、もうそんなことに関係なく力を貸し助けようと思っていたのに……。
どうして、自分のことは忘れるくせ、そういうことだけ忘れないのか。
憂さ晴らしに兵士達の足の下に水溜まりをまたこっそり作って転ばせようかと思うが、そういう雰囲気ですらなくなっている。
そして、それでもイライラする程度で済むはずのミアシャムを、ここまで焦らせてしまったのは……。
先ほどマジュスに助け船を出し掛けた瞬間、どういうわけか、あの見習い侍女のちっぽけな姿が建物の隙間向こうに見えたのだ。
あれが見えなければ『名前を言えたら』という変に張り合ったもったいつけもせず、単純に力を貸させ、ディアナの居る陸橋の下も通ることなくこんなところはもう立ち去っていたかもしれないのに……。
ミアシャムが、今まで漠然と頭の中でモヤモヤと渦巻いたいた感情が疲れたように落ち着きまとまると、つまらないことでチャンスを逃した自嘲とともに肩を落とす。
「はぁ……、もういいわ」
ディアナをケルベナの王都まで連れていく約束を覚えているのであれば、マジュスだけを連れ出すことは不可能だろう。
かと言ってここまでやって、何もなく名前当てを終わらせるのも癪に障る。
「あれは何でしょうか?」
マジュスがミアシャムの心とは裏腹なほど高く澄んだいつもの声を響かせるが、それに向けて顔を上げる気力は出てこない。
「名前当てたら全部説明してあげる。さっき一文字あってから、少しヒント。最初の一文字は『ミ』」
「ミミさん」
ポン
ミアシャムが違うという間も無く地面から何かが跳び上がり、マジュスの帽子飾りのように拳ほどの毛玉がふわりと浮かぶ。くるりと見回すように回り、僅かに裂け目が出来ると円らな瞳をもつ少女の小さな顔が覗き、次の言葉を待つようにマジュスを見る。
どうやら、この地霊玉の名前はミミだったらしい。
「………………」
穏やかに戻ったミアシャムの瞳の下で、口元だけが断続的に小さく震える。
マジュスは視線はどこかへ向けたまま、ミミにそっと顔を向けると「帽子のつばの上の方の名前分かりますか?」と小声で聞く。
ミミがそぉ~っと口を開くが、瞬間、ミアシャムが何か叩き付けるように手を上げ、毛玉の隙間が焦るようにサッと閉じられる。
「そう。少し口を閉じてなさい」
「なんだ精霊のねーちゃんもう諦めたのか?」
本物の毛玉と思ったのかミミの出現に気付かなかっのか、兵士がマジュスへの言葉と勘違いしたらしくガッカリした視線を向ける。
「もうちょっとだぜ。ここまで名前言わせたんだから、最後までガンバラないと」
「ありゃ、気ぃ短いなー」
「精霊って精神年齢と外見が比例すんだろ。すぐ老けちゃうぞー」
「あー、俺もそれ聞いたことある」
「全然比例しないから」
「ほー」
横を走っても逐一観察してたわけもなく、適当なノリでちゃちを入れる兵士達の言葉にミアシャムが口をとがらせ、兵士達が『ちなみに年齢は?』と問いたそうな顔で感心した声を出す。
と、『老けちゃうぞー』の辺りで振り気味に90度頭を捻ったマジュスが、少し戸惑い問うように呟く。
「実は、ミはつかないけど名前を問われた最初から気に掛かる単語があるのですが……」
言葉の言い回しとイントネーションに以前の会話を思い出したミアシャムが、一段と疲れたように瞳を少し細くする。
「言っとくけど『オバサン』じゃないからね」
「いえ、長音二つ足してオーバーサン」
ドシュオオォォォーーーーーーー……ゴゴガッ!
先手を打つミアシャムをマジュスが訂正した瞬間、天を覆うように中空から巨大にして長く何かが伸び、マジュスが先程から視線を向けていた三階の高さはある堅牢な建物を真っ二つにするように突き壊して止まる。それを見上げる全員の足も、呆然としたように止まった。