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魔法の小道  作者: 青朔朗
1/7

一つ目の角 「ここはここ。わたしはわたし」

投稿方法が分からないので実体験中


     魔法の小道




 馬車がグラリと揺らぎ、広くしつらえた椅子に座る少女が姿勢を整えつつハッと横窓を見る。

 深い木々が作る緑のトンネルを進む馬車が、突然止まり引き返しはじめたのだ。

 少女が迷うように隣りに視線を落とし、仕える者が向かいの椅子へ膝で上り外へ話しかける。

 声の代わりに馬車の天井を打つ葉の音が響き、少女が馬車の後ろの小窓へ顔を寄せる。

 樹海の奥から、黒く蠢く巨大な塊が漏れだしたように街道が塞がれている。

 しばし呆け、小さく溜息。

 その横で、御者の言葉を聞いて戻り、そのまま少女と同じく外へ向けられた視線に気付き、ちょっと不思議そうに小首を傾げ、視線を追うように樹海へ顔を戻す。

 瞳が、明るい色に変わるほど大きくなる。

 そして、隣からの言葉を聞くと、どの表情を浮かべるかに困ったように椅子に座り直した。



     一つ目の角 「ここはここ。わたしはわたし」


「よし問題はない」

 少年めいた発音に突き抜ける高いトーンで言い切る。黒いつば広帽子に、足元までクルリと身を包む黒い外衣オーバーコートを揺らし、商品を積み上げた店が左右に並ぶ雑踏を跳ねるように早足で進む。

 濡れたような光沢の黒髪が意外ほどふわりと柔らかく揺れ、道を横切ろうとしていた黒猫が黒というお株を奪われたように立ち止まり前を横切られる。

「ハナス産のハチネロワインを一瓶売ってください」

「おう、これが最後の一瓶だぜ」

 天蓋を張り直していた二の腕と頬が弛んだ店主が、先に姿をとらえてか奥に入るとワインを持って現れ、キメ顔で陽気に応える。

 少年は財布袋に残った最後の銀貨を払うと一言お礼を言って受け取り、道の中央を物々しく駆け抜ける警備兵達に視線も向けず、反対の方向へ小走りで進み出す。

 酒瓶を大事に抱え酒屋が見えなくなった辺りで立ち止まると、石畳を透かすように見回す。

 自信に満ちたような黒く丸い大きな瞳。それでいて定まることなく辺りを見続け、その広い帽子のつば先に腰掛けていた少女がこれから吐く溜息を準備する表情を浮かべる。

 当然、帽子のつばに座れるだけあって人間ではない。

 人間なら17,8歳と言ったくらいだが立ち上がっても手の平ほどしかなく、腰までうねる髪もつややかな肌も青みかがった緑色をしている。胸と腰の周りだけヒラヒラと揺れるドレスを纏ったような服は半分透明で、その少女と同じ色をしている。よくみると少女の体も向こう側までは見えないが透明めいた光沢がある。服と言うより体の一部なのかもしれない。

 俗に言う、精霊や怪魔。言う者によっては、召魔、相霊、月神と呼ばれるモノだろう。

 少ないと言えば少なく、多いと言えば多いため、術者なら興味深げに足を止めたかもしれないが、違いの解らない一般人にはちょっと珍しい程度に過ぎず、これといって足を止めようとする者は居ない。もっとも、ちらりと向けられる視線の数だけなら困らないようだ。

 精霊少女が、帽子のつばごしに少年の表情を見るようにキツく目を細める。

「で~……あたしの名前は思い出せた?」

「全く思い出せません」

 返る問いに帽子のつば先をつかみ、肩を振るわせる。

 それでもつばが揺れないところを見ると、見た目よりもかなり体重は軽いらしい。

「問題ないんじゃないのかぁー!」

「今年発出荷のハナス産ハチネロワインを買いに行く為にカドリアの街へ来たことまでは思い出しました。目的は果たせました。問題ありません」

 お芝居の犯人のトリックを見破ったような自慢げな笑み。

「それどこに持ち帰る?」

「ここじゃないところです」

「………………」

「かと……」

「問題あるだろー。せめてあたしの名前くらい思い出せっ!」

「あなたが覚えているなら名前を教えてくださいませんか?」

「やだ。このあたしが契約してやった数時間後には忘れてるなんて許せない」

「では、どういう経緯で契約したんでしょうか?」

「それは忘れてなさい」

「はい」

 素直なトーンに、精霊少女が帽子のつばでこちらの顔が見えないことにホッとしながらも、イライラと遠くに顔を背ける。

「て言うか、あんた何があったら記憶喪失になったわけ? 一緒に居て全然わからないんだけど。気がついたらなってたというか」

「記憶喪失だとそれを覚えていないのでは」



 レウパ王国・王都カドリア──。

 ミマリトア大陸中央やや西に位置し、東中央の大国ルフガダム王国、南のケルベナ王国には大きさも国力でも劣るものの、五つの大戦より古から顕在する名高い正当王国の一つ。

 カドリアの都を小高く見渡すようなジブコット城は、元来の役割が砦とは思えぬほど優美な曲線で作られ観光の名所としても名高く、正面に広がる街並みも他の国の都に比べるとやはり一段垢抜けている。

 その大通りが、今日はいつにも増して賑やかに人が溢れている。

 理由の一つは、レウパ王国ハナス地方ハチネロのワインが、今年初出荷される日なのだ。

 銘酒というには少し物足りなさはあるのだが、レウパ王国と同じく古い歴史を誇るハチネロワインの初物は長寿の縁起物とされており、いつの頃からかレウパ国民の間では仕事を休んででも飲むのが慣習とされ、話しが諸外国に伝わってからは出荷日を目印にするように観光客や商人の訪れる数が年々増えていた。

「本当にどこも人ばかりですね」

 今年はそれに加え、理由がもう一つ。

 レウパ王国とケルベナ王国との国交回復の噂が流れているのだ。

 リグリーウナの樹海を挟んで隣接する二つの王国は、六十七年前の六番目の大戦となるかと危惧された大陸中でのいざこざのおり、ケルベナ王国の建てた魔塔の砦とも呼ばれる壁により国境は完全に封鎖されていた。

 当時ケルベナは東と西の両国と小競り合いを続けており、混乱に乗じて北からも攻められることを恐れ、樹海の魔物除けに幾つか建てられた塔を絶対防壁として改築したのだ。

 それもレウパを敵視してではなく、当時大陸でもっとも脅威とされていたルフガダム王国がレウパと手を結び、北から侵攻してくることを危惧してのことだった。

 その数年前に、それまで樹海を縄張りとしていた危険な魔物が一掃され、その気になりさえすれば、簡単に樹海を縦断出来るようになっていたことも不運に働いたのだろう。

 ただ、ならば大戦が回避された時点で壊すか、門を開放して国交を回復すればよいだけと思われるが、一方的に断絶してまで建てた壁を平和になった確証もなく壊すのは、軍事国として国力の低下を匂わせるため、外と内への対面的に理由がなければ出来ない。

「あのパーティーの時より多いかも」

 しかも今から4年ほど前。一部でしか見られなくなっていた酷魔や呪霊のような、破壊しかもたらさない異質にして邪悪な魔物の数が急に増えていることが観測され、大陸各地で奇妙な物体が突如現れては消える不可解な現象が発生した。各国は大きな災厄の前触れではと慌て、レウパ国での祝いに乗じて送った使節による緊急情報会議が行われたのだが、招待されていたケルベナ国からは返答もなかった(返答があれば、現在ではケルベナ王国との友好関係にある東のファシイ公国で会議が行われる計画もあった)。

 それどころか、この機に乗じて各隣国へ侵攻するのではと思わせるほどの軍事強化が行われ。災厄が危惧に終わった後もその体制を解かず、ファシイ公国から二つほど南にあるロゼランカ王国で内乱が起こった時には、他国へ響くほどの動きがケルベナ軍に起こり、多くの者がそのまま東から南東への小国を平らげる遠征に出ると噂したほどだった。

 幸い、というべきか。一部では現国王フルトが老いを感じて気が弱くなったとも小声で言われるが、レオン第一王子への後継問題、それに纏わるように、南西のラヤン王国との長い緊張状態を納めるような軍事縮小と、数々の政治的転換。

 嵐の前の静けさとも囁かれたが、続く突然のレウパ王国のディアナ姫とケルベナ王国の第二王子リィンハルトの婚約と国交の回復の噂が流れ、数日前には確かにケルベナ王国からの使節団が、ジブコット城へ入って行く姿を何百という人間が目にしていた。

 婚約が正式に決まれば、証明として国境の魔塔の壁も取り壊されるという話しだ。

 細かいことを言ってしまえば、ファシィ公国を経由すればケルベナには既に出入り自由だが、直接行ける気安さは商人にとってはありがたく、ケルベナの脅威が無くなることに不満を持つ者等はまず居ない。

 また、元から樹海に無駄に立ち入らない国民性に加え、その向こうに壁があるという意識で何十年と人が奥へ入らなかったことから、消えたはずの魔物が何処から現れ樹海に住み着き、樹海の端をファシイ公国まで伸びる街道にまで出没しては、旅人が追い回し、馬車が壊されるという事件が幾つか起こり困っていたが、それもすぐに消えるだろう。

 争いと無縁のように生きてきたレウパの国民にとっては、ありがたいことの大盤振る舞いだ。

 前祝いも含め、ワインのほろ酔い以上の笑顔が賑わう通りを埋めている。

「今日で大丈夫だったでしょうか?」

 それを、細く奥まった路地裏の物置の中から見つめる視線が四つ──。

 少しサイズが合わない者も居るが、全員がジブコット城の侍女服を身につけている。

 どこか楽しげでおっとりとした口調で問いを放っていた十代半ばくらいの少女が、黒と言うには少し明るい背まである巻き毛を揺らして振り返り、髪と似た色の丸い視線でゆっくりした動きで見回す。

 薄壁の向こうの石畳を、返答を遮るように槍と小剣で武装した警備兵達が駆け抜ける。

「こんなごった返した日に元気なもんだねぇ」

「こんなごった返した日だからだろ。て、言ってる間に別のがこっち向かってくるよ」

 思わず息を潜めた三十歳手前くらい、小太りの体型以上に気の太そうな女性が口を尖らせ、隣だとやや長身に見える二十歳過ぎくらいの女性が、不機嫌な目つきで外を覗き舌打をちする。

「済みません」

「よ、よしとくれよ、こっちから願ったんだ」

「や~ね~、暑い中を走っり回ってるあいつらがアホダラってことで~」

 焦りとも動揺とも無縁そうな少女の謝罪の声に、二人が却って焦り動揺したように手を振る。

「ちょっと確認させますから」

「ちょっと見て来させますから」

 言うや二人同時に、少女の隣りに傅くように小さく立つ侍女を見つめる。

 互いに同じ相手を見たと気付くと、小太りの女性がやや長身の女性を牽制するように近寄り、こそっと何かが書かれた包みを手渡す。

「言ってあったけど必要なことはここに書かれているから。頼んだよ」

「さっき話したけどここに書かれたことをお願いね。頼りにしてるっ」

 言葉終わらぬ内に短身女性を押しのけるように長身女性が近寄り、こっそりと、見え見えに何か書かれた包みを手渡す。

 二人とも互いの顔をチラリと見、勝ちを含んだ笑みを浮かべる。

 侍女は辺りの様子を伺いつつ外へ出て物置の扉を閉めると、二つの包みを開く。

 そして見比べると、迷うことなく、二つ書かれた一つの場所へと向かった。



 人という障害物で周囲が埋まる人混み。

 風すら息苦しそうな人通りの僅かな穴の中で、ピタと少年が立ち止まる。

 驚いたようにマントから腕を出し、丸い視線を両手の二本のワインへ向ける。

 マントの内に戻してコソコソと動かし、スッと何も持っていない両手を出して見つめる。

 またマントの内に手を戻してコソコソすると今度は左右三本のワインを取り出す。

 マントの内が物をしまえるマジックアイテムになっているようだが、あれから再びワインを買ったわけではないし、既に買うお金もない。

「もしかして、私は何度もワインを買っているのでしょうか?」

 今度は右手と左手に四本、計八本のワイン。

 そういえば、先ほどの店主は少年が言うより先にワインを用意していた。あれは今日がそういう日だからではなく、何度も同じ買い物をしていたからだろうか。

「少しは思い出した?」

 帽子のつばの上から少し耳慣れた声が飛ぶ。

「思い出したのか、考えついたのか……」

「あたしの名前は?」

「オバサン」

「………………」

 奇妙に空いた間も気にせず、少年が十本のワインを構えにこりと笑う。

「実は契約という言葉を聞いた瞬間にその単語が思い浮かびました。流石に違うと思ったのですが、世の中にはそういう名前の方が居てもおかしくないと決意しました」

「オバサンって……」

 見た目は少女でしかなく、声のトーンもそうなのだが、そのイントネーションはどことなくおばさん臭くもない。

 精霊少女は少し肩を持ち上げ、目の前に自分を映す鏡があるかのように止まると、ガクリと伏せるように項垂れた。



 ダッドッダッドッダッドッダッドッ……

 二方向からの警備兵達が肩をぶつけ合うように強く路地を駆け抜け、互いに一つの獲物へと迫る。

 ふわっ……

 二つの警備隊が挟むように追いつきかけた刹那、風に飛ばされた布きれのように小さな姿が横に流れ、そのまま振り切るチャンスを一瞬戸惑うように立ち止まって自ら潰し、警備兵達が一斉に向かってくるとぶかぶかの侍女服の裾を揺らして次の路地へと走る。

 大通りが見えた瞬間先回りしていたらしい警備兵の一人が飛び出し両手を大きく広げるが、木箱、樽、窓枠、壁、大樽、樽、木箱、と道脇を階段を上り下りするように乗り越える。

 警備兵達の顔に、明らかにしまったというシワが大きく浮かぶ。

 だが、大通りに詰め込まれた人々の数は警備兵達の想像を超えていた。入り込む隙間が無いどころか、跳ね飛ばされたように侍女服のリボンが翻り、再び飛びかかった警備兵の腕の下をすり抜けると、狭く開いた窓から一軒の酒場の中へ飛び込む。

 十を越える数の警備兵が、人混みを圧倒して入口へ回るとワインの匂いを消す勢いで酒場になだれ込む。酒場の中は、平日よりは多いが、外に比べれば明らかに人は少ない。すぐに場に合うようで全く合わない姿を見付けると、窓とドアを塞ぐ方向から数で追いつめるように迫る。酔っぱらいが笑い合って組んだ体に行く手を塞がれた、侍女服の長い髪に手を伸ばす。

 と、警備兵の腰までも無いような姿が垂直と言っていい動きでテーブルより少し高く上がり、椅子の背に手をつくと、そのまま客や店員に触れることもなく隙間を飛び越え、奥の階段へと移動する。運ばれる料理にスカートが僅かに触れかけたが、そえられた野菜一切れ揺らぐこともなく、椅子の背が踏み台代わりにされた客達も、まだ酒が回らぬ者も含めてそれに気付いた様子はない。

 追う警備兵が奥歯を噛み、客を邪魔だと突き飛ばしかけるが、意外にも自制するようにギリギリで耐えてかわし、急ぎ階段を登りはじめる。

 警備兵が見回りに常備しているはずの槍をいつの間にか捨て、剣も抜かず追い掛けているところを見ると、どうやら警備兵達は形相の割りにはあまり手荒なことはしたくないらしい。

 身が軽いとはいえ体躯的にとても敵わない侍女が、この数相手にただ走るだけで逃げ切れているのも、それがあるのだろう。

 しかし、最終的に物理的な人の数と地形はどうしょうもない。

 小さな姿が追われ更に三階へ逃げ、二階の全ての通路が警備兵で埋まる。

 三階も時間の問題。

 この建物には四階はなく、部屋の中から屋根に上がるような仕組みもない。

 行き止まりの部屋に逃げ込んだ小さな姿は、遅れて飛び込んできた警備兵と顔を見合わせると、少しだけ困ったような笑みを浮かべる。

 ただ、先頭で飛び込んできた年期を感じさせる顔の警備兵が、経験的に理解する。

 ──追い詰められた者の表情ではない。

 長さを調整するように折り曲げた袖から伸びた小さな手が、窓枠からほどいた洗濯紐の端をつかむと、何を言わせる間もなく三階の窓から下も見ずに飛び降りて行った。


 クイッ

 と、帽子の下へ先程の言葉に返す瞳を精霊少女が向けた刹那、突然少年がワインをマントに仕舞いながら帽子のつばが垂直になるほど上を見上げる。

 少年がそれを視認するより早く、大地の重力とは関係ないかのように姿勢を保つ精霊少女の瞳に、三階の窓から大きな振り子のように落ちてくる長い髪とスカートを揺らした小さな塊が映る。

 それは女の子の姿へとまとまり、青く澄んだ瞳が自分の方へ向けられていることに気付く。

 ──何故こっちを見ている?

 疑問が言語化し終わる前に、着地地点を探していることを理解する。

 だがこの人混みでは、地面に降りられる隙間など無い。

 いや、少年がパタパタとマントを揺らして立ち止まり、つばの広い帽子で見上げたことで、人混みが少しだけ避けるように身を引き、少年の手前に僅かながら隙間が出来ている。

 女の子が振り子の軌道を変えるように身を捻るが、角度と速度的に遅すぎる。

 ぶわり

 と、通りの上に渦巻く風が起こる。少年が空気をつかんで投げるように手を伸ばす。洗濯紐から手が離れるに合わせて少年が手首を返すと、女の子の体が綺麗な放物線を描いて少年と人混みの僅かな隙間に着地する。

「……へぇ」

 帽子の上で小さく感嘆がもれる。

 人の頭スレスレの高さから誰にも当たらない軌道を描いたことか……、三階からの着地にも関わらず靴音一つ立てなかったことか……。おそらくは、少年が大気の僅かな力場衝突による空力をつかんで紐のように伸ばして絡め、更にはその先の人間が纏う魔力帯までも絡めて引き寄せたことへだろう。

 不完全で絡まることなく素通りしてもおかしくなく、そもそも上位や司と呼ばれる術士でもそうそう出来るようなことではないのだが、たまたま風が強く吹いて空力の働きが活性化していたことも運も良かったのだろう。

 少年が絡まる空気を振り払うように手の先を振り、支えが無くなった女の子がその手に直接捕まり、人の波の動きで再び狭まろうとする人混みの中で体勢を整える。

 女の子が、ちょっと不思議そうに問う瞳を向ける。

 だが、少年はそんな様子には全く気付かず、まるで自分が今、何をやって何が起こったかも気付いていないかのように、最初に見上げた首の角度のまま、瞳を窓に向ける。

 視線を確かめるように女の子が見上げた先には、ジッと見下ろす両頬が溝のようにヘコンだ男の険しい顔。年齢や表情、それを見る他の警備兵の雰囲気から考え、警備兵長であろう。

 少年は、女の子が何か口を開きかけるより前に、その指先をつかみ返すと、あるように見えない人混みの隙間を器用に抜けて走りはじめた。



 家並みを一区画走り抜け、ザワメキが遠のく。

 表通りに人があれだけ居ただけに、一つ通りがズレると急に人気は無くなるようだ。

 少年は迷う様子もなく更に半区画ほど走り、草がポツポツと生えた家一軒分ほどの空き地へ入り、自分の頭ほどの高さに積み上げられた石材と木材のそばでピタと立ち止まる。

 少年が振り返り、あれ……と、手を放し黒い瞳を大きく開く。

 目の前には、薄白く膝下まであるふわりとしながらも真っ直ぐな髪に、胸元と背中にリボンのついたエプロン以外は黒っぽい侍女服の女の子。

 やわらかいながらも理知的な表情で、10歳は越えている印象だが、その顔の作りと背丈を考えると、まだその年齢には達しているとも思えない。侍女と言うより、侍女見習いといったところだろうか。

 少年がその顔と薄青い瞳を見上げ続け、呆然と言う。

「もしかして、私の背縮んだ」

「いや、前からだから」

 帽子のつばで成り行きを見ていた少女の姿の精霊が、ビシと突っ込むように片手を上げる。

 どうやら自分の背丈が少年と言うより、男の子と言った方がいいくらい低いことに今初めて気付いたらしい。

 女の子がちょっと見回し、離れた路地の陰に何かを幾つか見付けたように僅かに止まる。

 半分影になるせいか少し濃さの違って見える瞳を少年に向けると、先程までの表情はどことなく不自然だったと思うような陽差しが一段変わった笑みが浮かぶ。

「わたしの名前はなんというでしょう?」

「フィランゼアさん」

「わかりました。でわ、よろしくお願いします」

 正面から見返しキッパリ言う少年に、女の子はお辞儀をする。と、そそっと小さく走り出し、何の余韻も振り返ることもなく足元まで揺れる髪が通りの角に消える。

 帽子のつば先に腰掛けた精霊少女がしばし沈黙。ピクと口元を振るわせる。

「……お知り合い?」

「全く知りません」

「名前知ってたじゃん」

「適当に言っただけです」

 ムッと押し黙る。

 そう言えば女の子は、名前があっているとも言っていなかった。

 そうなるとあの反応はなんなのだろう?

「じゃ、あたしの名前は?」

「さぁ……、おば……じゃないでしょうし」

 少年が小さく瞬き、辺りを見回す。

 まるで自分がどこに居るかわからないと、今になって気付いたような表情。

「あーたーしーのーなーまー……」

「と言うより、そもそも何故貴女は帽子のつばに座っているのでしょうか?」

「………………」

 少年が小さく手を打つように瞬く。

「そういえばカドリアの都にワインを買いに行くところでした。ここはここ、わたしはわたし問題無いしさっそく買いにいきましょう」

 精霊少女はそう言って歩き出す少年の帽子の広いつばの上で、重々しくまぶたを閉じる。

「………………またか」



 陽当たりのいい大な窓と、入った瞬間立方体という印象を感じる天井の高いジブコット城の食事の間に、湯気の立つ料理が次々に運ばれ少し長いテーブルに置かれる。

 その中心には、ぽっちゃり丸々とした男性と、同じくぽっちゃり丸々した女性の二人が座り、一つ料理を口に運んでは互いにニッコリと笑みを浮かべ合う。どちらもそこそこいい年をしているはずだが、これまでの暮らしぶりを示すように肌は瑞々しく張りがあり、初めて城に訪れた者にも解るように頭に乗せられた簡易的な王冠と同じように、髪もツヤツヤとしている。

 男はレウパ王国を治めるエンダール国王その人であり、女はその妻であるジョセフィーヌ妃である。

 と、開け放たれた部屋の扉を潜って、広い帯を腰に巻き付けたような服にアゴから細く髭を垂らした四十前ほどの男が現れ、国王が顔を向けるとスッと姿勢を正し頭を下げる。

「ほっほっほっ、我が国では食事の間は無礼講が習わしじゃ。気兼ねなどする必要はない」

「そうですよ、アフリクドさんもご一緒に昼食をいかかでですか?」

 レウパ王国では開かれた王室を掲げ、ある範囲まではジブコット城も解放されており、謁見の間だけでなくその奥の食事の間も、平民だろうが身分に関係なく形式的な持ち物検査だけで入れるようになっている。

 ある意味、戦乱の噂は幾度もあるにも関わらず、ここ200年の大国と呼ばれる中では唯一戦争による死者を出していない余裕というものかもしれない。

「いえ、私は……。それより姫様はどうされましたか? 本日は姿をどこにも見せておられぬようですが」

「それが……夕べから具合が悪いようでしてな」

「ほら、一昨日アフリクドさんからのリィンハルト王子の話しを聞いてあんなに盛り上がってましたでしょ。それではしゃいで、昨日から熱がでてしまって。医師の話しだと正式な結婚の儀に倒れたりしないように、しばらく部屋で養生させた方がいいと」

「では、お部屋の方へご挨拶に……」

「それは嬉しいけど、嬉しさのあまり更に熱が上がっては大変ですもの。しばらく待ってもらえないかしら。それに気分が悪い時に自分の部屋に他人に入られるのは年頃の娘には耐え難いものなのよ」

 ジョセフィーヌが若い頃を懐かしむように頬に手を当て、エンダール国王がやれやれと楽しげな笑みを向ける。

 アフリクドがハッと畏まると、面目なさそうに頭を下げる。

「失礼しました。気が回らず申し訳ございません」

「おっほっほっ、困らせてしまいましたね。アフリクドさんもケルベナ王国の宮廷魔術師長なのに慣れない大使を押し付けられて大変だというのに」

「いえ、魔術師長を務めているとはいえ元は平民。それが今回のような国政に関わる外交の先見役を任された栄誉、大変感激し感謝もしております。では、私めは下がらせていただきます」

 にっこりと引き留める表情をするジョセフィーヌとエンダール王の笑みに、振り切るように一礼し、アフリクドは踵を返すと急ぎ食事の間から退出した。


 食事の間から遠ざかるように、アフリクドが真っ直ぐ伸びた通路を歩く。

 街を見下ろす城の物見台へと角を曲がった途端、チッと短く舌を鳴らす。

 耐魔術用の印が床や天井や壁の裏に刻まれた城の中ではまともに魔術は使えないが、術など使うまでもなく気配だけで、周りに人が居ないことは確認済みだ。

 と、通路先の光の中へ何かを探すように人影が二つ現れ、一度立ち止まり、次の瞬間乱れた足音で駆け寄って来る。

 一人は戸棚のような四角い荷物を背負った若い男。

 もう一人は四本の杖を抱えた若い女。

 どちらもアフリクドの弟子、とは名ばかりの荷物持ちとして、ケルベナから連れてこられた魔従士だ。

 若い男、ヒシクがごく普通の顔と髪型の割りに少し派手な金髪と緑の瞳で、たどたどしいと言いたくなる笑みで傅き。

 若い女、サミヤが髪を左右に団子に結び、丸く大きい割りに不満げ釣り上がった目で同じく傅き見上げる。

「どうだった?」

 威圧的な声に二人の顔が固くなり、ヒシクが一度頭を下げてから口を開く。

「部屋には居ないようです」

「やはりか。所在は解るな?」

 切れ長で白目が多い視線が、蔑むように落とされる。

 サミヤがムッと目だけでなく口元も鋭くし、ヒシクが、まぁまぁと宥める表情と手の動きを見せてから、ハッと焦るようにアフリクドに向き直る。

「それが、リィンハルト王子に会いに行ったようです」

「王子……に?」

 予想外、とばかりに、実齢より年を上に見せる乾燥した肌にシワが浮かぶ。

「置き手紙があったらしく、婚約する前に王子に是非直接合って確認したいとかなんとか……書かれていたようです」

 サミヤが同意するように腕組みをしてうんうんと頷き、ふぅ~と重く溜息を吐く。

「城の者達は平静を装ってますが、兵士達は血眼で行くへを捜索しているようで……す。婚約の準備で新たに雇った侍女二人と料理侍女が手伝ったらしいのです。が、全員新入りだから、実は誘拐だったりとかして……」

「すると、気付いたわけではないんだな?」

「気付いた……?」

「気付いたというと……どれでしょう?」

 サミヤが呆け、ヒクシが見当もついていないのに少しは分かっているかのように言葉を濁す。

 それ無視し、遠く外の明かりしか見えない窓へ視線を向ける。

「あの二人は?」

「二人……?」

「カージスとドルグだ」

「あ……。騎士の分隊長さん達なら居ません」

 アフリクドが自分達以外に二人と言えばこの二人しかないことに気づき、ヒシクが少し怯え口をもごもごさせる。

「既に動いたのか、馬鹿にしてるのか、馬鹿をしてるのか……」

「動いたとは?」

「お前達には説明しても解らぬことだ」

 アフリクドが目を細くし、質問をしてないサミヤが睨み上げ、質問したヒシクがアフリクドを恐れ敬うようにまたサミヤに手を広げる。

「どちらにしてもリィンハルト王子から、直々に私の供を命じられたというのに……。だから術士ですらない平民出の傭兵に騎士の位を与えるなと」

 アフリクドは辟易したように軽く顔を振り、それでもおさまらないのか口の中でブツブツと言いながら歩き出す。

 ヒシクとサミヤはまたかと疲れた表情を見せた後、荷物を背負い、直し杖を持ち直し、主の後を少し離れて追いはじめた。



 陽の沈みに合わせ、都に薄く闇が浸透していく。

 大通りは明かりが照らされ人通りも絶えないが、昼間に比べると静かと言えるほど賑わいも消えている。

 帽子のつばの上に精霊を乗せた少年が、一歩ごとに方向を変える灯火の影に運ばれるように大通りの中央をてくてくと歩き。大通りを抜け、家々の屋根と夜空の境も定かではなくなった薄明かりをテクテクテクと歩き。通りの家からこぼれる光も、雲が出て星明かりも無くなった中をテックテックテックテックとスキップで跳ね。街の終わりが見えた途端ピタリと止まる。

「あたしの名前思い出した?」

「いいえ。ところで、わたしはどこへ向かっているのか覚えていませんか?」

「最初からどこにも向かってない」

「いつの間にかワインは買っていたので次はワインを届ける先へ向かわないと」

「届ける先って」

「覚えてません」

「やっぱり最初から向かってない」

「それもそうですね」

 素直な声音にイラだしくまぶたを伏せた精霊少女が、そこだけ開けた家並みの奥に違和感を感じ、瞳を開き直す。

 ──何か……居る?

 精霊少女がその疑問を言葉にする前に、闇より一際濃い帽子とマントの小さな姿は、それに向かって走り出していた。



 東を見れば防壁とその向こうの丘陵が闇に浮かぶ街外れ。

「クックックッ、アンタに後ろ盾が居てこの場所だったとはね」

「フッフッフッ、アンタもね。しかも場所まで同じとは奇遇な」

 家並みの途中でポカリと薄闇に飲まれたような空き地で、短身小太り侍女とやや長身侍女が、若い侍女を挟むように睨み合う。

 バッと手を上げ身構えると、若い侍女を中心に意外と様になる動きでグルグルと回りだす。中心に立つ若い侍女の人目を避けるように被ったコートのフードが風に揺らぎ、それを合図の二人とも止まりニヤリと笑って手を下ろす。

「やるねぇ、だけどこっちは驚くほどお偉いお方の使いだよ」

「いえいえ、こっちこそどーんと驚くほどお偉い方ですよー」

 結局何もやってない二人を見回すように若い侍女のフードが動く。

「どーんと、任せて」

「どどーん、と任せなさいって」

 二人が胸を張って言い、ニヤリと見回し、すっと飽きたように表情を落とす。

「はぁぁ………………」

「あれぇ………………」

 辺りには三人以外動く者はなく、遠く風に枝が鳴く音以外ザワメキも聞こえない。

 夜の帳は下り、月とこぼれる街の明かりだけでは視界もほとんど利かなくなってきている。

 ふざけるにもお腹もかなり空いている。

「……おかしいねぇ」

「時間は……過ぎてるねぇ」

「間違えってことはないよねぇ」

「ちゃんと連絡は取れたんだろうねぇ」

 二人が間を持て余すように首を傾げ、こちらから探しに行くか迷ったようにそのまま首を巡らせ、ちらりとフード姿の若い侍女に振り返る。ウロウロとのたうつ足取りで空き地の外へと向かい……突然ビクと、驚き転げそうな勢いで後ろに跳ねて元の場所に戻る。

 二人を追うように空き地はずれの濃い闇が人型に固まり、別の影からも槍を構えた何者かが次々と飛び出してくる。

 どうやら侍女達が戦っている間に、場は完全に囲まれていたらしい。

 数は20を超え、二人がフード姿の若い侍女の隣りに戻って強張る顔で振り向き直した時には、もう逃げ出す隙も無いほどまで近寄られている。

 だが、侍女は誰一人悲鳴を上げることもなく、逆に勝ち誇ったかのように声を張り上げる。

「アンタ達、何の真似だい」

「どういうことか分かって居るんだろうね」

「へンルータ殿とアネット殿こそどういうおつもりですか」

 三人を囲んだ影の中から、両頬が大きな溝のようにヘコンだ50歳ほどの男が一歩前に進み、落ち着いた声で詰問するように返す。大通りから届く微かな光が、近くの住民なら国王よりもその顔を見ることが多い、ジブコット城のセハロ警備兵長の顔が浮かび上がらせる。

 侍女二人が、陰の濃い頬を見返しつつ、悪びれるどころかまるで得意がるように笑む。

 ガザザッ……

 と、その警備兵達の後ろに更に十数の黒影が突然湧き、足音が鋭く迫る。

 他にもと視線を向けたヘンルータとアネットの顔が、同時に引きつり、警備兵からも叫びが上がる。

「ヒッ」

「うわっ」

「何だっっ!」

 刺すような威圧感。明らかに自分達とは別、逆と言ってもいい人間が放つ殺気。

 ガッ

 キン

 ドシャッ

 影と見えた軽鎧姿の男達が警備兵の囲みを割るように剣で斬りかかり、警備兵達が槍で受け、押し返しつつ侍女達を守るように男達へ対して囲みを厚くする。

「貴様らこの方がっ!」

「エェェェェッ、なんでえぇぇぇー」

「ちょっうわっ、そうじゃないでしょぉぉぉぉぉー」

 ザゴンッ!

 場を混乱させるだけの侍女二人の怒声が上がり、それを貫くように響いた音に、二人が声と動きを止める。

 見ると、押し寄せた男達に気取られ手薄になった後ろから投げられた剣が、フードを被った侍女を背中から胸へと貫いている。

 そのまま上半身の空気が抜けて潰れるように腰からクタリと折れ曲がり、剣が布地に引っかかりながらも重みで抜けて地面に落ち耳障りな音を立てる。

 残った下半身のスカートがもぞもぞと動き、セーターから顔を出すようにスカートを下げると、そこから折れた棒をもった侍女見習いらしき女の子が顔を出す。

 どうやら中に入り、棒でフード付きのコートを被った侍女服を中身があるように支えていたようだ。

 女の子がなんだろうと見回し、ひょいとしゃがむ。

 上を再び投げられた斧が通り越し、折れた棒を更に短く折って地面に転がる。

 それを合図に軽鎧の男達が一斉に背を向け走り出し、警備兵達が身構え直すよりも先に闇へ姿を消す。

 戻った静けさと沈黙の中、警備兵達がただ困惑したように見回す。

 警備兵の中には傷を負った者も居るようだが、かすり傷程度で急ぎの治療を必要とする者はないようだ。

 警備兵長が、呆然とした顔を、尋ねるように侍女達に向ける。

 と、二人の侍女がジタバタと息が詰まった叫びを上げる。

「急いでっ! ……っめ様が」

「襲われるっ、話しがっ、とにかくアンタ達急いでっっ! 姫様っ……」



「国王様、申し訳ごさいません」

「お后様、本当に済みません」

「今回の不始末、どのような処分でも……」

「なるほどな……、それで姫は無事なのじゃな」

「はい。おそらくはですが……」

 誰がどの角度から見ても小太り短身の侍女ヘンルータが平伏し、誰と並ばなければ長身には見えない侍女のアネットが平伏し、その隣りに侍女見習いっぽい見た目の料理侍女が平伏し、その反対側に警備兵長が傅きつつも深く頭を下げる。

 ジブコット城入口広間まで迎え出たエンダール王が、それを眺めつつ考えを巡らせるように唇を結ぶ。隣に並ぶジョセフィーヌ妃は丸々艶々の姿のせいかゆったりと落ち着いて見えるが、手だけがやきもきと動く。

「ただ、これは一体どういうことなのでしょうか?」

 頬に影を作った警備兵長が顔を上げ、戸惑いの隠せない口調で言う。

 ヘンルータとアネットがひょいと顔を警備兵長に向け、先を争うように口を開く。

「国王様から頼まれたのさ」

「お后様から頼まれたのです」

 同時にギョッと顔を見合わせ、今度は先に動いたヘンルータだけが言葉を続ける。

「実は姫様はケルべナ王国の王子様に逢いに行こうとしていたんだよ。何でも、婚約が正式に決まる前から文通をしていたらしくて」

 警備兵長がやっとわかったような表情になり、騒ぎに通路から広間に出てきたアフリクドが露骨に訝る表情で壁際で足を止める。エンダール王とジュセフィーヌ妃も互いに視線を交わし、ジョセフィーヌ妃が転がりそうになるのを止めるように一度呼吸を整えてから口を開く。

「そうなんですの。実はディアナは婚約の話しが持ち上がる以前から、ケルベナ王国の王子とこっそり手紙を交わしていたのです。あの子なりに国を憂いてかただの興味本位かはわかりません。ただ、手紙のやり取りでかなりの好印象を持っていたようでした。ですから、婚約の話しが持ち上がった時には本当にビックリするぐらいの喜びようでした。でも、不安が無かった訳ではなかったようですね。婚約が正式に決まる前に直接合ってみたくなったようなのです。一度は、既に馬車でこっそりケルベナ王国に向かおうとしたようです」

「御者が血相を変えて戻ってきましたな」

 警備兵長が自分の記憶に頷いてから、溜息を混ぜたように言う。

「そうです。二日続けてとは我が娘とはいえ実にあっぱれです。お忍びでなく正式に訪れ合わせてあげたい気もしますが、国交が途絶えている今、婚約の儀どころか結婚当日まで当人同士を会わせる機会は無いでしょう。そこでもし、再びディアナがこっそりケルベナに向かおうとしたらそれを見付け従い守り手助けするようにアネットに言っておいたのです」

「私はヘンルータに言っておいた。前回古くから居る侍女では私達に告げ口されると思ってか古参の者には声をかけていなかったからな。だが、今回は新入りの三人全員に声をかけるとは、本当に良い娘に育った」

「あなたもそうお思いでしたか」

 ジョセフィーヌ妃がホッとキラキラな瞳で王を見つめ、エンダール王も丸く弾みそうな頬で小さく頷き返す。

「それで決して侍女達にも手荒な真似はするな、怪我をさせるぐらいなら見逃すように仰ったのですね。ですが……」

 城内のことだけに予想はしていたらしいく、警備兵長が疲れを吐くように言う。

 うっかり和んでいた、エンダール王とジョセフィーヌ妃がハッと表情を引き締める。

「そうでした。ちょっとした恋の冒険をさせて上げるくらいのつもりだったのに、まさかその姫を襲う者が居ようとは……」

 ジュセフィーヌ妃が、思いの向けどころが見つからず短い指を何度も組み直す。

 今までも色んな噂や憶測が飛び交ったことはあったももの、実際に王族が襲われるなどこの国では経験がなかったことだ。しかも、婚約に国交復活とこんな喜ばしい時に……。

 少し戻りかけていたヘンルータとアネットの顔色が、また一気に蒼白になっていく。

 エンダール王が風船のようにポヨンと浮きかけた体を押さえるように全身を揺らしてから、厳しい顔を向ける。

「先にも問うたが、手配の方は万全なのじゃな」

「街と街道とその先の村まで、姫様が向かうと思われる道の全てに兵を送り探させております。朝までには見付けられるかと思います」

 警備兵長が力強く応える。ジョセフィーヌ妃がヘンルータとアネットに顔を向ける。

「貴方達は行方はわからないのですか?」

「申し訳ありません。警備兵から逃れるためこちらが囮になってその間に街を出てもらったのですが。どうやらわたし達が捕まってしまったと思って先に行ってしまわれたみたいで」

「でも手助けの者は逢えたようですから……。予定では東の村から馬でリグリーウナの樹海を迂回する街道を通るはずです」

 警備兵長がハッと思いだしたように、ヘンルータから聞いた本当の姫との待ち合わせ場所に置かれていた手紙を取り出し、国王に差し出す。

 王と后が互いの頬を頬で潰し合うように顔を寄せて文面を覗き込み、文字が確かにディアナ姫のものであること、文面から先に行くと決めてから書かれたこと、文字に不安や焦りが感じられないこと、そして姫をいきなり殺そうとしたものならわざわざこのような偽の手紙を残さないことを考え、ひとまず息を整える。

「手助けしてくれる者とはどこの誰で大丈夫なのですかな?」

 と、それまで離れて険しい表情だけ浮かべていたアフリクドが進み出る。

「暗殺しようとしたのは周りに警備兵がいたからで、機会さえあれば誘拐が目的だった可能性もあります。その者が姫を拐かしたという可能性も」

 それは考えてなかったのか、エンダール国王とジュセフィーヌ妃がまさかと硬直する。

「実はケルベナ王国きっての宮廷魔術師長であるわたくし、そして騎士二分隊と従兵隊も引き連れ大使を仰せつかったのはこのようなことが起こる可能性をリィンハルト王子が危惧してのことなのです。大国同士の結びつき、となれば喜ばしく思う者ばかりではございません」

「喜ばしくない? ラヤン王国ですか。ですが、あの国は……」

 和平協定を近年結んだばかりの、ケルベナと因縁のある国の名を言う。

「いいえ、それよりは、ルフガダム王国。現在でこそ大陸随一と言われる王国ですがその昔は好戦的にして曰く付き。それがレウパとケルベナに同盟を組まれれば地位も危うい」

「まさか。ルフガダムの現国王オティウムは先代、先々々々代と違い温厚にして……」

「いやいや、人は腹の中で何を考えているか解りません。国王でなくともその側近の者が案じ何やら策を弄するかもしれません。あの国の側近は好戦派として健在と有名ですし」

 アフリクドがエンダール王の言葉を一蹴し不敵に笑うと、ジロリとヘンルータとアネットに視線を落す。胡散臭そうに顔を向け返した二人が、その迫力に小さく悲鳴を上げる。

「ででででででも、そんなことありませんよ。あたしにこの城のご奉公の紹介状を書いてくださった方が紹介してくれた方で」

「そそそそうだよ、わたしだって、わたしの紹介状を書いてくれた先生に古くから使えていた方とかで」

 アフリクドはその二人の悲鳴も無視し、通路の向こう振り返る。

「実は、少々確認したいことが……」

 通路の角に隠れていたサミヤがひょいと顔を出し、出番だと確認すると奥に手招き。すぐに、縄で縛られた二人の男がレウパ国とは違う兵服の男達に押されるように出てくる。

 ヘンルータとアネットが目を見開き、二人に気付いた縛られている男達もさるぐつわを外して喋ろうと必死に顔を振る。

「どうして」

「どうなってるんだい」

「実は先程、カージスとドルグが城の様子を探っている怪しい者をそれぞれ掴まえてきましてな。二人はそのまま出て行ってしまいましたが……」

 アフリクドの目配せでサミヤが縛られている二人に近寄ると、触るのが嫌そうに猿ぐつわを解く。

「わっ、私はただアネットさんを尋ねてきただけだ。そう言ってるだろ」

「……ごほほっっっ、私もヘンルータさんを尋ねてきただけだっ。何度言わせれば」

「あんた姫様と一緒に行ったんじゃないのか?」

「あんた姫様を連れていく手はずを整えてくれたんじゃ?」

 男は二人ともハッと困った顔をするが、場を聞き見て状況は解っているらしく苦渋を浮かべ、誤魔化しはやめ口早に語りはじめる。

「それが連絡場所に来ないので中止になったのかと。それなのに偽の待ち合わせ場所に人影が見えたので慌てて向かったのですが。いつまで立っても今度は現れず。気付けば置き手紙が」

「連絡は無い物の念のため先に来ていたのですが、ワインの飲み過ぎで酔っぱらったヤツらに絡まれてしまって。それで他の場所へと誘導して戻ったらその置き手紙があって、囮の場所に行くと誰も居らず争った跡だけあって、一体どういうことかと城に来てみたのですが」

 どうやらすれ違いになったあげく、どちらも怪しまれて捕まってしまったらしい。

「だとしたら、誰が今姫様についているんだ」

「あの姫様だって一人じゃ先に行ったり」

 アネットとヘンルータがヒステリックな声を上げて、横の料理侍女の女の子を見る。

「二人のメモにあった場所へ連れて行ってくれて、フィランゼア、と、伝えてあると言われたわたしの名前を知ってましたよ」

「フィランゼア?」

「フィラさんじゃないの?」

「この城ではフィラと呼ぶ人が多いですが、フィランゼアです」

 その言葉にヘンルータとアネットが絶句し、それまで平然として周りを眺めていた女の子が事態に気付いたらしく少し困った顔をする。

「何かおかしいですね?」

「おかしすぎるって、あれーでもーそう言えばー」

「ちょっとフィラさん、頼りにしてたのにー」

 泣き声が二つ重なる。

「でも、大丈夫ですよきっと」

「なるほど。どうやらあの場所へ向かっているらしいと待ち伏せさせたものの……。そもそも人違いでしたか……」

 セハロ警備兵長が、あの空き地でフィラと少年の様子を伺っていた他の警備隊からの話しを考察しつつ、自分の中の疑問に納得して呟く。

 エンダール王が出たお腹をポヨヨンと引っ込め、グッと意を決する。

「言っていても埒があかない。急ぎ都にふれを出し兵だけでなく民にもディアナを探させよう」

「分かりました。街の防安仲介ギルドにも連絡を入れれて傭兵や人手を……」

「それは賢明ではありません」

 だが、アフリクドが差し出がましさなど忘れて強く言いきる。

「既に殺されていれば意味がなく、誘拐されていたのであれば刺激して殺害を早める恐れがある。そしてなにより無事で城に戻ってないと知れば、この件を企む者達に未だチャンスはあると教え、更にはこれを良き機会と姫を狙う新たな者を呼び寄せる可能性があります」

「そんな……。でもふれで姫に危険だと知らせるだけでも」

「難しいでしょうな。逃げ隠れしている身です。自分を見付けるためのデマと勘ぐり、警戒し、より見つかりづらくなるかもしれません。それに、平民達はディアナ姫の顔をしかと見たことがある者は少ない。姫と思えぬ変装をしているのであれば見かけた程度では誰も気づけない。いや、逆に似ても似つかぬ見かけたという報告が次々と入り却って混乱するかもしれません」

 ジョセフィーヌ妃が転がるようにクラリとエンダール王の腕にすがりつく。

「ここはひとまず兵士達だけで後を追いましょう。わたくしめも、供の騎士達も全て手伝わせますのでここはお気を確かに」

 アフリクドが縛ってある二人と侍女の三人に薄ら寒くなるような視線を向ける。

「それと、念のためこの五名は牢に閉じこめておきましょう」

「及ばぬ。紹介状を書いたのは私の旧知でもあり身元も確かじゃ。でなければ姫を預けはせぬ。それに、この者達は被害者であって加害者ではない」

「これは失礼いたしました」

 エンダール王が視界を円で覆うように揺るぎなく言い切る。

 アフリクドが紹介状を調べたそうな顔をしつつも立場を思い出し、身を引くように一礼して踵を返すと「私も捜索に向かいます」と小さく言って立ち去る。ケルベェナの兵士も消えるように去り、サミヤも二人の縄を解くと、ここに居ないヒシクを口の中で罵倒しつつ通路に置いてあった荷物と杖をもって後を追い掛ける。

 ヘンルータとアネットがホッとしつつも申し訳なさそうに王と王妃に俯き、縄から解かれた二人も恐縮したように深く頭を下げた。



 姫を探しに行く、と言いつつ城の一角に与えられた部屋に戻って一眠りして朝。

 食事もゆっくりと味わって食べたアフリクドが、やっとジブコット城を出て街の広い通りに入ろうとした矢先。街の角から駆け寄って傅いたヒシクの言葉に、眉間にシワを寄せるように表情を怪しくする。

「小霊を帽子に乗せた子供か……」

 ヒシクはアフリクドの命で一晩中寝ずに走り回り情報を集めていたらしく、目の下にクマを垂れさせ、疲れからか首と言うより肩を上下するように頷く。

「はい。姫の人相に当てはまる若い女性ともに街を出たようです。レウパの警備兵とも話してみましたが、侍女達が連絡を間違って取った子供と同一のようです。どうやら昨日の昼に商店通りで術を使っていて……」

「空き地で目撃した後の追跡はどうしていたのだ?」

「それはあっさり……」

 ヒシクが言い終えるのを待つのも面倒そうに、アフリクドがうっすらと雲のかかる青い空に視線を向ける。ゆっくりと考え込むように頬にしわをつくる。

 初耳と言った様子だが、空き地というヒシクが言っていない情報を知っている辺り、ヒシクが調べるまでもなくレウパ側から情報提供は受けていたようだ。今はその確認といったところだろう。アフリクドが、頭の中で固まりつつある何かを補正するように唇を短く震わせる。

「その小霊……人型、少女の姿なんだな」

「はい。若々しい女性の姿で、胸ボンの露出の……じゃなくてしかも酒屋の主の話しだとその子供に悪口も言ってたようです。そいつって姫神……月神使いなんじゃ」

 ヒシクが自分の言葉に恐縮し、語尾ではちょっとおもしろそうに声を弾ませる。

 アフリクドが細く光らせた目を落とし、ヒシクが冷気を浴びたようにゾッと小さくなる。

「楽しいかね?」

「え、いえ、そんなこと……」

「月神、姫神。姫の護衛には相応しい呼称ではあるし、小綺麗な召霊の見た目に騙され、料理娘がちんけな子供を護衛の者と思いこむのもおかしくはない。だが悪態を言う精霊など……」

 ドンッ

「きづきかみがどうしたって?」

「………………はぁ」

 と、今頃城からヨタヨタと遅れてやって来たサミヤが、ヒシクの横に箪笥のような荷物を下ろしてしゃがみ、ついでに自分担当の杖も乗せて押しやり、こぼれ聞こえた言葉を問う。

 ヒシクは荷物を受け取りつつ杖を押し返し、そっとアフリクドの表情を覗き見る。

 アフリクドはサミヤとあまり話したくないのかそっぽを向き、ヒシクはホッとした顔で睡眠タップリ潤いまったりなサミヤの顔を見ると、嫌み半分、話題逸らし半分に言葉を返す。

「宮廷魔術師長付き第一魔従士様、わざとっスね」

「あ、いえ、あたし前は別の呪系やってたから用語……違ったかな? それも違う?」

 サミヤが予想と違う場の雰囲気に、珍しくおどおどと恥ずかしそうに慌てる。

 だが、確かに。ヒシクは以前にその辺りの知識を聞いていたが、突然の宮廷魔術長従士募集試験で採用されて一年近くなるのに、そういった知識をアフリクドから習った覚えはない。

 順番が先なので先輩面はされているが、ほとんど同期のサミヤも同じだろう。

 それにこういっては何だがサミヤも自分と同様に、他に即戦力になる優秀な魔術士が何人も試験を受けていたにも関わらず、何故採用されたのか不思議な程の半人前以下の実力しかない。

 ただの荷物持ちと揶揄されてすらいるが、荷物を持つだけの力自慢ですら、同じく自分より優秀そうな者が何人も集まっていた。

 自分としては現状の実力ではなく今後の才能を見込まれたと思いたいが、一部の口の悪い者はこれまた「後ろに従える見栄えで選ばれた」等と言い、実際思い出してみると試験場に現れた者達は自称・普通に混ざればイケメンの自分より分かりやすいほど全員ブサメンだったし、サミヤは普通と比べなくても十分に美人の中に入るだろう。

 ヒシクが、俺って美形なのかなぁという微妙な嬉しさと、そんなこと言われるくらい実力が無いのかという悲しさが混ざった笑みを浮かべ、唐突にサミヤに共感するように頷くと、友好的な口調でサミヤに小さめな声で説明をはじめる。

「普通の魔物と違ってある程度意志疎通できて魔力も強い精霊や怪魔との契約状態を表す名称だよ。契約方は系統別にいつくもあるけど、条件難度に分け、簡単な方から使役契約・召魔。相互契約・借力。祈願契約・月神。相手の能力が高いほど契約方は制約される。で、上位契約しか契約出来ないほどの相手の姿を敬って竜の姿だと竜神、獣だと獣神、男だと大神で女だと姫神と尊称で呼んだりして、これがぁ……」

「あーそれ、全部知ってたわ。さっき聞き取れなかったけど。こっちではまとめて借力系? はそういう呼び名なんだ。あたしが居たとこでは相互相霊が基本だったし。だから喋れて契約者に悪態言えるのは、知能が高い、ひいては能力が高い月神である可能性があるってことね。そんなの関係ないって、これだから素人はやだなぁ、あっはっはっ」

 何かを達成したようにヒシクがイケメンスマイルになった瞬間、誤魔化しというより、本当に馬鹿にした感情が吹き出したようにサミヤが笑いだす。

 その笑いで、自分ですら以前から知っていただけにサミヤが全く知らないはずはなく、自分から釣られて恥ずかしくなったような愚痴っぽい斜め視線でヒシクが石畳を睨む。

「あはは、ごめん、その手の話題って久しぶりだったからつい。でも本当に上位精霊と居られるような術者が護衛なら姫様も一安心ね」

「できれば竜神……、いや、見た目だけでなく倒すに値する強さがあればいいのだが」

 アフリクドがやる気のなさを作ったような声でいい、サミヤが目をつり上げる。

「味方倒してどうするんですかっ」

「味方とは限らん。姫をさらう敵かもしれん。どちらにしろ強ければ味方なら心強く、敵なら私がわさわざ出向く価値が出るということだ」

 アフリクドが侮蔑を隠さない目で見下ろし、サミヤの顔が放っておくと露骨に不味い何かを言い出しそうな表情に歪む。

 ヒシクが、サミヤと同じ視界に入りたくないとばかりに体を少し離すように傾けつつ、音が鳴りそうなほどの揉み手でアフクリドに笑顔を向ける。

「でも、御師匠様、そもそもそいつが本当に今も姫と一緒に居るか解らないし、サミヤのヤツ……さんが言ったように見た目だけのカス精霊でも口だけ達者だったり。契約は相対的な力も影響するから、術者がカスだと相手が下位でも……。あ、そうそうそれだ。師匠様そういうの、対面に拘って実力無いの嫌いっしょ。だから機嫌悪いんだ。なーんだ、それならそれと言ってくださいよ。俺がさっき喜んだのは月神級の精霊見たことないからだけで……、いや、一流の術者の世界じゃ月神も珍しくないらしいけど俺は半人前以下なんで」

「見た目だけで実力がないのであれば……」

 ビシッ

 と、先程の形相に納得のいく理由を見付けてテンションの上がるヒシクをアフリクドがウザそうに見下ろし、思わず硬直するヒシクとの間を割るようにサミヤが杖を差し出す。

「どーぞ、お持ちください。戦われるならお必要でしょう」

「ほう、それくらいは気付くようになったか」

「いえいえ~……?」

 アフリクドが不敵に笑い、言い合いならこっちが相手だとばかりに小さく含み笑ったサミヤが受け入れられたことに表情を固くする。

 ボブンッ!

 と、通りの奥まった先の屋根から鋭く光が放たれ、アフリクドの前で何かに当たったように弾けて水飛沫を撒き散らす。

「な……何よっ!」

 サミヤがアフリクドに渡そうとした杖をつかんだまま叫び、ヒシクもビクと警戒するように荷物の影に隠れる。

 光りと勘違いするほどの魔力を込められた水の矢が飛んできた屋根を、アフリクドが見上げうっすらと笑む。

「ケルベナ宮廷魔術師長相手につまらん小細工をするものだ」

「気付くってコレェ、ちょっヤバあたしでも気づけなかったのにアフリ……あれ、アフリクド様どうして平気なんですか」

「水矢が放たれると気付いて言っておったわけではないのか。使えん」

 アフリクドがわざとらしいく鼻で笑う。

「しっ、師匠、追わないと」

「無駄だ。捕まらぬよう遠く、殺せもしない一撃だけにしたのだ。もう気配も無い」

 動揺し続けるサミヤとヒシクに、アフリクドが冷めた口調で言う。

 と、まだ人の少ない朝の通りを、騎馬らしき訓練された足音が近づいてきた。


 駆け寄ってきた騎馬が、アフリクドの手前で少し嫌がるように曲がり立ち止まる。

 馬の背には、貫くような眼光と頬骨が目立つ萎びたような皮膚の男。

「おお、これはアフリクド様。ご無事でしたか」

 男は言って馬から下りると傅き、アフリクドをそまま剣で刺すかと思う瞳で見上げる。

 その後ろからまた騎馬の駆ける音が響き、今度はややあってからずんぐりとした胸板も厚い筋肉質の男が角から姿を現す。やはり一直線に向かってくる。

 どちらも一般に目にする儀式や馬上戦闘での全身鎧と違い、急所を守るパーツ以外を外したような軽鎧風なため分かりづらいが、知る者が見れば一目でケルベナ王国の騎士と分かる鎧を纏っている。平時での移動や汎用性を考えれば、全身鎧よりこちらの方が一般的なスタイルと言った方が良いだろう。

 その男もアフリクドの前に来ると馬を下り、ムカツキを押さえるように一度口を結んでから片膝をついた顔を上げる。

「捜索から都へ戻ったところ怪しげな老人を見たという報告があり、辺りを一回りしていたのですが、危ないところだったようですな」

「老人……? まぁいい。カージス殿にドルグ殿も、私に従わず姿を見せなかったが、騎士の務めだけは果たしておるようだな」

 アフリクドが喉の奥で笑うように言うと、カージスが痩せた頬を耐えるように引きつらせ、ドルグが何かをため込むように一瞬だけ筋肉を膨らませる。

 確かめるまでもなく、二人ともアフリクドに対しては一物あるようだ。

「レウパ王国の姫を捜索していたといえ、リィンハルト王子より大使を命ぜられたアフリクド様を放置して危険な目にあわせてしまい申し訳ございません」

「アフリクド様は、学はあれど杖がなければ何も出来ない半端な弱者ということはなかろうと、少し魔術師長を頼り過ぎました」

 言葉にアフリクドの額にピクと血管が浮ぶ。

 ドルグの鼻がヒクリと笑い、カージスが失礼だぞと窘めつつ目の端で同じく笑う。

 普段の愚痴を知るヒシクが、後の展開を予想して色無く固まる。

 何故、アフリクドが二人の弟子を連れて歩いているのか。正確には、何故常に二人も必要とするほどの荷物を必要としているのか。アフリクドは先天的に強力な呪力体質を持つがゆえ、杖や触媒等を使わなければ術が安定しないのだ。これは術士としては欠点であり同時に長所でもあるのだが、アフリクドが宮廷魔術師長を務めていることに難癖をつけたい者にとっては、嫌みの常套句になっていた。

 しかも、サミヤが弟子のクセにその嫌みを突いて見せたばかりだ。幸い襲われたためそれは事なく流されてくれたようだが、ここで続けて言うとゆり返しも加わりどうなることか。

 だが待てど何か起こる様子はなく、ヒシクが恐る恐る覗くように顔を上げると、アフリクドの額からはスッと血管が消え、口元には微笑さえ浮かんでいる。

 と、カージスとドルグ。二人の前に、石畳みの底からズズッと抜け出るように握り拳ほどの石が浮き上がる。石は、色に似合わないふわふわとした毛で覆われており、二人の目を揺らすように風もなくその毛を舞わせる。

「地麗玉……」

「……?」

 呆然とサミヤが呟き、先程とは逆にヒシクが問う視線を向ける。

 サミヤが動揺した視線を向け返す。

「地の聖霊の一族なんだけど……」

 その間に、カージスとドルグが顔をしかめて身構えるようにジリリと後ろに下がる。

 アフリクドが満足したように頬を緩める。

「少し前に使役したものの、あまりの小霊ゆえ恥じていたのだが、今ので知る者には知られてしまったからな」

「そっか……、さっきは杖の変わりにあの精霊を起点にして魔力を盾にしたんだ」

「おお、なるほど。アフリクド様すばらしいっ。こんな小霊であの威力まで引き上げるとは」

 サミヤが忌々しそうに言い、ヒシクが歯が浮く言葉で持ち上げる。

 カージスとドルグも戦いの経験、それに騎士ともなれば全く魔術を使えない者もないため、何となく理解し、感情を抑えるように前歯を噛む。

「小さな魔術で満足し、重い鉄の塊を持ち歩く者の苦労に比べればどうということはない」

 アフリクドは全て語ったとばかりにまだ膝を付けているカージスとドルグの横を通り過ぎ、思い出したように目を細め振り返る。

「戻った以上報告があったのではないのかね」

 そうらしく二人は互いに目配するとドルグが腰を低く立ち上がり、アフリクドに何か耳打ちをする。

 近くには他の者は居ないのにとヒシクがいじけるように余所を向く。ただの弟子でしかないサミヤとヒシクは、ある意味ケルベナの国政からは余所者なのだろう。

「なるほど、わかった。ではカージス殿もドルグ殿も急ぎなさい。ヒシク、サミヤ、さっさと来い」

 姫を捜す手がかりが入ったのか、先程より力強くアフリクドが歩きはじめる。

 カージスがそのまま剣で背中に斬りかかるのではと思える形相で立ち上がると、アフリクドとは御一緒したくないらしく、馬に乗るとわざと遠回りして来た道を戻るように横道へ入り、ドルグも迷わずその後を馬で追う。

 サミヤとヒシクは、二人だけになったように人が消えた通りの入口で、しばし三人の後ろ姿を釈然としない表情で眺めると、ハッと思い出したようにアフリクドの後を慌てて走り出す。

「あれ、でもなんかおかしくない……」

「確かに今のは」

「うん、どうしてあたし達必要なんだろう」

「必要って、元から……」

「ごめん。アンタしばらく喋らないで」




 設定的には今まで考えた中で二番目に古いものです。ただ、それだけに話はちゃんと考えてなく、いざ書いてみれば別の話しで言われた助言を気にし過ぎておかしくなり、なんとなくその助言を忘れたら再挑戦してみようと思っていた設定です。

 ただ、すっかり話しまで忘れていて、元は短編で考えていた話しをキャラを増やして長編に。

 もし、斜め読みでもご観覧してくださる方がいれば幸いに思います。

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