羽墨神社『人形さがし』(2/2)
森の奥に突き進み、たどり着いた先は一つの社だった。
先ほど見た社より一回り小さく、そして建物はボロボロだった。
何度も風雨にさらされたのか、社の木の壁や階段は朽ちている。
見るからに古い社で大きな災害があれば、あっけなく崩れてしまいそうに感じた。
社の周りは雑草が無造作に生えている。
見るからにここが手入れされていないのがわかる。
ここはきっと見放された場所なのだろう。
仁史は長年この神社に来ていたが、森の奥にこんな場所があったなんて知らなかった。
神社に近づこうと足を進めたとき、仁史は足元で何か落ちているのを見つける。
仁史はかかんでそれを拾い、まじまじと見つめる。それは一枚のカードだった。
今、子供たちの間で流行っているアニメのトレーディングカード。
仁史の記憶では、このアニメが始まったのは最近だった。
つまり最近誰か、たぶん子供がここに来たのだ。
まず仁史は社の周りを探索しようと考えたが、すぐに断念する。
社の周りに生えている雑草はぼさぼさに伸びきって、物を探すどころではなかった。
それに踏み荒らしたようなあとがないので、多分、ここを探しても無駄だと考えたのだ。
だとしたら物を隠してありそうな場所は一つしかなかった。
仁史は目の前にある古い社を見上げる。
朽ちた建物が夕焼けの朱い光を浴び、一層不気味さを引き立てていた。
いかにも出そうな雰囲気を持ち、仁史の中に不安と恐怖をかき立てる。
だけど、この社の中に人形があるかもしれないのだ。
仁史は震える心を叱咤し、前へ歩き出した。
社の階段の前に立つ、見るからにボロボロで乗ったとたんに壊れそうに見えた。
恐る恐る階段に右足を乗せる。
ぎい、と木の軋む音が鳴る。
次は左足を上げ、一段のぼる。
――ぎい、
この階段、急に足がずぼっとならないよな。壊れないよな。
――――ぎい、
仁史はひやひやしながら、階段を一段ずつのぼる。
――――――ぎい、
三段という短い階段上りきると、仁史はほっと息をついた。
階段は壊れなかった。
仁史は社の階段を上り切ったときに、違和感を覚えた。
社の戸の前には賽銭箱や鈴、そしてそれを鳴らすための紐がなかった。
向こうのさっき行った向こうの社にはそれらのものがあったので、こちらの社はひどく物足りないと感じる。
そして目の前に木の格子戸がある、造りは向こうの社と同じだ。
格子の穴の先は暗くて近づかないと中を見ることはできない。
だが、その格子戸に一際異様なものが目の前に映った。
……お札だ。
社の戸を塞ぐように一枚のお札が貼ってあった。
お札は薄茶色に変色していて、かなりの年月のものだとわかる。
文字か、模様か……、お札に何が書いてあるのかわからないが、薄い桃色になっていた。
きっと白い札に赤い墨で何かが描かれていたのだが、今ではすっかり色あせてしまっている。
仁史にはそのお札が、社の中の"なにか"を封印しているように見える。
そう考えると、格子の先の暗闇が一層濃く、恐ろしい怪物が潜んでいるように思えてきた。
仁史は無意識のうちに格子戸の前に近づく。
格子の先が恐ろしく感じると同時に、中を見てみたいと考えてしまうのだ。
心の中を黒塗りの恐怖で染めながら、気づかないうちに顔を近づけてしまう。
心臓が激しく鼓動する。
――この中にもし恐ろしい“なにか”がいたら……。
背中から冷たい汗が流れるのを感じる。
――……はぁ、……はぁ、……はぁ、……はぁ。
呼吸が荒くなる。
顔を近づき、右目をのぞかせる。
そして仁史は暗闇を見る。
社の中は夕日がかすかに差し込み、思っていたより暗くない。
古くよどんだ空気、ほこりとカビの匂いが鼻につく。
部屋の隅や奥は影が濃くよく見えないが、見える範囲では部屋の中には特に変わったところは見当たらない。
たった一つを除いては。
それは部屋の真ん中にあまりにも自然に置いてあったので、仁史は気づくのが遅れた。
……あ、あれは!
仁史は目を凝らしてそれを見る。
人形だ。
桃色のワンピースを着たぬいぐるみ人形。
間違いない、由実の『さっちゃん』だった。
『さっちゃん』はボタンでできた瞳で天井を見つめていた。
どうやら『ごうくん』は人形をこの中に隠したらしい。
戸はお札で封してあるので、きっと格子の穴から投げ入れたのだろう。
仁史は格子から顔を離して、深呼吸をした。
顔を離して気がついたが、あの部屋を覗いていると、とても息苦しかったような感じがした。
仁史はそれについては深く考えず、別のことを考える。
社の中にある人形をどうやって取ればいいのだろう。
棒かなんかで取れるのだろうか。
薄暗くて距離感がつかめないが、30cm以上の長さの棒が必要だ。
社の周りを見回すが、森の方に木の棒が落ちているかもしれないが、都合よく長い棒なんか落ちていないだろう。
例え、棒で戸のほうへ人形を寄せたとしても、格子の穴から床へ腕が届かない。
仁史は戸を開けずに人形を取る方法を考えたが、結局中に入って人形を拾うことしか思いつかなかった。
戸を開けると、きっとお札は破けてしまう。
お札をはがして、戸を開けて、人形を拾って、社を出たあと、貼りなおせばいい。
だけどお札をはがすことに抵抗感を覚える。
もし幽霊なんて信じてない人間でも、お墓を荒らすのはモラルやマナーの問題を抜きにしても抵抗がある。
もしかしたら祟られる、呪われるかもしれない、そんなことが頭をよぎる。
だからお札をはがすことにも抵抗感を覚える。
大丈夫、きっと大丈夫だ。
お札をはがしたら、神さまからバチが当たるかもしれない。
でも僕は別に悪いことをしようとかそんなことは考えてない。
ちょっと人形を取ってきたら、また貼りなおせばいいだけなんだ。
そう思い、仁史はお札の角に爪を入れる。
――ぺり、とお札の角がはがれる。
仁史ははがれた部分を親指と人差し指でつまみ、ゆっくりとお札をはがしていく。
――ぺり、ぺり、ぺり。
ゆっくりと破れないように、慎重に。
――ぺり、ぺり、ぺり、ぺりっ。
お札は思いのほかきれいにはがれていく。
――ぺり、ぺり、ぺり、ぺりっ。
お札は完全にはがれた。
………………………………。
何も起こらない、起きるはずがない。
仁史はお札を破れないようにポケットに入れる。
そして社の戸に手をかける。
――ギィぃぃぃぃぃ
と軋んだ音を立て、社の戸が開く。
開けた瞬間、むっとしたほこりとカビのむっとした匂いが鼻につく。
社の中を覗いたときよりも強い匂いに、気持ち悪さを覚え、頭の中がくらくらした感覚がおそってくる。
この社の中は十年、いやもしかしたら数十年誰も立ち入っていないのかもしれない。
その気持ち悪さがおさまり、改めて社の中を見回す。
社の戸から夕日の光が入り、部屋の中を照らしていた。
その光景は仁史にはそれがとても安心させる。
部屋の中央には人形がぽつんと落ちていた。見た感じあんまり汚れていない。
そして人形を拾おうと、足を一歩踏み出したとき、かすかな疑問が頭に浮かぶ。
なんでこの部屋の中には何もないんだ?
下の社の中を覗いたときは、仏像とか盃とかお供え物とか色々、……なんというか神社らしいものが置いてあった。
しかしこの社には何もない。
神社って、神さまをまつるところだから、仏像とかご神体があるはず……。
部屋中を見回しても何も置いていないことに仁史は違和感を覚えた。
しかし、すぐにその考えを振り払う。
そうだ、早く人形を手に入れて、この部屋から出ないと。
仁史は慌てて人形に近づき、かがんで手を伸ばす。
仁史の手に人形の体が触れ、拾い上げられる。
そして人形を持って社から出よう振り返り、入口の向かって歩き出す。
――バンッ!!
突然、社の戸は音を立てて閉まった。
戸から入っていた光は制限され、格子の穴から光が漏れる。
一瞬何が起こったのかわからなかった。
仁史は慌てて戸をにかけよる。
そして戸を開けようと力を込めるが、戸はまるで固定されたようにびくとも動かない。
仁史はバンバンと戸を手で叩く、足でける。
「――開けて! 開けて!」
叩きながら声を上げるが、戸は開かない。
誰かのイタズラか、と格子の穴に顔を近づけてみるが、外には誰もいない。
ただ社の周りと暗い森しか映っていない。
人の気配は全くしなかった。
仁史は格子から、「誰かぁ!」や「助けて!」と繰り返し叫ぶ。
必死になって声を上げるが、誰か来る気配はない。
ふと後ろから、ひたと足音が聞こえた気がした。
それは聞き逃しそうなほどかすかな音。
しかしその音と共に空気が一変した。
張りつめたい冷たい空気に、わざとらしい静寂が気味悪く感じる。
仁史の背筋に氷水を流し込んだような悪寒が走り、声が止まる。
――だれか、うしろにいる?
後ろから視線を感じる。やけに粘っこい、強い視線。
何も言わずにじっと見続けている。
「…………だ、だれ?」
仁史は詰まるような喉から声を振り絞ぼるが、すぐさま自分の言葉を否定する。
誰?なんて、人がいるわけがない。さっき見回したとき、人なんかいなかった。
この部屋の中には自分一人しかいないはずだ。
入口は一つしかなく、もし入口から人が入ってきたらすぐわかるはず。
だからこの気配は気のせいだ。
理性ではそう考えても、本能は気配から後ろに誰かいることを強く訴える。
仁史は振り向こうとしたが、首が動かない。
怖くて振り向けない。
空気は冷たいのに汗は止まらない。体が震えるのはきっと寒さだけではない。
――ひた、
と後ろの気配が近づいた。
理性が振り向いて後ろを確認すべきだと言う。
それはきっと見てはいけないものだと、本能が反論する。
振り向け、振り向くな、振り向け、振り向くな、振り向け、振り向くな、振り向け、振り向くな、振り向け、振り向くな、振り向け、振り向くな、振り向け、振り向くな、振り向け、振り向くな、振り向け、振り向くな、振り向け、振り向くな、振り向け、振り向くな、振り向け、振り向くな、振り向け、振り向くな。
二つの思考が明滅する。
――――ガチガチと音がする。
自分の奥歯と奥歯が音を立てて震えていた。
どのくらい時間が経ったのだろう。
――ひた、
と後ろから冷たい手が頬に触れた。
「――――――――――――――!」
仁史は声にならない悲鳴をあげた。
手に持っていた人形を落とすが、それどころではなかった。
触れた冷たい手から、体中の全ての熱を奪われるように感じた。
全身が総毛立ち、新たな恐怖による鳥肌が肌を覆う。
今まで張りつめた感情が爆発した。
仁史は首を振り、肩を上げ、冷たい手を振り払う。
手はすぐに仁史の頬から離れたが、その手の冷たい感触はべっとりと残っていた。
仁史が保っていた理性は崩れ落ちる。
逃げるために戸へ向かって、必死に拳を叩く、外に向かって叫ぶ。
――バンバンバンバン!
「助けて! 助けて!」
仁史は狂ったように戸を叩き、大声を上げる。
喉が痛いが、そんなことはどうでもいい。今は逃げなければならないのだ。
――バンバンバンバン!
「だれかぁ! だれかあぁぁぁぁ!!」
そしてまた、……ひた、と音がする。
冷たい足音。こちらを見つめ続ける視線。
気配で感じる、それは仁史のすぐ後ろに立っていた。
背中に感じる冷たい感覚に仁史はひぃ、とうめいた。
恐ろしくておぞましくて確認する余裕すらない。
頭の中は恐怖でうまり、喉からは普段出ないような声が飛び出す。
戸を叩く腕はちぎれそうに痛い。
――バンバンバンバン!
「ああぁあぁあああ!! あぁぁあああああ!」
肩に、腕に、冷たい手が腕を伸ばして触れる。
それは今度は絶対逃がさないという意思を持ち、強い力で掴んでいる。
仁史は冷たい手を振り払おうと必死に体を動かすが、離れることはない。
腕は二本、四本、六本と数を増やし、仁史の体をからめとっていく。
「――――――――! ――――――――!!」
もう言葉すらなってない、声なき悲鳴。
二本の腕が仁史の首に伸びる。指は蛇のように這う。
冷たい指の感触が動脈をなでる。
二つの手のひらが首をゆっくりと包み込み、指と指をからませる。
それは喉を絞めつける。
「――かっ、はっ」
――や、めろ、く、るしい……。
仁史は首にかかった手を離そうと腕を動かすが、いくつもの絡みついた冷たい腕が邪魔で思うように動かない。
その間にも万力のような力で仁史の首は絞められる。
頭がくらくらする。息をしようにもうまくできず、喉の奥から妙な音しかしない。
舌はだらしなく垂れ、口元からよだれが零れる、目と鼻から水が流れる。
仁史の体からは力が抜け、もう体を支えることはできなかった。
いくつもの冷たい腕だけが仁史の体を支えていた。
膝は左右にゆれ、腕もだらりと下がる、まるで人形のようだった。
呼吸ができない。自分がどうなっているのかわからない。
苦痛すら感じることができず、仁史の視界は光を失っていく。
そして、彼の意識は闇に落ちた。
※
「…………っ、…………か」
体がゆれる。ゆられている。
誰かに肩をゆすられている。
「……お……っ、 だ…………か」
誰かが遠くから呼んでいる。
仁史はゆっくりと目を開ける。
「おいっ、大丈夫か!?」
仁史はうつろな瞳で目の前の人物を見ていた。
それは白髪頭の老人だった。
どこかで聞き覚えのある声だなと思ったが、それ以上は考えられなかった。
「坊主、歩けるか?」
仁史はぼんやりとしたまま、こくんと頷いた。
自分がどこにいるのか、どうして倒れているのか、今の状況が理解できない。
ただ目の前の老人の言う通りにした。
老人に手助けしてもらって、神社の方へ歩いていくうちに仁史の意識ははっきりしてくる。
そして、神社の境内に戻っていると仁史の母親と妹がいた。
仁史が後から聞いた話によると。
なんでも妹だけ帰ってきて、仁史が全然帰ってこないから心配して来たらしい。
妹の由実もわたしもいく、わたしもいくと言って、駄々をこねてついてきた。
まず母と妹は神社を軽く見て回ったが見つからず、社務所に男の子が来てないか尋ねたのだ。
社務所にいたのは神社の管理人である老人。
彼は仁史が立入禁止の向こう側に行こうとしたとき、仁史に声を浴びせた人物だった。
母の話を聞いた、管理人はもしかしてと思い、立入禁止の奥の社を見に来たということだ。
そして奥の社の前で倒れている仁史を発見した。
ということらしい。
仁史を見た途端に母親は仁史を抱きしめた。
「心配したわよ、なにやっていたの」という涙混じりの声に仁史は何も言えなかった。
しばらくして、仁史はぽつりと「ごめんなさい」と言った。
それから母親は管理人にどうもすみませんとぺこぺこ謝っていた。
管理人は無事に見つかってよかったと答える。
※
それから三人で家に帰るとき、管理人が仁史に声をかけた。
「坊主、忘れ物だ」
管理人が差し出したものを見て、仁史は呼吸が止まりそうになる。
「『さっちゃん』だ!!」
由実が嬉しそうな声を上げた。
管理人が差し出したそれはピンクのワンピースのぬいぐるみ人形。
由実の『さっちゃん』だった。
「これは嬢ちゃんのか」
そう言って、管理人は由実に『さっちゃん』を渡す。
「……これ、これ、おじちゃんがみつけてくれたの!?」
「いや、坊主が倒れていたすぐそばに落ちていたんだ」
「じゃあ、おにいちゃんがみつけてくれたんだね!」
「…………………………」
「おにいちゃん、ありがとう」
仁史はその言葉に、素直に喜べなかった。
仁史と由実、母の三人で帰り道。
母親の後ろに由実と仁史がついていく。
その中で仁史の足どりは重かった。
あの社の中で体験した恐ろしい出来事。あの事を母親にも管理人にも誰にも言えずにいた。
社の前で倒れたいたことについては、貧血だと言い訳したし、社の中には一歩も入らなかったと説明したのだ。
あの体験を言えなかったのは、話しても信じてもらえないから、ではない。
ただひどく恐ろしかったのだ。
あの出来事を話すこと自体とても恐ろしかった。
話しただけであのときの記憶が鮮明に蘇って、恐ろしかった。
なにもなかったことにして、一刻も早く記憶から消し去りたいのだ。
仁史はあの社の中の出来事を話さなかったし、これからも話すことはないだろう。
「おにいちゃん、どうしたの?」
足が遅かったのが気になったのだだろう。いつの間にか前を歩いていた由実に声をかけられる。
仁史が顔を上げる。
「――ひッ」
仁史は声を漏らす。
由実の抱いている人形。
人形は仁史を見つめていた。
人形の瞳は暗く落ちくぼんで、まるで人形の顔に二つの黒い穴が開いているように見えた。
その穴はどこまでも深く深く深淵の闇が仁史を見ていた。
だが、それは一瞬のことだった。
由実が人形の持ち直し、顔の角度が少し変わると、人形はいつもの顔に戻っていた。
「どうしたの?」
「あ……、いや、……なんでもない」
なんでもない、あれは錯覚だ。
いろんなことが起こりすぎて、見間違えただけなのだ。
仁史はそう思うことにした。
そうあれだって、悪い夢だ。人形を拾いに社の中を入ったのだって。
戸は立てつけが悪くて開かなかった。
その中でパニックを起こして恐怖でありもしないものが見えた。
僕が覚えていないだけ。
そういうことにしておいた。
すでに日は落ち、暗い影が伸びる。
仁史はふと立ち止まって神社の方へ振り返る。
だがすぐに前を向いて、母と妹の背中を追った。
一陣の風が吹く。背後で誰かが笑ったような気がした。
月曜日までには続きを投稿したい……。
(追記)すみません、間に合いませんでした。
もうしばらくお待ちください。