【物語】竜の巫女 剣の皇子 75 竜の皇子
話は、天下結界内で綺羅明が緋の巫女と戦う場面に戻る。
始竜は、主が急にそばから離れたので、傷からの血をまき散らしながら飛んで追いかける。その行き先に、ミカゲに乗ったソロフスと、白竜が先回りして立ちはだかる。
始竜は地面に降り立つと吠え、さんにんを威嚇した。
「予測どおりならば」ソロフスは黒馬から飛び降り、腰に帯びた豐櫛を抜かず、手負いの竜にゆったりと向かい合う。
「痛いことをして悪かった」「ごめん」
彼は夜色の瞳で、睨む始竜に語りかける。
ソロフスの後ろに控えるちびとミカゲも、唸り続ける竜にひたすら『ともだちになろう』と伝心を試みる。
紅の竜の口から、火の粉が溢れ出す。『ソロ。火が』ミカゲが身構える。
「動くな。喰われるぞ」剣士は始竜から目を離さず、戦友に指示をする。
「お前と出会った時と同じ」彼は目を細める。「大丈夫」
首をしならせた始竜は、さんにんに近距離からの炎を浴びせる。しかし、豐櫛の光が、火から皆を守った。
『お……おお。よかった』ちびが心底、ホッとして言う。ミカゲもその場を動かない事にした。
「一霊四魂の剣を【ただしく】使え、ということか。【豐櫛】は和魂の意。穏やかに浄くあれ……だな」効果を確信したソロフスも、冷や汗と共に、笑みを浮かべた。彼のすぐ後ろの空間で『チッ、チリッ』と空気が鋭くはじける音がする。
「……私が昂ぶるとアレが出るし。落ち着かねば」ソロフスは気を引き締め、祓い詞を心中で詠唱する。そうしながら手甲を外し
「いい子だ」「斬ってごめん。もうしない」「約束するよ」
そっと、素の両腕を広げ、牙を剥く始竜に身心を捧げた。
「おいで」
夜の子の瞳に、星の光が宿る。彼は、怯えて毛を逆立てる巨竜の器になると決めた。
豐櫛も、竜との和解を願うソロフス達を光で包む。その淡い輝きが願いを込め、波紋の如く始竜に届いた。
ソロフスに、生まれた時の星夜を見つけた竜は『tian-lun!ten-ring……!!』鈴虫の様な小さな鳴き声を上げた。金眼から変化した黒い瞳を潤ませ、彼にすり寄る。
『ゴメンナサイ、ゴメンナサイ』
始竜は、それまでの凶暴さが嘘の様に、子犬の仕草で剣士に顔をなすりつけ、涙を流す。
『やったぞ!ソロ。始竜はお前にこころを開いたぞ』白竜が言い、ミカゲも喜ぶ。
「豐櫛のお陰だ」彼は始竜の頭を抱く。
始竜の身体に生じた深い傷からは、岩漿の如き熱い血が流れ続けている。
『ボクガ、ワルイ。ゴメンナサイ』
「私も傷つけた……ごめん」彼は始竜に触れているので、その哀しみと、苦痛がない交ぜの激痛を感じ取る。
ふいに、大きな音と、上昇気流が起きた。天下結界が解除され、周囲は原野の風景に戻ったのだ。
「ソロフス!」緋の巫女を倒した綺羅明が彼に駆け寄ってくる。
彼は比売に礼を言う。
「いいの!キミのためなら!緋の巫女は灰になって消えたよ」綺羅明も朗らかに笑みを返す。
「しかし……。始竜はどうするか?この血は大地を汚しているぞ」彼女は怪我をした始竜に複雑な表情を向ける。始竜は『イタイ』とソロフスに言う。
「そうか。この存在はここでは【毒】となるようだ。始竜をこの世界にいかしておくことは……互いの為にならないな」ソロフスは、耳を垂れてうなだれる獣に顔を向ける。「綺羅明。この竜の傷は治せるか?」
「いや。このコは、この世界の命とは仕組みが違う。体内が灼熱そのものだ」
ソロフスは涙目の始竜を撫で続ける。手から受け取る感覚は痛みが続く。しかし、その奥は涙でいっぱいだ。
『ボクハ、ミンナヲタスケルタメニ、ガンバッタ』『デモ、チガッタ。ゴメンナサイ』
泣く竜を彼はしっかりと抱きしめる。
「皆でこれを傷つけたからね」「でも、タバナもサイメイも……これに焼かれた。多くの人と土地が被害に遭い。聖上も、ミットマも……」彼は竜の身体に顔を埋める。
「本当に、こいつが悪いか分からない……。始竜を違う場所へ逃がしたい」
ソロフスは始竜に「お前だけを悪くするわけにはいかない」強く言った。竜は答える『DAD、アリガトウ。ミンナ、ダイスキ』
そう話す間にも、竜の感覚がたくさん彼に流れ込んでくる。その中でひとつの名を見つけた。
「お前は、ヴァーチュリー?」
久しぶりにそう呼ばれた始竜は目を輝かせ、全身で喜ぶ。『ソウダ!Vertury!ウレシイ』
「名があるのか」「お前は真の主から、愛されていたんだな」ソロフスの目が潤む。
彼の中に、たくさんの熱と痛みが流れ込んでくるので、身体が悲鳴をあげ出す。しかし、怯えすがる始竜に寄り添い続ける。
ちびとミカゲと綺羅明が心配して、彼の身体を支える。
「アタシでもキミの身体を癒やす事に間に合わない」綺羅明が治癒の力を使いながらも、沈痛な面持ちで言う。「情けない」
「ととさまに助けてもらおうか?」
「駄目だ。私たちの事だ。私たちでやらねば」ソロフスは静かに答える。
「どうしたらこいつを助けられるのか……」だんだん意識が朦朧としてくる。
そんな彼のそばで、金色に煌めく鱗粉が舞い出す。そうして、ふんわりと巨大な黄金竜が現れた。それは、巻き角に蝶の羽と大きな金翼をゆったりとはためかせ、優雅に浮かぶ。その金眼はとても穏やかに、ソロフスに向けられる。みんなも、その輝く姿に驚く。
「お前は……私を助ける為に?」黄金竜に触れた夜の子は、その天鵞絨の如き柔らかさと温かさに、溢れる思いを知る。彼は目を見開く「ロンド。私を介してヴァーチュリーと力のやりとりをしてくれるのか」黄金竜はソロフスに顔をすり寄せる。「ありがとう」ソロフスはヴァーチュリーとロンドを撫でて微笑む。
二頭の竜を抱く夜の子の身体がとても穏やかで軽くなる。ソロフスに寄り添うさんにんは、彼と竜が金色の光りに包まれ、だんだん光そのものに変わる様子に目を見張る。
空も少しずつ、茜色に変わる。日没が近い。
『皇子よ』
静かに響く声と共に、隻眼の天女が皆の前に現れた。
ソロフスは、青と白の四翼に白光を纏った美しい天女と向き合う。
『お願いがあります。このまま天界にヴァーチュリーを連れて帰りたい。
しかし、私ひとりでは昇れない。お力をください』
メユイは一筋の涙を流す。
『苦悩するこの子を、連れて帰ろうと……ずっと、待っていました。どうか……!』
「ソロフス!」綺羅明が彼に強く言う。「キミが好きだ!」「だから行かないでほしい」ちびとミカゲも固唾をのんで見守る。
「分かった」しばらく考えた夜の子は、答えた。
「始竜を送ろう。私が適任のようだ」
ミカゲが彼にすり寄る。彼は黒馬を静かに撫で、白竜に言う。
「男のお前に、ミカゲとルーの事を頼みたい」
涙目のちびは『お前はずるい』と彼を睨む。ソロフスは、それに笑う。
彼は、綺羅明を見つめる。「ルーのことが好きなんだな」彼女は微笑む。
ソロフスも彼女に、静かに笑み返す。
そのまま二頭の竜と天女と共に、金色の輝く粒子に変わって、蛍の群れの様に舞い上がり、
一番星の浮かぶ、夜空に消えた。
(つづく)




