【物語】竜の巫女 剣の皇子 61 はからい
大気も凍る雪山、闇夜の中。
目を閉じて静かに在り続ける乙女を挟み、青銀と黎明の炎が対峙する。
一瞬の道を見出した剣士は、白虎の眉間に一撃を与えた。同時に獣の五爪が彼の身体を抉り斬る。
溢れ出す熱き血を捧げた若者に、神獣はひとつの言霊を与えた。
白虎と闘い、負傷したソロフスではあったが意識は保ち、ルチェイと皇国に戻ってきた。
迎えに来た青年魔導師のサイメイはずっと泣いていた。
「腹部の創傷が内臓に達しておらずよかった。これもすぐに付けます。他の傷の方が深い。大量出血、大部分の能力解放、そして魂を削る程の眼力に二日間耐えたのです。動けないのは当然。藍理様がお元気になるように自分は最善を尽くします」
藍理宮で、ぼさぼさ黒髪の魔導師サイメイは丸眼鏡の奥の黒い瞳を潤ませる。彼はソロフスの身体に触れ「明日までに完全回復させます。熱も下げます」詞の詠唱と共に、静かに話す。
「ありがとう。身体は動ける程度に回復すればいい。あまり根を詰めるとお前が倒れる。魔導師団第二位の実力が戦力外になれば、私がレウンから叱られる」床に臥したままのソロフスが腹に力を込めず、浅く笑う。サイメイは真剣な顔で「ご安心を。魔導療師実績第一位が責任を持って看ます」ソロフスを見据える。
「身体が鈍るから明日、起こせ」ソロフスは目を閉じ、深い眠りに落ちることにした。
その深夜のこと。
屋敷の他の部屋で過ごしていたルチェイは、ソロフスの部屋にそっと、やってきた。
暗い部屋の中で、ソロフスに触れるサイメイの手と瞳がほのかに青白く輝いている。魔導師はルチェイに気が付くと微笑み、無言で頷いた。彼女が近づくとソロフスは静かに眠っている。
その寝顔が穏やかなので彼女もほっとした。
「姫巫女様。藍理様を守ってくださり、ありがとうございます」
「サイメイさん……ソロフスは私のせいで怪我を。私に巫女の力があれば……」
ルチェイは沈んだ顔だ。
「いいえ。戦ではいつも負傷して戻られる藍理様に自分はいつもハラハラしていますが、今回は本当にお顔が柔らかで……よかった」サイメイはしみじみ言う。ルチェイはソロフスのひんやりした額に触れ、その髪をそっと撫でた。
「皆さんはソロフスの事が好きなんですね」
「ええ。自分達はナーシャ様や藍理様にいろいろ助けてもらいましたし、お人柄も大好きです。どうか、藍理様と末永く。自分は姫巫女様のお幸せも願っています」
彼は白い歯を見せ、ルチェイに少年の様な笑顔を向けた。
翌日。
ソロフスはルチェイを連れ、屋敷の広い軒下をそぞろ歩く。庭の木々の枝には、春に向け小さなつぼみが膨らみだしている。
「白虎から『姫巫女の力が戻る方法は、聖上に聴け』と教えられた」
身体に大判の肩掛けを纏った彼は穏やかに話す。「ルーはアーサラードラに戻り、それを尋ねるといい」
「本当に?」
「そう、本当。ルーには『真の名』があり、それを聖上が知っている」
「白虎は『真の名』をソロフスに教えてくれなかったの?」
「神獣は、そこまで親切ではなかったよ。もっとボコボコにすれば全部、話してくれたのだろうが」彼はおどけて答える。「互いにできる事を、分担だったよね?あなたがアーサラードラに戻り力を得る。私はここでの役目がある」
何か言いたそうなルチェイに、ソロフスは粛々と話す「イルサヤへ戻れ。移動にはミカゲを貸す。また皇国に戻る時もミカゲと一緒なら心配はいらない。彼女は道を全部知っているから。
それに、竜殿には始竜の身体がある。あちらも守らねば。光皇女よ、アーサラードラにはあなたが必要だ」
それから二日後。
北の皇国にも少しずつ柔らかな風が吹き始めた。そんな早朝。
旅支度の完了したルチェイとちびは屋敷正門口にいた。見送りはソロフスだけにしてもらった。
『ソロ!ボクはもっとしっかりするよ!』泣きべそ顔のちびがソロフスに言う。
「そうだな。今度瞬間転移するなら場所を選べよ。今はどのみち『自動結界の矢で串刺し』だ。無理はするな。その勾玉はリーベサラ山を越えたらルーに取ってもらえ。七曜結界外ならお前の力を解放してもいいからな。思いっきり飛べよ」彼は白竜の首にかけた封印の藍玉にも目を向けて笑った。ちびは鼻水を流し、頷く。
馬具を取り付けたミカゲが現れると一目散にソロフスに駆け寄り、彼に顔をすり寄せた。
彼も笑顔で、愛馬の額や頬を優しく撫でる。ミカゲは小さく鳴く。
「ミカゲ、これは主の命である。姫巫女とちびをイルサヤへ。そこで待機。皇国にはルチェイと共に戻ること。でなければ、ここに帰る事を許さず」ソロフスの強いことばに黒馬は耳を垂れ、うなだれる。
その光景に、ルチェイとちびは神妙な面持ちになる。ソロフスは「私とミカゲはずっと一緒だったから、彼女が寂しがっているだけだよ。大丈夫。ルーがまたミカゲとロゴノダに戻ってくればよい話だ。待っている」
「ミカゲ」ソロフスは言う。「頼む。お前に任せたよ」
黒馬は瞳の輝きを主に捧げ、それから身体を新しい主に向けた。
ルチェイとちびはミカゲに跨がる。「ソロ。行ってくる!必ずミカゲと戻るから!」
真剣な顔の姫巫女を見上げ、ソロフスは「ありがとう」と言い、ミカゲの身体を叩いた。
愛馬はその合図で駆け出す。あっという間にその姿は小さくなり、道の向こうで見えなくなった。
ソロフスはそれを確認すると、屋敷内に戻る。そこにはタバナが待っていた。
「藍理。これでよかったのか?」
「数百年ぶりの大戦だ。導司からも『あちらにも皓い剣が届いた。それでよい』と言われた。こちらもできる限りやるか。世界を焦土にする訳にはいかないだろう?」
彼は静かに燃える紫眼を彼女に向けた。
(つづく)




