【物語】竜の巫女 剣の皇子 59 月下美人
『この西方の守護神参宿オリオンの子。愛しい吾子を奪おうというのだ。うぬは腹引きずり出され五体魂魄滅されても文句は言えぬぞ?人に従う竜なんぞより儂の方が明らかに高位。それを識った上での無礼。この怒り、どうはらしてくれようか』
ウラドマ山脈聖域、満月の下。青銀に煌めく白虎の眼光の先には、泥血にまみれ倒れ込む巫女がいた。纏う衣は白かったと最早分からぬ程、散り散りに引き裂かれている。
女は荒い息を整え、再び立ち上がった。全身の苦痛に歓び、祓い詞を唱え続ける。
彼女の眼光は、白虎と七日間睨み続けたとは思えない穏やかな桜色の輝きを放つ。只人ならばその神獣のひと睨みで絶命する威力に、巫女は果敢に挑んでいた。
その瞳の光を、白虎の足もとから眺める幼子は『きれい』と笑った。
白虎は鼻先で嗤いつつ。
『アルテ・ハルモニアと、始めからここにいる儂にとって、アーサラードラや竜のことなぞ知るか。勝手にやればよい話。世界とは活動的なもの。天輪もそれを是とする』
「夜の子が現れた。あなたの子も必要なのです。月の巫女になるべくして生まれたその子が」
女は細い身体を奮い立たせ、神獣を見据える。
『お前らの試みに天輪が遊び心で興味を持ったまで。ここ西方よりまた未開の東が、新世界のはじまり。天輪と月読がそこで愉快な冒険をするお伽噺。本来これは『【物語】白虎の比売 剣の皇子』である。演題を換えてまで、果たして面白いのかのう?』神獣はあくびをし、横目の炎で巫女を薙ぎ払う。
幼子は「ととさま。あたしは友達と遊びたい」白い大きな前脚に抱きつく。
「おお、綺羅明よ。もちろんだ。友達はいたずらが大好きで、元気な頼もしい男の児。今はかくれんぼ遊び、その後は宝探しと怪獣ごっこ。愉しいぞ」
白虎も娘の笑顔に目を細める。
神獣は激しく女を睨み、抉る。竜よりも激しい炎に彼女は魂を奮い立たせ意識を保つ。
『お主は今、死ねるか?』
神獣のことばに、巫女は最期の覚悟と決めた。
獄炎の熱を帯びる声と共に白虎は、娘を女の方に歩ませた。
『我が子を儂から引き離し、竜の巫女にするか。儂の涙を、うぬが血をもって浄めるか。綺羅明をしあわせにするか?楽しく遊ばせてくれるか?』
幼子はかがみ込んだ血みどろの巫女に笑顔を見せ、抱きついた。彼女も子をしかと抱きしめる。
女は涙を流し、白虎を見た。
『綺羅明は本当によい子じゃ……うぬらにはもったいない。必ずや陽のもとへ。その代わり、儂がお前の死を決める。それが等価代償。
その身魂にしかと刻め、月の巫女よ』
神獣はその声を深淵の如く震わせ、隻眼の天女が微笑む夜空を見上げた。
年月は過ぎ
いよいよその当日が訪れる事を、女は知っていた。
(つづく)




