第9話
月一で行われる魔法杖の授業を楽しみにしている生徒は多い。杖を使った魔法は法によって制限されているため、彼らにとって授業中が魔法を使うことのできる唯一の機会だ。その非日常感に気分が高揚してしまうのだろう。
杖を使わない魔法――いわゆる自然魔法を扱える僕は、彼らほどの興奮は覚えない。附属校生の頃から身体強化魔法は使えるし、クインタスの襲撃を機に杖なしで雷魔法を放てるようになったから、魔法に関して僕は他の生徒よりもはるかに自由だった。
だけど、僕にとってもこの授業は特別だ。杖魔法と違って自然魔法は魔法使いの免許が必要ないといっても、ところ構わず雷魔法を放つわけにはいかない。
なんの憂いもなしに魔法の練習ができるという意味で、貴重な時間だった。
一つ問題があるとすれば、教師の目である。
この授業はあくまで魔法杖の授業であり、杖を使わない魔法を練習する時間ではない。しかし、初回の授業で杖の扱い方を早々に習得した僕は、それ以降の授業でやることがなくなっていた。そんな折に杖なし魔法を覚えてしまったものだから、杖を使っているふりをして、こっそり手のひらから魔法を放つ遊びを始めてしまった僕を誰が責められようか。
最初の頃は杖なし魔法に慣れていなかったから、威力の調整がうまくできなかった。雷は他の属性と比べ、ただでさえ音で注目を集めるのに、授業で使われる練習用の杖の最大火力を明らかに上回る魔法が飛んでいれば、教師に気づかれないわけもなく、軽いお小言を頂戴することになった。
魔法教師のナッシュ先生は、最初の授業のときから僕をやたらと目の敵にして、僕が失敗するのを常に期待しているような男だった。なんでもナッシュ先生は、僕の母親のエルサと学園の同級生だったそうで、エルサとエルサの友人の二人が常に成績トップにいたせいで、彼は万年三位だったらしい。
それが理由かはわからないが、エルサの息子である僕に対して少なからず思うところがあるのは彼の態度から明白だった。
加えて、僕が大人しく授業を受けないものだから、彼の監視の目はさらにきつくなっていったが、長身のペルシャを盾にしたり、ヴァンが注目を集めている間にナッシュ先生の目を盗んだりして、僕は自分のやりたいことを繰り返していた。
ペルシャいわく、バレてないのではなく黙認されているだけなのでは、ということらしかったが真相はわからない。
迎賓館の事件以降、僕の魔法技術は大いに向上した。今僕が習得しようとしているのは魔法剣だ。クインタスが半透明の魔法の剣で戦っていたのが印象に残っている。
あれは僕が無属性魔法と呼んでいるものと同じものだと思う。
僕は魔力を操作し、手のひらからぶよぶよした半透明のものを出現させた。無属性魔法は魔法の素のようなものだと思うけど、教科書にも僕がこれまで見てきた資料にも情報がなく、確かなことはわからない。
今のところわかっているのは、無属性魔法は魔法も物理もある程度無効化するということだ。昔、博士と呼ばれる男と戦ったことがあったが、そのとき彼が杖から放った炎魔法を無属性魔法を纏わせた手で防御することができた。
これまで僕は無属性魔法を防御魔法の一種だと認識していたが、クインタスの使い方を見てハッとさせられた。彼は無属性魔法を鋭い刃物の形状にすることで強力な攻撃魔法へと昇華させていたのだ。
理屈はわかる。形状を変化させることは僕もある程度できるから、その延長線上にクインタスの技があるというのは理解できるが、実際にできるかと言われたら話が変わってくる。
このぶよぶよは体から離れるほどコントロールが利かなくなるから、剣のような細長いものを形作るのは至難の業だ。それに加え、クインタスの魔法剣のようにワイズマン教授の腕を斬り飛ばすほどの鋭利さを実現するとなれば、気が遠くなるほどの修練が必要に思える。
だけど僕は思い知った。どうやら自分は危ない目に遭うのが得意らしいのだ。全然嬉しくない特技だけど、これから先も無事に過ごしていくには、戦闘能力もそれなりに必要なんだ。
将来研究者になるから、研究さえできればいいと思っていた節があるけど、魔法の技術を磨いて僕自身が強くなることを真剣に考えてもいいのかもしれない。
無属性魔法を載せた右手を眺める。半透明の塊がぽよぽよと手のひらの上で踊っている。
迎賓館でクインタスの仲間のアリスとかいう女に雷魔法を放ったときのことを頭に浮かべながら、魔力が魔法に変わるときのくすぐったさに似た感触を手のひらで知覚する。
このまま流れに任せてしまえば、あのときと同じように雷魔法が飛び出し、天井を黒焦げにしてしまうだろうから、ここで意識的に押しとどめる。
そして、手のひらの上の無属性魔法に少しずつ滲ませるように放出していく。すると無属性魔法の塊に雷属性が付与されていく。
一度杖なしでの雷魔法に成功してから、それまでどうしてできなかったのかわからないくらい簡単に属性魔法を作れるようになった。
雷属性が付与されたぶよぶよに左手の指を近づけるとパチッと鳴った。痛い。
こんな感じで日常で起こる静電気程度のものから、クインタスの仲間を倒した威力のものまで、雷属性をどれだけの割合で付与するか、今や自由自在だ。
これを応用すれば強力な雷を纏った魔法剣だって、理論上は可能なのだ。
魔法剣の練習をしていると、ナッシュ先生が訝しげに僕を睨んでいることに気づいた。無属性魔法は半透明だからよく見れば何かがあることはわかってしまう。
さすがに目立つから、今日は他のことをすることにした。
ちょっとした実験、というより観察と言った方が正しいか。
先日、目に身体強化を施すことで魔法の残滓を見ることができるとわかった。あれから、ときどき気まぐれに目に魔力を送ってみるのだが、日常的に魔法を使う人がほとんどいないせいか、他人の魔法の残滓を見る機会はほとんど訪れない。
稀に地面に残った消えかけの光を見たり、魔物や魔法植物が使った魔法の残滓を見るくらいが関の山だった。
だが、今日はどうだ。まさに絶好の機会じゃないか!
生徒たちは杖を壁に向け、各々が勝手に魔法の練習をしている。初期と比べ、みな自身の魔力量を感覚的に把握できるようになってきたから、ナッシュ先生は付きっきりで指導するのでなく、監督しているといった感じだ。僕にとっては好都合だった。
僕はさっそく右目を魔力で強化した。周りを見れば、生徒たちが杖を構えて立つ位置から、色とりどりの光の線が何本か、壁に向かって一直線に伸びているのが目に入った。
昼間なのにはっきりと光って見えるのは不思議だ。通常の目で見る可視光だったら、明るい場所でこれほどはっきりと見ることはできない。
ヴァンが杖を構えるのが見え、僕は視線を彼に固定した。彼の杖から魔法が放たれる。炎を纏った魔法が、彼の髪色に似た燻んだ赤色の尾を引きながら、壁に着弾した。さながら、彗星のようだった。
僕も自分の魔法の軌跡を見るために、杖から魔法を放った。透明な球体が直進し、空中に黄色の線を引いた。光は黄色一色だった。身体強化をしたときは黄色と紫の光が見えたが、何が違うのだろう。
周りを見てみると、すでにたくさんの魔法が通った跡が浮かんでいたが、そのどれもが単色で構成されていた。似たような色に見えても、よく見れば微妙に色合いが異なっていて、生徒一人一人が固有の色を持っているようだった。
だったら、僕が身体強化をしたときだけ黄と紫の二色の光が出てきたのはどうしてだろう。杖の仕組みが何かしら関係していて一色の魔力しか通さないのだろうか。
それを確かめるため、僕は杖を使わずに手のひらから雷魔法を放ってみた。しかし、黄色の光しか出てこない。ということは、杖のせいということでもないようだ。
属性と色に着目して、もう一度周りをよく見てみる。
ヴァンの色は暗い赤色だが、もう少し明るめの赤は他にも何人かいて、彼らはヴァン同様に炎属性だった。他の属性を見ても、同じ属性の生徒は似たような色になっているのがわかった。
属性と色には相関がありそうだ。珍しい雷属性を持つ僕の他に黄色の生徒が一人もいないことからも、それは確からしく思えた。
この仮説が正しいなら、雷属性が黄色ということになり、紫は身体強化特有のものなのではないかと推測できる……が、僕というたった一つのサンプルから結論を出すのは早計だ。身体強化ができる人間は限られるが、ちょうどいいところに優秀なサンプルがあったから、僕は頼んでみることにした。
壁に向かって杖を構えるヴァンに後ろから忍び寄る。すると彼は唐突に振り向いた。
「っと、いきなり振り向くのはやめてくれよ……。後ろに目でもついているのか?」
ヴァンに非難の目を向ける。
「いや、なんとなく気配を感じたんだよ。それで、何か用か?」
気配……? 野生動物か何かだろうか。
「ああ。ちょっと身体強化をしてみてくれ」
「べつに構わないけど――急だな?」
「早くしてくれ。一刻を争うんだ」
べつに急いでなどいないが、真面目な顔をして僕は言った。
「わ、わかったよ。――ほら」
ヴァンは困惑した様子を見せながらも、杖を持っていない方の手である左手を前に持ち上げた。握りしめた拳から、属性魔法と同じ、燻んだ赤色の光が空気中に広がっていく。
あれ、おかしいな。黄色と紫の二色が出てきた僕の身体強化と違い、ヴァンは赤一色。どういうことだろう? 紫色が身体強化の色だと思っていたのに。
身体強化が例外なのではなく、僕の身体強化が例外なのか?
仮説と異なる結果となり、首を傾げる。
期待通りの結果が得られなかったことにがっかりするが、むしろこれはチャンスだと思い直す。研究開発において例外とは厄介極まりないものだが、同時に未知の解明にいたる重要な手がかりにもなり得るのだ。
決して軽んじることなく、注意深く評価すべきだ。
問題は、身体強化ができる人間が少ないため、サンプル数が十分に取れないことだろう。一応僕の家族はみんなできるけど、お願いできる関係性の相手がいない。ワイズマン研究室で聞いてみるのが一番てっとり早いかもしれない。
魔法杖の授業が終わり、昼休みになった。
授業後、しゃがみこんで魔法による地面への影響を調べていると、ペルシャが中立派の連中と付き合いがあるからと、僕を置いて先に行ってしまった。仕方なく僕は一人で食堂に向かった。
注文をするために列に並ぶと、周りがざわついた。僕はいつまでこんな、腫れ物に触れるような扱いを受け続けるのだろう。並ぶのが億劫だ。
席について給仕に注文をするだけでよかった附属校時代が懐かしい。学園でも貴族席を導入したらどうだろうか。僕が生徒会長になった暁には――。
「珍しく一人じゃないか」
すぐ後ろから声が聞こえ、振り返るとヴァン・スペルビアと他二人の生徒がいた。僕は目線を上げてヴァンと目を合わせる。
「また貴様か。べつに、いつもペルシャといっしょにいるわけではない」
ヴァンの友人と思われる二人の生徒は、話に入ってくる様子はなかった。ヴァンの一歩後ろでこちらをチラチラと興味深げな視線を向けてくるのが、少し鬱陶しい。
前までは怯えとか敵対心とか、負の感情が込められる視線に晒されることが多かったから、今の状況には戸惑ってしまう。
「いい意味で注目を集めるのは慣れてないみたいだな、英雄様?」
昔から僕はヴァンを英雄扱いして揶揄ってきたが、彼はそのことを根に持っているようだった。すくすくと伸びた身長に比して、心はいつまでも小さい男である。
「黙れ。というか、近いんだよ。もう少し離れてくれ」
「列に並んでるんだからしょうがないだろ」
「貴様は背が伸びすぎなんだ。僕より目の位置が高い上に、その体格だと威圧感がすごいんだよ」
「ロイも背は高い方だろ? それにチェントルムだって俺と同じくらいじゃないか」
「ペルシャはいつも隣にいるからいいんだよ。貴様みたいに正面に立ち塞がらないからな」
「『アヴェイラムの傍らにチェントルム』ってやつか。でも、いつかチェントルムがロイの前に立ち塞がるときが来るかもしれないぞ」
ヴァンは、貴族の間で昔から使われている慣用句を持ち出して、意味深に笑った。
アヴェイラムとチェントルムの友好は、遥か昔、この国がまだ現在のグラニカ王国に統一されていなかった時代からの、長い長い歴史がある。
僕とペルシャの個人の思いなど関係なしに、僕たちは切っても切り離せない仲だ。いつか仲違いをしてペルシャが僕の前に立ち塞がることなど想像ができなかった。
「ペルシャに限ってそんなことはないだろう」
何を世迷言を、と僕は鼻で笑ったが、そのあと一人で食事をしている間も、どうしてかヴァンの言ったことが耳に残った。