第3話
人に好印象を与えるにはまずは形からだけど、実際自分が他人にどう見られているのか気になる。
印象が最悪だというのはわかっているが、単純に自分の容姿がどんな感じなのかってことだ。
前世の常識という評価軸が加わったことで、改めて鏡で自分の姿を確認すれば、これまでとはまた違った印象を抱くに違いない。
それに、思えば己の顔を凝視したことなど記憶にない。
それだけ周りの視線に無頓着だったということか。
いや、8歳で容姿を気にするというのもおかしな話か。
部屋の入り口近くに鏡を見つけたから、僕はベッドから起き上がって、鏡の前に立った。
――それはブタであった。
思わず目を逸らす。
え?
どういうこと?
確認するためにもう一度鏡を見た。
――それはブタではなかった。
そう、鏡の中のそいつの正体、それは……どちらかといえば小豚だ。
真っ白で、つぶらな瞳が庇護欲を掻き立て、ピンクの鼻先がキュートで、得意げな口が憎らしい。
小豚ちゃんだったのだ!
いやそうじゃない。
そいつの正体、それは……
この僕、ロイ・アヴェイラムその人だったのだ!
――デデーン
僕は絶望した。
自分がここまで太っているとは思わなかった。
僕の両親を思い浮かべてみよう。
どちらもあまり会うことがないので顔のパーツがはっきりとせず、想像で補完しきれない部分がグニャグニャしている。
しかし、かろうじてなんとなく覚えている輪郭は太ってはいない。
顔もたぶん悪くはなかった……はずだ。
だって貴族って基本顔いいし。
それで何故こんなブタが生まれてきたんだろう。
いや小豚か。
引き続き僕は鏡の中の自分を観察する。
すると、あることに気がついた。
その発見は希望だった。
そう、例えるなら……
長い長い真っ暗なトンネルを歩き続けてきたが、どれだけ進んでも出口が見えない。
食料もすでに底を突いた。
もうすぐ水も尽きてしまうだろう。
もうこのまま死んでしまうのか。
出口までたどり着けずに……。
そもそも出口なんてあるのだろうか。
もしかしたらこのトンネルは円になっていて、僕は今までずっと同じところを回っていただけなのかもしれない。
そんな悲観的なことを考え、諦めかけたそのとき、前方にかすかに光が差し込んでいるのが見えた。
それはこの暗いトンネルの中で、長いこと見ることのなかった、外の世界の光だった……。
そんな感覚だった。
確かにぶよぶよに太った顔ではあるが、顔のパーツ自体はそんなに悪くない……かもしれないことに気がついたのだ。
ダイエットすれば多少ましになるかもしれない。
少女漫画のヒロインのように!
そうして僕は痩せることを決意した。
しかし、このアッシュグレイのオールバックというか、少し左に流したスリックバック? な感じの髪型は、我ながら結構かっこいいな。
メイドが朝いじっているのは知っていたが、なかなかセンスがある。
明日の朝にでも褒めてやろう。
黄色がわずかに混ざった青色の虹彩も近くで見ると綺麗だ。
あとはこの頬にある肉がなくなってくれれば。
ぷにぷに。
感触は気持ちがいいんだけどな。
と、そのとき僕のすぐ右側の、入り口のドアが開き、少年が姿を見せた。
両手で顔をふにふにといじった状態のまま、僕は彼と向き合った。
そして、僕と彼は見つめ合ったんだ。
7秒間視界を奪われると恋に落ちるという法則がある。
たぶんもう10秒くらい経っている。
彼はオリーブオイル系のイケメンで僕は世界が認める少女漫画のヒロイン。
それってつまり……。
いや、というかほんとに何しにきたんだ?
怪我でもしているのだろうか。
あ、それか僕がぶつかった生徒ってこの子なんじゃないか?
燃えるような真っ赤な髪にわずかだが見覚えがある。
事件現場で見たような……。
さあ、アリバイを聞かせてもらおうか。
僕は何事もなかったかのように顔から手を離し、彼に話しかけた。
「医務室に何か用か? 今、先生はいないが」
「……」
反応がない。
どうしたのだろう。
僕の変顔にダメージを受け過ぎたのか。
この子、部屋の入り口で突っ立ったまま、まだ一度も言葉を発していないな。
と思ったところで、彼は口を開いた。
「あ、いえ、あなたに用があるんです。謝ろうと思って。さっきあなたにぶつかってしまったのは私です。申しわけございませんでした」
彼は胸に手を当てて真摯に謝った。
やはりそうだったのか。
つまりこの少年は僕の記憶を取り戻してくれたヒーローということだ。
そして僕はヒロイン。
それってつまり……。
いやそれはもういいから。
「そうか。あのときは僕も不注意だったし、もうこの通りなんともない」
そう言うと、彼は驚いたような顔をした。
僕にしては人当たりが良過ぎたかな。
でもいままでどういう風に話してたんだっけ?
難しいな。
「……そうですか。では私はこれで」
彼はそう言ってさっさと部屋を出ていこうとした。
なんだかそっけない。
引き止めなければ。
これをきっかけに彼と仲良くなれるかもしれない。
友達がいないのなら積極的に行動を起こすべきだ。
「なあ、ちょっと待ってくれ。名前を聞いてもいいか? 僕はロイ。知っているだろう? ロイ・アヴェイラムだ」
「……ヴァン・スペルビアと申します」
ん?
よく見たら胸のバッジが同じ色だから同じ学年じゃん。
でも同学年だからってすべての生徒を覚えているわけではないし、知らない生徒がいても不思議じゃないよな。
あー、でもよく考えたらこの学校で僕が名前を憶えてる生徒って誰かいたっけ。
いないかあ。
こんなんでよく今までこの学校で生活してこれたな。
小学生って名前とかニックネームを作る能力に世界一長けた種族だと思うんだけど、そんな中でたったひとりの名前も覚えられないとか、猿が木に登れないようなものでは?
「胸のバッジが緑だから同じ2年生、じゃなくて今日から3年か。学年は同じだな?」
「はい。それと……クラスも同じですよ」
な、なんだと。
まさかクラスまで同じだとは!
それなのに名前を知らないなんて失礼すぎる!
「そ、そうだろう? 知っていたさ。では改めて、これからよろしく頼む」
動揺してしまった。
「こちらこそ」
そう言ってヴァン・スペルビアは医務室から出ていった。
相変わらずそっけなかった。
大丈夫かな。
さらに印象悪くしてないかな。
まあでも、とりあえず一人知り合い? ができたから上出来かな。
仲良くなりたいなあ。
イケメンだし。
オリーブオイル系の。
か、顔だけで判断したわけじゃないぞ。
性格も悪名高い僕に接するにしては、かなりしっかりしてていい子そうだったし。
取り巻きたち以外で僕としっかり話してくれる子って、そういえば初めてだったな。
普通は怖がるんだ。
僕が普段から周りに怯えられるよう振舞ってきたキライはあるけど。
それでも、僕に怪我を負わせたというこんな状況の中、怯まずに目を見て話してくれるやつ、見たことない。
記憶を取り戻すきっかけが彼で良かったなあと、なんとなく僕はそう思った。