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8歳から始める魔法学  作者: 上野夕陽
第七章

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第15話


 カエの治療研究を再開したものの、成果はまだ出ていないが、一つだけ気になることがあった。


 ポケットから取り出したのは、衛生区でハルとぶつかった時に落ちた、あの瓶の底だ。

 内側にはまだ微かに液体が付着している。


 あの時、僕はハルを疑った。さまよい病に関係しているのではないかと。

 だが、還元の儀で見たハルの姿が、頭から離れない。

 あの震える指先と眉間の微かな歪み。

 許容量を超えた魔力の激流に耐える、孤独な背中。


 ……僕は、何も見えていなかった。


 この瓶の中身が何なのか、調べる必要がある。

 そうすれば、少なくとも一つの疑問には答えが出る。







 * * *






 衛生区の中央診療院の分析室につくと、顔見知りの研究員が僕に笑いかけた。

 カエの症状を調べるために通い始めてから、ここの研究員たちとはよく話すようになった。

 この区の人たちは僕に対して最もフラットに対応してくれる。さまよい病の原因が僕ではないことをわかっているからかもしれない。


「これの成分を調べてほしいのだが」


 受付の女性に瓶底を差し出す。

 彼女は訝しげな顔で瓶底を覗き込んだ。


「……これ、どこで手に入れたの?」


「ちょっとした拾い物です」


 女性は肩をすくめて、瓶底を受け取った。


「一日かかるわよ。明日また来て」


「わかった。頼む」






 * * *






 次の日、分析結果を待つ間、僕は街を歩いた。

 カエの症状とさまよい病の関連を調べるために街の患者の様子を観察する。


 だが、歩けば歩くほど、嫌な予感が強まっていく。


 道端のベンチに座る老人。虚ろな目で宙を見つめている。

 広場の片隅でうずくまる女性は何かを呟いているが、言葉になっていない。

 路地裏で立ち尽くす子供は呼びかけても反応しない。


 以前よりも、明らかに数が増えている。


 住民たちは、彼らを避けて通り過ぎていく。

 関わりたくない。自分には関係ない。そんな顔で。


 核樹から離れるほど、都市の外壁に近づけば近づくほど、患者の数は増えた。だが、みながそれを存在しないように振舞っている。


 神殿からは、何の公表もない。

 見て見ぬふりをしているかのようだった。


 気づかないはずがない。

 神殿は、さまよい病の真実を知っていて、それを握りつぶしているのか?


 胸の奥で、疑念が渦巻く。






 * * *






 分析室に着くと、分析の結果はすでに出ていた。


「はい、これ」


 紙を受け取り、目を通す。

 瓶底に残っていたわずかな残液について、煎じ配合と魔力反応の照合が記されている。


 そこに書かれていたのは――。


「……巡魔湯(じゅんまとう)?」


 彼女は事務的にうなずいた。


「昔から使われている、体内の魔力の流れを整える煎じね。魔法を使うときに痛みが出る人に処方される。ただ……」


 彼女は思案顔で言葉を切った。


「ただ?」


「瓶の色で予想はついてたけど、通常よりも濃度がかなり高いものなのよね、これ。相当な痛みが出ている人向けの」


 僕は、紙を見つめたまま動けなかった。

 ただの、痛みを和らげる薬。


 還元の儀で見たハルの姿が、再び脳裏に浮かんだ。

 あの激流に耐えるために、どれほどの負荷が体にかかっているか。

 あの細い体で、どれほどの痛みを抱えているか。


 この薬は、ハルが自分の体を保たせるためのものだった。

 さまよい病を広めるためじゃない。

 ただ、自分が壊れないように、必死で耐えるためのものだった。


 紙を握りしめながら、僕は自分を嘲笑った。

 アヴェイラムの血を恐れているくせに、やっていることは同じじゃないか。

 相手の事情も知らずに、自分の正義を振りかざすなんて。


 神殿全体への不信感は、まだ消えていない。

 だが、少なくとも、あの男は違う。

 あの男は、僕が思っていたような悪人じゃない。


 研究室に戻りながら、僕は考えていた。

 さまよい病の原因は、別にある。






 * * *






 研究室に戻ると、見覚えのある男が廊下で待っていた。

 以前、衛生区でハルたちにデータの異常を訴えていた、あの送魔線技師だ。


「……あのときの」


 僕は男に声をかけた。


「この研究室に何か用か?」


 問いかけるが、男は黙ったままだ。

 何かを言いかけては、口を閉じる。それを何度か繰り返してから、ようやく口を開いた。


「……トージだ。トージ・ハルベン」


 名乗られて、僕も名乗り返した。


「ロイ・アヴェイラム」


 トージは、その名前を聞いても表情を変えなかった。

 魔女の子。アヴェイラムの血。そういった反応はなかった。


「あんたの席、以前は別の研究員が使っていた」


「……ああ」


 トージの目が、一瞬だけ揺れた。


「……あれは、俺の娘だった」


 息を呑んだ。

 この人が、あの自殺した女性研究員の父親なのか。


「クロエだ。クロエ・ハルベン」


 何も言えずにいる僕に、トージは静かに言った。


「クロエは、この都市で何かがおかしいと気づいていた。神官たちが見て見ぬふりをしている何かを、あの子は調べようとしていた」


 日誌の内容が蘇った。

 乱れた筆跡で支離滅裂な内容だった。そして、最後の一文。

 ――もう、限界だ。誰も信じてくれない。


「……しかし、誰にも信じてもらえなかった、と」


「ああ。頭がおかしくなったと言われた。精神を病んだと。他にも、耳をふさぎたくなるような酷いことを……」


 トージの声には、悲しみの他に、押し殺した怒りがあるのがわかった。


「これは、俺が送魔線の魔力を解析した記録だ。あんたに見てほしい」


「僕に?」


「あんたは、あの時、俺に手を伸ばしてくれただろう?」


 トージは、僕を真っ直ぐに見た。

 ハルがトージを突き飛ばしたときのことを言っているのだろう。


「もしかしたら、あんたなら、娘が見つけようとしていたものを見つけられるかもしれない」






 * * *






 トージから受け取った資料を、研究室に持ち帰った。

 紙束には、送魔線の魔力解析記録がびっしりと書き込まれている。

 膨大なデータだ。娘の死の真相を突き止めようとするトージの執念が伝わってくる。


 この資料は貴重だ。

 神殿はデータの公表をしない。衛生区の研究員たちが、最近データの入手が難しくなったと不満を漏らしていた。


「――それ」

 背後から声がした。

 振り返ると、アジュがいつの間にか僕の後ろに立っていた。

 彼女は僕の持つ資料を覗き込んでいる。


「ん?」


「それ、知ってる」


「知ってるって……どういう意味だ?」


「クロエが見せてくれたやつと、似てる」


 アジュは資料の一枚を指差した。

 その目が、少しだけ輝いている。


「でも、今はもう見られない。神殿が見せるのをやめたの」


「……やめた?」


「うん。クロエが死んですぐに」


 クロエがさまよい病の異常に気づき始めていた。そして死んだ。その直後に、公表データが停止された。

 偶然とは思えないな。


「でも数字がちょっと違う」


「違うって……覚えてるのか?」


「全部覚えてるわ」


 アジュの声が、ほんの少しだけ弾んだ。

 どことなく得意げに見える。


「一度見たら全部」


 なるほど。

 養護施設で馴染めなかった理由のひとつが、こういった特異性なのかもしれない。

 アジュはしばらく黙って資料を見つめていた。

 彼女の眉根が寄る。何かを考え込んでいる。


「やっぱり違う。一緒のところと、違うところ」


 アジュが紙を指差した。

 トージのデータは直接送魔線から読み取ったものだから、彼を信用するならデータは正しいはずだ。じゃあ、神殿のデータが間違っている?


「クロエが持ってた資料はどこにあるかわかるか?」


 アジュは、少し考え込んだ。


「なくなっちゃった」


「なくなった?」


「うん」


 なくなった……か。偶然だろうか。


「……アジュ、この研究室に、誰か来なかったか? 見慣れない人とか」


「……来た。クロエが死ぬ前」


「誰かわかるか?」


「顔は覚えてる。名前は知らない。でも、神殿の服を着てた」


 神殿の人間。やはり、神殿が絡んでいる。

 しかし、これだけでは特定できない。


「その人、クロエと何か話してたか?」


「聞こえなかった。でも、クロエ、その後すごく怖い顔してた」


 クロエは何かを知った。だから資料を持ち去られた。

 そして、最後は、追い詰められて……。


 ……いや、結論を急ぎすぎだ。まだわからないことが多すぎる。

 今は、トージから受け取った、実測データの分析が先だ。

 神殿のデータとの違いを見れば、彼らの隠したいものが見えてくるはず。


「具体的に、どこが違う?」


「ノイズの振幅。この資料の方が大きい。クロエが見てたデータでは、こんなに大きくなかった」


 つまり、公表データは実際よりもノイズが小さく見えるように加工されていた。

 誰かが、異常を隠蔽していたんだ。


「……改ざんか」


 クロエはそれに気づき始めていたんだ。だから消された。

 そして、証拠隠滅のためにデータの公表自体が停止された。


「他に気づいたことは?」


 アジュは一枚の紙を指差した。


「ここ。ノイズに模様がある」


「模様……」


 僕は、アジュが指差した箇所を覗き込んだ。

 たしかに、ノイズのパターンになんらかの規則性がある。

 だが、それが何を意味しているのか――


 その瞬間、頭の中で何かが繋がった。


「……待てよ」


 かつて、僕は魔力が波としての性質を持つことを発見した。

 そして、この前公開された、エルサの三つ子理論。魔素は最小単位ではなく、三つの粒子から構成されているという理論だ。


 エルサは粒子としての魔素に固執した。

 三つ子粒子のうち、魔力の属性を決定すると言われているクオリアを触媒で崩壊させ、無個性化することで、彼女は通常の魔力を統一魔力へ変換することに成功した。

 だが、もし波動としてのアプローチがあるなら?


「このノイズは……クオリアの声だ」


 アジュが首を傾げた。

 そうか。エルサの理論では、クオリアは魔紋を司ると考えられている。魔紋は粒子が構成するパターンだと思っていたが、もっとシンプルな考え方がある。

 魔紋とは波だ。

 僕は、資料を握りしめた。


「波なら制御できる」


 この固有振動数と完全に逆位相の波をぶつければ、クオリアの働きを無効化できる。

 理論上は可能なはずだ。

 そうすれば、エルサが編み出した方法のようにクオリアを崩壊させずに、統一魔力を生成できるんじゃないか?


「……いける」


 頭の中で猛スピードで仮説を組み立てる。

 鳥肌が立っているのがわかる。


「アジュ、計算が得意だったな?」


「うん」


「僕が指示するから、計算してくれ」


 アジュは、驚いたような顔をしてから、頷いた。


 それから、夜が明けるまで、僕らは資料と格闘した。

 僕が仮説を立て、アジュが計算する。


 暗記も計算も、アジュの方が得意だ。

 だが、仮説を立てること、そして、本質的な繋がりを見出すことは、僕にしかできないことだった。


 夜明けの光が窓から差し込む頃、僕は確信した。


 これだ。

 エルサの変換とは違う、生成への道。

 波動アプローチが正解なんだ。魔力波を見つけた僕だからできる、共鳴による統一魔力の生成。


 クロエが見つけようとしていたもの。

 トージが娘の仇として追い求めていたもの。

 それらは無駄にはならない。それらは統一魔力生成へのカギであり、この都市を蝕むさまよい病の、根本的な解決への糸口になるはずだ。


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