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8歳から始める魔法学  作者: 上野夕陽
第七章

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第12話


 ある夜、研究室に戻ると、机の上に封筒が置かれていた。

 差出人の名前はない。だが、封蝋に刻まれた紋章は見覚えがあった。

 主席研究員、イライジャ・ゴールドシュタイン。

 僕の祖父。


 封を開けると、中には短い文面だけが記されていた。


『明日の正午、執務室に来い』


 署名もなければ、用件の説明もない。

 だが、逆らえるはずがなかった。






 * * *






 翌日。

 主席研究員の執務室。

 扉をノックすると、中から低い声が応えた。


「入れ」


 重い扉を押し開けると、そこには膨大な書物と資料が積み上げられた空間が広がっていた。

 壁一面の本棚、机の上に散らばる羊皮紙、天井から吊るされたオイルランプ。

 その奥に、イライジャが座っていた。


 彼は僕を一瞥すると、手元の書類から顔を上げずに言った。


「座れ」


 指示された椅子に腰を下ろす。

 イライジャは相変わらず若々しい。魔力循環技術による若返り。祖父とは思えない容貌だ。


 イライジャは机の上から一枚の紙を取り上げ、僕の前に滑らせた。


「読め」


 それは新聞の切り抜きだった。おそらく外界から持ち込まれたもの。

 見出しが目に飛び込んできた。


『グラニカ王国、正式名称をグラニカ帝国へ』

『特別資源管理法、可決』


 文字を追うごとに、指先が冷たくなっていく。


「……帝国?」


「読み進めろ」


 イライジャの声は淡々としていた。


 記事は続く。

 南方アイヒ大陸への『資源確保』という名の侵略。

 そして――


『特別資源管理法』


 その実態は、アイヒ大陸の住民を強制連行し、奴隷化魔法で思考を奪い、生きた魔力タンクとして使い潰すという、悪夢のような法律だという。


「……奴隷化魔法」


 声が震えた。


「母さんが……これを?」


「エルサが開発したものだ」


 イライジャは机の引き出しから、別の紙束を取り出した。


『天才研究者エルサ・アヴェイラム、統一魔力の変換に成功』


 目を疑った。

 統一魔力。属性も魔紋も持たない、純粋なエネルギー。理論上の存在は予測されていたが、通常の魔力から変換することは不可能とされてきた。

 それを、エルサが成し遂げた?


「……本当に、変換を?」


「ああ。ついこの前、論文が発表された」


「統一魔力の変換技術だけではない。奴隷化魔法もだ。彼女の発明は、今やグラニカ帝国の両輪となっている」


 論文をめくる手が止まらなかった。

 理論の美しさ。発想の豊かさ。数式の優雅さ。

 読めば読むほど、エルサの才能が痛いほど伝わってくる。

 そして、それが何に使われているかも。


「そして、グラニカは技術を独占しなかった」


 イライジャが言った。


「統一魔力の変換技術も、奴隷化魔法も、世界に論文を公開した。世界中のエネルギー需要が爆発的に増大し、他国に後れを取りたくない各国は、魔人への備えを言い訳にして、自らも奴隷狩りに参加せざるを得なくなった」


 背筋が凍った。

 技術の公開。それは学術的には正しい選択のはずだ。知識は共有されるべきものだと、僕自身も信じてきた。

 だが、この技術に限っては――先進諸国を共犯者にするための戦略だった。

 もし独占していたら、グラニカは非人道的だと国際的に非難されていただろう。だけど、全員を競争させ、同じ罪を犯させることで、誰も後指を差せなくなる。


 アヴェイラムの政治的手腕。情勢を読むバランス感覚。

 僕は何度もそれを見てきたし、恐れてきた。だけど、こんな規模で発揮されるとは思わなかった。


「……僕のせいで」


「違う」


 イライジャはふいに立ち上がり、窓際へ歩いた。


「お前のせいではない。口実にされただけだ」


「でも、僕がいなければ――」


「いなければ、別の口実が作られた。遅かれ早かれ、あの国はこうなっていた」


 イライジャは振り返らずに続けた。


「一人で世界を変えられると思うな。俺やお前は……エルサとは違う」


「……どういう意味ですか」


「お前は俺に似ている。わかるだろう?」


 イライジャが振り返った。

 その目は、どこか寂しげだった。


「俺たちに、あの子のような、世界の理を歪ませるほどの才はない」


 言葉が胸に突き刺さった。

 否定したかった。だが、できなかった。

 母の論文を読んで、その理論の美しさに惹かれてしまった自分がいる。

 あんな技術を作った人間なのに、その才能に憧れてしまう自分がいる。


「だからこそ、お前には選択肢がある」


 イライジャは机に戻り、再び座った。


「才能がありすぎる人間は、道を選べない。才能が道を選ぶからだ。だが、俺たちは違う。俺たちは、自分で道を選べる」


「……何が言いたいんですか」


「お前がここで何をするか、俺は干渉しない」


 イライジャは書類に目を戻した。


「ただ、一つだけ忠告しておく。この都市には、お前が思っている以上に深い闇がある。外の世界も、ここも、大して変わらん」


 それ以上、イライジャは何も言わなかった。

 僕は立ち上がり、扉に向かった。


 手に持った論文の束が、やけに重く感じた。

 母の才能。母の罪。

 そして、その血を引く自分。


 研究室に戻っても、机に向かう気力が湧かなかった。

 代わりに、論文を読み始めた。

 読みたくないのに、止められなかった。


 統一魔力変換技術の核となる、三つ子理論。魔素を構成する三つの粒子。

 マテリア、エナギア、そしてクオリア。

 触媒による構造破壊。統一魔力への変換。


 美しい。

 悪魔的と言えるほどに、美しかった。


 吐き気がした。

 この論文を書いた人間が、奴隷化魔法も作った。

 その美しさに惹かれている自分が、たまらなく醜く感じた。


 だが、同時に、別の感情も芽生えていた。


 母は『変換』で統一魔力を作った。

 犠牲が必要な方法だ。変換元となる魔力を用意しなければならない。だからこそ、グラニカ帝国は、アイヒ大陸を侵略し、魔力タンクとして奴隷を連れてくることにしたのだ。


 統一魔力とは、夢のエネルギーのはずだ。研究者たちが長年生成を試み、しかし、失敗してきた。エルサが確立した変換というやり方は、統一魔力という夢を叶える大きな一歩ではあるが、完全なる生成を達成しなければ、魔法学研究の夢が叶ったとは言えない。


 僕がやらなきゃいけないんじゃないか?

 統一魔力を『生成』できるようになれば、この悪夢は終わるんじゃないのか。


 それは、母の罪を、僕が償うということだ。


 ――いや、これは言い訳だ。

 僕は自分の中にある醜い欲望を自覚している。

 贖罪などと言って、正義の仮面でそれを隠しているんだ。

 でも本当は、ただ母の才能に近づきたいだけだ。

 あの眩しいほどの才能に。


 手は止まらなかった。

 論文のページをめくり続けた。

 夜が更けても、朝が来ても。


 窓の外で発光苔がじんわりと光り始める頃、僕はようやくペンを取った。

 ノートに書き殴る。数式を。仮説を。


 エルサとは違うアプローチ。

 あの人は、三つ子の粒子のうち、魔紋や属性を司る粒子『クオリア』を触媒で崩壊させた。

 強引に壊すことで、統一魔力への道をこじ開けた。

 だが、それは変換だ。元となる魔力が必要で、しかも効率が悪い。


 別の道があるはずだ。

 クオリアを壊すのではなく、別のやり方で。

 まだ何も見えていない。だが、必ずある。


 ペンが走る。

 止まらない。止められない。


 正義のためなんかじゃない。

 エルサ・アヴェイラムという巨人の足跡を辿り、その先の景色を見たいだけだ。


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