第8話
主席研究員とやらに会うために、僕たちは都市の中心へと向かった。
核樹の根元に近づくにつれ、胸の奥の共鳴がいっそう強くなる。心臓の鼓動と、核樹の脈動が、同期しているような錯覚。
やがて、核樹の幹に食い込むようにして建てられた、ひときわ大きな建物の前に着いた。
正面の扉には、複雑な幾何学模様が刻まれている。何かの紋章のようだった。
「ここが真理区の本部。主席研究員様の執務室もこの中にある」
アリスが振り返って言った。
扉を開けると、長い廊下が続いていた。
壁には、発光苔と金属の配管が交互に走り、どこか生体と機械が融合したような雰囲気を醸し出している。
すれ違う研究者らしき人々が、僕たちを好奇の目で見つめていた。
廊下の突き当たりにある扉の前で、僕らは足を止めた。
アリスが一人でするっと中へと入り、暫し待つと、中から扉が開けられた。
「主席がロイ君を呼んでる」
「……僕一人を?」
「直接話したいんだって」
釈然としないが、言われた通りにするしかない。
「大丈夫よ。驚くかもだけど」
アリスが小さく笑って、僕の背中を軽く押した。
深呼吸して、僕は扉を叩いた。
「入れ」
低く、しかし凛とした声が返ってくる。
どこかで聞いたことがあるような……いや、聞いたことはないはずだ。だが、声の調子に、覚えがある。
扉を開けた。
執務室は想像より狭かった。
壁一面を埋め尽くす本棚、山積みの論文、複雑な実験器具。雑然としているようで、すべてに手が届く範囲に収まっている、機能的な空間。
部屋の奥、窓から差し込む核樹の燐光を背にして、一人の男が立っていた。
僕は、息を呑んだ。
男は、せいぜい四十代に見えた。主席研究員とは、この都市の最高権力者の一人だというが、それにしては若い。
銀灰色の髪を後ろで束ね、痩身の体を白衣で包んでいる。切れ長の瞳は、こちらを値踏みするように細められていた。
その顔立ちに、既視感があった。どこかで見たことがある。いや、見たことがあるどころではない。
眉の角度、鼻梁の線、そして何より、こちらを見透かすような瞳の奥の光。
――エルサに、似ている。
いや、それだけではない。鏡で見る自分の顔にも、どこか重なる部分がある。
心臓が、跳ねた。
「まさか、エルサさんの……?」
僕は思わず尋ねた。
男が怪訝そうに片方の眉を上げた。
「親子にしては他人行儀な呼び方だな。エルサはお前の母親だろう」
「え、あ、そうですね」
「そして、俺の娘でもある」
やっぱり。じゃあ、この人が僕のもう一人の祖父。
「は……初めまして。ロイと言います」
「ああ、ロイ。イライジャだ」
その名を聞いて僕は固まった。
イライジャだって?
まさか、あのイライジャなのか?
「イライジャ……ゴールドシュタイン?」
名前が、口をついて出た。
男の眉がわずかに動いた。
「ほう。俺を知っているか」
「知っているも何も……あなたの論文は、僕にとって教科書のようなものでした。『40歳から始める健康魔法』から始まって、『魔力形態学概論』、『魔素構造と属性発現の関係性についての一考察』、『生体魔力循環の数理モデル』……何度読み返したかわかりません」
「……そうか。エルサはお前に見せたのだな……」
イライジャ・ゴールドシュタイン。
三十年以上前に死んだとされている研究者。彼の論文のほとんどは公表されていなくて、エルサが持っていたものを穴が開くくらい読み込んだ。
それらの著者が、今、目の前にいる。
しかし、僕の祖父にしては若すぎる。外見の年齢よりずっと年を取っているのだろうか。
エルサもやけに若く見えるが、そういう血筋なのか?
「なぜ……そんな、若く見えるんですか。僕の祖父なら、若くても六十前後のはず……」
「俺の本を読んだんじゃないのか? 魔力循環は老化を遅らせる」
イライジャはため息を吐いた。出来の悪い教え子に呆れるように。
「それは……いえ、そもそもあなたは……随分前に亡くなったと聞いています」
「死んだことにした。正確に言えば、死んだことにせざるを得なかった」
男は、淡々と答えた。
「きっかけは、俺が偶然見つけた魔力の性質だ。魔力を与え続けると、人や動物は洗脳に近い状態になる。……危険すぎる。だから研究を止めたかった。だが、俺にはそれが許されなかった」
イライジャは遠い目をした。当時のことを思い出すように。
「俺のようなネハナの人間が、独断で研究を中止すればどうなる? 実験台にされるか、口封じに殺されるか――選択肢はその二つしかない。だから俺は、死んだことにしてこの地下都市に逃げ込んだというわけだ」
彼の本に書かれていたとあるエピソードが思い出された。弱っている魔物を魔力循環で治療し、元気になった魔物にたいそう懐かれた話。あれは、ただの心温まるエピソードではなかったのだ。
かつて僕はルビィを同じ方法で助けたが、彼もまた、イライジャの魔物と同じように、僕に必要以上の好意を見せた。あれはやはり、洗脳に近い状態だったのだ。
そしておそらく、奴隷化魔法はすでに完成している。研究所がイライジャの投げ出した研究を引き継いだのだろう。
僕はその魔法の被害者を何人か知っていた。
学園で不審死を遂げたいじめっ子たち数人。そのグループのリーダーであり、ウェンディの弟のリアム・ドルトンも、おそらくは奴隷化魔法によって精神がおかしくなり、精神病院に入れられた。
そして――クインタスの妹、カエ。
世界が、ぐらりと傾いた気がした。
イライジャの瞳が、僕を真っ直ぐに見据えている。
「あなたが……僕をここへと連れてこさせたのですか?」
「お前は導かれたのだ。この研究都市に。なぜなら、お前にも俺の血が流れているのだから」
イライジャは、かすかに口角を上げた。笑っているのか、嘲っているのか、判別がつかない。
彼の振る舞いは、想像していたような聖人君子ではない。
「ロイよ。聞く限りでは、なかなかの才能だそうじゃないか」
「それは……」
「お前は俺の孫でエルサの子だが、アヴェイラムの血も引いている。グラニカにとって、お前は学術的にも政治的にも価値のある駒だということだ」
イライジャの目が細まった。
「だが、俺はまだお前の価値を測りかねている。ゆえに、しばらくはお前の才能を見極めさせてもらう。そして、使えそうなら使ってやる」
「使う?」
あまりにも一方的な物言いに、僕は眉を寄せた。
「嫌なら帰れ。グラニカに戻って、母親と同じ道を歩むがいい」
その言葉に、胸の奥が痛んだ。
「……それは」
「お前の選択だ。俺は強制はしない」
イライジャは、窓の外に目を向けた。核樹の燐光が、彼の横顔を照らしている。
僕は、深く息を吐いた。
「……わかりました。……僕は何をすればいいですか?」
イライジャは、こちらを向く。
その目に、わずかな光が宿ったように見えた。
「まずは、お前を研究室に配属する。貧相なラボだが、文句は言うな」
「貧相……?」
「お前はよそ者で、実績もない。最下層から始めるのが道理だ」
イライジャは、デスクの引き出しから一枚の紙を取り出した。
「魔力形態学研究室。そこがお前の居場所だ」
魔力形態学。イライジャ自身が得意とする研究分野だ。
「あなたの研究室……ですか」
「かつてはな。今は俺の手を離れている。まずはそこで……カリヤの妹を救ってみせろ」
簡単に言ってくれる。
配属書を手に、僕は執務室を後にした。
頭の中は、まだ混乱している。イライジャのこと、母のこと、そして僕に課せられた役割。
だけど、これが僕のやるべきことだ。エルサの罪を償わなければ、僕は一生先へは進めない。




