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受験戦争  作者: 西内京介
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第七章

「あ、瀬郷君」

 午前七時、職員室へ入ると三学年主任の橋本に名前を呼ばれた。

「はい」

 駆け足で橋本のデスクのほうへ向かう。橋本の表情は、初対面の時よりも心なしか、幾分暗かった。やはり、あの自殺騒動の件が重くのしかかっているのだろうか。

「君、大学の方は大丈夫なのかね?」

「まあ、はい」

 橋本の口調には、生気が感じられなかった。自殺した姫島が三年で、しかも受験が理由ということであったから、マスコミの、三学年主任に対してのバッシングも相当なものであったと予想される。気の毒に思えてきた。

「どうしても教育実習を続けたいというのなら構わないが、帰っても大丈夫なんだよ」

 言葉とは裏腹に、口調には帰ってほしいというニュアンスが露骨に込められていた。それを察した洋輔は、反抗的な態度をとった。

「いやです。ここで一ヶ月、教育実習を続けさせてもらいます」

 橋本がため息を吐いたのは不愉快だったが、敵を作るわけにもいかず、ここはぐっと堪えた。

「失礼します」

 一礼すると、自分のあてられたデスクに座った。

 周囲の視線がやや冷たいのは、覚悟していたことだ。それでもむしろ、感謝しているぐらいだ。追い返すのが普通の対応だと思う。

 洋輔には、なんとしてもここに留まらなくてはいけない理由があった。姫島の死の真相を突き止めるためだ。

 暇な時を見て捜査に合流するといった館林を信じ、洋輔は独自に調べることを決意していた。

 その前に、保健室の松平のもとを訪れなければいけない。体調が悪化したのは、松平がくれた薬に原因があると洋輔は考えていた。保健室に行けば、何かしら分かるかもしれない。保健室を訪ねるつもりである。

「瀬郷君」

 呼ばれて振り返ると、三学年に世界史を教えている山下が教科書を片手に立っていた。

「準備のほうは順調かい?」

 長身で体格もよく、端正な顔立ちをしているのだが、感情のない瞳と、抑揚のない山下特有の喋り方は、冷たい印象を与えた。

 洋輔は山下が苦手だったが、一ヶ月お世話になる先生なので好みのことなど言っていられない。嫌われないようにと、心がけていた。

「ええ、一応計画は立てたのですけど」

 言って、洋輔は授業内容を書き込んだ大学ノートを開いて見せた。

 腰をかがめ、大学ノートを覗き込みながら山下は言った。

「まあ、君の学力であれば問題ないだろう」

 そう言われても、洋輔は安心できないでいた。この程度の授業じゃ、彼らはきっと満足してくれないだろう。

 しかし、これが洋輔の限界でもあった。もう少し、実力に見合った高校に行かせてくれれば深刻に悩むこともなかったのにと、思っていた。しかし、この学校に教育実習生としてきていなければ姫島の死の真相を捜査することができなかったわけで、複雑な心境を抱えていた。

 憂鬱な気分に陥って、徹夜で書いたノートを見返していると、不意に胸ポケットが震えた。マナーモードにしている携帯に、着信が入ったのだ。

 携帯を取り出して開くと、画面に館林刑事と表示されていた。

 焦る気持ちを押さえ席を立ち、職員室を出て携帯に出た。

「もしもし」

 自然と声が小さくなるのは仕方なかった。刑事と、姫島の事件のことで接触していることが回りに知られたら、大問題だ。

「やあ、瀬郷さん」

 館林の声は、妙に明るかった。

「どうですか? 順調ですか?」

「まだ学校始まったばかりですから」

 苦笑して、洋輔は答えた。

「そうですよね。一応、電話してみただけです」

 洋輔には、館林の気持ちが痛いほど分かった。

 姫島の死の真相を誰よりも明らかにしたいと思っているのに、現場に行って捜査をすることができないもどかしさが、館林にはあるはずだった。職場で、館林はどんな気持ちで洋輔の報告を待ち望んでいるのだろうか。

「マスコミもこの事件を自殺と断定して相手にしていませんが、我々でそんな連中を見返してやりましょうよ」

 意気込む館林に、洋輔は少し励まされた。

 この事件が起きた翌日、マスコミは飛びつき、テレビの報道番組もそればかりを話題に取り上げた。何せ、都内屈指の進学校の生徒が、受験を苦に自殺したのだ。当然、話題の種にされる。しかし、宝徳学園の校長はイメージダウンを危惧し、あらゆるところへ手を回してマスコミの報道を、数日後には沈静化させた。世間の反応も、今では冷めたものだった。姫島の自殺について特に突っ込んだことは報道されなかったので、世間もただ自殺と断定された事件に、それ以上の興味が湧くことはなかったのかもしれない。

 洋輔は、悔しさがこみ上げてきた。他殺かもしれないのに、誰も再捜査してくれないなんて。今頃犯人は、悠々と生活をしているのだろう。安全圏に逃げたとでも思っているのだろうか。

 許せなかった。必ずこの手で犯人を暴いてみせる。

「分かったことがあったら、報告させていただきます」

「そうですか」

 携帯越しに、何度も満足そうに頷く館林の姿が想像できて、洋輔は噴き出しそうになった。

「こっちのことは心配しないでください。なんとかやってみせますから。では」

 館林の返事を待たず携帯を切ったのは、そろそろ職員会議が始まるという合図の鐘が校内に鳴り響いたからだった。

 急いで職員室へ戻ると、すでに他の教職員たちは自分の席についていた。その光景を見て、洋輔は後ろめたさを抱いた。

「これで全員、そろいましたね」

 教頭のデスクの前に立つ校長が、露骨に非難を込めた口調で言ったのが、洋輔の心に深く突き刺さった。やはり自分はお邪魔なのだと、痛感させられた。

「今から、職員会議を始めます」

 校長の報告から始まり、他の先生たちも今日のことについて話し終え、予定していた時間より十五分早く会議は終わった。

「えー、時間も余ったことですし、少々これからのお話についてさせていただきたいと思います」

 若干、職員室に漂う空気の色が変わったことを、洋輔は察知した。皆が固唾を呑んで注目している中、校長は躊躇いがちな表情を浮かべながら口を開いた。

「まずは、瀬郷君のことなのですが」

 一斉に、教職員たちは洋輔に視線を向けた。

 いくつもの目が自分に向けられていることに当惑しつつも、それを受け止めて、洋輔は校長を直視した。

「姫島君が自殺した日、捜査に参加した館林刑事が私に、電話で頼んでこられました。瀬郷君の教育実習を、この事件をきっかけに止めさせないでくれと。私は彼を外すつもりはありません。それはあくまで彼の意思です。彼が止めたいと言えば、もちろん止めても結構ですし、続けたいというのなら、続けても構いません」

 皆が、洋輔の反応を窺っていた。見守られている中、洋輔は周りのプレッシャーに押しつぶされることなく、頷いてみせた。

「というわけで、彼は一ヶ月間、ここで教育実習を続けることになります」

 歓迎ムードでないことは、一目瞭然だった。何人か、落胆の表情を浮かべている者もいた。

 自分がお邪魔だというのは、とうに自覚している。それを覚悟した上で、教育実習を続けるのだ。

 全ては、謎を解き明かすために。

「では次に、マスコミへの対応についてですが」

 全員が、校長へ向き直る。

「姫島君の自殺は、大々的に取り上げられました。取材をされた生徒、先生も数多くいらっしゃるでしょう」

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、校長は疲れきった口調で言った。校長はもちろん、他の教師、生徒たちもマスコミに追いかけられたのは、容易に想像できた。

 佳代もまた、マスコミに捕まったのだろうか。

 想像するだけで、胸が締め付けられる思いだった。泣いている佳代の横顔は、どこか愛おしくて、思い出すたびにこの事件の真相を突き止めるという決意が強くなっていった。

「ですが、もうとりあえずは安心です。何とか警察と連携して、事態を収拾することが出来ました」

 今やもう、姫島が自殺したということを報道している番組はないに等しかった。やはり宝徳学園の圧力が働いていたのかと、洋輔は思い知った。

「このままじっとしていれば、マスコミに騒がれることもないでしょう。姫島君のためにも、そっとしておきましょう」

 一瞬、校長と目があい、洋輔は慌ててそらした。校長の目は、言いながらしっかりと洋輔を見据えていた。

 洋輔は、校長の言った言葉が自分に向けられているような気がしてならなかった。

 まさか、洋輔が館林と姫島の自殺について捜査をしようとしているのを、見抜いているのか。だから、洋輔の目を見て校長はあんなことを言ったのだろうか。

 嫌な想像が脳裏を掠めたと同時に、チャイムが鳴った。職員会議の終わりを告げるチャイムだった。このぐらいの時間から、生徒たちは続々と登校してくる。

「それでは、会議を終了いたします」

 洋輔は校長に呼び止められないよう、気配を消して職員室を出た。

「ふう」

 思わずため息を漏らし、気持ちを落ち着かせるためトイレへと駆け込んだ。

 しばらく頭の中を整理して、ポケットから携帯を取り出した。

 着信履歴を開き、館林のもとへ電話をかける。

 迷惑なことは百も承知だが、どうしても今確認を取る必要があった。洋輔は、館林が宝徳学園にわざわざ教育実習のことについて電話を入れたことで、校長に悟られたのではないかと、考えていた。

「もしもし」

 意外にも、館林はすぐに出た。

「あ、館林さん」

 洋輔のすがるような口調が携帯越しに伝わったのか、館林は声を低くして言った。

「どうされました?」

 館林は、校長に自分たちの計画が悟られたことを自覚していないのか。少し失望した気分で、洋輔は事情を説明した。

「なるほど」

 一通り言い終えると、館林は唸った。

「そんなはずはないと思いますけどね」

「でも、校長と目が合ったんです」

「気のせいじゃないですか?」

 楽観的な館林に、ますます憤りを覚えた洋輔は、つい反抗口調になってしまった。

「まあまあ、落ち着いてください。仮に我々の思惑がばれていたとしても、要は尻尾を捕まれなければいいのです。だから、捜査は内密にお願いしますよ」

 言い合っても仕方ないという理性が働き、ここは引き下がったが、納得したわけではなかった。

 校長は、事件を蒸し返されないことを望んでいる。伝統ある宝徳学園の名誉を、これ以上傷つけないために。洋輔たちが、姫島の自殺について捜査しているところを目撃したら、校長がどのような手段に出るか、推測ができた。

 洋輔の教育実習は中止になり、大学からも厳重な注意をくらうことになるだろう。館林も、同僚たちから顰蹙をかうことになる。

 ばれたら、館林の願いがついえてしまう。そして、事件は永久に謎のままだ。

 そんなことには、させない。

 全ては洋輔にかかっていた。館林の言った通り、事を内密に運ばなくてはならない。

「何しているの?」

 いつの間にか自分の後ろに、生徒が立っていた。驚くほど冷淡な口調だった。

「うわ!」

 動悸が一気に激しくなる。手に持っていた携帯を、危うく落とすところだった。

 男子生徒は、宝徳学園の生徒特有の冷たい目をしていた。端正な顔立ちに加え、清潔な身なりをしており、髪も綺麗に揃えていて周りに好印象を与えそうな容姿をしているのだが、人を寄せ付けない雰囲気を、存分に漂わせていた。

「ちょっと、邪魔」

 言って、男子生徒は前に立っていた洋輔を手で押しのけた。

 悪いのは自分だとはっきりと自覚しているが、男子生徒の言い方に腹が立った洋輔は、謝りもせずトイレを出た。

「なんだよ、あいつ」

 悪態をつき、腕時計に目を落とした。ホームルームが始まるまで、あと五分。洋輔は一時間目の授業を行うため必要な教材をとりに、職員室へ戻った。


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