第五章
「自殺したのは、宝徳学園の三年生、姫島良助、十八歳です」
館林はスーツの内ポケットから手帳を取り出し、付箋の張ってあるページを開いて読み上げた。
「両親は小学校六年生の頃に他界し、今は親戚に引き取られているそうです」
姫島の紹介を終え、ここから話はいよいよ事件に入った。
「食堂に集めた人たちの事情聴取から、姫島君が飛び降りたのは大体午後四時二十分頃だと決定されました」
「確かにその頃です。肉の潰れる音を聞いたの」
すかさず、洋輔は言った。
「なるほど。その頃、あなたは第三校舎にいた。何故ですか?」
館林は探るような目つきで洋輔を見つめ、質問した。こんな質問されるとは思っておらず、洋輔は動揺した。
生徒の学力が想像以上に高かったから図書室で勉強をしていましたと、正直に答えることに躊躇いがあった。洋輔にだって、羞恥心ぐらいある。
しかし、答えなければ館林の追求は激しさを増すだろう。これを自殺とは考えていないことを、館林は仄めかしていた。つまり、屋上のある第三校舎にいた洋輔を、疑っているのだ。
早く容疑者候補から抜け出すため、洋輔は正直に答えた。
「授業を見学していて、自分の学力の低さを自覚したんです。それで、図書室で勉強をしていました」
顔が熱くなるのを、洋輔は感じた。
「そうですか」
そう言って頷くと、洋輔のしかめ面を見て館林は続けた。
「あ、大丈夫ですよ。別に瀬郷さんを疑っているわけではありません。質問をしたのは、建前ですよ。それに、瀬郷さんが図書室にいたという事実も確認がとれていますんで」
何か言われる前に、疑っていないということを館林は洋輔に分からせた。
「ですので、安心してください」
洋輔はただ、正直に答えたのが恥ずかしく顔をしかめただけで、館林が自分を疑っているかどうかは、仕方がないことだと、割り切っていた。
「でも、刑事さんはこれを自殺ではないと考えていらっしゃるんですよね」
洋輔がそう口にした途端に、館林は穏やかな表情を崩し、口を固く結んだ。その表情からは、自分が言い過ぎたことを反省しているようにも見えた。
「そう思える根拠を教えてください」
きつい口調で、洋輔は言った。納得のいく答えが相手から吐き出されるまで、引き下がらない覚悟だった。
「そうですか」
ゆっくりと息を吐き出しながら館林は言って、後ろの出入り口のほうをちらちらと気にしだした。誰か来るのを警戒しているのだろう。
「あなたのおっしゃる通り、私は自殺ではないと考えています。自殺と見せかけた、他殺だと」
洋輔の目をしっかりと見つめ、館林は小声で答えた。
「分かりました。お話します」
いよいよ教えてくれるのかと期待を抱いたが、館林の鋭い目つきが突き刺さり、洋輔は一旦落ち着いた。
「ただし、条件があります」
「条件?」
「ええ。ただでは教えられません」
刑事が大学生に何を求めるのだろうかと、少々不信感を抱いて洋輔は耳を傾けた。
「これ以上のことを教える代わりに、あなたには私の捜査に協力していただきます」
洋輔は耳を疑った。
「この事件は、捜査は事実上打ち切られています。何故なら、自殺だと断定されたからです」
状況的に見て、それが妥当な考えであることは素人にも分かる。この男以外、皆自殺だと考え、疑っていないはずだ。
なら何故、この男は他殺にこだわるのだろうか。洋輔は、疑問に思った。
「自殺だと断定された理由は、遺書があったからなんです」
「遺書?」
「ええ。彼の学ランの、内ポケットの中に」
それは、自殺を決定付ける十分な証拠だった。
「遺書が残されていたんじゃ、自殺じゃないですか?」
もっともな意見を言ったつもりだったが、それに対しての反論を館林は用意してきたみたいだった。
「遺書は全てワープロ書きでした。つまり、誰でも用意できるということです」
ワープロであれば、本人が書いたかどうか確かめることが出来ず、誰でも簡単に用意することが出来る。館林が自殺だと考えていない理由の一つは、それだった。わざわざ遺書をワープロで書くのはおかしい。
洋輔の思考回路に、『他殺』という二文字が加わえられた。
「それともう一つ、あるんです」
洋輔は、言葉を待った。
「仮に、遺書は本人が作成したものとしましょう。けど、文面が納得いかないんです」
「文面、ですか」
「はい」
館林の自信満々な口調に、洋輔は期待を抱かずにはいられなかった。
「彼は、宝徳学園一の秀才なんです。十年ぶりに、宝徳学園が特待生として彼を迎えたわけですから。テストでは、常に学年トップ。全国模試の順位も、上位をキープしています。もちろん成績もトップですから、進路は選び放題です」
自殺した姫島がいかに優秀だったかということを言い終え、館林は手帳に目を落とし、遺書の文面を読み上げた。
「もう限界です。受験のプレッシャーに押しつぶされました。僕は、自分の身を投げます――と、遺書に書かれていました」
ここまで聞くと、館林が主張する他殺説にも共感できた。
確かに妙な話だ。成績が常にトップであれば、指定校推薦などで大学は選び放題のはずだ。一般入試を受けるにしても、姫島の学力をもってすればどの大学も問題はないはず。姫島に、自殺する動機はないということになる。
だが、そう決め付けるのはまだ早い。これらはあくまで、館林や洋輔の推測だ。姫島は、本当に受験のプレッシャーを感じていたのかもしれない。そうなってくると、他殺説は通用しなくなってくる。
「もちろん、これだけで断定は出来ませんが、十分可能性はあるのではないかと、私は考えております」
館林の自身溢れる口調に心を動かされ、いつしか洋輔は尊敬の眼差しを向けていた。
「一応、姫島君のクラスメイトに彼の人物像を聞いたところ、とくに情報を得られませんでした。やはり、宝徳学園の生徒はお互い干渉しあわないみたいですね」
彼らは、勉強しか興味がないのだ。学年トップが消えたことで、喜んでいる者もいるかもしれない。洋輔は宝徳学園の生徒を、心の底から軽蔑していた。
あいつらは異常だよ――。
現場付近にいた者たちが食堂に集められ待機していた時、誰も、何事もなかったかのようにペンを走らせている光景は、異様だった。目を背けたくなった。
そんな中、佳代は、一人端のほうで自殺した生徒のことを思い、泣いていた。それを思い出すと、怒りを通り越して悔しさがこみ上げてくる。
「あなたの気持ち、お察しします」
慰める口調で館林は言うと、元気付けるように洋輔の背中を二三度、軽く叩いた。その優しさが、洋輔の感情を高ぶらせた。
「こう言うと保護者の方から怒られると思いますが、勉強ばかりする彼らは異常です。受験戦争に生き残るため、姫島君を殺害した可能性も否めない」
言い終えた館林に、洋輔は顔を向けた。
その時一瞬だけ、館林は偽善的な微笑を浮かべたが、洋輔は気づかなかった。館林は味方であるという認識が、それを見過ごした。
「最後に一つ。他殺の可能性があるとすれば、これが重要な鍵となってきます」
一層、館林の口調に力が込められた。
「死体解剖の結果、姫島君の体内から微量の薬物が発見されました」
「姫島君は、薬物中毒者だったということですか?」
「いえ、そういうわけではないと思います」
即座に否定すると、再び手帳に目を落としてメモを読み上げた。
「彼の体内から発見されたのは、微量の薬です。覚せい剤の類でないということは、検査で証明されています」
「じゃあ一体、何の薬なんですか?」
「それが分かれば、苦労しないんですけどね」
ため息交じりに発したその言葉は、洋輔を失望させた。その薬が、この事件の鍵を握っているというのは、過言でもないようだった。
「念のため、彼の身を引き取った親戚に話を聞いたところ、通院はしていないそうです」
「医者から処方された薬ではないということですか」
「そういうことになりますね」
洋輔の中で、ますます他殺の線が濃厚となってきたが、ふと疑問がよぎった。
怪しい材料は十分存在するのに、何故館林以外の刑事はこれを自殺だと断定したのだろうか。
「他の刑事たちは、神経を麻痺させる何らかの薬だと解釈したみたいです」
館林は、洋輔の疑問を見透かした上で答えた。
「自殺する前は、誰でも怖いんです。その怖さを紛らわすために、神経を麻痺させる薬を飲んだと決め付け、他の刑事たちは片付けてしまいました」
「けどそれって、なんだかこじつけみたいな感じがします」
納得がいかない。怪しいものがあれば、それを徹底的に追求するのが警察だろうという考えが、洋輔の中にはあった。
「警察という組織は、そういうものです。よほどの証拠がない限り、動こうとはしません。せめて、薬さえ分かれば事態は大きく変わるんですけどね」
「どうしても、薬の種類は分からないんですか?」
半ば警察を責めるような気持ちで訊いたが、館林はただ黙ってうなだれるだけだった。その反応を見て、洋輔は深いため息をつき、窓の外へ目をやった。
沈黙がしばし病室を支配したが、やがて館林は口を開いた。
「言い訳のように聞こえるかもしれませんが、体内から発見された薬が微量だったせいもあるのです」
洋輔はまだ、窓のほうへ目を向けている。それでも、館林は続けた。
「それと、その薬が見たことのあるものであったら、たとえ微量でも正体をつかめたはずなのです」
ようやく興味を示し、洋輔は振り向いた。
「どういうことですか?」
「言葉の通り、見たことのない薬なのです。もう少し量が多ければ、どのような効力をもつ薬か、ある程度の調べはついたのでしょうが」
見たこともない薬というのは、一体どういうことなのか。重要視せねばならない問題だった。
「死体解剖した解剖医の話によると、患者に与えるような薬ではないとのことです」
すでに頭は混乱を極めていた。何故そのような薬が姫島の体内から検出されたのか。自ら服用したとは考えられない。犯人はその薬を飲ませ、姫島が十分弱ったところで屋上から投げたのか――。
「それ以外にも、興味深い話があるんです」
身を乗り出して、館林は言ってきた。
「姫島君の右腕に、痣を見つけたそうです」
「痣?」
洋輔は聞き返した。
「ええ。他の部分はほとんど壊滅状態だったんですが、右腕はまだましな状態で残っていたそうで。その右腕に、痣が浮き出ていたみたいんです」
「けど、転んで打ったとかじゃないんですか?」
「調べた限りでは、出来てまだ時間が経過していない痣なんだそうです」
力強く言う館林に圧倒されながらも、洋輔は反論した。
「その痣は、きっと関係ないんですよ」
「そうかもしれないし、事件の謎を解く重要なヒントになる可能性もある」
適当に頷き、洋輔は流した。どう考えても、痣が関係あるとは思えないのだ。逆に、痣をキーワードに加えて事件の推理を展開すると、そればかりにとらわれて、答えに辿り着けない気が洋輔はしていた。
「姫島君の体内から見つかった薬が睡眠薬の類だとして、犯人は暴行を加え、それを無理やり飲ませて屋上から落としたというのであれば、一応は納得できます」
館林の推理を、洋輔は冷めた気持ちで聞いていた。
とにかく今、重要視せねばならないのは姫島の体内から発見された微量の薬の正体だった。いくら薬についての仮説を提示しても、薬の正体が分からなければ仮説のまま終わってしまう。何とか薬の正体を突き止めることが、課題のようだった。
「とりあえず、今までの話を整理すると……」
一通り情報を得たところで、洋輔は一旦これまでの話をまとめることにした。
「死んだのは、宝徳学園の三年生、姫島良助。日時は十月二十日の午後四時二十分ごろ。屋上から飛び降りたと。屋上には遺書が残されていた」
遺書の内容を忘れてしまった洋輔は、隣で耳を傾けている館林に一瞥をくれた。察して、館林は手帳に目を落とし、内容を読み上げた。
「もう限界です。受験のプレッシャーに潰されました。僕は自分の身を投げます――そう書いてありましたが、ワープロ作成なので偽造可能です」
「はい。ここで、他殺の可能性も視野に入ってきます」
言い終えると、洋輔は間を置いてから続きを話し始めた。
「けど、彼は学園一の秀才です。宝徳学園は指定校だってたくさんありますし、大学は選び放題なのです。一般入試を受けるにしても、敵なしでしょう。彼が受験という動機で自殺するとは、考えにくい。
さらに、他殺説を匂わせるのが、姫島君の体内から見つかった薬です。けど、その薬の正体は分かっておらず、いくつかの想像は出来ますが、言い始めたらきりがありません」
言い切って、館林の反応を窺った。
「大丈夫です。間違っていませんよ」
険しい表情を浮かべ、館林は言った。
「けど、ここからが問題ですね」
洋輔は腕を組んで、言った。
この事件の概要を言葉にしていくうちに、これからやろうとしていることがいかに困難か、洋輔は改めて痛感させられた。入り口すら、見えていない状態なのだ。
他殺だとしたら、彼を殺したのは学校関係者でほぼ間違いない。宝徳学園のセキュリティは厳しいため、一般人が校内に入って、姫島を殺すことは不可能に近いと断言していいだろう。
学校関係者の中で、姫島を殺す動機を持つものは、何人か――いや、大勢いるはずだ。
洋輔がそう考える理由は、生徒たちの、異常なまでの勉強に対する執着心を見せ付けられたからであった。
校内で生徒が自殺したというのに、時間が経ったら何事もなかったかのように勉強を再開したやつらだ。勉強に命をかけているといっても過言ではない。
いい大学に進むため、またはテストの順位を上げるために、学年トップである姫島を殺害しようと考える者は、いるのではないだろうか。
発想が飛躍しすぎているかもしれないが、しかしあながち的外れではない気がしていた。ここまでくると端から見ればただの偏見だったが、洋輔は自分の考えに自信を持っていた。
そしてこの考えは、おそらく館林も共感してくれるだろうという確信も抱いていた。
「私は、これが本当に他殺だとしたら犯人を許せません」
唐突に、館林は胸中の思いを口にした。
「この三日間、私は色々と調べてきました。宝徳学園について、姫島君について、周りの生徒たちについて。得られたものはたくさんありました。そして、私なりの推理も出来上がりつつあります」
その言葉に、洋輔の期待はいっそう膨れ上がる。
「この推理が正しければ、解決の糸口が見えてきます」
館林は笑みを浮かべ、つられて洋輔も明るい気分になった。
刹那、脳裏にある違和感がよぎり、洋輔を困惑させた。
なんだろう、このもやもやした気持ちは。
表情は笑顔を浮かべまま、洋輔は今までのことを振り返り、必死に思考を巡らせた。
洋輔の脳裏によぎった違和感は、姫島の自殺に対しての、館林の必死さであった。
館林曰く、他の刑事たちはこの事件を自殺と断定しているらしいが、館林は他殺だと言い張り、大学生の洋輔に捜査協力を求めている。何故そこまで必死になれるのだろうか。
姫島良助の死は、不明な点がいくつかあるにしろ状況的にはほぼ自殺だと考えられる。彼の学ランの内ポケットには遺書が入っていた。ワープロで書かれていたが、深く考えることもない。館林の同僚たちも、これは自殺だと考えて、疑っていない。
それでも館林は他殺だと考え、一人で捜査をしようとしている。今日、洋輔に会うため、一人でこの病院を訪れたのが、固い決意の現れであった。
これら三つの違和感は、余計に洋輔を混乱に陥れた。思考能力は著しく低下していき、どちらの説が正しいのかももはや判断がつかないほどになっていった。
そして次第に、洋輔は信頼していた人物へ疑惑の目を向けていた。
「どうしました?」
それを察した館林は、怪訝な表情を浮かべそう口にした。
「いや、べつに」
慌てて平静を装い、その場は何とかごまかしたが、このままではいけないという危惧が、洋輔の中にはあった。
何か館林は重要なことを隠している――根拠はないが、洋輔はそう考えていた。
その考えが脳裏にあるから、洋輔は館林のことを百パーセント信用することができなかった。洋輔の思い違いで、隠し事などしていないかもしれない。が、洋輔の直感はかなりの確率で当たるのだ。
だから今回も、自分を信じてみる。
館林はきっと、隠し事をしていると。
「私は、姫島君を殺した犯人を絶対に許さない」
少なくとも、その口調には偽りはなかった。それが、洋輔をさらに困惑させた。
「姫島君の輝かしい将来を奪った犯人が、憎いです」
どうしてそこまで感情移入ができるのか、洋輔は解せなかった。姫島と館林には、なんらかの接点があるというのか。
もしかしたらそれが、館林の隠し事なのかもしれない。
姫島の小さい頃から親交があったとしたら、真剣になれるのも頷ける。館林がそのことを隠している理由は、刑事としての自覚からであろう。私情に流されて捜査するということは、刑事として失格だ。故に隠している。同僚たちにも黙っている。洋輔は、そう解釈した。
「この事件を解決するために、私は恥を忍んでこの病室を訪れました。姫路君を殺した犯人を、どうしても捕まえたいのです」
プライドを捨て、たかが大学生に必死に訴える姿は、洋輔の心を動かした。そして、自分を協力者に選んでくれた館林に感謝さえしていた。さきほど抱いていた、館林に対しての疑惑は、徐々に頭の片隅へと追いやられていった。
「分かりました。一緒に、捜査をしましょう」
館林の手を取り、洋輔は言った。
「本当ですか?」
期待通りの答えを得られて、館林は満面の笑みを浮かべた。
最初こそあまり乗り気ではなかったが、話していくうちに、館林のことがもっと知りたくなり、この事件に隠された真実も見てみたくなった。
姫島が自殺ではなく他殺だとしたら、犯人は誰なのか。その動機は、一体何なのか。他にも、洋輔の興味を駆り立てる謎が山ほどあった。館林とともに、全ての謎を明らかにしたいという強い気持ちが、洋輔にはあった。
「大丈夫です。きっと、上手くいきます」
自分に言い聞かせるように、館林は言った。心のどこかで、館林も不安を抱えているのだろう。
「少し聞きたいことがあるんです」
これから館林と事件の捜査を行う上で、重要なことを洋輔は忘れていた。
「僕、教育実習生として宝徳学園に来たのですけれど、一体どうなるんでしょうか?」
自殺騒動が起き、学校はおそらく休校だろう。洋輔も、大学へ呼び戻されるに違いない。そうなった場合、捜査を行うのに支障をきたす。館林がどのように考えているのか、洋輔は知りたかった。
「そのことでしたら、大丈夫です」
考えはあるようだった。
「私がこれからあなたの大学と掛け合います。大学側も、了承してくれるでしょう」
「仮に了承してくれても、宝徳学園はどうなるんですか? 休校でしょう」
「ええ」
即答なのに若干戸惑いつつ、洋輔は訊いた。
「だったら、捜査も何もないじゃないですか。どうやって、進めるんです?」
その質問の答えも予め用意していたらしく、返答に窮することなく館林は答えた。
「休校はあと四日で解かれます。それから、生徒などに話を聞くなどして、捜査を始めましょう」
館林の力強い口調により、洋輔は頷かざるを得なかった。
「一人の生徒が自殺したというのに、たった一週間だけ休校というのも、おかしな話ですよね」
急に声のトーンを落とし、深刻な顔つきで言った館林の姿は、どこか悲しげな様子だった。
姫島と小さな頃から親交があったという洋輔の解釈が正しければ、そのような姿も当てはまるのだろうが、想像と若干のずれが生じていることに、引っ掛かりを覚えた。
だが、そのずれを洋輔は上手く言葉にすることができなかった。
「これを」
不意に館林が渡してきたのは、名刺だった。館林の肩書きと携帯番号、メールアドレスが書かれていた。
「あなたの携帯番号を、教えていただけますか?」
「あ、はい」
洋輔は記憶を頼りに、近くにあった紙に携帯番号を書き、それを館林に渡した。
満足そうに受け取ると、館林は立ち上がり、言った。
「今日中にでも、あなたの大学へ電話をかけてみます。内容は、教育実習を続けさせてくれないだろうか、というものです。おそらく快諾していただけるでしょう」
自信に満ち溢れた言い方だった。この物怖じしない性格が、周りの人たちに好感を抱かせる。洋輔も、その内の一人だった。
「瀬郷さんの担当医師の話では、明日ぐらいには退院できるそうなので、大学側と話した内容については明日の夜ぐらいに、報告させていただきます」
退院できるという話は初耳だったが、気になっていたことは確かだったので知れたのは嬉しかった。
「分かりました。ありがとうございます」
深く頭を下げ、洋輔は感謝の意を示した。
それを見た館林も一礼をして病室を出て行った。
病室に沈黙が訪れ、途端に寂しさが募ってきた。館林を慕っている証拠だった。
一時は疑いも向けていたが、この短時間でよく館林を信頼できるようになったと、洋輔は不思議に思っていた。意外と人見知りのところもあるのだ。
心を開きかけている自分に戸惑いを感じていたが、その反面、嬉しさもあった。館林という人物に出会えた事で、何か変われることが出来るかもしれないという期待を抱いていた。これから館林とは、徐々に心から信頼できる仲になりたいという願望が、洋輔の心に渦巻いていた。
「よし、がんばるか」
病院のベッドの上で、洋輔は気合を入れた。これから忙しくなることを覚悟し、横になって休息をとることにした。
時刻は午後の三時半をようやく回ったところで、まだ睡魔はなかったがそれでも寝なくてはいけないという強迫観念が洋輔を襲った。
絶対に犯人を見つけ出してみせる――心の中で、固く誓っていた。もうすでに、洋輔はこの事件を他殺だと思い込み疑わなかった。
だが洋輔は、まだ知らなかった。
自分が挑もうとしている事件に隠された、恐るべき真実を――。