第十三章
息を切らして、館林の座っている向かい側の席に腰を下ろした。
「お待たせしました」
腕時計に目を落としていた館林に、洋輔は言った。
「待っていましたよ、瀬郷さん」
館林の口調には、洋輔の遅刻を咎めるような響きが含まれていた。
「私も時間がないんで、単刀直入にお話しますよ」
若干嫌味をたらしつつ、館林はテーブルに一枚の紙を広げた。洋輔は、身を乗り出して紙を覗く。
「これは……」
「あなたなら分かるでしょう。この紙が、何なのか」
答えは、もちろんだった。二年前まで高校生だった洋輔にとって、知らないわけがなかった。
「宝徳学園の指定校の一覧表、ですか」
「そうです。その通りです」
満足そうに頷く館林に、洋輔は問いかけた。
「これが、どうしたというんです?」
紙には、六つの大学名とそれぞれの推薦基準、定員枠などがびっしりと書かれていた。洋輔は、何故わざわざ宝徳学園の指定校の一覧表を館林が見せてきたのか、理解に苦しんだ。
「これはまだ一部ですけどね。言ってみれば、事件を解決するのにこの一覧表が必要になってくるんですよ」
「どういうことですか?」
姫島の死と宝徳学園の指定校がどう関係するのか、ぜひ聞きたかった。
「昨日、瀬郷さんは私にお話しましたよね。姫島君は、受験のために殺された可能性が高いと」
「ええ、ですけど――」
それはあくまでも可能性の一つですと続けようとすると、館林は話を遮って、自分の意見を述べた。
「姫島君は学年ダントツのトップです。指定校を狙えば必ず通る。これは私の想像ではなく、職員たちのお墨付きです。つまり、姫島君と指定校が被ったと知った生徒が、自殺と見せかけて姫島君を殺した。絶対に負けると分かっていたから。どうですか、私の推理」
確かに筋は通るのかもしれない。だが、姫島と指定校が被ったのであれば、変えればいいだけの話ではないのか。他にも指定校がたくさんあるのだし、どうしても姫島とかぶっている指定校へ行きたいのであれば、公募や、もしくは一般入試など、それこそ受験の方法はいくらでもある。指定校にこだわる理由などないはずだ。
その考えを館林に話すと、行き詰った様子を見せず、笑みすらも浮かべて答えて見せた。
「ですが、この欄を見てください」
言って、館林は一番上の大学の名前を指で指した。その大学の名前は、認知度が非常に高く、まさに天才たちが進学するような大学だった。
しかし、その大学に入るためには経済的にも余裕がなくてはいけなかった。その大学の入学試験を受けるためには、銀行口座や親の年収などの審査があるというのを、噂で聞いたことがある。
「宝徳学園の生徒であれば、成績が上の中ぐらいであれば公募でも一般入試でも、問題なく受かるでしょう。けど、それでは意味ないのです」
館林の指は、その大学の備考欄を指していた。
備考欄に書かれている文字を目で追うと、そこには館林の説を優勢にする文字が書かれていた。
「奨学生指定校推薦制度あり……」
読み上げて、洋輔は館林のほうへ視線を移した。
「そういうことですよ、瀬郷さん」
館林は、意味ありげな瞳を浮かべていた。意識的なのか無意識なのか、頬が緩んでいた。見方によっては、何かを企んでいるように見受けられる。
ここにきて、いっそう疑惑の念を募らせる洋輔だったが、それを決定付ける証拠などは存在しない。
館林がこの事件に対しここまで熱心になるのは、姫島との間に何か接点があるのではないかと推理していた。館林に対して抱いている疑惑を払拭するためには、接点について深く追求しなくてはならない。二人の間に親交があれば、熱心になるのも納得が出来るような気がしたからだ。
けど、仮にもし、二人の間に何もなかったとすれば。館林が、仲間たちの判断を疑い、姫島の死の真相を必死に追い求める説明がつかなかった。そうなると、また新たな疑問が生まれてしまう。
故に、館林と姫島の関係を突き止めることに躊躇いを感じていた。これ以上問題を抱えてしまうと、頭のキャパシティを超えてしまう。もうすでに、洋輔の脳は必死でしがみついている状態なのだ。
佳代の問題であったり、姫島の体内から発見された正体不明の薬であったり、姫島が飛び降りたとされる屋上に残されていた、誰でも簡単に偽造できるワープロの遺書であったりと、この事件は複雑で、どんなに考えを巡らせても答えは一向に見えてこない。
館林は、これらの事柄を並べ他殺説を主張しているが、洋輔はそれについて肯定も否定もする気はなかった。
けど、肝心な明確な動機が見当たらない。館林は早くも、受験を理由に姫島は殺されたと断言しているが、やはり腑に落ちない。可能性の一つとしてなら十分考えられるが、どうやら館林は可能性として考えていないようだった。
「姫島君は、奨学生指定校推薦制度を狙っていた生徒に、殺されたのですよ」
説得力のある言い方に、洋輔はたじろいだ。
「私の推理を固める話も、ちゃんとあるんですよ」
口元を緩ませながら胸ポケットから館林が出したのは、刑事の必需品であるメモ帳であった。そのメモ帳に何が書かれているのか、洋輔には皆目見当がつかなかった。ただ、恐怖心だけが煽られているような状況だった。
「姫島君のことについて、病室でお話しましたよね」
「ええ」
頷いて、洋輔は内容を思い出そうと記憶を遡った。
姫島の両親は小学六年生の頃に他界し、その後親戚の家に引き取られそこで生活をしていると、聞かされた。
「姫島君は、肩身の狭い思いをしていたのに違いありません。何故なら、親戚の家はお世辞にも裕福とは言えません。毎月生活するだけでも精一杯だと、窺っております」
館林の言いたいことは、大体察することが出来た。
「……姫島君は、邪魔だということですか?」
「そうですね」
躊躇いを見せず言った館林に怒りを感じながらも、平静を装って話しに耳を傾けた。
「あくまで想像ですが、姫島君は親戚の態度からも、自分が邪魔な存在であることは自覚していたはずです。だから、恩返しをするために必死になって勉強に取り組んだ。宝徳学園に入学できたどころか、入学費免除など様々な優遇を受けられる特待生になったのですよ。当然のごとく、学校で成績トップにまで上り詰めた。本当に、彼は凄いです」
「姫島君は、これ以上迷惑をかけたくないと思い、あの大学の奨学生指定校推薦制度を狙っていたと、おっしゃるんですか?」
「ずばり、その通りです」
「そのことを、周りの生徒たちは知っていたんですか?」
「は?」
「ですから、周りの生徒たちは、姫島君がその大学の奨学生を狙っていることを知っていたんですか? 知っていた上で、犯人は姫島君を飛び降り自殺に見せかけて殺したんですよね?」
「知っていたと思いますよ」
虚を突かれた。何故、周りの生徒は知っていたのだ。
「学年一位の狙う大学を調べることは、彼らにとって当然のことです」
その通りなのかもしれない。宝徳学園の生徒たちはほぼ全員、進学を狙う。だから、指定校で進学するつもりなら、安全圏を狙う。学年一位の進学先を把握していることは、自然なのかもしれない。
「彼の成績であれば、難なく奨学生に選ばれる。先日、大学側に奨学制度について問い合わせたところ、授業料、教材費、維持費、その他にかかる費用なども、条件さえ見たせばほぼ免除になるそうです。それと、希望すれば寮も費用免除で借りられるみたいですよ」
姫島にとって、こんなにおいしい話はない。
親戚の家を離れることが出来るし、何から何まで大学側が負担してくれる。金など要らないのだ。姫島が日ごろから申し訳なく思っていたのなら、この大学の奨学生指定校推薦制度を狙うのは、必然だと言えた。
「この大学の奨学制度は至れり尽くせりなんですよ」
「至れる尽くせりだから、狙う者が現れる」
「それも、必然です」
姫島と同じ境遇の者がいて、同じくこの大学の奨学生枠を狙っていたとすれば、その生徒には立派な犯行動機が生まれることになる。こんなおいしい話、簡単に引き下がることは出来ないだろう。
どんなことをしても、この大学の奨学生になりたい――。
生徒は自分を見失い、衝動に駆られて姫島を殺してしまった。
姫島には、勉強では絶対に勝てないと自覚していたから。
「私の言いたいこと、分かってくれましたか?」
反論できなかった。
館林の説は現実味を帯びている。もしかしたら、これが答えなのかもしれない。
だが、あまりにも綺麗にまとまりすぎているような気がした。
「容疑者も、すでに絞れています」
言って、館林は二人の生徒の名前を上げた。
「菊池信弘と有里霞」
「何故、分かっているのですか?」
即座に質問をすると、館林は余裕の笑みを浮かべて淡々と答えた。
「彼らの成績は学年二位です。つまり、姫島君さえいなくなれば、大学の奨学生になれるというわけなのですよ」
「二人とも、学年二位ですか?」
「成績ですね。テストは、いい勝負をしているみたいですよ。お互い、勝つこともあれば、負けることもある。けど、他の生徒に二位と三位の順位を譲ることはありません」
「だから、成績は同率二位というわけですか」
成績下位の人間が、その大学の奨学生になろうと姫島を殺したとしても、まだ上には何人もいて、メリットはない。
しかし、成績同率二位の生徒のどちらかが殺したとすれば、話は別だった。その生徒たちからすれば、脅威となるのは姫島の存在だけである。姫島さえいなくなれば障害はなくなり、条件を満たせば通ることが可能だった。
「容疑者が二人に絞られているというのは、そういう意味だったんですか」
肩から力が抜けた。結局自分は、何も出来ていない。
館林の推理に疑問を少なからず感じている自分もいたが、他に対抗できるような動機が見当たらず、これで納得しかけている自分もいた。
こんな事件、さっさと終わりにしたい――。
その思いが通じたのか、館林は言った。
「今日で、事件は終結を迎えますよ」
洋輔の目を見つめ、館林は続けた。
「放課後、二人を捕まえ事情聴衆を行います」
「約束は取り付けているのですか?」
「個人的に接触をしてね」
一体館林は、いつから二人に目をつけていたのだろうか。
「三年二組の教室で、事情聴衆を行います。どちらが姫島君を殺したのか。それとも、二人は共犯なのか……」
「え?」
最後の言葉を、洋輔は聞き逃さなかった。
「あれ、言っていませんでしたっけ?」
「共犯って、何ですか?」
「彼らは、成績は同率二位なんですよ。もちろん、姫島君の狙っていた大学の奨学生になるための条件を満たしています。全て、確認済みです」
頭を整理しながら、洋輔は聞き入っている。
「姫島君が亡くなった今、二人は奨学生になろうとしますよね。そしたら、どちらに軍配が上がると思います?」
「それは……」
口元に指を当てて考えていると、痺れを切らした館林が答えを言った。
「二人ともです」
「二人ですか?」
聞き返すと、館林は力強く頷いた。
「ええ。二人とも、奨学生になれるのですよ」
「姫島君がいなくなれば、二人とも奨学生になれる。二人で共謀して、姫島君を死に追いやった、というわけですか」
「私は、その線が非常に強いと考えております」
もし館林の推理通りの結末であるなら、洋輔は知りたくないとさえ思った。今更だが捜査を辞退したい、その思いが洋輔の心の中で渦巻いていた。
覚悟していていた上で捜査をしていたはずなのに、結末を知ることが怖いと感じてしまう。
「お、五時間目ですか」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響くと、館林は見上げて呟くように言った。洋輔には、チャイムの音など耳に入ってこなかった。
「放課後まで時間ありますけど、どうしましょうか」
「ちょっと、一人にしてくれませんか」
思いつめた表情を浮かべ言うと、館林は何も言わず席を立ち食堂を後にした。
誰もいない食堂を見渡した後、深くため息をついた。
「どうなっちまうんだよ」
心の底からの、悲痛な叫びだった。しかし、いくら嘆いたところで何が変わるわけでもなく、結局は流れに身を委ねるしかないのだ。
放課後、いよいよはっきりする
姫島は受験を理由に殺されたのか、それとも別の動機で殺されたのか――。
先日まで、真実を知りたいと思っていた自分を恥じ、ただじっと席に座っていた。