毒吐く
たとえば,愛という言葉がある。人はそれを定義しようと躍起になっているように私は感じるのだ。
恋と愛は何が違う,などというロマンチックでファンタジーな命題がある。
恋は下心,愛は真心。恋は幻想,愛は現実。
別にそういった論議を交わす人を馬鹿にしたいわけではないし,事実馬鹿に出来ない。
事実,言葉がひどく空っぽなのだ。本物だというラベルで偽物に見えてしまう,とかいう捻くれた類のものではない。
私は想像する。言葉が生まれたその時を。あくまで想像だ。当然,私は言葉,言語の創世記に生きていたわけではない。言語学というものを研究する立場でもない。しかし,この想像は誤ってはいないだろう。それほどに単純で,浅い領域の想像だから。
言葉が最初にできたとき,ある言葉にある意味を込めた者がいる。これは間違えようのない想像だろう。たとえば空という言葉に「空」という意味を込めた者。その何者かのおかげで私たちは空について空という言葉で話ができる。
逆の話をしよう。とあるところに,生まれてこの方空を見たことがない人がいたとする。生まれてからずっと地下室で監禁されていたとか物騒な話を思い浮かべてしまう人がいるといけないので,ここはもっとハッピーな話にしよう。生まれてすぐに昏睡状態に陥った赤子が10年後に目を覚ました,とかにしておこう。別に今からする話の中では大した意味を持たないのだから。
その,10歳の少年,当然言葉など知らない少年。その少年に両親は言葉を教えた。来る日も来る日も付きっきりで教えた。ただし,空という単語と地面という単語の意味を逆に教えてしまった。
もう大体話の流れはわかると思うが,その子はほかの人と空の話はできないのだ。彼にとって空は「地面」なのだから。彼は他人から空という単語を聞き,彼の中で「地面」という意味を付加してしまう。
こうしてみると,言葉とは記号でしかないことに気が付くだろう。いや,器でしかないといったほうがいい。口からでた言葉という空の容器は,その目的地である相手の頭の中で,初めてその器の中に意味を入れられるのだ。
文頭の話題に戻る。
愛という言葉も,ご多分に漏れず空っぽである。愛についての議論も,確かに愛し合う二人さえも。別に自虐的になっているわけでも,悲観的になっているわけでもない。鼻で笑うわけでもなければ,くだらないものと切り捨てるわけでもない。
愛は素晴らしいと思う,という言葉には同意だが,同意するだけで主張できない。それが私だ。
私は空想する。
人類で一番初めに,どんな国の言葉でもいいが,愛という言葉を使った者の「愛」とそれ以外の
者が使う愛という言葉の「愛」は異なる。
きっと,愛という言葉を使う者はソレにいっぱいの想いを込めるのだろう(そもそも,意味を込めようとしない者など論外だ)。しかし,それは彼もしくは彼女にとって悲劇的なことに,口からでた瞬間,空っぽの器になる。
そして,それを受け取ったものがその器に彼もしくは彼女なりの「愛」を込めるのだ。
「僕の気持ちがどうして伝わらない」ではなく「どうして僕の言葉に愛を込めてくれない」が正しい。
でもそれでいいのではないかと思う。なんの悲しさも感じない。空虚さも感じない。
こんなことをこんな場所で何の恥じらいもなく書いてしまえる私はこう考える。
言葉が空っぽでよかったと。胸を張って言える。言葉は人類最大の発明だと。
私は妄想する。
もし,人類がテレパシーで意思疎通をするようになったらどうなるだろうか。きっと今よりも鋭利な世界が展開されるに違いない。
初対面でキスをする男女がいるかもしれない。
初対面でなぐり合う者たちが出てくるかもしれない。
聖人などは存在せず。まったくの悪人も存在しない。率直で,本質しかない世界。
もしだ。もし,仮に私が邪悪な魔王だったとして。この世を滅ぼしたかったのだとして。だったらどうするかといえば,おそらく言葉に意味を乗せられるようにするだろう。
かの者の模倣ではない。単に人間としてのベースが同じだというだけだ。
正確な意味が相手に伝わり,正確な理解を実現する。そうして人は鋭利な世界で滅びていくのだろう。
空っぽな言葉,それが人史上最も優れた発明。私たちの周り,世界を綺麗にもできるし,汚くもできる。
安易な選択で失敗する恋人たちもいなければ,路上での殴り合いも頻発しない。聖人はどこか人間的で,悪人だってやさしい言葉を紡ぐことができる。
そんな世界でいいと思う。そんな世界を守れたことを誇りに思う。
最後に,これ以上我慢できなくなったので,言わせてもらいたい。50年間我慢してきたのだ。もういいだろう。
私は独白する。
私は誰かといえば,若かりし頃の自慢をする単なる年寄だと言っておこう。
かつて世界を救った勇者様だった者だと言っておこう。
言葉に意味を込めようとした,人間不信の悲しい人間,魔王と呼ばれた人間を倒した人間だ。
言葉が空っぽで良いなどという,心のが真っ白で,ひどく人間離れしていて,化け物じみた人間だ。魔王に限りなく近く,表裏一体などというレベルではなく,ほとんど同一の価値観を持った人間だ。違ったのは,最後まで私が勇者だと知っていてくれた妻がいたことで,その妻が魔王の世界を望まなかったことだけだ。
こんな出来損ないの人間に世界は救われたのだ。
ふと,思う。きっと伝承に残る数々の英雄たちはきっとこんな風に人間としては欠陥品の連中だったのではないか。
ふむ,確かに,まともな人間なら世界を救おうなどとは考えない。きっと冷めてしまうような熱い思いもなく,捨ててしまいたいような思い義務も背負わず,ただ愛する人から尻を蹴られて,私のように慌てて世界を救ったに違いない。
この手記はいつか誰かに読まれるだろう。死を間際にした悲しい老人の哀れな妄想だと思われても構わない。ただ,願わくば,ここに書いた真実が真実であるかもと思ってくれる人がいてほしいものだ。