表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

あの夏の続きを、あなたと

作者: サク
掲載日:2026/06/15

 夏の郵便受けは、金属の匂いがした。


 昼すぎの熱をたっぷり溜めこんだ口を開けると、請求書と回覧板にまじって、一枚だけ白い封筒が入っていた。見慣れた筆跡だった。


 差出人の名前を見た瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。


 高瀬悠真。


 高校三年の夏まで、同じ町にいた人だ。進学で東京へ出て、それから一度も会っていない。連絡が途切れたわけではないけれど、続いているとも言いがたい、薄い糸みたいな関係だった。年賀状と、ときどき思い出したように届く季節の便り。それだけで、もう四年になる。


 冷房の弱い居間で封を切る。便箋は二枚。最初の一行を読んだだけで、指先が少し震えた。


『そっちの海は、今年も朝から白く光っていますか』


 窓の外では、蝉がひっきりなしに鳴いていた。うちから港までは歩いて十分もかからない。晴れた日の朝は、海面が光を跳ね返して、目を細めたくなるくらい明るい。


 便りには、仕事のことが少しだけ書いてあった。忙しいこと。眠る場所みたいな部屋で、毎日コンビニのおにぎりを食べていること。けれど、それよりも多かったのは町のことだった。駅前のアイス屋がまだあるか、夏祭りの屋台は減っていないか、堤防の先で見た花火は今も同じ色か。


 最後のほうに、こうあった。


『たぶん、戻ることになりそうです。正式に決まったら、ちゃんと知らせます』


 たったそれだけなのに、私は便箋を持ったまま、しばらく動けなかった。


 戻る。


 その言葉が、うれしいのか苦しいのか、自分でもよくわからない。


 高校最後の夏、悠真はこの町を出る前日に言ったのだ。


「離れても、たぶん平気だと思う。小さいころからずっと近すぎたから、一度ちゃんと離れたほうがいい気がする」


 あのとき、笑って頷いた。そうだね、と言った。言ってしまった。ほんとうは平気なわけがなかったのに、引き留める言葉を口にしたら全部壊れそうで、ただ見送った。


 返事はその日のうちに書いた。


『海は今年も朝から白いです。アイス屋はまだあります。祭りは少し小さくなったけれど、花火はたぶん同じです』


 そこまで書いて、止まった。


 何を足せばいいのかわからない。会いたいと書くには、今さらすぎる気がした。戻ってきてほしいと書くのも違う気がした。結局、体に気をつけて、とだけ結んでポストに入れた。


 それから十日後、また白い封筒が届いた。


 今度は短かった。


『明日、戻ります。夕方の電車です。急でごめん。もし都合が合えば、駅で会えたらうれしい』


 文字を追った瞬間、胸の奥で何かが跳ねた。


 翌日は朝から落ち着かなかった。何度も服を替え、髪を結び直し、まだ明るいうちに駅へ向かった。ホームに入ってくる列車の音が、妙に大きく聞こえる。


 電車が止まり、扉が開く。降りてくる人の中に、少し背が伸びて、でも歩き方は変わらない人を見つけた。


 悠真もすぐに私を見つけたらしく、目が合うと、困ったように笑った。


「久しぶり。思ったより、全然変わってない」


「そっちも。少し日に焼けたくらい」


「それ、褒めてるのかな」


 笑いながら言う声が、懐かしくて、胸が痛い。


 駅前の自販機で冷たいお茶を買って、並んで歩いた。夕方の町はまだ熱を持っていたけれど、海から来る風が少しだけやわらかい。話すことはいくらでもあるはずなのに、最初はどうでもいい話ばかりだった。東京の電車はやっぱり苦手だとか、町のスーパーが改装したとか、祭りの日程が少しずれたとか。


 堤防まで来たところで、悠真が足を止めた。


「手紙、変だったかもしれない」


「そんなことないよ」


「戻るって書いたとき、ほんとはもう少し早く言いたかった。でも、決まる前に期待させるのも嫌で」


「うん」


「それに、会いたいって書くの、なんだか怖かった」


 私はゆっくり顔を上げた。


 夕陽の色が海に伸びている。高校のころ、ここで何度も並んで立った。なのに、あのときより今のほうが、ずっと遠く感じる。


「こっちも、同じだったよ」


 声が少し掠れた。


「毎回、手紙を読むたびにうれしかった。でも、会いたいって書いたら困らせるかもしれないと思って、いつも最後に体調のことしか書けなかった」


 悠真は一度目を伏せ、それから小さく息をついた。


「よかった」


「何が」


「勝手に一人で、もう遅いかもしれないって思ってたから」


 風が強くなって、髪が頬にかかった。直そうとした手より先に、悠真の指がそっと髪を払う。昔なら平気だった距離なのに、今はそれだけで息が詰まりそうになる。


「遅くないなら、ちゃんと言いたい」


 夕陽を背にして、悠真がまっすぐこちらを見る。


「東京へ行く前から好きだった。離れたら落ち着くかと思ったのに、全然だめだった。季節の便りをやめなかったのも、忘れたくなかったから」


 胸の奥に溜まっていたものが、ようやくほどける。


 泣くつもりなんてなかったのに、視界が滲んだ。笑うのも泣くのも中途半端な顔で、私は言った。


「こっちだって、ずっと好きだったよ。あの夏から、たぶんその前から」


 悠真は少しだけ目を丸くして、それから子どもみたいに嬉しそうに笑った。


「それ、手紙で書いてくれてもよかったのに」


「そっちこそ」


「たしかに」


 二人で笑う。笑いながら、近づいた手が触れる。指先だけだったのに、そのままきちんと繋がれた。熱い夏の終わりの風の中で、その手だけが不思議なくらい落ち着く。


 港のほうで、船の汽笛がひとつ鳴った。


「これからは、手紙じゃなくてもいいかな」と悠真が言う。


「電話もあるし、会える距離だしね」


「そうなんだけど」


 少し照れた顔で、悠真は続けた。


「手紙も続けたい。今日みたいなこと、文字で何度も読み返せるのは、たぶん悪くないから」


 私は頷いた。


「じゃあ、続けよう。会える日に会って、それでも足りないぶんは、夏でも冬でも書けばいい」


「うん。そのたびに、ちゃんと好きだって書く」


「それは少し恥ずかしい」


「でも書く」


 そう言い切る声がおかしくて、また笑ってしまう。


 西日が落ちて、海の光がゆっくりやわらいでいく。切ないだけで終わるはずだった季節は、気づけば少し甘い色に変わっていた。


 その帰り道、繋いだ手は最後まで離れなかった。夏のお便りは、ようやく、返事のいらない思い出ではなくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ