第二章 静寂を破る「紙の剣」 Ⅱ
3. 絶望の王宮 ―― 救済という名の破門
アリスが選んだのは、連合軍が「封鎖済み」と過信していた最短ルート 内海の隠し街道であった。
彼女たちはまず、馬を捨てて湿地帯の北縁を徒歩で横断。
そこには、軍師モースが手配したオマールの手引きによる、黒塗りの快速艇が待機していた。
連合軍の大型艦が海上封鎖を敷く中、夜の波間に紛れる小舟は、まるで海を滑る影のように音もなく包囲網を抜けた。
隠し港から王都の裏口へ。
馬車と船を乗り継ぎ、わずか一昼夜で、アリスは熱狂の戦場から切り離された絶望の静寂に沈むアソセス王宮へと降り立ったのである。
アソセス王都はすでに死に体であった。
かつて「不落」と謳われた城門には敗残兵が溢れ、民は来るべき略奪の足音に怯えている。
不気味なほど静まり返った謁見の間。
アリスは軍靴の音を響かせて進んだ。
玉座に深く沈み込み、生ける屍のようになったアソセス国王バイラスは、現れたアリスを幽霊でも見るかのような目で見つめた。
「……陛下。もはや、猶予はございません」
その声は、冷徹なまでに静かだった。
彼女は外套を脱ぎ捨て、アトラクトの紋章を露わにし、震える老王の前に立った。
「聖エルマで流された血は、単なる一人の少年の死ではありません。」
一歩前へ。
「あれは東方の女王が大陸諸国に課した『静寂』そのものでした。それを、何者かが陛下のお名前で叩き壊した。その報いが、今、峡谷を埋め尽くす連合軍の咆哮なのです」
「余は命じておらん……。だが、世界は余を信じぬ」
「ガレスには大義名分があり、ラインベルトには復讐の権利がある。
そしてベベクロには、戦後を再編する口実がある」
王の顔色が変わる。
「アソセスを救う道は、もはや一つだけです」
アリスは懐から一通の羊皮紙を取り出し、王の前に突きつけた。
それはクスト・レアを公式に「制御不能な暴徒」として切り捨て、国の全権をアトラクトが預かるという、あまりにも屈辱的な停戦への『紙の剣』であった。
「…これを、クストに読ませろというのか? 」
王の声が慄える。
「彼が、我が国のために死地を支えているというのに」
「彼が死地で戦っているからこそ、私はここで戦っているのです」
氷のように静かな瞳。
「彼は時間を稼いでいる。ならば私は、その時間を使わねばならない」
「あれは……余の息子同然だ」
一瞬だけ、アリスがわずかな痛みに揺れる。
「陛下。これは救済です。ですが同時に、王家が誇りを捨てるという意味では破門です」
王は目を閉じる。王であることを、やめるという選択。
「……余が、祖国を売るのか」
「いいえ」
即答だった。
「祖国を未来に残すのです」
老王の手が震えながらペンを握る。
署名の音が、やけに大きく響いた。
それは一つの王国の、葬列の始まりだった。
アリスはその横顔を、痛みを押し殺した氷の瞳で見つめ続けていた。




