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幕間Ⅰ カーターベイの計量

 アトラクト王都ケルテミスの北西。

大陸の物流と海上運送、さらに金融の動脈を握る自由都市カーターベイ。


 都市の中枢、「大秤(だいひょう)の間」。


 かつては穀物や銀の重さを量るための場所であったそこは、今や 「大陸の価値」 を決定する冷徹な司令塔と化していた。

 

 軍師ベベクロは、その無機質な広間に足を踏み入れる。


 彼の耳に届くのは、騎士たちの誓いの言葉ではなく、事務員たちが淡々と読み上げる各国の物価指数と、損害見積りの数字だった。


「……名誉では腹は膨らまず、忠誠では運河は掘れぬ。やはり、この街の空気は合理的でいい」


 広間の奥、円卓を囲むのはカーターベイの支配層「大秤会議(グランドスケール)」の幹部たちである。

 彼らはベベクロの到着を確認すると、感情を排した声で問いかけた。


「軍師殿。アトラクトでの『仕込み』は、予定通りに?」


「ええ。アリス王女は実に見事な署名を残してくれました」


 ベベクロは懐から、調印された条約書の写しを取り出し、机上に放り出した。

 そこには彼女が血の涙を呑んで記した 「第十二条」 の条項が踊っている。


「アソセスの主要街道および港の管理権。……これで『整地』は完了です。名誉に拘泥する騎士たちが港を塞ぐ時代は終わりました。これからは、我が連合の刻印(タグ)をつけた荷車が、検問を素通りして大陸の深部まで流れ込むことになる」


 幹部の一人が、手元の算盤(そろばん)を弾く。

 その音は、これからアソセスから吸い上げられる富の音であり、同時にその地で静かに窒息していく民の悲鳴でもあった。

 だが、この部屋にそれを気にする者は一人もいない。


「アリス王女は、クスト・レアという『過去の遺物』を守るために、アソセスの『未来』を差し出した。……実に割に合わない取引だ。そうは思いませんか、軍師殿?」


  「ククク……。彼女にとっては、愛こそが最大の『負債』だったのでしょう。我々にとっては幸運なことです」


 ベベクロは会話を切り上げると、窓辺へと歩み寄った。

 そこからは、かつてない規模で拡充されつつあるカーターベイの港が一望できる。


 彼は懐から一枚の金貨を取り出し、親指で高く弾いた。

 金貨は鋭い金属音を立てて宙を舞い、彼の掌にぴたりと収まる。


「……さて。あとは、南方の友人たちに合図を送るだけです」


 幹部たちが一瞬、動きを止めた。


 彼らが「南方の友人」と呼ぶ存在。


 それはこの大陸の覇権争いとは全く別の論理で動き、海の向こう側で圧倒的な技術革新を遂げた、勢力を指していた。


「彼らは非常に礼儀正しい。我々が用意した舞台が整うまで、水平線の向こうでじっと待ってくれていますよ。……まもなくです。この大陸の古い騎士道が、自らの重みに耐えかねて崩壊する瞬間が」


 ベベクロの視線は、遠い南の水平線、空と海が混じり合う深い藍色の闇に向けられていた。


「アリス王女が守ろうとした『平和』は、我々が新しい時代を迎えるための、格好の 『葬礼』 となるでしょう。……死者は英雄一人で十分だと思っておられるようだが、おめでたいことだ。死ぬのは、この大陸の古い歴史そのものなのだから」


 時計塔の鐘が重々しく鳴り響く。


 それは講和の祝砲ではなく、まもなく海の向こうから訪れる「冷徹な鋼鉄の時代」の足音のようであった。


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