第五章 聖域の残照 魂の共犯者 Ⅱ
3. 継承される「嘘」 リリアンとの邂逅
ふとアリスは、祭壇の影で泣きじゃくる十歳の少女に気づいた。
身寄りを失い、戦火に追われて神殿へ逃げ込んだ戦災孤児、リリアンである。
アリスは五歳のシオンの手を引いたまま、リリアンへ歩み寄った。
そして、その震える小さな手を、拒絶を許さぬ強さで握り締めた。
(お母様。貴女は王族の血を『平和の楔』として残した。でも、貴女が救ってしまったこの名もなき子だけは――私の嘘で守ってみせる)
アリス、クスト、ジークシールド、そしてリリアン。
この瞬間、後に大陸を欺くことになる「亡霊の共犯者たち」の原型が、静かに結ばれた。
回廊の端では、十五歳のクリスがその光景を見つめていた。
英雄が王女に跪き、王女が孤児の手を引く姿を、彼は「高潔な騎士の忠義」と「王族の慈愛」であると信じた。
4. 均衡の帳簿と、残された「楔」
神殿を去る前、アリスは一瞬だけ少年を見つめた。
泣き腫らしたはずのその瞳は、奇妙なほど静かであった。
次に、彼女は銀貨を弾くベベクロへと視線を送る。彼だけが、すでに「停戦後」の均衡を計算していた。血も祈りも、すべてを帳簿上の数字に置き換える男。
だがその一瞬、ベベクロの指先がわずかに止まった。
彼の視線は、王女ではなく、少年に向いていた。
何も言葉は交わされない。
ただ、ほんの刹那。均衡とは別の「何か」が、そこを通り過ぎた。
「行きましょう、リリアン。……これからは、私が貴女の空腹を満たし、眠りを守る。その代わり、この世界を一緒に騙してほしい」
アリスはシオンとリリアンを連れ、暗い回廊へと消えていった。
残された神殿には、乾いた血の跡と、冷徹な計算、そして、誰にも名を呼ばれない少年だけが立っていた。
一方、クスト・レアはその後五年にわたり、「最強の英雄」として軍を率い続けることになる。
だがその心臓の奥には、あの日、十二歳の王女に突きつけられた「冷たく燃える眼差し」が、消えぬ刺青のように刻まれ続けていた。
彼が剣を振るうたびに、あの神殿の死臭が彼の魂を削り取っていく。
そして……。
あの日、誰も気づかなかったもう一つの静寂が、ゆっくりと、大陸の裏側で育ち始めていた。
第二部に続く




