桜舞う狐宴酒神社の宴
ー1ー
田んぼが広がる日本の田舎。そんな田舎にも、もちろん神社はある。
【狐宴酒神社】はそれほど大きい神社ではなく、小山に作られた、すっかり苔やヒビが生えている階段を登ればさびれた鳥居が待っている。
小学校6年生になった少年は、小さい時からお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、近所の爺ちゃん婆ちゃんからこの狐宴酒神社の神様の事を聞かされていた。
何のひねりもなく、その名前の通り、酒と宴が大好きな狐の神様の使いなんだそうだ。
「使いって何?」
夕飯後、少年がおじいちゃんに聞く。
「神様とわしらを繋げてくれる、大事な役割を持った狐様だよ」
「ふーん」
それを聞いた少年は不貞腐れた顔になった。
□□□
「キッちゃん神様じゃないじゃん!」
不貞腐れた顔の少年が目の前の稲荷様の使者に酒を注ぎながら言った。
「え?そうだよ。あれ?言ってなかったっけ?」
キッちゃんは口が見える上半分の白い狐のお面を付けた男性。白と赤の、平安時代の服を着ているキッちゃんは、どこか朧げで、存在がうっすらしており、周りに白い光の膜を纏っていた。
そんなキッちゃんは、自前の赤くて大きい盃に、少年が注いでくれた酒をぐびぐびと飲む。
「言ってないし、『俺神様だから』って言ってたじゃん」
「うっはっはっはっはっ!言ったっけ?言ったかも!まあまあ細かい事は気にしなさんな。というか、おぬしらから見たら俺も立派な神様だから間違ってないわ」
またぐびぐび飲む。飲み干したキッちゃんは「んっ」と少年に盃を突き出す。少年はお供え物としてあった一升瓶の酒を注ぐ。「んっ」とキッちゃんは言ってまたぐびぐびと酒を飲む。
「なんか釈然としない」
「おっ、よくそんな難しい言葉知っているな」
「でた子ども扱い!俺だってもう12歳なんだから」
「子どもだろう。いやむしろこっちからしたらまだまだ生まれたての赤ちゃんだわ」
「はいはい。『俺は2000歳だぞ』でしょ」
「うっはっはっはっはっ!その通りっ!」
夜の23時。少年の家の真裏にある神社で、二人はそんな会話をしていた。小さい神社にしては小さい電球や、キャンプ用のLEDランタンなどがいくつも置いてあるため、夜中でも暗くて怖いということはなかった。
キッちゃんは御狐様だ。去年の7月ほどから突然少年に見えるようになり二人は瞬く間に意気投合。以来少年は夕飯後に神社へ出向いて、お供え物をキッちゃんへ捧げながら色んな話をしていた。お供え物にはお菓子もあり、それは少年がもらっていた。
昔はおじいちゃん、父親もキッちゃんと遊んでいたらしいのだが、今は全然見えないんだそうだ。
少年にキッちゃんが見えるのは家族どころか村人全員に知れ渡っており、少年だけは夜に神社へ行っても許されていた。
今日も1時間ほど、少年の近況やキッちゃんの昔話などを喋ってお開きとなる。帰りに少年が手を振りながら階段を下りていき、キッちゃんも少年が見えなくなるまで大きく手を振り続けた。
ー2ー
「えっ?神様が?」
「そうだっ!明日の夜に稲荷様がここへ来て宴会をするんだっ!!楽しみだなぁ」
いつになくテンションが高いキッちゃんを見て少年も嬉しくなりこう言った。
「ねえねえっ!僕も宴会に参加したいっ!!」
「おうおう良いとも!むしろもっと人を呼んでほしい!稲荷様は騒がしいのが好きだからな。ぱーっと皆で盛り上がろうー!!」
「盛り上がろー!!!」
この日はキッちゃんがいつになく浮かれていて、取っておいたのか、奥の方から二升五合瓶を取り出してきた。
不思議だったのが、キッちゃんはこの世の人や物には触れられない。なのに今大きな瓶を軽々と持っている。それを少年が聞くとキッちゃんは言った。
「この酒は特別で、俺らの世界の酒なんだ。本当に特別で滅多に飲めないんだが、今日はまさに特別な日だ!飲まないわけにはいかないだろう!うっはっはっはっはっ!」
「稲荷様は明日来るんでしょ!?明日が特別な日じゃない?」
「うっはっはっはっはっ!明日はな……特別も特別、大特別だっ!!」
……駄目だ、浮かれてる。少年は、いつまでも高笑いしているキッちゃんを見てそう思った。あまりのはしゃぎ具合に少年は自分が逆に冷静になっていくのがわかった。少年の冷たい視線に気付いたキッちゃんは笑いながら言う。
「大丈夫っ大丈夫っ!稲荷様に捧げる酒はちゃんと用意してあるから。さて、少年。明日はたくさんの人を呼んでくれ。」
明日は日曜日。もう遅いので、朝、早起きしておじいちゃんとおばあちゃんに言ってみよう。そう少年は思いながらはしゃぎながら酒を飲んでいるキッちゃんを見ていた。
ー3ー
「なにっ!?稲荷様が今日いらっしゃる!?」
「えぇっ!!それ本当なのっ!?」
少年がおじいちゃんに伝えると物凄く驚いておじいちゃんが言った言葉に、台所にいたおばあちゃんが反応してスリッパの音を小走りにたてながら近付いてきた。
普段の二人から想像出来ない声と動きに、少年は稲荷様が来ることよりもそっちの方に驚いていた。
耳をくっつけるほど寄せないと聞こえないような、ボソボソとしか喋らないおじいちゃん。腰が曲がっていてゆったりしているおばあちゃん。あまりにも違いすぎた。
「あんた、こうしちゃあいられませんよっ!電話電話!」
「ああ頼むっ!誰一人漏れがないようになっ!それで、今日のいつ稲荷様はいらっしゃるんだっ!?」
「あっ……」
ここで少年は、そういえば時間までは聞いてなかったと思い付く。
「ごめんなさい、時間までは聞いてなかった」
「なっ……なんじゃと……」
おじいちゃんの顔が真っ青になる。そのまま倒れてしまうんじゃないかと少年が心配したところに、父親と母親がやって来た。
まだ眠たそうではあったが、おじいちゃんとおばあちゃんの声でただ事ではない雰囲気は伝わっていた。少年の父親がおじいちゃんに聞く。
「何があったんだ!?」
口をパクパクさせるが喋れていないおじいちゃんの代わりに少年が軽く説明した。するとやはり、稲荷様が今日来る事を理解した父親と母親も驚いた顔をし始め、何時に来るかわからないと知ると顔面蒼白となった。
示し合わせたように皆が時計を見ると朝の6時30分。少年が勢いよく立ち上がる。
「俺、聞いてくる!!」
そう言って走り去って行った。残された3人の間に数秒の沈黙。そして父親がおじいちゃんに聞く。
「おやじ、どうするよっ!?」
「んん〜こうなりゃあ今から準備じゃっ!!母さんは皆に声を掛けておる。嫁さんは回れるだけ他の家に行って、無理しない程度に荷物を運ぶのを手伝ったり、不自由な人を助けながら神社へ。お前は酒やら座るものや、つまめる物をとにかくかき集めて神社へ向かってくれっ!!」
昔、陸上自衛隊で隊長を務めた事もあるおじいちゃんが即座に判断をし的確に2人に指示を出す。
が、2人は思考が追いつかずに突っ立ったまま。
「んん〜心してかかれー!」
ちゃぶ台をバンッと叩いたのを合図に2人は慌てた様子で行動を開始。ドタバタな足音と、おばあちゃんの甲高い通話が、朝から響いていた。
ー4ー
狐宴酒神社は、少年家の真裏の山の上にあるため、家を飛び出して5分もかからず階段を登りきり、少年は鳥居をくぐった。
この時間、この瞬間に、少年が鳥居をくぐることをわかっていたかのようなタイミングで強めな風が吹く。そして少年は思わず立ち止まり見惚れてしまった。
神社を囲んでいる木々全てに、満開の桜が咲いていた。そして、今の強風で桜の花は吹雪となり視界のほとんどを綺麗な白と桃色に染めてくれた。
とても長く吹いた風が止み、散った桜がひらひらと落ちて、少年の見ている景色がどんどん広がっていく。
神社の真ん中には、いつものようにキッちゃんがあぐらで座っていた。だが、いつもと違うのは、盃は持っておらず、代わりに、金色の大きい扇子をさきほどの桜のようにひらひらさせながら上から下へ、下から上へと繰り返していた。
少年は、今視界に映っている全ての風景、異様だが心地良い雰囲気でこの時初めて、本能で目の前の、いつも陽気なキッちゃんはこの世の者ではない、とても崇高な存在なのだとを悟った。
少年が見た幻想的な光景から我に返ったのは果たして一瞬だったか、何秒だったか、それとも何時間も経っていたか。とにかく少年は大事な目的のために自我を取り戻してキッちゃんの元へ駆け寄り聞く。
「キッちゃんっ!!」
「ふふっ。待っておったぞぉ〜」
「稲荷様って何時に来るのっ!?」
「俺にも分からぬ」
「ええっ!!」
「大丈夫大丈夫。稲荷様は寛大な御方だ。お前たちはなるべく早く、精一杯準備をして騒げば良い。ずっとこの地に住んでる俺が言うんだから大丈夫」
「そ、そうなの?じゃあ急いで準備するから!」
そう言って、少年は振り向いて忙しなく階段を下りていった。その後ろ姿の少年にキッちゃんは言う。
「めでたい日だー!!怪我だけはするなよー!!」
「はーいっ!!」
少年が見えなくなって、今度は木の陰に隠れている女性に声を掛ける。
「ということなので、もう少しお待ち下さいよ。きっと楽しい一日になりますよ」
顔は影に隠れている中、唯一確認出来る女性の口は微笑んでいた。
ー5ー
戻ってきた少年は、あたふたしている家の中におじいちゃんを見つけ、キッちゃんに言われた事を伝えた。
「さすが稲荷様、寛大じゃあ。伝えてくれてありがとうっ!なら余計に急がないとなっ!母さんっ!また皆に追加で伝えておいてくれっ!内容は……」
突然少年から音が消え、暖かくて楽しい気分が湧いてきた。キッちゃんに似ているが、全然違う視線を後ろに感じる。その圧も厳しいものではなく、とても穏やかな、慈愛に満ちているようなもので、安らぎを感じていた少年は、皆が動いてこれから手伝わなければならないというのに、その幸せなまま眠ってしまっても良いと思えるほど。そんな不思議な感覚から目を覚まさせたのはおじいちゃんだった。
「おいっ!大丈夫かっ!?」
「あっ……うん。……うん、大丈夫」
「そうか……。よし、それじゃあお母さんの手伝いを頼むっ!この小さな村だったらすぐに見つかるから」
「わかったっ!!」
そして少年は飛び出していった。
「……稲荷様、ありがとうございます」
おじいちゃんは深々と頭を下げた。とても綺麗なお辞儀の先は、少年が感じた視線の先だった。
ー6ー
7時30分の狐宴酒神社には、すでに村人の6割が集まっており、大きいブルーシートを何枚も重ねて神社全体に敷いて、皆で持ち寄った酒、つまみ、タッパーに入った各家庭の料理、ペットボトルの水やジュース、使い捨ての割りばしに皿、コップなどなどをブルーシートの上に広げていた。
動ける女性の大半はまだ各々の台所で料理を作っており、比較的若い男性は酒料理などの運搬作業を行っていた。
他、高齢のおじいちゃんおばあちゃんは稲荷様のために先に乾杯をして盛り上がっていた。
そして、朝から始まった宴に村人全員が集まれたのは昼過ぎとなり、先に始めていた爺婆たちは、気持ちよくうたた寝をしてしまっていた。
□□□
運搬作業を終えた少年がブルーシートに座れたのも昼過ぎとなり、皆が集まったところでもう一度乾杯をする事となった。
総勢100人満たない程度の村人が集結して宴をすればさすがに楽しくうるさくなり、予定通りとても賑やかな場となっている。
少年も学校の友達の輪の中に入ってオレンジジュース片手に楽しく話していた。
ふと、少年の後ろから散った桜と共に強風が吹いた。それが誰かに呼ばれた合図だと直感した少年が振り向くと、手を振っているキッちゃんがいた。少年はキッちゃんの元へと走り、こう言った。
「稲荷様来た!?」
「ああ、いらっしゃっているよ。とても楽しんでおられる」
キッちゃんはいつもの豪快な笑いではなく、とても優しい笑みを浮かべながらそう答えた。そして続ける。
「頼みがある。俺の言葉を皆に伝えてほしい」
「うんっ!良いよっ!」
「いい返事だ。それじゃあ頼む」
少年は拝殿の階段を数段登ってみんなの方へ向き「ちゅうもーくっ!!!」と、大声で叫んだ。
1回目では近くの何人かが気付いてくれ、間髪入れずに2回、3回と繰り返すと、気付いた人が気付いていない人に知らせた事もあり、一気に少年へと目線が集まった。
「キッちゃ、ちがうっ!え〜っと、狐様が今からみんなに伝えたい事があるそうです」
誰かが「よっ!!」と言って拍手をしたら皆が一斉に拍手をした。止むのを待ち、少年はこう言った。
『今日という素晴らしい日を皆で迎えられたことを、心から感謝する。この喜びを忘れずに、これからも互いを思いやり、困難な時も力を合わせて生きていってほしい。今いらっしゃっている稲荷様は、皆の笑顔をいつも見守っているぞ。と、建前はこれで良しとして。俺は、この土地と、ここに住む皆が大好きだ!こうして皆が集まって楽しそうにしているのを見るのが、何よりの喜びだ。これからも末永く、この地を守り続けていくから、皆も仲良く助け合って暮らしてくれ!』
村人がこの日一番の喝采と拍手。呵々大笑が起き、それに呼応するかのように桜吹雪が吹き荒れた。
夜になっても宴会は終わらず、花明かりと、未だ冷めやまない村人たちの賑わいの力なのか、電球やランタンを付けていなくても昼間のように明るかった。
ー7ー
20年後。32歳の少年だった男性は子供と嫁を連れて帰省し、三人で夜の狐宴酒神社を訪れた。明かりは灯されていない。
村を出て都会に行き、家庭を持って年に数回は帰ってきている為、子供と嫁もすっかりお馴染みの古びた狭い神社となっていた。子供は7歳になった。
男性にはすっかりキッちゃんは見えなくなってしまっていたが、最後にキッちゃんから、
『いつまでも見守っているからな』
そう言われていたため、寂しかったが心強かった。
「こ、こんにちは……」
突然子供が動揺しながら拝殿の方へ挨拶をした。
男性と嫁は互いの顔を見る。二人とも驚いた顔をしていた。
「は、はい。……あっよろしくお願いします。……ありがとうございます。……はい、わかりました」
子供は明らかに誰かと話していた。そして、後ろにいる両親へと振り返り、男性に言った。
「お父さんが言っていたキッちゃん、いたよ。それで、お父さんに今から代わりに伝えてくれって」
「うん、わかった」
『うっはっはっはっはっ!大きくなったなあ少年。立派な父親になったじゃないか。これからも心配せず、家族共々、見守っていてやるからなっ!』
これを聞いた瞬間、男性は涙を抑えることが出来なかった。大の男が大泣きし、それを優しい笑顔で見ている嫁、嬉しそうに父の顔を見る子供。
そして、満開の桜が、あの時の宴会と同じ花明かりのように暖かく三人を包んでいた。




