さよなら、私の猫逹よ
〈靜かなる風葬の時冬快晴 涙次〉
【ⅰ】
幽冥界- 亡靈逹の集ふ場處- と云つては語弊がある。一口に幽冥界と云ふが、魔界・人間界・冥府のやうな、はきとした「場」はない。たゞ、亡靈は亡靈同士引き合ふと云ふケースも有り得るだけだ。人間界に未練たつぷりで、冥府には行けなかつた大原虎鉄(前回參照)は、同じ亡靈の* 岩坂十諺と知り合ひ、亡靈仲間として語らつた。岩坂が「猫nekoふれ愛ハウス」と云ふ施設の「雇はれマスター」として働き、大の猫好きだと聞いて、猫恐怖症の大原は(何せ天才猫テオのお蔭で人間界を「追放」された)「をぢさんの苦手とする物は何ですか?」と、思はず訊いてみた譯であるが... 言下に岩坂、「私には特に苦手はないが、強いて云へばルシフェルさんと云ふお人かな」。大原「え゙、ぢやあをぢさんはカンテラ氏に関はりのある人なんですか?」-「大有りだよ。私はカンさんに使はれてゐる身だ」。
* 前シリーズ第153話參照。
【ⅱ】
上記の會話は、嫌が上でも岩坂に越し方を回顧させた。彼には、ルシフェルとの曰く云ひ難い因縁があるのだ。順を追つて* 説明せねばなるまい。ルシフェルの最初の魔界治世の時代、岩坂は魔導士としてルシフェルに仕へてゐた。だが、カンテラ一味探索と云ふ仕事をしくじつた彼は、ルシフェルに処刑されるのを恐れ、その儘人間界に逃げ、松見鉄五郎と云ふ變名で住み付いた。彼は野良猫を友に、人間界に隠棲した譯だが、ルシフェルはそれを發見、岩坂は殺された。その後、亡靈となつてからの「ふれ愛ハウス」運営をも** ルシフェルは散々妨害。今、その憎しみを忘れたやうに、(同じカンテラの被雇用者として)ルシフェルと肩を並べてゐるのは、一重に岩坂の温厚さに依る。
* 前々シリーズ第18〜20話參照。
* 前シリーズ第144話參照。
【ⅲ】
(一言、陳謝があつても良からうものを)-さう思ひ始めた岩坂だが、その果てに彼の理性は崩壊した。(ルシフェルを殺してやる)譫言のやうに岩坂は呟き、ルシフェルの籠もる墓を暴くに至つた。だが、讀心術に長けたルシフェル、難を避ける為、墓から逃げ、姿を晦ませた。カンテラ、丁度「方丈」に用があり、ルシフェルの墓がある「開發センター」を訪れてゐたのだが...「岩坂さん、其処で何をしてゐる?」-カンテラの詰問にも岩坂、まともに答へられる狀態ではなかつた。(これはいかんな。* 俺の獨断でルシフェルを仲間に曳き入れたのがいけなかつたらしい-)
* 前シリーズ第190話參照。
※※※※
〈空の果て鴉かあと啼きや空爆の事も忘れて平和が腐る 平手みき〉
【ⅳ】
さて、だうする。カンテラは自問した。じろさんには相談出來ない。何故なら、岩坂が松見鉄五郎を名乘つてゐた頃からの友好関係が、じろさんにはあつた。平たく云へば、友逹なのである。正確なジャッジは、じろさんには望めない。(内紛はご免だ。「ふれ愛ハウス」は* 時軸に任せやう。岩坂には、最早冷靜に返る事は出來なからう)-確かに、「ふれ愛ハウス」は、一味の副収入源として大事だつたが、こゝでルシフェルを失つたら、その損失は測り知れないものがある。
* 前シリーズ第186話參照。
【ⅵ】
一つには、一味の最大の金主である「魔界健全育成プロジェクト」の、余計な死者は出さない、と云ふテーゼがある。「斬魔」が今、最小限に留められてゐるのは、ルシフェルの助言に拠るところが大なのだ。時には組織の為の非情さが、カンテラには求められてゐた。カンテラは剣を拔いた。岩坂は消えた。
【ⅶ】
岩坂は慣れ親しんだ「ふれ愛ハウス」に帰つて來た。そこで飼はれてゐる猫逹に、お別れを告げに來たのである。「だうやら私の短氣の為に、お拂ひ箱となつたらしい。さよなら、私の猫逹よ」
【ⅷ】
程なくして、ルシフェルは墓に戻つた。カンテラに-「お主も經営者として苦勞してゐるやうぢやの。思へば、我が魔界經営も、さう云ふものぢやつた」-「岩坂には惡いが、これしか道は殘されてゐなかつた」-「儂は今では猫どもにはニュートラルな態度を取つてをる」-「それは分かる。だが岩坂ほどの適材は、もう見付からないだらう」。内輪の事件である。「プロジェクト」からはカネは下りない。カンテラ、こんな苦澁の上に無収入では、やりきれないよ、と思はずボヤいたと云ふ。お仕舞ひ。
※※※※
〈黑豆とヨーグルトなど相性良し 涙次〉
PS:「ふれ愛ハウス」の運営は、時軸一人に委任された。尤も彼に、岩坂のやうに猫逹へ肌理細やかな愛情を注げるか、と云ふ點では大いに疑問が殘つたけれども。




