第2話 深淵に沈む
SP症
汚染ガス『PZ305』に適応した人間が発症する病。
主作用が汚染ガスへの耐性であり、副作用が人間としての変質である。体表の一部がカビのように変色するのが特徴だ。
人としての一線を越えるが為に、彼らはそれぞれ特殊な異能を身に付けるのだろう。
SP症を患った異常個体は、もはや人とは呼べぬのかもしれない。
【決戦:MC破壊】 危険度 Limit Over
正真正銘、これが最後の作戦です。
旧日本領の東京へと向かい、深部に位置するMCを破壊してください。
もはや語るべきことはありません。
各員、力の限りを尽くすことを期待します。
────
最終決戦当日の朝は、とても気持ちが良い晴れ空だった。
誰も居ぬ地上で華奢な両手に持ち上げるは、硬い柄の感触。
重心は丹田に、あくまで振り下ろす力は最小限に。
ひゅんと鋭い音に、遥か白雲を切り裂く。
六芒星の朝陽が肌に焼きつく中で、俺はひたすらに鉄剣を振るう。
やがて、S極とN極が溶け合うみたいに、心と身体は完全にシンクロした。
「……よし」
ピタリと、素振りの動作を硬直する。
白虎でも通り抜けたみたい遅れて流れた湿り気に、雑草たちはさわりと囁いた。
傾いた寄宿舎へと踵を返せば、ペコリと、メイド服が頭を下げる。
「おはようございます。理人くん」
「あぁ、おはよう、レイ」
いつものように、丸椅子へ軋み音を鳴らした。
とすると揺れる銀髪は俺の背後へと回って、金色の長髪を撫でる。
割れた鏡越しに、真っ白な腕は風船アートでも披露するように金糸の髪を纏めていく。
「……そろそろ、前みたいに短く刈り上げるか」
「勿体ないですよ。今の理人くんには、とてもお似合いですから」
ぴしゃりと冷声が返る。
一つ結びへまとめ上げられる髪。
翡翠の瞳から、金糸の髪に至るまで。
朝の眠たさに瞼を重くしてみれば、確かに今の俺は、まるで師匠の子供のような姿である。
「それに……ずっと、私がお世話してあげますから」
そう言って櫛を撫でるレイの手先は、少しだけ、震えていて、
「なら……また明日からも頼むぞ」
俺はハッと息を吐いて、軽く口角を上げてやる。
青白い瞳は割れた鏡越しに丸みを帯び、やがて銀髪の奥に緩く伏せた。
「……そうですね。明日からも、私がきちんとお世話してあげます」
準備は整った。
全身を覆うは、夜闇のごとく滑らかに濡れた漆黒のローブ。
腰部のホルスターには小銃を、右腰にはヒートソードを。
玄関ドアを繰り出せば、漆黒の鎧が、門番みたいに寄宿舎の廊下をずっしりと佇んでいる。
「格納庫へ参りましょうか、理人くん」
青い光を兜に宿した背中を追って、エントランスの地上連絡エレベータへと向かう。
とその道中、僅かな生存者たちは瓦礫の中を花道のように囲う。
「聖女様っ!どうかお願いします……!!」
「MCを破壊してくれッ!!」
「アンタに掛かってるんぜ……星追いの英雄さんよ!!」
炊き出しを放り出して、亡者のごとく平伏する誰彼。
それをアーチに進む己は、性質の悪い宗教団体の教祖にでもなったようで居心地が悪い。
膨大な熱量を以て木霊する祈りに、俺は著名人らしくか細い腕ををひらひらとさせたところで、
「おにーさん!」
聞き覚えのある幼気な声が、耳奥を響く。
振り返ると、ガキと手を繋いだ少女が、少しやせた頬に目をキラキラと輝かせていた。
「MCのこと、倒してくれるの?」
俺は頬を緩めて、わしゃわしゃと頭を掻き乱す。
「あぁ。俺に任せておけ」
その一言に──喜色が咲き乱れて、虹色の花々を瓦礫の地底に横溢した。
両手を宙に投げ出す者。
涙を流して地に崩れる者。
見知らぬ同士で抱き合う反響っぷりだ。
紛れてフラッシュを瞬くのは、ゴキブリのようにこの災難を生き延びる○○の連中である。
俺はローブを翻し、エレベータへ乗り込んだ。
「ふふっ。理人くんも随分と英雄扱いが板につきましたね」
「茶化してくれるな。そう気分の良いものではない」
チンと、到着の音がかごの中を響く。
むわりと暑苦しい初夏の熱気が、扉の隙間から流れ込む。
フードの底で眩しさに目を伏せれば、幾つかの人影が、半壊した球状ドームへ続いていた。
「六月一日隊長!待ってくれ!!」
同じく雑草を踏み込んだところ──背後から響く大声。
振り返ると、汚れ切ったヘアバンドが、深緑色の髪を搔き上げている。
「ナランか。どうした」
両手を膝に着いて呼気を整えたナランは、竹刀のごとく背中に差したブツを抜き出す。
「なんとか間に合ったな……六月一日隊長の専用武器が完成したぜ!!」
黒曜石を思わせる無骨な太刀が、マメだらけの両手に差し出された。
「……ヒートソード、ですか?」
通常の、洗練された細身のヒートソードではない。
明らかに、ゴツゴツとしたフォルム。
事務的な冷声が首を傾げれば、チッチと、緩慢な舌打ちがキザな手品師みたく答えを勿体ぶる。
「ただのヒートソードじゃあねぇぜ。柄の機構を強く押しながら剣を振るえば……おっと、人のいないところに振るってくれ!」
ズシリと隕鉄みたいに重い感覚が、両腕を圧し掛かった。
俺は言われたとおりに柄の出っ張りを押し込みつつ、上体を捩じる。
そして遠心力を使って、ヒートソードを振り抜き──
──ぶぉんと重い駆動音が鳴って、白く濁った半透明の物質が刃先から飛び出した。
「ッ!?」
薄く扇状に広がる、ブーメランみたいな刃。
空気を揺らしながら煉瓦へと迫り──見事、瓦礫を居合切りのように斬り裂く。
「空気刃……か?」
黒濡れの刀身に、八重歯のドヤ顔が輝いた。
「ご明察!ヒートソードを近距離も遠距離も対応できるように仕上げた逸品だぜ」
「その名も『雷切』!!」
重さ、刃渡り共に悪くない。
回数制限は2度らしいが、MCには悟られていない手札が1枚増えた。
俺は無骨な漆黒の刃を振るって手に馴染ませ、背負った専用のホルダーに収める。
「悪くはないな。有難く使わせてもらおう」
「おう!オレの自信作だ!上手く使ってやってくれよな!!」
バシバシと背中を響く乾いた感触に押されて、俺は格納庫のゲートを潜った。
神妙な静寂が、静電気みたいに肌を突き刺す。
格納庫に集った人数は、もはや多くはない。
しかしその誰もが、一騎当千の働きを見せるとばかりに表情を張り詰めている。
やがて、低く野太い声が、骨組みの露出した天井を破壊した。
「諸君!本日はよく集まってくれた!!」
一斉に前方へ向く誰彼。
太った腹を揺らす背広が、鉄骨の壇上へと上がる。
「私は人類連合軍総統のハサンだ。この度の最終作戦において、全面的な指揮を取らせてもらう」
「が……私が皆に命令を下せるような人間ではないことは、重々理解している」
壇上へ上がったと思ったら、一転して、及び腰の発言。
このタイミングで何を考えているのか。
思った途端、脂肪に弛んだ瞼の奥から、こげ茶色の瞳が漆黒のローブを映して、
「なればこそ、A006!頼めるだろうか!!」
多種多様な瞳が俺を射抜く。
なるほど。そういうことか。
隣に立つ見上げる全身鎧がわざわざ屈んで、籠手を兜の口元に添えながら耳元を囁く。
「理人くん、ここは」
「……分かっている」
俺は人の根を掻き分けて壇上に登り、集った志願兵どもを見下ろした。
四方から真っ直ぐに見上げる奴らへと、ゆっくりと、唇を開く。
「……これまで散々、MCにはいい様にやられてきたな」
始まった演説に、同意するように頷く戦闘服たち。
俺は色白の右腕を前に繰り出して、華奢な指を順番に折る。
「だが……アドラ、ジャック、マーシャ……全て、俺が破壊してきた」
「今度のMCも、俺になら破壊できる。断言してやる」
高揚と緊張を高めるような、一瞬の静寂。
焚き火に揺らいだ火種を見逃さずに、俺はぐっと、拳を握り締めた。
「ここが正念場だ!!MCが共栄都市に飼う人間を殺し始めた以上、手をこまねいているだけでは明日は訪れん!!」
奮い立たせるように、フードの底から大声を一気に張り上げる。
「貴様らの両肩に人類存続の未来が掛かっている!俺達こそが、残された最後の希望なんだ!!」
格納庫に居る誰彼は、いつしか、不安を帯びていたはずの瞳を熱く燃え上げて。
「だから頼む!!人類の明日の為に、この俺に力を貸してくれッ!!」
怒号の如き雄叫びが、格納庫を倒壊させる勢いで真夏に染め上がった。
「作戦開始だ!総員!準備に移れ!!」
ハサンの振り上げた腕を合図に、爆竹みたいに持ち場へと弾ける戦闘員たち。
俺とレイもまた、割り当てられた戦闘機へと駆け込む。
レイが操縦席、俺はその後方。
漆黒の籠手がハンドルを握り込んで、鎧の背中を頼もしく見せる。
「操縦は私に任せて下さい」
「あぁ。頼むぞ」
廃都市に並ぶ戦闘機は、蝶の群れみたく遥か大空へと飛び立った。
白雲を鮮やかに切り裂く戦闘機が、洋上の青い煌めきにイワシの魚群みたく影を落としている。
超速に空気を走るあまり、コクピットを響く細かい震動音。
世界を置き去りにしたみたいな沈黙が、決戦を前にぎこちなく満ちる。
緊張を誤魔化すように、事務的な冷声が脳内を囁いた。
「そう言えば……理人くんは、まだ知らなかったですよね。なぜ、私たちが規格外に選ばれたのか」
「……分かったのか?」
静かに相槌を打てば、滔々と冷水が脳内を流れた。
「はい。ジャック総統の記憶によれば、規格外とは……MCの想定する電子化に適合できない人々……つまり、コピーすることのできない何かを持つ人たち、とのことです」
「コピーできない……何か……?」
「理人くんであれば、カミキリ病の副作用ですね」
──カミキリ病。
かつてアルナも触れていた単語だ。
思った途端、阿吽の呼吸で豊満な唇が吐息を鳴らす。
「カミキリ病というのは、汚染ガス『PZ305』へ奇跡的に適応した人に対する呼称のようです。あれに適応した人には、それぞれ何かに特化した能力が生まれるのだとか」
「……そういうことか」
リーダー格の異常な胆力。
名もなき裏切り男の素早さ。
彼女の妙に痩せずらい身体。
苦々しい記憶が脳裏を駆け巡って、カメラのシャッターみたいに印象的な場面を切り取る。
「……他の方々も、歩んだ道のりがあまりに異常です。そのせいで、記憶の補正をし切れない点が、」
その点は、言われずとも分かることだ。
レオナルドの苦節に満ちた日々も、アルナが院内に過ごした胸の軋む日々も。
俺の魂には、彼らの日々が血肉のごとく深く刻み込まれている。
なればこそ、俺には1つ、どうしても追求せねばならぬことがあった。
「……レイ。なぜ俺の記憶には、所々に『アルナ達の記憶』が混じっている」
充分な時間を経て、それは確信に変わった。
まるで魂が別人の肉体に転生したような分離感覚は、そこにあったのだ。
フードの底で仄かに眉を顰めれば、痛いところを突かれたみたいに、漆黒の背中が揺らいだ。
「……規格外の記憶は、ジャック総統により当人の遺体から読み取られていました。理人くんは、SP症によって記憶を失っている部分がありましたので、そこを埋め合わせる形で」
──ならば、そのデータを使えば、アルナ達はもう1度、
「……ッ!!」
衝動的に、身体が立ち上がる。
色白の両手は金を強請るように鎧の肩部へ掴み掛かろうとして、
しかし直前、俺は思い出した。
『……偽物で、済まない……』
マーシャにより不本意な復活を遂げた、師匠の申し訳なさそうな笑みを。
「……」
欲望のままに縋ろうとした唇は、微かに震えて歯を食い縛った。
仮に死者の再生が実現出来る技術だとして、それは、人の踏み入れべからず禁域だ。
俺が例外的に復活したのは、人類滅亡という脅威があってこそのこと。
「そもそも、理人くんは死んだわけではありません。脳は微かに息をしていました」
失った物は、2度と、取り戻せないのだ。
「念のため伝えておきますがが、記憶のスペアはもう使えません。これも人の理を外れた行為ですので」
「捨て身で闘うようなことだけは、考えないでください」
ビクリと、偽の心臓がノミのように跳ね飛ぶ。
「…………あぁ。分かっている」
「……理人くん?」
深夜の住宅路みたいに濃く染み渡る静寂。
その果てに、兜がくるりと操縦席から覗く。
見据える兜の青い光。
俺は舞台に上がった芸人みたく、大袈裟に両手を投げ出してみせる。
「おいおい。レイだって知ってるだろ?俺が一番に安寧を求めてるってことぐらい」
「それは……尤もですが……」
途切れ途切れに返る、酷く不安を帯びた声。
俺は不敵に鼻を鳴らして、ニヤリと口元を歪めた。
「安心しろ。作戦通りやれば問題ない。それに、勝つための道筋は既に──」
──しかし俺が言い終えるより先に、真昼の大花火が、全天の青を轟いた。
「……ッ!?」
世界を破るような轟音が、宇宙を霞む大空を引き裂いている。
突如として舞い上がった黒煙。
胴体から煙を吐き出す戦闘機が、コクピットの細長い窓に墜ちていく。
まだ空が青いうちから咲く大花火は留まることを知らず、戦闘機を次々と撃墜する。
「ま、まさか──」
「──はい。どうやらゼウスに気が付かれたようです」
ヒートマップみたいに赤く染め上がる、操縦席のレーダーチャート。
ミサイルを示す赤い大軍は、当然、俺達の戦闘機を目指して忙しなく点滅音を響かせた。
「レイ!躱せ!!」
「もちろんですっ!!」
漆黒の籠手がハンドルを強引に切る。
上下左右に揺れながら白雲に飛び込むその姿は、まるで航空ショーでも披露しているような鮮やかさだ。
それでも、幾発かのミサイルは避け切れない。
遂には、戦闘機の尻尾へ喰らい付き──
──瞬間、別な戦闘機が割り入った。
「な……ッ!?」
空気を震動する大爆発。
ミサイルを受けて片翼を失った戦闘機は、ふらりと、広大な海上へと飛び込んでいく。
黒煙が舞い上がるその機体から、地獄の糸へ手を伸ばすように脳内電信が走り込む。
「頼むぜ、星追いの英雄さん!!人類の未来を──」
続くミサイル群に対して、次々と盾と化す戦闘機たち。
「聖女様!アンタならきっとゼウスを……!!」
「こ、こんなところでくたばるつもりじゃなかったのによぉ!!」
女王バチを守るようにして、痛苦に満ちた祈りが、俺たちに希望を繋ぐ。
それでも、花火に似た迫撃砲は終わらない。
「……脱出しましょう!私に掴まって下さいっ!!」
漆黒の拳が扉をアルミ缶みたくひしゃげた。
その腕部にしがみ付き、スカイダイビングに身を投げ出す。
ワンテンポ遅れて、戦闘機は赤い爆発に吞まれた。
自由落下に金糸の髪を靡かせたのも束の間──機構の翼が、ジェットエンジンを吐き鳴らす。
大自然に侵食された街並みが、ジャングルの寺院みたく滑空する先に浮かんだ。
「着陸します!衝撃に備えてください!」
飛行機のごとく足裏を展開するタイヤ。
漆黒の鎧は警告に反して、ひび割れた路上を清廉と着地する。
見覚えのある廃ビルの残骸に、俺は華奢な指を指し示す。
「レイ、あそこから地下へと移動出来る!!」
「分かりました!周囲の機械兵はお任せください!!」
青い稲妻が光を越えて、瓦礫の奥から現る機械兵たちを強引に吹き飛ばした。
流星のごとき青い軌跡が、廃ビルの残骸へとなだれ込む。
歪んだ扉からかごへと入り、昇降機のボタンを叩く。
軋むエレベータはゆっくりと降下し、やがてゴンと、最下層に沈黙した。
「……遂に辿り着きましたね」
幾星霜も封印されていた洞穴のような濃い闇が、奥行きすら分からぬほどに広がっている。
レイの他に、光を灯す機械兵は存在しない。
最下層の静寂を、駆ける足音が破る。
目指すは、アルナの記憶から読み取られたポイント。
俺はいつかアドラから逃げ惑った道筋を、今度は別の目的のために突き進んで、
辿り着いた実験室は、今も闇の中で取り残されていた。
「……」
ピタリと、硬直する2つの足音。
窓枠を覗くも、アメジストの太陽は、もう登らない。
ペリドットのペンダントを握り締めれば、しゃぼん玉の柔い香りが、微かに肌を慰めた気がした。
「……理人くん」
「……あぁ、分かっている」
ひやりと冷たい空気を裂いて、かつては選ばなかった右側の通路へ向かう。
やがて、足元は落とし穴みたく顎を開いた。
深淵へと誘う階段に、カツン、カツンと、一歩ずつ足音を響かせる。
地球の中心にでも向かっているのだろうか。
気が遠くなるほどに澱んだ闇へ潜り込んだその先には──勇者の墓場みたいに、洞穴が広々と切り抜かれていた。
その最奥に輝くは──聖剣。ではなく、純白に染まった巨大なコンピュータ。
俺は迷わず、雷切を振り上げて、
「待ちくたびれたよ、A006」
人魚の歌声が、闇の世界を染み渡る。
酷く退屈そうな顔をした絶世の神が、MCの影から後光を射して降臨した。




