第6話 機械仕掛けのBMG(ボーイ・ミーツ・ガール)
脳内電信『テレパス3.4』
2045年頃に台頭したコミュニケーションツール。
脳波での会話を実現した。
発声により生ずる信号をキャッチした脳内チップが、相手方の脳内チップへと電波を送受信することで成立する。
この技術が独裁国家に利用されたことは言うまでもない。
思考が筒抜けになったその時、民衆は真なる言論、表現の自由を失った。
頭上に光めく小さな光が、闇に吞まれて遠のいていく。
股下を切り裂く冷ややかな突風。
激しくたなびくローブの裾。
俺は、ばくりと乱れ打つ胸奥を抑え込み、生唾を吞んで意識を耳元へ集中させた。
瓦礫が最下層に激突しては、砕け散る音が花火みたく遠く木霊した。
タイミングを計って、落下する床材を蹴り上げる。
瓦礫が地面に弾け飛んだ。
キノコ雲のように捲き上がる土埃に、小片と化した礫がローブを叩く。
「……どうにかなったらしいな」
緩やかに降り立った研究所の最下層は、濃い闇色のベールに閉ざされていた。
鋼鉄の皮膚へ霜を降ろす冷気は、肺底までをも凍てつかせる。
周囲に光源らしきものはない。
見上げれば、遥か大穴が研究室の碧い光を注いで、細かい塵をプランクトンのように空気中へ泳がせた。
「アドラは……追って来ないか」
四方へ首を振って確認するも、緋色のポニーテールは見えない。
分かった途端、膝下から力が抜け落ちそうになる。
が、依然として状況はよくない。
未だ動かぬ義手の左腕。武器は小銃のみ。
このまま再戦を迎えても、勝利は絶望的だろう。
次こそは、アドラを壊し切る。
俺こそが強者であると奴に突き付けてやる。
その為にも、今この瞬間は。
「……クソッ!!」
俺は脇目も振らずに、最下層の通路を疾駆した。
決して、アドラから逃げているわけではない。
勝つのは俺だ。これは戦略的撤退に過ぎない。
俺の矜持に散々泥を塗ってくれたアドラを許すつもりもない。俺の安寧の為にも必ず奴は破壊してくれるッ!!
脳裏を沸々と溢れる雑念。
理由付けをする度に、靄が行き場もなく漂う。
乱れ響く足音に、顔を顰めて舌を打つ。
任務は、レジスタンスに所属したとされる師匠を暗殺すること。
しかし任務など初めから存在せず、アドラは俺を排除しようとした。師匠も死んでいた。
帰る場所はない。
アドラを壊した後はどうするか。いや、それは後で考えるべきことか。
「……現在地は不明か」
義眼にマップを確認するも、表示はなし。
頭部への連撃により、脳内チップが故障したと見える。
しかし、記憶によれば、地図は師匠を迎え撃つ地下3階を最下層と定義していたはずだ。
となると、ここは隠匿されたエリアか。
「ならば、目指すは上層への復帰だな」
俺は氷河のような最下層の空気を切り裂き、黒猫の死に場所みたいな闇中を突き進んだ。
急テンポを響く足音が、通路の静寂を叩き壊していく。
埃に覆われた廊下に、機械兵が侵入した足跡は見当たらない。
が、どこぞからアドラが現れるやもしれない。
微かな物音にも耳を澄ませ、フードを背後へ靡かせる。
そうして俺が、真っ暗なT字路を右に曲がろうとした時のことである。
フッと、『子犬の影』が正面ガラス窓の向こうを過った。
「……ッ!!」
素早く大地を蹴って後方へ退避。
冷や汗が首筋を伝って、ジッと目を凝らす。
真新しい黒闇をぼんやりと浮かぶのは、実験室らしき居住空間だ。
ガラス窓の先に、嗜好品の類は一切ない。
そしてその窓辺から、ふわりと砂糖菓子みたいな少女が、アメジストの瞳を覗かせている。
よし、殺すか。
あともう暫くの時間があれば、俺は大事を取って小銃を構え、ガラス越しに少女の眉間を撃ち抜いたことだろう。
けれど、その判断に遅れが生じたのは、
『理人……人に向けて、引き金を引く時……きちんと迷えるように、なれ……』
曲がりなりにも、師匠の遺した言葉が脳裏を過ったからなのか。
冷たいグリップを右手に握り込んだ、瞬間のことだ。
紺色の制服がとてとてと部屋を発って、こてんと、薄桃色のアホ毛を倒した。
「……だれ?」
「A006だ」
「あるふぁぜろぜろしっくす……」
華奢な指先が薄桜色の下唇に触れて、幼子のように舌足らずな声を響かせた。
「じゃあ……六ちゃんって呼ぶね!」
「やめろ。ところで、貴様は何故こんな場所にいる」
眼光を強めて問う。
少女のソレは、こんな昏い場所で過ごすモノとは思えぬほどに豊かな表情だった。
「ん-っとね。わたし、生まれた時からここに居るの」
「でも、最近はあんまり人も来なくってね?どうしたのかなーって思ってたら、六ちゃんが来たんだよ?」
くるりと丸いアメジストの瞳が、翡翠と黒のオッドアイを映し返す。
或いは、少女が上層への移動手段を知っているかもしれない。
思った俺が馬鹿だったか。
ローブを翻して、通路の左手へ踏み出す。
闇を刻む音が、そう遠くない位置から臓腑へ手を伸ばした。
「来やがったか……ッ!」
逸る胸を右手に握り込む。
今のところアドラの姿は見えないが、それでも、冷や汗は皮膚を吹き出した。
「誰か来たの?」
整った眉尻を下げる少女に対して、俺は胸倉に掴み掛かる勢いで唾を飛ばす。
「おい貴様ッ!最下層の脱出手段に心当たりはないか!!」
ほわほわと、快活な笑みが可憐な小顔を浮かんだ。
「緊急エレベータの場所なら知ってるよ!」
「なんだとッ!?サッサと案内しろ!!」
「うぇ!?う、うん……!」
アドラのことを説明している暇はない。
触れると壊れそうな手首を乱暴に引っ張る。
宇宙に似たストロベリーブロンドの髪が揺れて、しゃぼん玉のような香りが鼻腔を擽る。
「A006、そちらへ行ったか!」
嬉々と弾む声が、後方の闇中から腕を伸ばした。
走る。
走る。走る。走る。
少女の導きに従ってひたすらに凍える最下層を駆け抜ける。
秒読みで増大する猛獣の足取りに、胸奥は急速に締め上がる。
「まだ辿り着かないのかッ!?」
「あそこの角を曲がったら──」
華奢な指が示す方へと駆けたところ──異質な気配が、肩を軽く叩いた。
下半身が、急速に凍り付く。
後ろを見てはいけない。
分かっているのに、フードはゆっくりと振り返って、
猛禽類のように闇を光る黄色い瞳が、俺の背中を捉えていた。
「フッフッフ……逃がしはせんぞッ、A006!!」
「チィ……ッ!!」
もはや戦闘は避けられまい。
そうなると、コイツはただの足枷だ。
少女を曲がり角の奥へと押し飛ばす。
さぁ、どう来る。
右か? 左か? それとも真正面か?
はらりと額を流れる汗。
眼窩に溜まって、赤い唇が歪む。
苦く塩辛い味が舌先を広がった。
曲がり角の手前で構えた俺は、軍服の袖をたくし上げる一挙一動に、注意を張り巡らせて、
暗闇を切り裂く光芒が、『背後から』飛び出した。
「……ッ!?」
桃色の流星はアドラへと肉薄し──いつの間にやら、俺へと差し迫った奴を吹き飛ばす。
「な、に……ッ!?」
最下層を割り入った閃光が、光と影に滞留した。
肩先に靡く、薄桃色の髪。
小さな握り拳を振り切った姿勢で、ほわほわと快活な笑みが振り返る。
「だいじょうぶだよ!わたしが守ってあげるね!!」
壁面へ吹き飛ばされた軍服が、埃を舞い上げてとんぼ返りした。
華奢な腕がクロスに構える。
バシンと衝撃が闇を波紋して、俺の頬を浅く切り裂く。
思わぬ好敵手を見つけたとばかりに、ニヤリと、赤い唇が歪む。
「ほう……やるじゃないか……」
「六ちゃん、先に行ってて!!」
飽和する意識が、切迫した声に集約した。
重い轟音を響かせて殴り合う2人に世界から爪弾きにされて、俺は通路の角を曲がる。
緊急エレベータは、警告灯を発して静かに息をしていた。
近寄ってボタンを連打する。
扉がじれったく開いた。
迷わず乗り込んで、「閉」のボタンに手を伸ばす。
とそのタイミングで、吹き飛ばされた少女が俺の足元に尻餅をつく。
「痛ったいなー……!」
傷付いた頬を拭う、乳白色の手。
俺は反射的に声を荒げた。
「邪魔だ!乗るなり退くなりサッサとしろッ!!」
「逃がすかッ!」
通路を蹴り跳ねて迫る緋色のポニーテール。
少女はひょいと籠の中に退避した。
流れるように、「閉」のボタンを叩く。
ガコンと響く作動音に、扉が、世界を隔絶した。
「……どうにかなったか」
ギシリと、扉が不吉な悲鳴を上げる。
「この私から逃げ切れると思っているのか……?」
かごの中を潜り込む妖艶なる低声。
扉の開閉口が捻じ曲がって、獣のような笑みが垣間見えた。
「わわっ……!!」
少女はアメジストの瞳を見開き、慌てて拳を構える。
が、その必要はない。
俺は既に、扉の隙間へ小銃を構えている。
「これでさようならだ、アドラ」
閃光と射撃音が、狭い空間を瞬いた。
無数の弾丸が勝気な顔面を目指す。
奴は腕で防ぐ形で扉の隙間から手を離し──闇に投げ出される。
「おぉー!」
籠の中を響く間の抜けた驚嘆。
しかし、アドラはこの程度でくたばる玉ではない。
それは今日という1日で散々思い知らされた。
裏打ちする形で、最下層に落ちゆく黄色い瞳は、余裕に俺を見下している。
「フッフッフ……良いだろう、A006。今日のところは見逃してやる」
勝者にだけ許された不敵な笑声。
アドラは響かせながら、闇中へと呑み込まれた。
弾薬の匂いと静謐が、籠の中を残留している。
傷んだエレベータは、激しく揺れながらも確実に地上へ上昇していた。
「んへへ……なんとかなったね……」
安堵にへたる、薄桃色のアホ毛。
俺は尻目に、壊れた扉の外に広がる闇を見つめた。
アドラは何かしらの手段を使って、俺を追って来るのではないか。
不確かな妄想が心中を渦巻いて、やがて鳴り渡ったのは、到着の音だった。
「わぁっ!」
ひしゃげた窓枠に反射する太陽光が、半端に開いた扉を眩しく差し込む。
華奢な腕が強引に扉をこじ開けて、廃墟の地上へと飛び出した。
騒ぎ立てる少女を他所に、俺は早足に廃ビルを建つ。
乳白色の指先が、トカゲの尻尾を揺らしてこちらを振り返る。
「……どこ行くの?六ちゃん」
アドラが追って来る可能性は捨てきれない。
今は難民キャンプのある場所へと向かい、人混みに紛れるべきだ。
「どこだって良いだろう。それとも、貴様には行く当てがあるとでも言うのか?」
「あるよ!」
蝶を追って何処かに消えそうな少女は、にぱっと快活な笑顔で言った。
「……なに?」
思わぬ返事に眉を動かしたところで──間延びした口調が、寂れたビル街を響き渡る。
「いやぁ、悪いねぇ。わざわざ迷子を助けてもらって」
言葉の癖に、あまり済まないとは思っていないだろうねっとりとした声色。
規則的に重なる足音に、土埃が揺らぐ。
突撃銃を胸に抱えた集団が、廃都市の彼方をぼんやりと浮かんだ。
「皆、頼むよ」
無精ひげの男を中心に──兵士たちは、俺を素早く取り囲む。
「……感謝感激には随分と程遠い歓迎だな」
「キミには、同志を散々殺されたわけだからね」
灰色の瞳が、悪魔のローブを見下ろす。
胸筋に隆起した背広には、『見覚えのあるマーク』が刻まれている。
「……総統?なんで六ちゃんのこと囲んでるの??」
どうやらこのアホ毛も、レジスタンスの一員らしかった。
小銃は弾切れ。ヒートソードは消失。
しかし、こんな雑魚どもなら問題ない。
俺は無心で、朽ちた道路を蹴り上げて、
──サッと、筋肉質な右腕が指揮を振るう。
王命に従い、兵士たちは眉間に皺を寄せながらも銃を下ろした。
「私は、君と敵対するつもりはないよ」
予想外の行動に、路上へ急ブレーキ抉る足先。
前髪を垂らしたオールバックの男は無防備にも俺へと接近して、右手のひらを差し出す。
「A006。我々のゲームに参加しないか?」
「……ゲームだと?」
ニマニマと、無精ひげが歪んだ。
「そう、我々HAF……人類連合軍に所属して、人工知能相手に戦争を仕掛けないか、という相談だよ」
つまりは、共栄都市の守護者をテロリストに勧誘する一言だった。
尤も、俺の根幹に正義の信念など一切ない。
あるのは、ただ強くあれ。
それだけである。
「彼女を通して事情は把握しているよ。どうせ行く当てもないんだろう?」
「俺はアドラをぶちのめすことにしか興味がない」
「構わないさ。世界を支配する人工知能どもを破壊するためには、キミのような『規格外』が必要だからねぇ」
無精ひげの男は快く頷いた。
何やらアドラ以外にも標的がいるらしいが、そんなことは知ったことではない。
──アドラをこの手で壊す。
その点を保障してくれるのならば、レジスタンスに協力するのもやぶさかではなかった。
「……ふん。良いだろう、貴様らに手を貸してやる」
「それはどうも。それじゃあ、キミを『保護』させてもらうよ」
言葉の割には、しっかりと手錠を嵌められた。
焼け爛れた匂いを蔓延した東京を歩く。
死体を前に泣き叫ぶ者の声。
難民キャンプに集う暗鬱な表情。
壊滅した東京の様子は、来た時と何一つとして、変わらない。
だというのに、今の俺には、彼らの在り様がどこか違った風に見えて、
今は少しだけ、足を止める彼らの気持ちが分かってしまう気がした。
「ねぇ、六ちゃん!」
元凶の1人は、悪魔のようにほわほわと笑う。
「まだわたしの名前、言ってなかったよね?」
俺の心地など露知らず、アメジストの瞳は、ひょいと前から覗き込んだ。
「六ちゃん。わたしはね──」
『限りなく絶望に等しい希望』 完
これにて序章は完結です。次話からは第一章へと向かいます!
ここまで読んでくださった読者様には本当に感謝です!(´▽`)アリガト!
次回の投稿日は8月15日の金曜日となります。
それでは、また次話でお会いしましょう!




