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第7話 ゼロの追従者


 ため息だらけの人生だった。


 縄の輪が揺れる様子を、ただ、黒闇に反射したガラス越しに眺める。

 物心ついた頃、私は暗い地下実験棟に幽閉されていた。


 両親の顔は知っている。

 それぞれ父と母は、レジスタンスで最も優秀な遺伝子を持っていた。

 私はその遺伝子を夢も希望もない試験管の中で組み合わせることで、この世界に零れ落ちてしまったのだ。


 詰まらない算術。

 退屈な軍事学。

 繰り返しの定量分析。


 優秀なる戦士を生み出すために叩き込まれる英才教育が、この日の光も知らぬ青白い血肉には詰まっている。

 地下実験棟から地上へと這い出す唯一の方策は、すべてのカリキュラムを修了することだけ。

 けれど卒業したところで、レジスタンスとして生きる未来に、私という個人的な人格が介入する余地のないのだろう。

 

 灰色の歯車として生きていくだけならば、もういっそのことここで。

 そんな思いに憑りつかれた私は、青白い足に死の階段を1歩ずつ登り、


 ガラス越しに、『翡翠の夜這い星』を見た。


「……?」


 暗闇に輝く翡翠の虹彩が、ふわりと、未来でも見えているみたいに弾幕をすり抜けていく。


 その流星は三日月を描いて、機械兵の背後へと回り込んだ。

 蝶の舞のごとく洗練されたその姿に、図らずも、ほぅと深い嘆息が零れ落ちる。

 

「……きれい……」

 

 興奮のままにガラス壁へ手を伸ばせば、チラリと、翡翠と黒のオッドアイが射抜いた。


 その瞬間、白黒の実験施設を往復するだけの私の命に、パッと、花が香るように色彩が芽生えた。


「まだ、ゴミが残っていたか」


 漆黒のローブは亡霊みたく死体の海から這い出す。

 サイボーグ化されたと思しき右腕を振り被り──粉々と、窓ガラスを打ち砕く。

 

 漆黒の銃口が、私の額を覗いた。


「悪いが『仕事』だ。くたばれ」


 私は産声を上げた雛みたく翡翠の瞳に吸い込まれたまま、軽く首を傾げる。


「……探し物は、なんですか?」


 ピタリと、小銃は硬直した。翡翠と黒のオッドアイが、フードの底から鋭さを帯びる。


「なぜ……逃げ出さない。怯えない」

「……死にたいと思っているから、でしょうか?」


 頬に人差し指を添えて天井を眺めれば、オッドアイは微かに見開いた。


「あなたの目的は知りませんが、とても綺麗なものを見せてくれました。ですので、死ぬ前に何か優位な情報をお届けできれば良いな、と」


 異常事態を知らせるアナウンスが、実験棟を赤く急かす。

 間隙の沈黙の末、漆黒のローブは尻目に翡翠の瞳を覗かせた。


「最下層に案内しろ」

「はい、喜んで」


 私はスカートを両手にたくし上げ、深く頭を下げた。








「な、なぁ!?!?ぜ、0番!!あんた裏切って──」

「い、嫌だァァ!死にたくないぃぃぃいいい!!」


 闇に輝くヒートソードが、人形の首でも折るみたいに淡々と訓練兵を斬り伏せていく。


 身体の一部を機甲化させた訓練生の放つ、人間離れした一撃。

 漆黒のローブは予知能力でも保有しているみたく紙一重に揺らぐ。

 少年は彼らの醜態と悲鳴が心地よいとばかりに、フードの奥でニヤリと口元を歪めた。


「ふん。雑魚共が」


 塗り固められた白のトンネルみたいな通路を辿ると、とうとう、目標地点が迫る。


「非常階段を下れば最下層です。そろそろ、私を殺してくれても良い頃合いでは?」


 こんなに気分の良い日は初めてだ。

 充実した明日が来るかは分からないから、今日に死んでしまいたい。

 私は棺桶に眠るように目を伏せ、銃口の奥に光る輝きを待ち望む。


 だのに、トリガーを引く音はいつまで経っても耳を擽らなかった。


 思わず、ゆっくりと瞼を開く。

 漆黒のローブは既に、最下層へと足音を響かせている。


「生に執着しない弱者なんぞ、殺しても何も面白くない」

「約束が違います」

「貴様が勝手に思い込んだことだろう。そんなに死にたければ、少しぐらいは命に未練を持てるようになるんだな」

「……私の人生は、私である意味がないのですが」

「そんなことは知らん。あとは勝手に考えろ」


 冷え切った鉄の声がぶっきら棒に返る。

 取り残された私は、乾燥した空気を裂いて翡翠の軌跡を追った。


 そして辿り着いた最下層には──巨人のごときロボットが、広大な空間に放置されていた。


「……師匠を待つ暇は、ないらしいな」


 ぼぉんと、眼窩を赤く灯して木霊する起動音。

 言葉に反して、上等だとばかりに低声は歪む。


 床を抉り飛ばした漆黒のローブは、ヒートソードで巨人の踵を削ぎ落そうとして──


「がぁ……っぁぁぁあああああ!?!?」


 尋常ではない痛苦が最下層を破裂した。


 足を縺れて激しく床を転がった少年は、両手に額を軋む。

 猛り狂うような絶叫を叫んだ果てに、プツリと、動かなくなった。

 その間にも、巨人の鉄槌は容赦なく漆黒のローブへ影を落としている。


「あ……危ない!!」


 反射的に、細い足に力を込めていた。

 息を荒げて、なんとか、彼の身体を押し退ける。


「やった……!」


 頭上の一撃を躱す暇はない。

 私は穏やかな終わりに瞼を閉ざしたところ、不意の轟音が、番人の左腕をダイナマイトみたいに粉々と吹き飛ばした。


「……え?」


 バサリと、視界を覆い尽くす大きな漆黒のローブ。

 爆風にフードが靡いて──ギラリと、翡翠の半目が冷たく覗く。


「お前は、理人を救ってくれた……のか……?」

「え、っと……」


 真冬の夜みたいに冷たい口調。

 言葉に詰まっているうちに、背丈の高いその女性は、少年を両手に抱きかかえた。


「恩に、着る……特別に、見なかったことにしておこう……」


 それだけ残して彼女は颯爽と最下層を駆け出し、私の知らない場所へ、あなたを連れ帰った。


 以来、私は一転して、次期司令塔としてのカリキュラムにしがみ付いた。


 遠く、ガラス越しではない。

 今度はあなたの目となり耳となり、共に翡翠の軌道に乗りたい。

 暗い荒野に浮かんだ翡翠の道標を、私は一心不乱に追い続けて、


 

 けれど翡翠の軌跡に乗れることはなく、全ては終わりを迎えてしまった。







 機械兵の屍が、窓ガラスの飛散した自宅に沈んでいた。

 

 ポタリと、赤黒い流血が右脚を流れ落ちる。

 水面が反響するみたいに、血だまりに音が鳴った。


「はぁ……はぁ……ッ!」


 私は肩で息をしながら、ダイニングの一角にずるずると背を預ける。


「私の本分は……サポートなんですがね……」

「だから、本体を襲われるとこうなっちゃうんだよねぇ~」


 三人官女みたく取り囲む機械兵の1体が、邪悪な笑声を遠隔に響かせた。


 ここに至るまでの帰結は平易なものだ。

 理人くんの散歩帰りを待っていたところ、どういうわけか機械兵に強襲された。すかさず臨戦するも、右脚を撃ち抜かれてしまったのである。


「A006の捕縛作戦も始まったからさぁ、大人しく人質になってもらおっか?レイちゃん♪」


 カチャリと、止めの銃口が私の額を覗く。

 その『いつか待ち望んだ』光景に、脳裏は実験棟の日々を過った。


 状況は既にチェックメイト。

 けれど、理人くんに遺せるものはある。

 まるで機械兵から逃れるように自然な形で背を向けて、胸元に空間ディスプレイを操作する。


「ん~?何をしているのかなぁ~?」


 私はただ、あなたに知って欲しかった。


 日常の温かさを。

 血の流れない退屈な日々を。


 きっと、あなたはそんなことを望んではいなかっただろう。

 それでも、今度こそ、あなたが幸せに生きられますように。


 そう願うのは、罪だっただろうか。


「あっ、向こうは失敗しちゃった。じゃあ作戦変更だね♪」


 とうとう、銃口の固い感触が私の背中へ王手を掛ける。


 何の躊躇いもなく、トリガーの音は耳元を囁いた。

 背中に針が貫くような微かな衝撃に、心は緩やかな死の気配へ浸されて、


 なのに、不思議と心臓を撃ち抜かれた感覚はない。


「……?」

 

 閉ざした瞼を徐に開く。

 別な銃声が、一室を響いた。

 目前を覆う機械兵が、ドミノ倒しみたくリビングを倒れる。


 そしてその向こうには、翡翠の両目が、息を切らして銃を構えていた。


「っぶねー……ギリギリじゃねぇか……!」

「理人……くん……?」


 なぜ、ここに。

 言葉が零れ落ちるより先に、目尻が温かく濡れる感触があった。


 少しずつ潤みゆく視界の中で、彼は苛立ちの混じった言葉を吐き出す。


「ガラクタ共ッ!レイに何してくれてんだッ!!」


 機械兵へと貫く愚直なる突撃。

 その軌跡は酷く拙く、不合理なもので、あの日の黄金比とは比べ物にもならない。



 それでも、今のあなたは以前よりも美しく、私の目を焼き焦がしていた。




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