表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/58

第4話 悪魔は深紅を帯びていつも傍に

 信用システム


 共栄都市を形作る三大システムの1つ。人間の評価を点数化する。

 資本力、道徳心、肉体スペック。

 あらゆる参照データに基づき、人間は命の価値を決定付けられる。


 基本的には、点数の高い者が中心街へ、低い者が外縁付近の歓楽街へ。

 点数順に、居住区域やサービスの質が変動する仕組みとなっている。


 システムという首輪があればこそ、人類は初めて、欲望を制御することができたのだ。


「う、嘘です……!理人くんが、こ、こんな……!!」


 酷く震えた冷声が、暗雲に揺れる海波のように激しく取り乱していた。


 際限なく見開いた青白い瞳が映すのは──血濡れのベッドを倒れた、漆黒のローブだ。

 その左胸には大きな風穴が開いていて、心電図の音は、もう聞こえなかった。


「……理人くんっ!返事を!!」


 朽ちた室内の外を木霊する爆音を背景に、無色透明の雫が空気を飛散する。


 主人の最期へ縋り付くメイドは、しかし、千手観音みたいに縺れ合う複数の腕に絡め取られた。


「じゃ……邪魔をしないでくださいっ!!」


 死臭の漂うベッドへと藻掻く真っ白な腕。

 胸部に膨らむメイド服のボタンが弾け飛ぶ。

 壁面にもたれた女医は乾燥した指先に葉巻を掴んで、とっぷりと、紫煙の香りを吐き鳴らした。


「君が連れて来た時には、眠り姫くんの心臓は半分抉れていたからね。こうなるのも当然だよ」

「……分かって、います!だから、せめて最後くらい──!!」


 もはや金切り声に近しい叫びが響こうとして──とそこに、ニヤリと、葉巻を口の端に咥えた白衣の女は、冷や汗を伝う口元を歪めた。


「──最後にはならないよ。上の決議が済んだ。眠り姫くんはまだ私たちに必要だし、脳の方も微かに息をしている」

「ッ……!!」


 ビタリと、衝撃を止む銀色の長髪。

 銀髪の奥に隠れた青白い瞳は、絶望とも希望ともつかぬ色に惑う。


「……リリーさん。それは、」

「──みんな。義体と義臓の準備を頼むよ」

「「はっ!!」」


 掛け声と共に、看護師たちはテキパキと動き出した。


 一体、どれだけの時間が流れただろうか。

 瞼はうっすらと開き、目元を暗く澱ませた銀髪を浮かべた。


「……! 理人くんっ!!気が付きましたかっ!?」


 翡翠の両目は、何も映さない。答えない。

 ただ、幽霊みたいに弱々しく起き上がる。硬いベッドに顔を伏せて、胸に垂れたペリドットのペンダントを握り締める。


「……ぁ……るな……」


 桜色の唇が吐き出す失われた呪文に、日は昇っては沈むことを繰り返して、


「理人、くん……?」

「……これは不味いね、アーシュリットちゃん」


 病室に取り残された3つの人影は、夕焼けの路地裏みたいに、それぞれの迷い道へ潜り込んだ。







 暗い水底に溺れた華奢な手が、空気の泡を求めて天井へと伸びていた。


「……はぁ……はぁ……ッ!!」


 川に流されたみたいに乱れ狂った呼吸が、口先から溢れ出す。

 目覚めた先は夜間で、月光だけが部屋を仄かに照らしていた。


「なん、だ……今のは……!」


 初夏の生温かい夜にぐっしょりと湿った身体をベッドから起こし、痛む頭を、はらりと抑える。

 既に夢の輪郭は、遠い記憶のように覚束ない。

 ただ、レイと白衣の女がそこに居て……俺は──


「死ん、で……?」

 

 ぞくりと、背筋が凍える。

 ぶち当たる思考の崖先には、一寸先も見えぬ闇が広がっていた。



 あり得ない。



 全身義体は、あくまでも延命に過ぎぬ処置だ。

 一度死んだ生命を復活させるなど──それは、神々の領域だ。


 詰まるところ、恐ろしいほどのリアリティに満ちたあの一幕は、


「……夢、か……」


 花畑に背中から倒れ込んだみたいに、呼吸がほっと静まる。

 断言できる。

 俺には、IDSシステム以外で死にかけた記憶などないのだから。


 それにそもそも、俺はIDSシステムによって3年後に目覚めたわけで──



──思えば、『その間』はどうしていた?



「……ッ!?」


 そんなの決まっている。

 ぐっと詰まった喉に生唾を吞み込む。

 俺はこの3年、白雪姫として眠ったままだったのだ。


 しかし──A006。太った男は俺を知った風な口ぶりで呼んだ。

 昨日に俺を襲った不良青年もそうだ。もっと言えば、彼らと知り合いと思しきレイも。首に提げたペンダントのことだって。


「俺は……何かを忘れている……?」


 呪いの古代遺跡に刻まれた文字を解読してしまったような感覚に、身体はそっと、深夜の街へと招かれた。



 考えるな。



 頭の片隅は自然と警笛を鳴らしている。

 頬に触れる金糸の触覚を揺らして、俺は憑りつかれた夢の光景を振り払う。

 

 やがて、足裏に砂利が擦れた。

 顔を上げれば、真夜中を静まり返った公園が映る。

 惑う身体は習慣に従って、軽いシャドーボクシングに平静を保とうとする。


 ジャブ、ストレート、フック……回し蹴り……



「回し蹴りッ!?!?」



 流星のごとく夜闇を切り裂く華麗なる蹴撃に、俺は片脚を持ち上げたまま、ピタリと固まった。



 一筋の冷や汗が、うなじから首を伝う。

 俺はボクシング専門だ。総合格闘技には手を出してない。

 だのに、この強烈な足技は──


「……試してみる、か」


 誰に言うでもなく、ポツリと零れ落ちる一言。

 心の赴くがままに、闘争へと身をゆだねる。

 足技どころか、あらゆる殴打が研磨された包丁のように鋭さを帯びている。


 それはまるで、3年間寝たきりだったとは思えない絶技だ。

 桜色の唇から洩れ出す呼気が、思わず高揚を荒ぶる。


 が──これの意味するところは、やはり空白の3年の間に何かが。


 底知らずの疑問は今度こそ両足を絡みついて、


「こんばんは、おにーさん!」


 深紅の瞳が、夜闇を浮かび上がった。






 深夜に似合わぬ無邪気な声が、やまびこみたいに真夜の住宅地を響き渡る。


「……?」


 目を向ければ、背丈の低い童女が、黄色いエプロンドレスに後ろ手を組んでいた。


「うん。おにーさんだよ!」


 少女は汚れを知らぬ赤子のように、こくりと、首を縦に大きく振る。

 明るい茶髪のツインテールを結ぶ青いシュシュが、闇中を踊り出した。


「浮かない顔して、どうかしたの?」


 俺は努めて頬を引き攣らせて、見ていると何故だか不安を帯びる深紅の瞳へ返した。


「……君の方こそ、こんな夜更けに外を出歩いちゃ──」

「っていうか、おにーさん見ない顔だね!もしかして、最近引っ越して来てたりする?」


 少女らしい強引な物言い。

 おもちゃの宝石が付いた靴が細い影を踏む。

 山中で遭遇した熊から距離を取るみたく、俺は無意識のうちに一歩後ろへ公園の砂利を鳴らした。


「あ、あぁ。そうだよ。つい1週間ほど前にね」

「そうなんだ!前はどこ住まいだったの?」

「前は……同じ第一区画だよ。実家があるんだけど、そこから」

「ふーん」


 ジロリと、金糸の長髪を見定める深紅の瞳。


 やがて──フリルに装飾した小さな肩が、初夏の湿気を落ち込む。


「他の区画から来てたら、あの事件のこと聞けると思ったんだけどなぁ~」

「……事件?」

「おにーさん知らないの?『第二区画で行方を眩ました、殺人グループのこと』」


 目が眩むような話だった。


「殺人犯が……逃げ切った?な、何かの間違いじゃないかな……」


 如何なる者であろうと、都市管理局から逃れられるはずがない。

 俺は身をもってそれを知っている。


 きっと少女は、何かを勘違いしているのだろう。

 俺は諭すように微笑みを浮かべたところで、


 ニヤリと、赤い三日月が闇に歪んだ。


「結構有名な話なんだけどなぁ、ほら見てよ、おにーさん♪」


 空間ディスプレイの青白い光が、公園を浮かび上がる。



『漆黒のローブを纏った双葉玲也』が、街の警備ロボ相手に跳び回っていた。



「な、に……?」


 食い入るように3歩迫る。

 ローブに隠れて判別し辛いが、間違いない。

 顔の作りから、身体つき。

 映像に映るその人は、何から何までが、ドッペルゲンガーを超えた本物の俺だった。


「怖いよね~、こんな人たちが、今も何処かに居るって思うと」


 何処か弾んだ高声が、耳に薄い膜でも貼られたみたいに上手く入って来ない。

 

 額から血を流した青年を、肩に担ぐ俺。

 俺の世界を1点に凝縮する、薄桃色の髪の少女。


…………やはり、俺はこの3年の間に、


「気になるなら、この映像あげよっか?調べても今はもう出てこないだろうし」


 ふっくらとした右手が、いつの間にか背後から肩を響く。

 死神に目を付けられたみたいな悪寒が突き抜けて、俺は思わずバッと翻った。


「あ……ありがとう……」

「じゃ、そろそろ夜の散歩終わりだから、私は帰るねっ!」


 夢の世界から躍り出たような黄色いエプロンドレスは、曲がり角の奥へと消えた。


「……俺も帰るか」


 間隙あって、なぜだか安堵に洩れ出した吐息。

 深夜に落ちた人影は、マンションへと重い足取りを向ける。



 だから、曲がり角から『深紅の瞳』が覗いていることにも、俺は気が付かなくて、



「こぉ~んなところに居たんだね……A006♪」



 キャハハと薄ら寒い笑声が、星もない夜の街に溶け込んだ。




 次は11月6日の木曜日に投稿します。

 それでは、また次話でお会いしましょう!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ