第3話 箱庭の侵略者
都市議会
共栄都市の最高機関であつて、都市唯一の立法機関。
満18歳以上の普通選挙により選出された議員が、共栄都市を動かす。信用システムも相俟って、人類史上最も清く正しい都市運営だと呼び名も高い。
そんな彼らの思考が、人工知能によってコントロールされていることも知らずに。
「六ちゃんいくよー!」
薄闇の映画館を照らすスクリーンが、ア涸れた街並みを映し出していた。
気が付くと、俺は人っ子一人居ない観客席で、くるりと踊る紺色の制服を見つめている。
「……えいっ!」
チャッカマンに火を灯す華奢な手。
家庭用の小さな打ち上げ花火に触れて、奇妙な掛け声を鳴らす。
とてとてと、少女は小鳥のような足取りで逃げ出した。
パンと乾いた音が心臓を轟いて、色とりどりの火花は、都市の夜景みたいに夕闇へ散る。
「わっ!」
自分で打ち上げた癖に、大袈裟にローブへしがみ付く子犬。
画面の中でフードを被った俺は、仄かに眉間へ皺を寄せる。
「わざわざくっ付くな」
浅く吐き捨てれども、振り払うことはない。
なんだかんだと言って、彼女が大切だと知っていたから。
程あって、しゃぼん玉の香りがひょこりと覗いた。
「六ちゃんって、花火好き?それとも大っきい音は怖い?」
「この程度を恐れる理由がないが」
「じゃあ、いつか一緒に本物の花火見に行こうねっ!!」
ほわほわと快活に浮かぶ笑顔が、わたがしのように口を甘く浸す。
「まぁ……機会があればな」
「ぜったい約束だよ!」
指切りげんまんみたいに、器用に伸びる薄桃色のアホ毛。
俺は思わず観客席を中腰になって、小指を伸ばし──
──生気のないアメジストの瞳が、生首に弾ける。
「……ぁ……!」
待ってくれ。
観客席から中腰になって、バッと腕を舞台へ伸ばす。
けれど別世界に手は届かず、アメジストの太陽は光の粒子によって消えていく。。
やがて舞台は塵も残さず空虚に染まり、映画館の薄闇は黒い津波に呑み込まれて、
最後に闇中を光ったのは、無感情なコバルトブルーの瞳だった。
色白い右手のひらが、夏の暗がりに陰る天井を掴もうとしていた。
ばたりと、右腕は電池が切れたようにベッドに倒れ込む。
夢の糸口は濃い霧中に隠されて、もう、追い掛けた輪郭を思い出すことはできない。
目尻が湿って、頬を伝うった
「……理人くん?」
部屋に立ち入った青白い瞳は、ベッドに膝を抱える金糸の長髪を映し出す。
暫し、レイは唖然としたように豊満な唇を開いていた。
やがて、雪のような右手が、わしゃわしゃと頭に柔い感触を告げる。
「……大丈夫……大丈夫ですよ。この世界には、もう、何も怖いことはありませんから……」
冬の晴れ日に陽だまりを浴びたような感覚に、ピタリと、身体の震えが止まった。
ゆっくりと、伏せた顔を上げる。
メイド服に白いフリルを付けた右手が、ひやりと俺の手を引く。
「さぁ、まずは朝ご飯にしましょう」
導かれるがままに部屋を発ち、向かい合わせに食卓へ腰を下ろした。
レイは良く焼けたトーストをはむりと咥えて、事務的な冷声を弾ませる。
「さて、今日はどうしましょうか?」
「……」
返事が喉を通らない。
とすると、膨らんだ胸元を結ぶ赤いリボンの前に、人差し指が1本立つ。
「では、理人くん。ここは1つ、気分転換にデートでもしましょうか」
ガラス窓に開放的なブティックが、空間ディスプレイに満ちた歩行者天国を清廉と並んでいる。
俺達の住むマンションからは少し外れた、第一区画の下町エリア。
買い物帰りにレイが導いた先では、若者がファッションショーみたく気取って華々しい気配を自慢し合っていた。
「折角ですし、カフェでもどうですか?」
斜め前を歩く白黒のロングスカートが、ふわりと花弁のように揺れる。
淑女の所作が、買い物袋を両手に抱えた俺の腕をひやりと絡めとった。
軽やかなドアベルが耳奥を弾む。
爽やかな自然光に溢れた店内では、幾人もの客が優雅なコーヒータイムに興じている。
「いらっしゃいませ、お客様」
お盆を両手に、ペコリと頭を下げるウェイターなアンドロイド。
俺たちは店内の一角へと案内されて、空間上に浮かぶメニュー表に固い音を響かせる。
「こちら、エスプレッソマキアートとドリップコーヒーになります」
銀髪に隠れた青白い瞳が、穏やかに笑声を洩らした。
「理人くんは、甘いものがお好きですか?」
「……そう言うレイは、苦いのが好きなんだな」
「理人くんはお世話のし甲斐がありますからね」
「そりゃ悪い」
「いえ。理人くんに仕えることが、私の全てですので」
上品に口元を手のひらに隠すレイ。
その過激な言葉が冗談だと分かるから、自然と、頬が持ち上がる。
胸を巣食う空虚が埋まったわけではないが、それでも、気分は少しずつどん底から階段を登っていた。
「そう言えば、レイって幾つなんだ?」
「理人くんとそれほど変わりませんよ」
「そろそろ、ボクシングジムに通いたいんだけど」
「まだ我慢してください。あまり目立っていただくわけにはいきませんから」
店内を流れる穏やかな曲に、口々と弾む会話。
鼻腔を抜けるコーヒーの香りはみるみるうちに嵩を減らし、さて、もう一杯頼むとするか。
俺は色白い指先で、机の左に浮かぶメニュー表を叩こうとして、
ドスの効いた声が、柔らかい雰囲気を粉々と砕き割った。
「──やっと見つけたぜ……!」
積年の仇を見つけたみたいに、荒々しい声だった。
緩んだ店内の空気が一気に緊迫する。
チラリと視線を向ければ、逆立った赤髪の剃り込み。燃え上がる赤の瞳。
入り口付近に立つ如何にも不良な青年は──キッと、鷲のように鋭い視線をこちらへ射抜いた。
「おい」
横柄な足取りが、ピアノの重低音みたいに店内の白い床を踏み鳴らす。まさかこちらに来ることはないだろう。
「久しぶりだなぁ……!!」
人一人を簡単に殺せてしまいそうな鬼神の眼光が、間違いなく、俺個人へと向けられていた。
なぜだ。地球が一周回るだけの間を置いて、頭の歯車はぎこちなく動き出した。
「ええっと……どちら様で?」
こんな不良とは面識もない。
出来る限りの友好的な笑みを引き攣らせて、金糸の触覚を横に傾げてみる。
バシンと、軍人みたいに引き締まった両腕が、白の机を叩き割る。
「あァ?オレとテメェの間にどちら様もクソもねーだろうがよ!」
あるから困っているのだ。
俺は心の内で、頭を抱えて激しく揺らした。
「……あぁ……そうか。テメェ夢見てやがんだったな……」
程あって、不良青年はガシガシと燃えるような刈り上げを掻き毟る。
尻目に覗くも、レイは青白い瞳を丸く見開いて固まっていた。
監視者は頼りにならなそうだ。
仕方がないので往生際悪く首を左右に振るも、大人とはやはり薄情なもので、周囲のお客様は対岸から望遠鏡を覗き込んでいる。
「テメェはいつまでこんな肥溜めでイジけてるつもりだ!?サッサと戻ってこいやコラッ!!」
ぐわりと、胸倉を握り込まれる。
サイボーグ化でもしているのだろうか。
服の下に黒いアンダースーツを覗かせる不良少年は、たったの片腕で俺を宙に釣り上げた。
「や……やめてください!!」
とそこでレイは時の呪縛から放たれて、真っ白な腕を伸ばした。
「うるせぇアーシュリット!オレはコイツと話してんだよッ!!」
華奢な身体が、背中から机とぶつかりあう。
コーヒーが水面に揺れて、カップは音を立てて床に砕け散った。
微かな悲鳴が周囲をざわついて、レイは頭を抑えながら呻きを零す。
「ぅ……」
その瞬間、頭の中は、火山が爆発したみたいに赤く燃え上がって、
右拳が固く握り込むも──更生プログラムの減点だ。
「……ッ!!」
頭に過った可能性に、右腕は糸で雁字搦めになったみたく硬直する。
とそこで、警備ロボットが現場に急行した。
「……タイムオーバーかよ」
ブンと、紙飛行機のように投げ出される身体。
頬に金糸の触覚を揺らしながら、俺はたたらを踏む。
アクション映画さながらの跳躍が、群がる警備ロボットの頭上をアッサリと越えた。
「オレァ認めねーぞッ!あんな形で逃げ出してんじゃねェ!!」
負け犬の遠吠えに似た声が、颯爽と店内から飛び出していく。
「なんだったんだ……」
緊張に静まる店の中、割れたコップの破片だけが、その場に取り残された。
次は月曜日。




