第15話 ゲームオーバー
死の荒野『デッドゾーン』
生命の墓場。
汚染ガス『PZ305』に侵された空気が大地と大空を蝕んでいる。
当然ながら、そこに生きている生命体は存在しない。
流刑地でもある死の荒野には、ゴミ山を漁り、屍のように藻掻く者達がいる。
汚染ガスに侵されて死ぬか、それともクロガネの悪魔に殺されるか。
どちらにせよ、彼らに待つ未来は死、のみだ。
……汚染ガスの適応者。彼らはsoの代カとシiててて■■■■■……閲覧不可。エラーが発生。修正を求ム。
天から降り注ぐ光の粒子が、乳白色の右手を掻っ攫っていく。
華奢な手はメカニックな部品を手首に覗かせた。
アルナは純白のドレスの裾を芝生へとしゃがみ込み、バッとハーフアップに纏まる薄桃色の髪を持ち上げ、白亜の巨塔を見上げる。
俺は釣られる形で背後を見上げ──
薄い水色の髪を揺らす修道女が、詰まらなそうに中階から狙撃砲を覗いている様を目撃した。
「あれが……ゼウス……?」
恐ろしいほどの美貌に、図らずも、意識が吸い込まれる。
反して青白く染まったアメジストの瞳は、一目散に俺へと駆けた。
「ろ……六ちゃん!!」
気が付くと、俺は重く吹き飛ばされていていた。
解き放たれた光の束は、阿呆の左脚をドレスごと貫く。
血濡れの芝生を転がり込む華奢な身体。
手首から先を失った腕が、溢れる津波から逃れるように、這いつくばったまま震える。
深海のような青い瞳が、再びスコープを覗き込んだ。
「あ……アルナッ!!」
芝生に倒れた身体を素早く起こし、柔らかい芝生を蹴り飛ばして手を伸ばす。
無情にも、レーザー砲は空気を轟く。
が、俺は華奢な左手をグッと掴み寄せ──燃えるように熱い身体を、締め壊す勢いで強く抱き締めた。
「う˝……!」
苦しそうに耳元を撫でる呻き声。
しゃぼん玉の香りが鼻腔を雪崩れ込んで、バクバクと、1つだけ心臓がうるさく響く。
玉のように汗を噴き出した小顔が、子犬みたいに胸元から飛び出す。
「ん、へへ……」
ごぽりと、薄桜色の唇は血に溺れた。
ローブの胸元を温かく浸す感覚。
どこか、怪我をしたのか。
霞んだアメジストの瞳を覗きながら、俺はそっと、純白のドレスを支える右腕を緩めて、
真っ赤に染め上がった、己が右手を見た。
「…………は?」
ドレスを焼け爛れた胸部は風穴を開いて、向こう側の景色を映している。
……なんでだ。間に合ったはずだろ。
サッと冷え切る脳内に、微塵も動かせぬ身体。
薄桜色の唇が、そっと迫る。
「……六、ちゃん……」
柔らかい唇の感触は、鉄錆の香りを口内へと伝えて、
「もっと……したかった、なぁ……」
それが最後。
ぐったりと、薄桃色のハーフアップが肩にもたれ掛かる。
甘い息が首筋を撫で消えた。
鼓動の音が、空洞を吹き抜ける風音に吞まれる。
「…………アルナ?」
鉄のように冷え切った身体は、澄んだ鈴の声を返さない。
……落ち着け。大丈夫だ。まだ間に合う。
悴む手先を張り詰めて、純白のドレスをそっと大地へ下ろす。
重ねた両手で緩く膨らんだ胸を圧迫して、心肺蘇生を試みる。
けれど現実は、芝生の感触ばかりを受け取って、
漆黒のローブに隠れた両膝は、血のオイルにぬかるむ芝生に波紋した。
ポツリと、黒く濡れる石畳。
たちまち雨脚が強くなって、血と泥に汚れた純白のドレスは洗い流されていく。
震える手先を伸ばして、もう何も映さぬアメジストの瞳を、静かに伏せてやる。
せめて、せめてもう一度だけ、華奢な身体を抱き締めて、心音を確かめさせてほしい。
暗雲に覆われた空の下、俺は幽鬼のように広場を立ち上がって、
落雷にも似たレーザー砲が、阿呆の首を砕き割った。
「は……?」
宙を撥ねるアメジストの瞳。
次なるレーザー砲が迫る。
反射的に大地を蹴り上げ──左肩に熱い感触を掠めながら、胸の中に守り抜く。
けれど俺の努力を嘲笑うかのように、無数の光は雨粒のごとく振り落ちる。
血濡れの芝生に倒れた華奢な身体が、白光に蒸発していく。
「や、めろ……!!」
頼りなくか細い声は、雨音に吞まれて天には届かない。
焦げ臭い大地に取り残されたのは、ペリドットのペンダントと、ネジの破片ばかりだ。
深海のような瞳が、白亜の巨塔から俺を見下ろしていた。
「──ッ!!!!」
湿った風を浴びる身体が爆竹を弾ける──とそこに、環状壁の大扉が開く音がした。
漆黒の籠手が、ぬっと扉の向こうから飛び出す。
少数精鋭を率いた漆黒の鎧は、血肉に染まった惨状を前に立ち止まる。
「理人、くん……」
そっと、肩を叩く漆黒の籠手。
俺はゆっくりと、ローブに守り抜いた阿呆の生きた証を差し出す。
「……レイ。アルナを……丁重に、葬って……やってくれ……」
「……はい。確かに」
俺は引き攣る喉を呑み込むように、翻って広場の彼方を指差した。
「ユンジェもそこら中に転がっている。回収次第、貴様は地底の街へ撤退しろ」
「……六月一日隊長は」
「ゼウスを破壊しに行く」
表面だけが冷えた溶岩が、フードの底から溢れ出す。
芝生に残されたペリドットのペンダントを拾い上げ、胸元に結んだ。
ほんの僅かな静寂が流れて、見上げる兜が、小さく頷く。
「……それが理人くんの選択ならば、私は従います」
俺は雨にぬかるむ大地を蹴り上げ、沸騰した身体をセントラルタワーへ投げ込んだ。
ガラスの螺旋階段を阻むハイエンド兵が、酒気に溺れたみたく段坂や踊り場に崩れている。
ぼたりと、足跡みたいに階段を濡らす赤黒い血。
四肢を貫く無数の刃。
潰れた義眼に、抉れた肩部に。
それでも俺は、ヒートソードの切っ先を床に引き摺る。
胸に垂らしたペンダントを握り締めて、最上階へとセントラルタワーを彷徨う。
「ゼ、ウス……!!」
血を伝う口の端に犬歯を剥き出しにすれば──上階から、機械兵が降下する。
「……邪魔だ」
千切れる寸前の右腕で、鉄槌を受け止める。
気を抜けば闇に足を取られそうな身体を操り、ヒートソードを頭蓋に突き刺す。
機械兵は次から次へと現れる。
俺は全身を手負いの猫みたく逆立て──赤ばかりを映す潰れた右の義眼を、カッと見開く。
「邪魔だぁぁぁあああああッッ!!」
胸底から咆哮する灼熱。
俺は猪突猛進に螺旋階段を駆け上がる。
やがて到達した最上階の扉前には、深紅の瞳がご機嫌に歪んでいた。
「ようこそ最上階へ!A006♪」
ギロリと、眉間に力を込める。
「失せ、ろ……今は貴様に、用はない……!!」
「べつに良いよー!あとはマザーに任せちゃうから!!」
マーシャはスキップでも踏むみたいに肩を追い越した。
俺はふらりふらりと、両開きの扉に手を掛け──思い切りぶち壊す。
待ち受ける青の瞳は、羽虫でも見るみたくボロ絹となった漆黒のローブを映した。
「──懐かしいね」
一枚絵みたいに、修道服の少女は無機質な一室を佇んでいる。
「こうして漆黒のローブが目の前を現れると、どうしても1年前を思い出してしまうよ」
「貴様が……貴様がゼウスか……ッ!!」
創り上げられた黄金比の美形が、静かに頷く。
「そうだとも。ボクが君たちの言うゼウスだよ」
俺は迷うことなくヒートソードを上段に振り上げた。
「貴様ぁぁぁあああああッッ!!」
「手が早いね、A006」
淡々と響く美声が、陶器のような人差し指をただ1本だけ構える。
振り下ろした剣先は、人差し指に粉々と砕け散った。
ヒートソードの切っ先が、宝石のように輝いて無機質な一室を消えていく。
それはまるで、ダイヤモンドにでも突撃したかのような感覚だった。
けれどその結果をもたらしたのは、ただの人差し指1本だ。
「なん、だと……?」
食い止められた全力の一撃に、赤く燃え上がる頭は真っ白に染め変わった。
「A006、少しは落ち着いたらどうだい?今日は気分が良いんだ。冥途の土産を選ぶ時間はたっぷり取っているよ」
「ならば……その命を寄越せッ!!」
バッと、ローブの底から小銃を突き出す。
深海の瞳は紙一重に弾丸を潜り抜け──鋼鉄の拳が、潰れた右の義眼を弾け飛ばす。
「が、ぁぁ……!?」
思わず右眼を手のひらに抑え込んだところ、深海のように青い瞳がゆるりと伏せた。
「……あまりにも馬鹿だから、1つ教えてあげようか。ここにボクの本体は存在しないよ」
「な、に……?」
「普通に考えたら分かることじゃないか。こんな高所に、精密機器を置くはずないだろう?」
ため息が最上階を響いたと思ったら、激熱が右肩を走った。
「ッ……?」
ふわりと、頬を撫で抜ける半透明な水色の長髪。
気が付くと、ゼウスは俺の背後を緩慢に歩いている。
その手には、『無理やり引き千切られた左腕』がトカゲの尻尾みたく痙攣していた。
「ぐ、おぉおお……ッッ!?!?」
理解した途端──脳細胞を押し寄せる痛苦の波。
反射的に左肩を抑え込む。
夥しい赤がべちゃりと無機質な床を彩って、皮膚という皮膚から汗粒が吹き出す。
絹の修道服に覗く真っ新な素足が、捩じり切った俺の左腕を踏み付けた。
「これが力の差というものだよ、A006」
ぐしゃりと骨のひしゃげる音に、幻の痛みが左半身を走る。
深海色の瞳は王者のごとく、蹲る俺を見下している。
「キミの攻撃は、何1つとしてボクには当たらない」
「世界の全ては予定調和であり、ボクには見通せるものでしかないからね」
未来が、見える……だと……?
「もちろんだよ。例えば──」
恐ろしいほどに滑らかな指先が、壁面に囲まれた室内の一角を見定めた。
「──彼女が、キミを助けに来ることもそうだ」
瞬間、眩い光が、地表を噴き出すマグマみたいに壁面へ亀裂を走った。
「理人くんッ!!」
セントラルタワーの外から轟く事務的な冷声。
合わせて、不意のレーザー砲が──最上階の壁一面をぶち破る。
文句の付けようがない、完全なる不意打ち。
だのに、薄い青の髪はその1本すら焼き焦がさせない。
ゼウスは壁に掛けた砲撃を掴み、ジェットパックを展開した漆黒の鎧をシューティングゲームみたく撃墜する。
「れ、レ……イッ!」
「理人く──」
ぶわりと黒煙を噴き出し、全身鎧は宙を落下していく。
青い瞳が振り返って、壊れた壁面の外へと手を伸ばす俺を捉えた。
「さて、予定されていた計画もこれで終わりだ」
着々と踏み寄る終焉。
俺は半壊したヒートソードを床に突き立て、けれども、力はもう入らない。
床に崩れ落ちることへ抗うように、ヒートソードを思い切り投擲する。
「往生際が悪いね」
言いながら迫る修道服に──ぺっと、俺は唾を吐き捨てた。
一撃を緩やかに躱した陶器の頬は、べたりと、ガムをへばり付いたみたいに濡れる。
ゼウスは血の混じった痰を指先に撫でて、透き通る水色の髪を傾げた。
「これは……なんのつもりかな?」
「く、く……くっくっく……!」
なんとも情けない姿だ。
手足の感覚が冷え切った身体が、嘲笑を溢れ出す。
「未来が、分かる……だと……?貴様は、俺が唾を飛ばすことも……分かっていたか……?」
無表情が固く強張った。
俺は重い瞼を持ち上げて、荒い呼気に深海の瞳を睨み返す。
「分かっていて、避けてないのならば……流石は、鉄クズだ……人と違って、傷付く誇りも持っていない、らしい……」
端正な眉毛が、ピクリと動く。
俺は壁面に背を預けながら、更に右腕の人差し指をぐっと突き付ける。
「ゼウ、ス……ッ!未来見える、などと……貴様のふざけた妄想を──」
ズドンと、鳩尾が、熱い感覚に突き破れた。
「が……は……!?!?」
喉をせり上がる生温い感触。
続けて黒ずんだ赤が口から溢れ出し、ズボリと、陶器のような腕が抜き取られる。
身体の芯に空洞が開いて、バタリと、俺は床へうつ伏せになった。
「A006、調子に乗り過ぎだよ」
ゴミ袋を持つみたく、滑らかな手先は漆黒のフードを抓み上げる。
壁面に空いた穴から、ポイと、俺を投げ捨てた。
「ま……て……お、れ……は……!!」
冷たい雨風を浴びながら、俺は逆さに見上げる最上階へと手を藻掻く。
けれど、青い瞳はもはや俺を映していない。
それが俺という人間の結末であるかのごとく、目に映るすべてが覚束なく消えていく。
そして最後に映り込んだのは──胸元を光る、ペリドットのペンダントで、
「ご……めん……あ、るな……」
視界の端より這い寄る闇が、命の灯火を掻き消した。
『やがて死に至る病』・完
次回の投稿日は明日です。
それでは、また次話でお会いしましょう!




