第8話 あなたの愛した贋作
号外 『ジャック総統の裏切り。我らが聖女様はまたもご活躍!』
先日、ジャック総統の自白と破壊工作により、我らが総統がMCに与する人工知能であったことが発覚した。
しかしその同日に、我らが新たなる英雄であり聖女でもある六月一日理人がジャックを討伐。アドラの破壊に続き、彼の活躍は目覚ましいものである。
先のマーシャ強襲の元凶を食い止めたこともあり、住民からの期待や支持も厚い。彼が新たなる総統の地位に就くのだろうか。
今後我々がどのような舵取りを行っていくのかは、幹部会議を経て近日発表すると、ハサン氏が述べている。
赤い飛沫が、花吹雪のように執務室を舞い散る。
じわりと赤く浸る灰色の絨毯に、間隙、身体が硬直した。
ジャックは自死を選んだのだ──。
理解に至った途端、俺は床を蹴飛ばして、倒れた筋肉質な背広を見下ろした。
「……貴様ッ!!」
ひび割れた水晶みたく、灰色の瞳は朦朧と呼気を鳴らした。
「もう、充分だ……既に、実験は完遂した……」
「……なんのことだ!」
「人類進化の条件も、分かっている……私のやるべきことは、すべて……」
乾いた唇が血色に濡れて、微かに引き攣る。
「社会構築の果てに待つものは、王者の象徴化……」
「……象徴化された偶像が、人間……?馬鹿を、言わないでほしい……私たちは、失敗作だ──」
小刻みに震える腕がフードの裾を触れる。
その瞬間、暗号化された行動原理が、微かに水面を透き通った気がして。
「クックック……死の谷底から君の英雄譚を見上げているよ、A00、6……」
灰色の瞳が、光を失った。
「……クソがッ!!」
サッカーボールみたく、鋼鉄の肉体を重く吹き飛ばす。
ごろりと転がる勝ち誇ったような顔は、仰向けに暗い木目の天井を見上げた。
「……ぐ……ぅぅ……こ、これは……!!」
とそこで、野太い呻き声が背後を響く。
廊下の壁面に項垂れた巨体はゆっくりと額に手を当てた。
脂肪に弛んだこげ茶色の瞳は──血だまりに沈むジャックの姿に、カっと見開く。
「……じゃ、ジャック総統!!」
ドタドタと、豚の鳴らすような足音。
カーキ色のオールバックを見下ろす丸い顔は、ホッと安堵したようでもあり、また、影を帯びているようでもあった。
「……貴様が成敗してくれたのか、A006」
「残念ながら、コイツの自殺だ。してやられたといったところだな」
眉間に皺を寄せて、舌打ちを響かせる。
ハサンは転がる拳銃を映し、納得したように軽く頷いた。
とそこに、背後から3つ目の足音が乱れ入る。
「む、六月一日、隊長……遅れて申し訳……ございません……」
「レイか。遅かったな」
両膝に真っ白な手を当て、ぜぇぜぇと柑橘系の香りを振り撒く銀色の長髪。
大汗を滴るその姿に、メイド服を纏う者としての体裁などありはしない。
「これから……我らはどうしたものだろうな」
総統の死体を前に、人影が4つ立ち尽くした。
ジャックの自殺から数日、廃れた地底の街は、混沌と酒気や紫煙に溺れていた。
我々を死の谷底へと追いやる悪魔の正体が、ジャック総統であったという事実は、地底人たちを絶望の奈落へ叩き落としたらしい。
「クハハッ! 我がいま向かおう──」
そんな中でも相変わらず、桃色の瞳は妙なポージングを気取って避難所を奔走していた。
無差別爆破により、天井に大きな穴を開いた訓練場。
段ボールで簡易的に区切られた世界で、中二病は今日も今日とて除菌スプレーを二丁拳銃に構える。
「おい、ユンジェ」
声を掛ければ、胸元を飾る骸骨のペンダントが即座に振り返った。
「クックック……聖戦を導くジャイアントキラー……貴行は我に如何なる願いを欲するか」
「妙なあだ名を付けるな。後ろを向いてみろ」
「?」
痛々しく改造された制服が背を向ける。
俺は右手を伸ばし、埃みたいに極々小さな発信機を剥がす。
「裏切り者探しに、貴様らには発信機を付けておいた」
「ほう……貴行は探知の魔術師でもあったか」
「へぇ。眠り姫くん、ユンジェくんのことを疑ってたんだ」
落ち着いた声に振り向けば、下瞼を刻む黒い三日月が、また白衣に皺を増やしていた。
「アイツに限った話ではない。可能性がある奴には、洩れなく探知機を仕掛けておいた」
風邪に寝込んだガキを診察するリリーへと、淡々と返す。
漆黒の眼差しは斜陽を帯びて、泣き叫ぶ赤子を抱いたユンジェを映す。
「それはご苦労さま。でも、あの子に限って裏切りなんてことはあり得ないよ」
「随分と見知ったような言い方だな」
「それはもちろん。元カミキリ病患者と主治医の関係だからね」
またその単語が出てきた。
確か、アレックスがマーシャに仕込まれたウイルスだったはずだ。
「かつては人間を死へ至らしめた殺人ウイルスだよ。今はもう、予防ワクチンがあるけどね」
「ユンジェくんは、元々共栄都市の住民だったんだ。私も昔はスパイをしていて、要するにそういうことだね」
あまりに自己完結的な一言に、リリーは悪夢にうなされたガキへ氷袋を当てた。
思いがけず中二病のルーツを知りつつ、時刻は既に午後3時30分。
空間ディスプレイを収納し、本部へと戻る。
「では、第5回臨時会議を開こうか」
野太い声が、鍋奉行みたいに会議室を取り仕切る。
今は亡き総統席に着く者は──誰も、居ない。
ジャック死亡より、幹部共は日夜会議室で議論を積み重ねていた。
と言っても、結束力は以前と比べて脆い。
1つ方針を挙げては、賛成反対あれこれ言いたい放題。
次なる総統の座を狙わんと、タヌキの皮算用を始める奴まで現れる始末だ。
それでも、ゼウスという脅威が目前に迫っているからこそ、レジスタンスはなんとか形を保っていた。
「──現状、A006の求心力は強固だ。特殊部隊を維持する予定だが、異論はあるだろうか」
アドラ破壊。
聖女の正体発覚。
そしてジャックの打倒。
俺という異物を華々しく描く号外が、円卓の中心にホログラムとして浮かび上がる。
綴られた文字から滲み出す手のひら返しの歓声。
薄気味悪さがひやりと背筋を撫で、口の中に舌を鳴らす。
同意、不服、沈黙。
席に着いた幹部どもは三者三葉の表情を覗かせつつも、合議の場で静かに頷いた。
「よかったね、六ちゃん!!」
特殊部隊の存続に一息つく間もなく、議題は忙しなく消化されていく。
「よし。では次の議題は──MC破壊作戦についてだ」
その一言には、流石のアホ毛も固く凍り付いた。
──俺達の最終目標である、MC及びゼウスの破壊。
ジャックの死骸から、既にMCの居場所は読み取っている。
共栄都市セントラルタワー最上階こそが、決着の舞台だ。
「利用するべきは、かつてA006が出入りしていた抜け穴で──」
それは決して、他人事ではない議題。だのに、脳みそは情報を上手く言語を処理してくれない。
海に潜ったような耳鳴りの音だけが、キンと汗の滲む額を流れる。思考が靄となって身体を纏わりつく。
「……六ちゃん?」
気が付くと、人工光に赤く浸る会議室は、俺とアルナを残して閑散としていた。
西日に浸るローブの影。
鼠色の絨毯床へとゆらし、ちょこんと席に座った子犬を見下ろす。
「……帰るか」
「じゃ、お散歩行こっ!」
アメジストの瞳がキラキラと輝いて、俺の右手をふっと掴んだ。
太古のトンネルみたいに黒焦げた螺旋階段が、汚れた壁面に足音を木霊している。
岩壁の階段を登り切れば──人っ子一人居ない商店区が、爆発魔の爪痕を残して沈んでいた。
「かなり、復興も進んでいたんだがな」
夕陽色が人影を2つだけ伸ばす街並み。
華奢な両手が、紺色のスカートをぎゅっと膝上に握り締める。
「……ごめんね、六ちゃん」
「貴様のせいではない」
お互いに失くした言葉。
細かい瓦礫が足先にぶつかって、商店区の残骸へと転がり込む。
大地震に崩れ去ったような街並みが、暫し無言を湛えた。
「……ねぇ、六ちゃん。『規格外』って、なんだったのかな」
「ゼウスにとって計画の障害となる奴らを選定したらしい。だから、俺たちは人工知能共に命を狙われる」
レイから得た情報を横流しすれば、ピクリと、華奢な肩は小動物みたいに慄く。
「貴様にしては目敏いな」
「……そう、かな」
薄桜色の唇が仄かに引き攣って、橙色の光に影を落とした。
コイツのそういう表情は気に喰わない。
共栄都市でのことを、嫌でも想起してしまう。
俺は無言で瓦礫を蹴散らし──乳白色の頬を、餅を搗くみたいに思い切り引っ張ってやった。
「にゃ、なにぃしゅるの……!?!?」
長いまつ毛が、ぱちりと大きく瞬く。
「貴様はいつもみたいに笑っていろ。暗い顔は似合わん」
面倒モードの阿呆へ変身される前に予防接種を打ち込む。
俺は柔らかい感触を指先に揉みしだきながら、フードの底から淡々と返した。
次第にすべすべとした頬は仄かに赤く染って、ぱぁっと、丸い弧を描く。
「うんっ!!」
水を浴びた雑草みたく、すっかり活力を取り戻したアホ毛。
華奢な手は俺をぐいと引っ張って、瓦礫の街並みを駆け出す。
「おい!貴様はそろそろ緩急というものをだな──」
「良いじゃん良いじゃん!お散歩楽しもうよ!!」
夏休みにド田舎を訪れたガキみたく、薄桃色の髪は何も残されていない商店区を踊る。
とすると、妙に光を放った傾いた店を見つける。
「あれ?お店やってるのかな??」
ライトトラップに引き寄せられるように、軽快な足取りは店内へと飛び込んだ。
そして小さな手は俺の腕から離れ、ショーケースに指紋を押し込む。
「わっ……綺麗……」
ガラス越しに輝く光り物の数々に、憧憬に似た嘆息が無人販売店を浸した。
「欲しいのならば、買ってやっても構わんが」
「え?良いの??」
「貴様には、マーシャ強襲の際に助けられたからな」
「わーいっ!!」
アホ毛は犬のしっぽみたいにぶんぶんと揺れて、ショーケースの周りを小走りした。
やはりコイツは、阿呆っぽい笑顔をほわほわと浮かべているに限るな。
背伸びしたり屈んだり、アルナはショーケースをじっくり見渡したところで、
「あっ、でもこれ、偽物なんだ……」
燦燦と輝く太陽が、暗雲を立ち込める。
「偽物の何が気に喰わんのだ」
「……本物じゃなきゃ意味ないじゃん」
「宝石の輝きに変わりはないだろう」
浅くため息を吐いて相槌を打つ。
アメジストの瞳は長らく俯いた果てに、おずおずと、不安を帯びた色に俺を見上げる。
「六ちゃんは……偽物でも、嫌いじゃないの?」
「まぁ、どちらでも構わんな」
食えればいい、着れればいい。
廃都市での経験は、今もこの胸に宿っている。
ポツリと言葉を返せば、ほんの少しのラグがあって、パッと快活な笑みが張りつく。
「じゃあ……買ってもらおっかな!せっかく六ちゃんがくれるんだし!!」
他人の財布をATMか何かだと思っているのだろうか。
乳白色の右手は、透き通った黄緑色を夕陽に反射した。
「六ちゃん色にしよっと!!」
選ばれたのはペリドット。
不思議と心の安らぐ色合いだ。
無人レジに通し、一足早く店先に出た阿呆へ差し出す。
「受け取れ」
アルナは薄桃色の髪を翻し、両手を後ろに組んで前のめりになった。
「六ちゃん六ちゃん!わたし、ペンダント付けて欲しいな!!」
「……貴様はどこまでもつけ上がるな」
フードの底に悪態を零し、一歩前へ出る。
両手にストロベリーブロンドの毛先をそっと掻き分け、お椀を描くみたいに乳白色のうなじをなぞる。
「……んっ」
その度にビクリと震える華奢な身体。
鼻腔を抜けるしゃぼん玉の香り。
くすぐったそう鈴の声がはしゃいで、耳元を小さく囁く。
「……おい、動くな。やりにくいだろう」
「だって、六ちゃんの手触りえっちぃもん……!」
ビタリと、両手が凝り固まった。
間隙、互いを映し合う翡翠とアメジストの瞳。
ぎこちなく、けれども即座に留め具を結んで、俺は漆黒のローブを翻す。
尻目に浮かぶピンクの悪魔は、首から垂れたペンダントを雪の花束に揺れるみたくそっと両手に掬い上げる。
「んへへ……ありがと、六ちゃん!!」
ほわほわと快活な笑みが、夕刻を茹だる真夏に染め上げていた。
次回の投稿日は10月14日の火曜日となります。
それでは、また次話でお会いしましょう!




