第2話 悪魔の証明
新聞社『太陽新聞』
地底の街における情報伝達を担う組織。
商店区に拠点を構え、構成員は100名ほど。街に飛び交うネットワーク上で新聞記事を公開し、住民へ清く正しい情報を伝えることをモットーとしている。
時には、号外として緊急情報を伝達することもあるようだ。
【F20拠点防衛作戦】 罰ゲーム度★★★★☆
地獄の罰ゲームの時間だ。
最も手薄なF20拠点の防衛に努めてくれ。
知っての通り、我々の現戦力はHAF地下アジトに集中している。
そのせいで、各拠点を襲う奪還勢力に手を焼いているのが実情だ。
そこで諸君らには、断続的に迫りくる機械兵を蹴散らしてほしい。
期間は1週間。
深夜帯の警備を任せようと思う。
通達は以上だ。作戦開始は2113年5月30日。午前9時に格納庫へ集合せよ。
────
鬱蒼と緑の濃く満ちた山林に、夜のコンビナートが妖しく点滅している。
時刻は午前3時。
夏の予感を帯びた潮風は、ぬめりと木々の隙間をすり抜けた。
長雨の湿り気を孕んだ風の行方には、赤い鬼火が、幾つも浮かんでいる。
色彩豊かな輝きを灯す山中は、まるでちょっとした花園のようだ。
林冠を見上げれば──鳥の群れみたく月影を落とす、ドローン部隊たち。
大樹の幹に隠れたまま、俺はフードの底に嘆息を零す。
「……また来やがったか」
F20拠点防衛は、面倒の一言に尽きた。
さざ波の子守唄を浴びた駐屯兵が、到着したコンビナートで至る箇所に崩れている。
「み、みんなどうしちゃったのかな……?」
木箱やコンテナに背を預け、憔悴した顔にクマを擦る誰彼。
その時点で背筋を撫でる予感はあったが、件のMC側からの強襲と言うのは、それはもう酷い。
「六月一日隊長、敵襲です」
「何時だと思っていやがる……!」
夜半に浅く沈んだ意識は、脳内を浸る冷声に何度も水を掛けられる。
奴らは機械であることを良いことに、睡眠時間などお構いなく拠点を攻撃してくるのだ。
「いい加減……機械兵ではどうにもならんことを解して欲しいものだな」
森の陰りに銃弾の雨をやり過ごし、義眼のおやすみモードを切り替える。
気味の悪い絵画の世界が、絵具を塗りたくったみたいに慣れた色彩へ染まった。
色褪せた地獄は、花が咲き誇る山中へと早変わりする。
最後に、ローブに隠したケースを親指に弾く。
指先サイズの神経強化薬を飲み干し──身体中が、焼け爛れたような痛みを痺れる。
「……やるか」
雨にむわりと舞い上がった緑の匂いを、肺いっぱいに吸い込む。
葉枝の露が、ぬかるむ土に水面を揺らした。
俺はそれを合図に──木の根に凸凹とした森の中を駆ける。
「サッサと壊れろ、鉄クズどもが」
闇を紛れる硝煙が、木々の幹にとぐろを巻いた。
雨に濡れた信号機みたいな赤い光が、一斉に音の発生源へスポットライトを当てる。
が、そこに映るのは森の作る闇の洞穴ばかり。
俺は山猫のごとく枝を跳び移って湿った風を切り、四方八方から銃撃を浴びせる。
「アルナ、こちらは片付けたぞ」
「こっちもすぐに終わるよ!!」
一通り戦闘を終えて振り向けば、森中を光るアメジストの瞳が、蛍みたいに三次元的戦闘を繰り広げていた。
ガンタタを主軸とする阿呆にとって、森中でのゲリラ戦は絶好の舞台だろう。
数秒待てば、轟く銃声が夢であったように真夜中の森は静寂に浸る。
「拠点に戻ろっか!!」
硝煙の津波から逃れるように緩やかな斜面を下れば、世界は土色から鉛色へと移り変わる。
そこには機械兵とドローンが、バベルの塔みたいに天高くへと積み重なっていた。
「クックック……我が守護壁を越える者などいない……」
雨に濡れた忍者刀は、高慢に歪む口元を反射する。
「これで一旦終わりかな?」
「周囲に敵対反応は見られませんので、その認識で間違いないかと」
今晩3度目の強襲は、これにてひとまず終了。
見張りの塔へと登り、岩盤みたいな簡易ベッドに軋み音を鳴らす。
当然のごとく、薄桃色の子犬は暖を求めて布団に潜り込む。
「一緒に寝よ!」
「邪魔だ」
即刻、足先で乳白色の頬を蹴落とす。
はずが、シーツを握り締めて踏ん張る華奢な手。
「わ、わたし負けないもんっ!!」
クソが。サッサと落ちやがれ。
足裏をゲシゲシと押し付ける。
「向こうのベッドで眠れば良いだろう」
「あっちはユンくん使っちゃったもん!」
中二病は常夏のバカンスみたいにグラスを携え、脚を組んで瞼を閉ざしていた。
「……やってられるか」
舌を鳴らしてベッドから立ち上がり、椅子とは名ばかりの角材に座る。
暫くはペットを呼ぶみたいにシーツを叩いていた阿呆も、やがては、すやすやと安らかな寝息を立てた。
「随分、アルナさんと仲良くなられましたね、六月一日隊長」
「一方通行の友情の間違いだろう」
窓辺から覗く球場ドローンにため息を返し、俺は暫しの微睡に沈んだ。
青空から注ぐ朝の光が、意識の膜を卵の殻みたいにひび割る。
指先に揉み解す眉間。
節々の痛む身体を軽く動かして、骨を鳴らす。
いつの間にやら梅雨は止んで、雲の隙間に淡い青を覗かせていた。
「朝……か」
窓辺を覗けば、右腕のサイボーグからラジオ体操の音声を流す中二病が浮かぶ。
「クハハッ!大天使の降臨せし朝が来たようだな!!」
「おはようございます、六月一日隊長。あれ以降、特に異常はありませんでした」
球状ドローンが、鳥の羽みたく青空から舞い落ちた。
監視の報告が届いたところで、朝番の雑兵どもは慌ただしくそれぞれの持ち場へ走り去る。
「おはよ、六ちゃん!」
最後に奇天烈な芸術品のような寝癖を付けたアホ毛が、目を擦って塔の最上階を這い出す。
レイ、ユンジェ、アルナ。
随分と数を減らした特殊部隊『L7th』の総員が揃って、俺はF20拠点で4度目の言葉を吐く。
「俺達の出番は終わりだ。今晩の警備までは、各々好きに過ごせ」
これで一旦は解散。
桃色の瞳は奉仕に朝番の手伝いへ、球状ドローンは修理に工場で囲まれた何処かへ。
俺はコンビナートの奥地、仮設住宅のある方へと身体を向ける。
1人の迷子は、こてんと小首を傾げる。
「六ちゃんはお部屋に戻るの?」
「少しばかり、仮眠をな」
一体、誰のせいで充分に睡眠がとれなかったと思っているのか。
手を振る紺色の制服を横目に、潮風を浴びて塔から跳び下りる。
仮設住宅の扉を潜り、まずは温かいシャワーを。
気が付くと、適度に弛緩した身体は帰巣本能のようにベッドへと吸い込まれる。
が、まだ眠るわけにはいかない。
ようやく、アイツらの目を離れることが出来たのだから。
堪えて、低い机に置かれたパソコンへと手を伸ばす。
俺はローブの下から──例のUSBメモリを取り出した。
『──特殊部隊の中に、裏切り者が──』
ごくりと、静寂の家内を満ちる生唾の音。
黒光りするソレを、パソコンのコネクタに差し込む。
青い光を発した画面で、迷わずファイル内容を確認する。
──────
ファイル名「裏切り者と思われる人物とのメッセージ」。
エイリアス「機械兵への細工は済んだか」
アレックス「問題なく終えた」
エイリアス「ご苦労。では、次の機会があればこちらから連絡しよう」
アレックス「あなたは本当に特殊部隊の人間なのか?」
エイリアス「私がそうであることはマーシャから聞いているはずだろう。不要な詮索は寿命を縮めるぞ?」
──────
「コイツは……!」
当選番号を確認するみたく、血眼になって短いメッセージのやり取りに食い入る。
USBに残された情報量は少ない。
が、素知らぬ顔で裏切り行為を働く奴がいることは、ほぼ確実な事実のようだ。
「誰が裏切り者だ……?」
たらりと、蝋が垂れるみたいに冷や汗が首筋を伝う。
阿呆か。
しかし、あんなに頭の悪い奴が仮面を被って行動できるのか。
アレが演技だとしたら恐ろしい奴だ。
ポンコツはどうだ。
奴は俺達に素顔を晒したことが一度もない。
暗躍するには絶好の環境を築いているだろう。
中二病の奴も怪しいと言えば怪しい。
と言うか、アイツは言動からして存在そのものが怪しい。
顎に手を当てて思考の沼に沈む。
されど、この程度の情報量から裏切り者を特定することは、燕の巣から子安貝を見つけ出すようなものであり、
「……ひとまずは、お手上げか」
顎から指先を剥がした瞬間、ノックの音が、軽く家内に声を掛けた。
「……ッ!!」
ビクリと、大きく揺らぐローブの裾。
加速する心音が、不吉な静寂に流れ込む。
暫しの硬直の末、俺は泥棒みたいな忍び足に玄関扉を開いた。
「六月一日隊長、少々よろしいですか」
玄関先を浮遊するのは、球状ドローンだった。
「……貴様か。何の用だ」
俺は密かに胸を撫でおろし、ベッドへ腰掛けたところで、
「今、六月一日隊長が閲覧されていたデータは何ですか」
事務的な冷声が、ひやりと心臓を握り込んだ。
脳内を響く一言が、微細な文字列に分解されて宙を漂っている。
それは、白いペンキをバケツごとぶちまけられたような感覚だった。
俺は玄関扉を開いたまま唖然と口を開き──遅れて、眉間に皺を寄せる。
「貴様……盗み見たか」
「いえ、そのようなつもりでは」
青い単眼は、蜜蜂のダンスみたいに玄関前を揺らいだ。
「しかし、私は隊員を通じて景色を認識できますので」
完全に、失念していた。
コイツはポンコツである前に、『規格外の司令塔』だったのだ。
しかし……となると、まさかコイツは、四六時中どこからか俺の視界を義眼越しに──
「それより六月一日隊長。部隊内の裏切り者とは一体、」
裏切り者という言葉が出る当たり、コイツは俺の見聞きした内容を全て把握しているのだろう。
「……チッ」
もはやこうなっては仕方がない。
予定には早いが、ステップアップするとしよう。
俺は舌打ちを響かせ、球状ドローンの目玉を鋭く見据える。
「貴様……裏切り者だな?」
僅かな間もなく、ぴしゃりと事務的な冷声が返った。
「まさか。私が六月一日隊長を裏切ることはありえません」
「まるで部隊を裏切る可能性はあるような言い草だな」
「それが六月一日隊長のお望みとあらば」
王に忠義を捧ぐ騎士のごとく、俺の足元へ降下する球状ドローン。
俺は左脚に軽く蹴飛ばし、コンクリートを転がる玉へ胡乱げに目つきを細める。
「ふん、口先だけなら何とでも言える」
「仰る通りです。しかし、仮にアレックスさんの遺言が真だとした場合、六月一日隊長こそが裏切り者だとも考えられますよ?」
鋭い指摘に、ぐっと息が詰まる。
──元アドラ直属の仕事人。
客観的に言って、最も黒に近しい人物はレジスタンスと敵対していた俺こそだった。
「尤も、私も理人くんも、裏切り者でない証拠を持ち合わせていないのですが」
いつの間にやら、球状ドローンは羽虫みたいに仮設住宅の中へと潜り込む。
「誰もが自らの潔白を証明できない──悪魔の証明。話し合いは平行線ですね」
危険を楽しむ狂人のように、何処か弾んだ事務的な冷声。
俺は深々とため息を吐き出し、ベッドの柔らかさに背中から倒れ込んだ。
「貴様が覗き見さえしなければ、こんなチープトークに悩まされることもなかったのだがな」
まったく、また面倒事に面倒が重なった。
「裏切り者の炙り出しには、私も協力させていただきます」
「そうやって俺に偽物の裏切り者を処分させるのが目的だろう?」
ベッドから忌々しい球状ドローンの羽音を睨み上げる。
「どのように考えて頂いても構いません」
「ならば俺に付き纏うな」
「よろしいのですか? 私を黒だと怪しむのであれば、手元に置いておく方が安全策かと」
くすりと、事務的な冷声が脳内をせせら笑った。
気に喰わないが、仮にコイツが黒であれば、アレックスの精一杯の抵抗も台無しになる。
俺は舌を鳴らして、爆弾を一匹抱える。
「……良いだろう。ここは貴様に乗せられてやる」
「流石は六月一日隊長です」
「ただし、他の連中には一切口外するな。奴らこそが裏切り者かもしれんのだからな」
「2人だけの秘密ということですね。承知しました」
どこか弾んだ声を残す冷声。
その言葉を最後に球状ドローンは仮設住宅を発ち、俺は静謐に意識を漂わせた。
次回の投稿日は10月4日の土曜日です。
それでは、また次話でお会いしましょう!




